「マルイ系」という言葉をご存知だろうか。2000年代にインターネット掲示板を中心に使われていた造語で、当時ファッションビルのマルイに出店していた「コムサデモード(COMME CA DU MODE)」や「メンズ・ビギ(MEN'S BIGI)」「ニコルクラブフォーメン(NICOLE CLUB FOR MEN)」「アバハウス(ABAHOUSE)」などの日本の大手アパレルメーカーによるブランドのことを指している。2000年代後半には、メインターゲットであるティーンズから大学生から一定の支持を受けていたが、2010年代に入ってからは徐々に影響力を失い、近年は都心のマルイに展開する「マルイ系」ブランドの店舗数は少なくなっている。
だがここ数年、「マルイ系」のファッション性が評価され、そのアーカイヴアイテムが高値で取引されている。その取引の場はインスタグラム。そして、「マルイ系」を販売しているのはアメリカやカナダなどのアカウントである。つまり、2024年の今「マルイ系」が海外で高い評価を得ているのだ。今回はそんな「マルイ系」ブームの発生源を追った。(文・山田耕史)
目次
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「マルイ系」はどこからやってきたのか
「マルイ系」人気の源流は、2010年代に巻き起こったデザイナーズアーカイヴブームである。カニエ・ウェスト改めYeら人気ヒップホップミュージシャンが着用したことをきっかけに、デザイナーズブランドのアーカイヴアイテムが注目を集め、価格が高騰した。それまではデザイナーズブランドのアイテムは年を経る事に価格が落ちることがほとんどだったが、リーバイス501XXに代表されるヴィンテージ古着のように、年を経ても価格が落ちない、それどころかさらに価値を増すこともある、という価値観がデザイナーズブランドのアイテムにも生まれたのである。
デザイナーズアーカイヴブーム発生当初は、ラフ・シモンズやヘルムート・ラング、マルタン・マルジェラなどの、カリスマ的な人気を誇る欧米のデザイナーによる1990年代から2000年代のアイテムが人気を集めていた。また、「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」や「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」「ナンバーナイン(NUMBER (N)INE)」といった以前から人気だった日本のデザイナーズブランドの過去のコレクションアイテムも、二次流通の相場が軒並み高騰した。
だが、「人とは違ったもの」を求めてしまうのが、マニアの性である。さらにマニアックなブランドやアイテムを“発見”する競争が始まる。日本のブランドでは、1990年代に人気を集めた「ビューティビースト(beauty:beast)」や「トゥオーフォーセブンワンワントゥオー(20471120)」などのインディーズを出自とするブランドも対象となった。
近年の二次流通は、eBayに代表されるインターネットオークションサイトだけではなく、インスタグラムを介して行われることも多い。インスタグラムでデザイナーズアーカイヴを販売するショップのアカウントは、アメリカやカナダ在住で、「○○archive」というアカウント名が多いことが特徴的だ。そういったアーカイヴショップでは、これまで上掲のような、コレクションで作品を発表しているデザイナーズブランドのアイテムを扱っていることがほとんどだった。
だが、ここ数年で「アーカイヴ」の対象は飛躍的に拡大し、デザイナーズブランドにとどまらなくなっている。
2020年初頭に、筆者はアメリカのアーカイブショップで「マルイ系」ブランドが販売されているのを発見した。そのブランドとは、日本の大手アパレルメーカー、ファイブフォックスが展開していたブランド「ピーピーエフエム(PPFM)」である。PPFMのもとのブランド名は「PEYTON PLACE FOR MEN」。1980年代のDCブランドブームのときに人気を博したブランドである。
DCブランドブームとファッションビル
ここで、1980年代の日本を席巻したDCブランドブームについて触れておきたい。その下地になったのは、1970年代の原宿だった。「マンションメーカー」と呼ばれるインディーズ的な新興ブランドが生まれ、若者達による新しいファッションが発信されるようになり、同時期に高田賢三や三宅一生が海外で活動を始めるなど、ファッションデザイナーが発信するファッションに対する注目度が高まっていった。
