2015年のニューヨークのシュプリーム店舗
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裏原宿の盛り上がりと共に日本でも一躍人気ブランドへ
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野田:そしてシュプリームが日本に本格上陸したのは1998年。代官山にショップをオープンします。でもその前からストーミー(STORMY)やアリーナ(ARENA)といったショップに置いてあったよね。
※アリーナ:1998年にコミュニティ(COMMUNITY)を立ち上げた元プロスケーターの旭健が手掛けていた原宿のショップ。
高柳:日本でも最初はスケートショップでの取り扱いなんですよね。その後、ストーミーはかなりメジャーなお店になりましたが、この時期って相当マニアックで尖ったものをセレクトしていたイメージです。
野田:サブウェア(SUBWARE)とかプロジェクトドラゴン(PROJECT DRAGON)のようなシュプリーム周りのニューヨークブランドも取り扱っていたもんね。
高柳:アリーナも良いお店でしたよね。それこそ旭健さんはコンテストで入賞するような有名な人だったし。スケートカルチャーを好きな人が最先端のものをチェックするには、「ヘクティク(HECTIC)」かアリーナへ行くのが定番でした。
遠山:日本にシュプリームが入ってきたばかりの時期って、普通のスケートブランドだったわけじゃない?それが日本で特別視されるようになったきっかけって、やっぱりヨッピー(江川"YOPPI"芳文)さんとかなの?
野田:はい、僕は完全にヨッピーさんの影響でしたね。
遠山:そういう形で裏原系と呼ばれる人たちにピックアップされたことによって、スケーター層にとどまらず、ストリートファッション層にまで広がっていったのが日本での初期段階だよね。ヨッピーさんが手掛けていたヘクティクといえば東海岸スタイルだったし。
高柳:そうですね。ヘクティクって店舗の外に向けてモニターがあったじゃないですか、あそこでいち早くズーヨークのビデオが流れていましたし。
野田:シュプリーム代官山店のオープン広告はスケシン(Sk8ightTing)さんだったし、裏原界隈の人もよく着て雑誌に出ていました。日本における初期段階は完全に裏原宿の文脈でしたね。
高柳:この時期の代理店はワングラムですよね?その前ってダイス&ダイス (Dice&Dice) だったと思うんですけど。
※ ワングラム:シュプリーム、「ホームズ(HOLMS)」「サイラス(SILAS)」「モーティブ(MOTIVE)」「2600」など、《あんとき》の人気ブランドを数多く手がけていた代理店。2017年にジェームス・ジェビアが代表を務めるKMD株式会社と合併する。
遠山:この時はワングラムだね。まだ代官山にお店ができる前にホットドッグ・プレス(Hot-Dog PRESS)の仕事でシュプリームをリースしたことがあるんだけど、その頃はもうワングラムが代理店だったよ。まだお店がない時期だったので問い合わせ先が仙台はエンパイア、原宿はヘクティク、名古屋はダブルダッチ、広島はコンプリート、福岡はトリプレックスになってたね。
野田:おぉ、名店揃いじゃないですか。サイラスも2600もそうだし、ワングラムは本当にうまくブランドを成長させるよなぁ。余談だけどダイス&ダイスもスゴイよね。「アナーキック・アジャストメント(ANARCHIC ADJUSTMENT)」の日本における代理店に始まり、シュプリームやサブウェア、プロジェクトドラゴン、「リーコン(RECON)」といったブランドも最初に引っ張ってきたのはダイス&ダイスみたいだし。
瀬戸:野田さんがニューヨークのシュプリームに初めていった時期もこの辺なんですよね?
野田:そう1998年の冬だね。当時は21歳でまだ学生だったんだけど、毎日シュプリームのボックスロゴTシャツを着るという謎のタスクを自分に課していた時期で(笑)。その数年前に公開された映画「キッズ」の影響もありニューヨークとシュプリームへの憧れがどうしようもなくなり、人生初のニューヨークでのお買い物へ出かけることに。
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瀬戸:当時はどんな様子だったんですか?
