メイクアップアーティストがメイクアップアーティストなどクリエイターにインタビューする連載。「M•A•C」のシニアアーティストである池田ハリス留美子氏がインタビュアーとなり、トレンドメイクをけん引するメイクアップアーティストと対談。アーティスト同士だからこそ語られる“本音”とは?
第2回のゲストは、NY在住のメイクアップアーティスト、ASAMI MATSUDA氏。20年前にNYに渡り巨匠メイクアップアーティストのリサ・バトラー(Lisa Butler)のファーストアシスタントをはじめ、ブルース・ギルデン(Bruce Gilden)など有名フォトグラファー、ザック・ポーゼン(Zac Posen)といったデザイナーなどとの仕事を通じて技術を磨き、現在も第一線で活躍する。今回は2回に渡り池田氏とのトークをお届け。2人がこれまで歩んできた道のりから、これまでの苦悩、これからメイクアップアーティストを目指す人たちへのメッセージまで、さまざまな想いがあふれる対談となった。
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1998年キャリアスタート。化粧品メーカーでの経験を経て、2002年M·A·C入社。M·A·C表参道ヒルズ店で店長を務めた後に2007年渡米、メイクアップアーティストKABUKIに師事。2009年からはNYのM·A·C PRO SHOW ROOMで活動。グローバルな経験と豊かな感性でメイク業界をリードし、2014年に日本のM·A·Cシニアアーティストに就任。ファッション誌をはじめ、東京コレクションはもちろん数々のファッションショーやバックステージをマルチにこなしながら日本のM·A·Cチームを束ねる。NYから日本に拠点を移した今もなお、“NY・パリ・ミラノ“といった世界のファッションシーンで活躍している。骨格を見極めることで個々の魅力を最大限に引き出すテクニックを得意とし、“リアリティーがそこにあるのか?”を常に追求しながら、エフォートレスかつパーソナライズなメイクをクリエイトする。
第2回ゲスト:マツダ アサミ(ASAMI MATSUDA)日本の5つの都市で育ち、ニューヨークに移住したアサミは、リンダ・メイソンのメイクアップコースに通い、メイクアップアーティストとしてのキャリアをスタート。リサ・バトラーのファーストアシスタントなど、業界著名人のアシスタントを務めながら技術を磨いた。ブルース・ギルデン、マーク・ペクメジアン、ジア・コッポラといったフォトグラファーとの仕事を経験し、あらゆる肌タイプに対応できるアサミの技術は、視覚的に印象的なメイクアップからシンプルでナチュラルなルックまで叶える。主なクライアントはデイズド、ミューズ、ザ・フェイス、パープル、インタビュー、資生堂、スチュアート ワイツマン、ユマ・サーマン、M·A·C。
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池田ハリス留美子(以下、池田):(一時帰国中の)ASAMI、おかえりなさい!
ASAMI:(まだ暑さが残る中での対談で)日本は暑いですね! 今日はよろしくお願いします。
池田:まずASAMIについて軽く紹介すると。もう日本人じゃありません(笑)。コミュニケーションがほとんど欧米の人だから。そこから色々経験したことはかなりリアリティがあるのかな。特にこれからメイクアップアーティストを目指す人たちに、ASAMIのドラマチックな経験をお伝えしたい、と思って今回お呼びしました。
では最初の質問ですが、ASAMIはなぜメイクアップアーティストになろうと思ったの?
ASAMI:とてもシンプルな始まりで、⾼校⽣の時に4歳年上の美容師をしている友達がいたんですよね。彼⼥の影響で⼀緒に働きたいなと思い始めました。更にセッションだったら⾊んな国に出張で⾏けると聞いて、やってみようと思ったのがきっかけです。
池田:きっかけはそんなもんだよね。
ASAMI:あとは16歳から⼀⼈で暮らしていたので、早く⾃⽴して⼤⼈として⽣きて⾏きたかったんですよね。メイクのアシスタントだったら努⼒すればワンチャン私でもって。10代の時は⽣き急いでたんです(笑)。
池田:10代の時は、生き急ぐっていう言葉すら知らなかったですよ。私も、メイクの学校に行ってないので、確かにワンチャンって思うよね。
ASAMI:ちなみに私はメイク学校⾃主的に除籍にしてもらいました。
池田:行かなかったってことだよね。
ASAMI:そう。⾼校の時に選択授業で絵画を選んでいて、その時の先⽣が表現⼒を⼤切にされている⽅で、⾃由に描いていいよって感じだったんです。メイクの学校に通ったらその学校のマニュアル通りじゃないといけなくて、その時は⾃由がないなと思い⾏かなくなりました。
ASAMI:池田さんが16歳の時ってどんな子だったんですか?