その勢いが爆発したのが1980年代である。パリに発表の場を移していたヨウジヤマモト、コム デ ギャルソンが「黒の衝撃」として脚光を浴びたのが1981年。その影響を受け、1982年にはカラス族というムーブメントが生まれた。そして、1983年頃にはDCブランドブームが到来した。
DCブランドブーム真っ只中に発売された「ホットドックプレス(Hot-Dog PRESS)」1986年5月10日号では、DCブランドが以下のように定義づけられている。
Dはデザイナーズ、Cはキャラクターの意味。簡単に言えばデザイナーズ・ブランドとは、あるデザイナーが実際にデザインし、その人の名前がブランド名になっているモノ、もしくはオーナー・デザイナーが創る服のブランド(例えばコム・デ・ギャルソン)。それに対してキャラクター・ブランドとは、BIGIグループやFIVE FOXグループなどのブランドに代表されるモノで、特定のデザイナー名が前面に出てこないブランドのこと。
当時誕生し、人気を集めた多くのDCブランドが店を構え、流行の発信地となっていたのがファッションビルである。その代表格が1973年にオープンした渋谷パルコ、1978年にオープンしたラフォーレ原宿、そして丸井である。
丸井は第二次世界大戦前の創業期から家具の月賦販売を行っていたが、1980年代には耐久消費財のニーズが衰退したため、当時伸びつつあったファッションに特化。店舗で即時発行ができる「赤いカード」を武器に、若者向けのキャッシングを拡大した。1987年には貸付残高が800億円を突破。その丸井の躍進を支えたのがDCブランドだった。すでに高度経済成長は終わっていたものの、アメリカに次ぐ世界2位の経済大国になっていた日本の経済は1980年代に入っても右肩上がりの安定成長が続いており、若者の消費意欲は、今とは比べ物にならないくらい旺盛だった。ファッションに対する熱量も非常に高く、丸井をはじめとしたファッションビルのセール開催時期は、DCブランドのアイテムを求める若者たちが長蛇の列をつくっていた。
だが、DCブランドブームは1980年代終盤には収束。その後の1990年代はデザイナーが発信するファッションよりも、「渋カジ」や「裏原系」などのストリートで生まれたファッションが主流となり、最先端ファッションの発信地としての丸井の存在感は薄れていった。
エディ・スリマンとマルイ系
その後、再びファッションデザイナーが発信するファッションに注目が集まるようになったのが2000年代。「ディオール オム(DIOR HOMME)」のクリエイティブディレクターに就任したエディ・スリマンによる、モード系ロックスタイルが世界中で大ヒットする。黒を基調としたシックな色調に、ライダースジャケットやスタッズベルトといった、ロックテイストのアイテム、そして細身のスキニーパンツ。2000年代はエディ・スリマンが打ち出したスタイルに数多くのブランドが影響を受けていたが、日本市場で最も強く「エディ調」のファッションを打ち出していたのがマルイ系である。
ディオール オムは比較的シンプルなスタイルが中心であったが、マルイ系の多くのブランドは中心客層であるティーンズから大学生のマス層の嗜好に合わせ、スタッズやジップ、ポケット、ベルト、異素材切り替えなどのキャッチーなデザインを“足し算”していった。当時の主力ボトムスだったジーンズには激しいユーズド加工が施された上に、ペンキプリントやスカル刺繍、ダブルウエスト、チェーン装飾などおびただしい“足し算”が加えられ、独自の進化を遂げていた。
そんなマルイ系のなかでも当時から異彩を放っていたブランドが、PPFMである。その個性的なデザインに、インターネット掲示板では皮肉交じりに「神の服」と呼ばれていた。
4分で完売、インスタで“発見”されたPPFM
アニメTシャツを中心に、個性溢れる品揃えで若者の支持を集める代田橋の古着屋「chillweeb」。海外の人気ストリートブランドのデザインチームがサンプリングで訪れることもある。
同店のオーナーであるchill氏は、2018年頃にアーカイヴアイテムを扱うアメリカのショップに、日本で集めたPPFMのアイテムを販売していたと語る。