野田:この時はまだ拍子抜けするくらい普通のスケートショップだった。こちとらシュプリームを目指して、当時シュプリームのお店があったラファイエット・ストリートの看板が見えただけで記念撮影するくらい気合い十分なわけよ。しかもお店にいったらジオが普通にいるし、「ブルックリンマシンワークス(BROOKLYN MACHINE WORKS)」に乗ってハロルド・ハンターもお店に遊びにくるし!
※ブルックリンマシンワークス:彫刻やカスタム家具を作っていたジョーが趣味で作っていたマウンテンバイクのパーツが評判を呼び、幼馴染であるビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)のMCAの協力を得て1996年に設立。当時、NIGO®︎さんやヒカルさんらがこぞって愛用していた。1997〜1998年頃にシュプリームとコラボで「24」が発売された。ちなみにハロルド・ハンターが乗っていたのも「24」。
高柳:それはヤバい(笑)。
野田:まさに自分がキッズの中にいるんじゃないかと錯覚するような空間でさ、めちゃくちゃ興奮するわけじゃない。でも店内を見渡すと、みんなくっちゃべってばかりだし、商品を見てもシュプリームはあるけど、どっちかというと他のスケートブランドが中心で「そんな気合い入れんなよ。こっちじゃそんな特別なブランドじゃねぇんだよ」って言われたような感覚になった。そのユルさが、めちゃくちゃ格好良かったんだよねぇ。
高柳:何か買いました?
野田:買った買った。買いまくったよ。行ったのがセール時期だったこともありシュプリームの商品もめちゃくちゃ安くて、Tシャツが1500円くらいだった記憶がある。だからクラスメイトのお土産がボックスロゴTシャツ。今じゃ考えられない豪華さでしょ(笑)。
高柳:そう考えると当時の裏原宿ブームの勢いもあり、ファッション文脈で限ってみると本格的に火が付いたのは日本の方が早かったのかもしれませんね。
今やストリートの枠を超えて支持される理由とは?
遠山:そんな体験があったからか、クルゼ(=野田)がオーリーに入社してきたときって本当に毎日ボックスロゴTシャツを着ていたよね(笑)。
野田:はい。学生時代から引き続きなので、正直3年ぐらいはそんな生活でした(笑)。
瀬戸:何枚くらい持っていたんですか?
野田:余裕で数十枚はあった。定番の無地ボックス以外にもバーバリー風、コカコーラ風、迷彩、アラビア文字、エイプカモ、ダブルタップス(WTAPS)、ジャクソン・ポロック、ブリンブリン、グッチ風、モノグラム風、星条旗、ペイズリー、カウズ、アンドレイ・モロドキン……この頃あたりまではシーズン毎に販売されるボックスロゴをほとんど買っていた。しかも色違いで。ちなみにスウェットもね (笑)。そんな生活がオーリーを辞めた2004年くらいまで続いてた。
遠山:なにがそんな魅力なの?言っちゃえば単なるショップのロゴTシャツだったわけでしょ。
野田:なんでしょう。学生時代に体感してしまった「なんだ、これは!」っていう初期衝動って引きずるじゃないですか。でも説明はできないという、あの感じです(笑)。そんな体質に育ってしまったのでボックスロゴが入るだけで無条件になんでもOKになっちゃうんですよね。ボールやサンドバッグすら、あのロゴが入るとインテリアに早変わりする気がして。それって当然、シュプリームの背景があるからこそ、なんですけど。あとシンプルであるがゆえに毎シーズン、色んなブランドやアーティストがいい感じに自分の色を出したアレンジをしてくれるので、その変化も楽しいんですよ。
瀬戸:確かにTシャツじゃなくても、あのロゴは何にでも映えますね。
野田:元々はフューチュラ(FUTURA)やマイク・ミルズ(Mike Mills)にロゴをお願いしていたけど、結局はバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)を元ネタした今のロゴに落ち着いたみたいね。
※バーバラ・クルーガー:1945年生まれのコンセプチュアル・アーティスト。モノクロ写真に赤地のフーツラやヘルベチカの白抜き文字を用いた作風で知られる。