池田:ちょうど生理が始まって1年後ぐらいで、「私が女性になった、なんなんだろうか?」という戸惑いがありながら、バスケットボールでプロを目指し、青春を費やしていましたね。
ASAMI:スポーツ女子だったんですね。
池田:今振り返ると、私はやっぱりドMだなと思うのが、コーチとかの言うことを全部聞いて(笑)。運良く中3の時に3つの高校からスポーツ推薦のオファーがあり、その中の1つの学校に行ったんだけど、腰痛が悪化して1年の夏に夢を諦めた…。そんな時期だったかなあ。
ASAMI:15歳から⾼校⽣の時期ってターニングポイント来ませんか?それまでの環境からの影響も⼤きいですが、この時期に出会う⼈からの影響も絶⼤ですよね。
池田:そうだね。その後、私は音楽とダンスに夢中になってた。
ASAMI:私たちの共通点は好奇⼼が強いところかな?⾏動⼒があるところも、何か似てるものを感じる。
池田:ASAMIは専⾨学校を辞めてからどうしてたの?
ASAMI:メイクアップアーティストへの思いも抱えながら、若かりし頃から攻殻機動隊の草薙素⼦さんに感銘を受けていて、サイボーグは無理だったので筋トレとともに⼒仕事のアルバイトに応募しては落ちていました。(余談になりますが)それでメンタルとフィジカルを⽇々鍛錬していたので、この仕事始めた時に、ここでも役に⽴ったな、と思いました。やっぱり⾃分のやりたいことをどんな状況下でもやり続ける芯の強さを保つ努⼒は必要ですね。変わり者ってよく⾔われていましたが、それでいいんですよ。
池田:私自身、いろんな方に会うチャンスがあるけど、その中でも飛び抜けて変わってるって思っていたかも、ASAMIのこと。普段、あんまり人の顔や名前を覚えられないタイプなんだけど、NYのM·A·C PRO SHOW ROOMで会って、「この人変わってるなあ」ってすぐ覚えたよ。
ASAMI:めちゃくちゃしゃべりましたよね。私、いい意味で好き嫌いがはっきりしてるから。興味ある、ないが分かりやすいらしい…(笑)。
池田:“マブダチ”だよね、ザック(・ポーゼン)さんとASAMIって。だから言えるんだよね。ザックさんって、私が今まで会った人の中で、本当に素晴らしい人。周りに気を使うし、周りを気分良くしてくれるし。
ASAMI:ザックとはかれこれ10年以上の付き合いで⼀緒にいろんな仕事してきました。彼は⼈が⼤好きなんです。そしてあの⼈柄、会ったら惚れちゃういますよね。彼の素晴らしい所のひとつなんですが、たとえそれがネガティブなことだったとしても、誰に対しても対等に接してくれるので信じて伝えていいという所です。もしかしたらそこが⽇本にある“イエス”⽂化と違う所かなと感じます。
池田:私もNYのM・A・CのPRO SHOW ROOMに入った時は、なんでも「はい」って返事してた。とりあえず、「はい」と言っておけばっていう思いもあって。そしたらどんどん仕事が増えて…。ノーと言わないから仕事いっぱい抱えちゃって、なんだか泣いてた。
いろいろ悩んだけど、それで気づいたのが「イエス」「ノー」をはっきり言わないからだって。気づいてからはしっかり伝えたら、リスペクトされるようになって仕事がうまく回り始めたって感じだったね。
ASAMI:カルチャーの違いですね。日本だと協調性として好意的に捉えられることも、海外だと自分の意見がない人、になってしまうこともあるよね。
池田:自分をしっかり出していかないとだね。
ASAMI:⼈間関係に関してはもしかするとNYはシビアな⽅かもしれない。だからこそ⾃分のポリシー的なものをしっかり保持して線引きは必要。
池田:分かる!サバイブ。ASAMIは本当にすごい、大尊敬。メイクアップアーテイスト大御所、リサ・バトラーのファーストをやれる人ってなかなかいないよ。当時、ラグジュアリーメゾンのキーにつくというのは、今とは全然レベルが違っていて、しかも日本人で。
ASAMI:紆余曲折あったし⼼理的葛藤も抱えていたけど、辞めたらまた最初からやり直しになるのでグッと堪えて頑張りました!
「20年以上NYの第一線で活躍するASAMIに聞く(下)」に続く
(編集・福崎明子)
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