chill氏によると、PPFM人気の源流はデザイナーズアーカイヴブームにあったという。前述通り、ヒップホップミュージシャンの影響で起こったデザイナーズアーカイヴブームで特に人気を集めたのが、1990年代から2000年代のコレクションで発表されたアイテムだった。「ステージ映え」を狙ってなのか、そのなかでも好まれたのがキャッチーなデザインのアイテムで、もともと装飾的な作風で知られる「ドルチェ&ガッバーナ(Dolce&Gabbana)」が2000年代前半にコレクションで打ち出していた、装飾的なデザインのパラシュートパンツが2010年代中盤に人気を集めるようになった。その後、アメリカのアーカイヴショップのキュレーターからchill氏のもとに、PPFMのブランド名指しでオーダーが届いた。彼らが欲しがったのは、個性的なデザインのパンツ。おそらく、キュレーターたちはドルチェ&ガッバーナのパラシュートパンツと似たような雰囲気で、より面白いデザイン、誰も注目していないブランドを“掘って”いくことで、PPFMを“発見”したのだと思われる。
こちらは取材時にchillweebの店頭で販売していた、2000年代のPPFMのパンツである。まず目を引くのが、太ももの大胆なジップ。複雑な切り替えデザインで、デニム生地には激しいウォッシュ加工が施されている。バックポケットには別布の切り替えと、尾錠のようなディテールが施されており、ベルトループも曲線を描いているなど、細かい部分にまで手が加えられている。
chillweebと同じ店舗内に共同で店を構える古着店「mimic」が取り扱うPPFMのパンツ
Image by: Koji Yamada
こちらはPPFMのジャケット。ストライプのように見えるコーデュロイ生地で、左胸には斜めに走る、2つのジップ。右胸にはメタルボタンがあしらわれたポケットと、ベルトのような装飾が加えられている。
PPFMのジャケット
Image by: Koji Yamada
こちらはPPFMのウィメンズブランド「PPFM Juliet」のライダースジャケット。ドットのように見える柄は、実はリンゴモチーフ。その裏側には生地を当ててステッチがかけられているという、非常に手間のかかった仕様になっている。また、ジーンズと同様にベルトやジップなどの細かいディテールがふんだんに盛り込まれている。
PPFM Julietのライダースジャケット
Image by: Koji Yamada
PPFMのこういった手の込んだデザインは「スマートフォンの小さい画面でもデザインのキャッチーさが伝わり、インスタグラム映えが非常に良いので人気が高い」とchill氏は語る。実際、PPFMを販売しているアーカイヴショップでは、マルイ系ブランドの他に、2000年代の「ナイキ(NIKE)」のアウトドアカテゴリー「オール・コンディションズ・ギア(ACG)」や「オークリー(Oakley)」などの、ジップやポケットのギミックが豊富なアイテムが販売されている。PPFMを取り扱うとあるアーカイヴショップのインスタグラムでは、上掲のようなPPFMのデニムパンツが「(⚔️SOLD⚔️) in 4mins(発売後4分で完売)」とあり、その人気の高さを物語っている。
最新アーカイヴトレンドは「お兄系」
chill氏によると、マルイ系に続いて最近は「お兄系」ブランドが海外で人気を集めているという。
お兄系とは1990年代終盤に渋谷でブームとなった「ギャル男」をルーツとするストリートファッションである。アメカジをベースに、ロックやバイカー、サーフなどの様々なスタイルを取り入れ、そこにヤンキーやホストなどのいわゆる「ワル」な要素をミックスし、極限まで装飾性を高めたデザインが特徴だ。主に、当時お兄系の総本山的存在だったファッションビル、SHIBUYA 109-2に出店していた「バッファローボブズ(BUFFALO BOBS)」や「ジャックローズ(JACKROSE)」などのブランドを指す。キャッチーなデザインが持ち味のお兄系は、全国津々浦々のローティーンにまで支持層を広げていたが、2010年代後半にはマス層での人気も失速した。つまり、現時点では最も「ファッショナブル」とは遠いスタイルであるお兄系が今、海外で支持されている、ということになる。
また、愛用する著名人にヴィジュアル系ミュージシャンが多い「ルグランブルー(L.G.B.)」、「シェアースピリット(SHARE SPIRIT)」、バイカーやロック系のレザーアイテムを中心とした「オベリスク(Obelisk)」、マルイ系に分類されることもある「トルネードマート(TORNADO MART)」といった、一般的にお兄系に分類されるブランドではないものの、お兄系と親和性が高いテイストで愛用者が一部重なっていたブランドも注目されている。ヤフオク!を覗くと、これらのブランドのアイテムを入札競争の末、数万、数十万円の高値で落札しているのはアメリカのアーカイヴショップがほとんどだとchill氏は語る。