遠山:そういうサンプリングが、ストリートの醍醐味でもあるよね。他のストリートブランドでもサンプリングの手法は使われるけど、オマージュの仕方に「分かってる感」があるかどうかってすごく大事だと思うし、クレバーさが重要だったりするわけじゃん。
野田:《あんとき》と比べるとシュプリームを着ている人にストリート感はなくなってしまったように思いますが、ブランドとしてはこれだけメジャーになってもストリート感がちゃんとあって、プロモーションにも反映されている。個人的には世界一ブランディングがうまいブランドだと思っていて。
高柳:分かります。最初に名を上げたプロモーションがステッカーボムなんて本当にストリートブランドっぽいし、これだけメジャーな存在になっても看板とかじゃなく街中の壁にポスターを貼ったりしていて。《あんとき》とは許可を取っているかどうかの違いこそあれど、そういうゲリラ感がある手法は出自を見失っていないというか。
野田:あとはモデルがケイト・モスだったりレディー・ガガ(Lady GaGa)のようなオーバーグラウンドな存在を起用したり、カーミット(Kermit)やマイク・タイソン(Mike Tyson)のような意外性のあるところも引っ張ってくるじゃない。そういうアンダーグラウンドとオーバーグラウンドを行き来できてしまうところがストリートという枠を超えて、今のような爆発的な人気に繋がっていると思う。
瀬戸:確かにケイト・モスが起用された辺りから女性でシュプリームを着る人というか、持っている人が増えましたよね。
野田:ホント。まさにその当時、僕はウィメンズブランドに勤めていたんだけど、いきなりみんなの携帯ケースがシュプリームに変わり出したもん。ブートだったけど(苦笑)。しかも店長会の日に、通常の4倍くらい大きいボックスTシャツを着ている人がいたのね。さすがにバレバレだったから「それ偽物だよ」って教えたのよ。そしたら「ひどい、そういうんじゃないんです(涙)」とか言われて泣かせてしまって......。「余計なこと言わないでください」とか他の人にも言われちゃって僕が泣きたいくらいだったけど、もうブランドの背景とか関係なく、見た目で選ばれるブランドになったんだなぁと痛感した事件だったよ。
瀬戸:それは野田さんが悪いですね(笑)。あと、コラボを楽しみにしている人も多いですよね。
野田:そうだね。でも《あんとき》と比べて、コラボするブランドも随分変わったと思わない?
瀬戸:はい。《あんとき》は裏原全盛だったこともあり、ダブルタップスや「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」といったストリートブランドとのコラボが多くて。スニーカーでヴァンズや「ナイキ(NIKE)」とコラボするくらいでしたよね。
高柳:今は「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」を筆頭にかなりビッグネームばかりですね。そういう面でもオーバーグラウンドな存在になったと感じます。
野田:コラボで印象深いのは、やっぱり2002年のダンクSBかなぁ。あれだけ盛り上がっていたダンクのスケシュー版として日本で最初のモデルだったし、おそらく当時コラボではセメント柄ってなかなか使えなかったと思うんだけど、それを使ってジョーダンカラーでリリースしちゃうし、別格感がハンパなかったんだよね。
遠山:今出たらヤバイね、事件が起きるね。近年のビッグコラボでいうとやっぱり「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」になるのかね。
瀬戸:でしょうね。あれもキム・ジョーンズ(Kim Jones)が大の裏原宿好きで、元々シュプリームのパッキンを捌いてたっていうのがルーツにあるコラボですからね。
【ミミック】関連記事:《あんときのストリート》からトップデザイナーに登りつめたキム・ジョーンズ
野田:この時期ぐらいから世界中どこを旅しても一番見かけるブートアイテムがシュプリームみたいな状態になってきたような気がしていて。それと同時に「ストリート・ラグジュアリー」として語られることも増えたんだけど「いやいやいやいや!シュプリームをラグジュアリーって正気ですか?」って(笑)。大事なことなんで、もう1回言っておくと「シュプリームをラグジュアリーって正気ですか?」って!