これらのお兄系ブランドは今、「リック・オウエンス(Rick Owens)」や「アンダーカバー(UNDERCOVER)」といったデザイナーズブランドと並んで同じアーカイヴショップで販売されている。前衛的な作風のデザイナーズブランドと、お兄系ブランドが同じ価値観で扱われているのだ。
こういったお兄系ブランドのアイテムは、アメリカのZ世代のヒップホップミュージシャンが着用しているのではないか、とchill氏は推測している。
彼らにとって大切なのはデザインのようだ。それも、パッと見で惹きつけられる、飛び抜けて個性的なデザイン。そこでは、ファッションの歴史的背景やブランドのネームバリューはあまり重視されない。デザイナーズブランドであろうが、お兄系ブランドであろうが、彼らがクールだと思ったファッションがクールなのである。
chillweebにもお兄系ブランドに身を包み、2000年代に流行していたように茶髪を逆立たせた日本人の若者が来店するという。ただ、コスプレのように、当時のアイテムをそのまま着ているわけではない。2000年代のお兄系は細身のスキニーパンツ、あるいはブーツカットパンツが定番だったが、令和の若者の着こなしはトップスはお兄系ブランドのアイテムではあるものの、ボトムスは人気のルーズシルエットのカーゴパンツを着用するなど、今の時代感を反映したスタイルにアップデートされているという。
「ガラパゴス的進化」が若者の心を捉える
「マルイ系」と「お兄系」に共通するのは、「ガラパゴス的進化」をしたデザインであると、筆者は考える。どちらも日本国内だけをマーケットにして展開してきた結果、「ガラパゴス的進化」を重ね、独自のファッションスタイルを構築するに至った。それが、海外からの視点では、「オンリーワンの個性を持ったファッション」に映っているのだろう。
また、お兄系として挙げたブランドのなかには、ライダースジャケットなどに用いられるレザー素材の加工やパターンメイキングに強いこだわりを持っているところも少なくないが、そういったこだわりが今、国境と時代を超えて若者の心を捉えているのではないだろうか。
マルイ系もお兄系も、日本のファッションの主流ではなくなってから、かなりの時間が経過しているが、「アーカイヴ」という価値観で再発見されるようになった。その背景には、インスタグラムによるファッション情報の共有と、メルカリやヤフオク!が一般人に普及することで、それまで二次流通市場に出回らなかったニッチなアイテムが増えたことにあると思われる。
アーカイヴショップのキュレーターたちは、非常に強い熱量を持って、新しいファッションを“ディグ”し続けている。筆者は以前、ブログでデザイナーズアーカイヴについての記事を書いたところ、アメリカのアーカイヴショップから「ビューティービーストの服を日本で見つけたら、買って送って欲しい」という内容のDMが送られてきたことがある。おそらく、筆者以外にもたくさんのDMを送るなどして、商品の買い付けや情報の収集を行っているのだろう。
また、PPFMなどのマルイ系ブランドの歴史やコンセプトについての詳しい情報をインスタグラムに投稿しているアーカイヴショップもある。個性的なファッションに溢れている日本のファッション誌を入手し、その画像をインスタグラムに投稿する海外のアカウントは今やそれほど珍しくないが、PPFMは当時からファッション誌での露出が少ないブランドで、インターネット上でもその頃の情報はほぼ皆無だ。様々なサービスの普及で以前よりも情報収集は簡単になっているが、日本にいても非常にアクセスが難しいファッション情報を海外にいるキュレーターたちが入手するのにはかなりの手間と時間、そしてお金が必要だと思われる。 彼らが、ファッションに対して強い愛情と敬意を持って接していることの証だ。
今も、彼らは血眼になって、「クールな」アーカイヴファッションを探し続けているだろう。次に人気を集めるのは、まだ誰も「発見」していない日本のファッションなのかもしれない。
1980年生まれ。兵庫県神戸市出身。関西学院大学社会学部在学中にファッションデザイナーを志し、大学卒業後にエスモードジャポン大阪校に入学。のちに、エスモードパリに留学。帰国後はファッションデザインコンサルティング会社、ファッション系ITベンチャーを経て、現在フリーランスとして活動中。
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