遠山:間違いなく、きちんとプロセスを踏んできた純正ストリートブランドなんだけど。最近シュプリームを知った人だと、ボックスのロゴマークがボーンと出てきて、手に入らないらしいとか、プレ値ですごく高いらしいとか、そういう扱いなんだろうね。
野田:シュプリームほど生粋のストリートブランドってそうそうないじゃないですか。だからこそストリートブランド乱立時代を勝ち残ってこれたわけで。これは《あんとき》のストリートにどっぷりハマったおっさんの戯言に思われるかもしれないし、ファッションは自由っていうのも分かるけど、シュプリームのそういった背景を無視してストリート・ラグジュアリーの文脈でストリートをトレンドとして取り入れていてハイブランドやダッドスニーカーだったりと合わせるのは微妙だと思っちゃうんですよね。すごくお金をかけているのに。
高柳:ストリートなのか、ストリート風なのかって、まったくの別物ですからね。
遠山:背景を知らない人にしてみたら、ハイブランドとシュプリームの商品をパッと見ると同じ並びに見えるだろうし普通に合わせちゃうんだろうけど、その組み合わせで着ていたら知らない人になっちゃうもんね。
野田:いや、ホントそうなんですよ。今や僕らが知らない人になってるんじゃないかという説もありますが(笑)。
遠山:それこそシュプリームも世代交代しているもんね。2014年に出た「チェリー(cherry)」ってDVDあったじゃない。あれってシュプリームにたむろしていたようなストリートのリアルキッズがメインなんだけど、そこからショーン・パブロ(Sean Pablo)やタイショーン・ジョーンズ(Tyshawn Jones)のような人が名を売ったわけで。しかも東海岸っぽくお洒落な映像でテクニカルなトリックなのかと思いきや、かなり荒っぽいゴリゴリな感じでそれがストリート感満載ですっげーカッコよかったんだよね。次世代の新しいスタイルを感じたというか。それがシュプリーム的には原点回帰的な主張にも思えてきて。
高柳:ロゴものなんて特に顕著だけど、《あんとき》のシュプリームの商品って基本的には今とほとんど変わってないんですよね。こういうチェリーみたいな動きもあるわけだし、シュプリームのスタンスとしてはそこまで変わってないんでしょうね。
野田:アンダーグラウンドとオーバーグラウンドを行き来する感じはヴィトンとコラボするずっと前からの動きだし、そのヴィトンとのコラボだってキム・ジョーンズという生粋の裏原キッズがいたからこそであって。そこにはストリートに何十年と根ざした圧倒的な背景がある。
遠山:シュプリームはストリートブランドである以上、まず語られるべきはその背景なのに、あまりにもコラボ、ボックスロゴってところばかりがクローズアップされてきたのが近年なのかもね。
野田:実際、今回の記事を書くにあたりリハビリも兼ねて、久々にシュプリームを買おうと思って「アンタイヒーロー(ANTIHERO)」とのコラボTシャツを買ったんですよ。僕らの感覚からすると、この組み合わせなんて当然買いじゃない?でも売り切れていたのはロゴものだけで、フォトTシャツは普通に買えたんだよね。「やっぱりロゴなのかよ!」って思った。
遠山:ボックスロゴを3年着続けたクルゼに言われても、説得力ゼロだけどね。
一同:確かに(笑)。
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・トップセラーと振り返る日本のスニーカー史 「前編:ミタスニーカーズ 国井栄之」「 後編:アトモス 小島奉文」
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