福助を異例の早さで再建、イトーヨーカ堂から大役オファー
ミレニアムの2000年に新たな一歩を踏み出した藤巻氏。万を持して、親交の深かったデザイナー徳永俊一氏と会社を立ち上げ、バッグのブランドビジネスに携わる。しかし、約2年で解散へ。挫折を味わう間もなくバッグの「キタムラ」から声が掛かり、専務取締役に就任。続いて2003年には、約430億円の負債を抱えて倒産したレッグウエアメーカー「福助」の代表取締役社長に抜擢され、経営再建に奮闘する。現場主義による抜本的な改革によって、当初5年かかると言われていた再建を約1年で好転させ、2005年に衣料品の低迷に悩んでいたイトーヨーカ堂の役員に迎え入れられた。セブン&アイ生活デザイン研究所のトップとして、「スーパーの衣料改革」へ真っ向から取り組む藤巻氏だったが、激務が祟って病に。2008年には志半ばにしてイトーヨーカ堂から去ることになる。

ストッキングなんて宴会でかぶった事しかないな、なんていう僕だったんですが(笑)。「「福助」を再建するための経営をやってもらいたい」という大役のオファーが来た時には、「やってやろう!」というチャレンジ精神で乗り込みました。でもフタを開けてみると思った以上にひどい。一度つぶれた会社というのはそれなりの理由が多数あるのに、社内は気付いていないんですね。それにはひとりひとりの意識や仕事スタイルを根本から変えなくてはいけない。全社員と面接し、現場に入って徹底的に改革しました。
なんとか「福助」は持ち直して「もう大丈夫」と思った頃に出会ったのが、日本に「セブン-イレブン」を作ったセブン&アイ・ホールディングス会長の鈴木敏文さん。実は、僕には「ファッションの最先端から一般大衆まで、全ての人を少しでもオシャレにしてあげたい」という夢があったんです。早速、難題と言われていたスーパーの衣料品改革に取り組みました。
売り場を変え、制服を変えて、お店はちょっとかわいくなりましたし、オリジナルで作ったブランド「pbi」は業界から注目されたと思う。でも実際にはスーパーに来るお客さんとの観点がズレていたんですよね。夢が実現出来ないうちに、自分が過労で倒れてしまいました。
僕、これまでもずっと成功ばかりではなかったんです。伊勢丹時代は上司に怒鳴られっぱなしだったし、バーニーズでは売り上げ0円という地獄のような日々もありました。積み上げた在庫量はトップなんじゃないかな。元々僕は見てくれも要領も悪くて、コンプレックスの固まりだったんですよ。でも興味が沸くことは、なんでも真剣に向き合ってきた。成功も失敗も、毎日が勉強。また完全にゼロに戻った時、全ての意識を変えてまた始めようと思いました。
「この学びを必ず次に生かそう」と。
モノやヒトをブランド化 夢は「日本の百貨店」

仕事に復帰した藤巻氏は、2008年にデザイナー丸山敬太氏のブランド「KEITA MARUYAMA TOKYO PARIS」を運営するテトラスターを設立。トランジット・ジェネラル・オフィスの特別顧問に就任し、2009年には日本のいいものを売る店「rails 藤巻商店」をオープン。自然派化粧品を扱う ビーバイイー社外取締役、バッグのシカタ代表取締役プロデューサーなど様々な肩書きを持ち、衣食住のビジネスに携わりながら挑戦し続けている。そんな藤巻氏にとっての「夢」とは。
僕がこれまでやってこれた原動力は、好きな事を思い切りやってきたという事と、日本が好きだという事だと思います。これからはライフスタイルをつなぐビジネスを、いろんな人といろんな形で組んでやっていきたい。プロデューサーっていうのかな。ファッションも食べ物も、そして人にも全部に興味があるんです。
僕はバイヤー時代に世界中を回り、今は日本中を巡り歩いていますが、日本のいい部分は「繊細さ」や「おもてなし」の精神だと思います。この精神を、ここまで大切にする国は他にどこにもありませんね。
逆に、足りないのはPR。価値のあるものを宣伝するのが圧倒的に弱い。僕はいつも「感性を科学する」と言っているんですが、感覚的なことを形にしていくこと。 感性主導型社会になれば、もっと豊かになるでしょう。参院選に出馬したのも、日本の文化を発信する仕組みを作って元気にしたかったからです。

でも、そんな日本に大きな震災が起きてしまった。無事だった僕らに出来ることは、とにかく働いて経済をまわす事ですよね。僕は、眠らない都市づくりも一つの方法だと思う。東京だったら24時間電車を動かして、安心で安全な遊ぶ場所がもっと増えてもいい。実際、僕の人脈やきっかけの多くは遊びからきているんだから。若い頃は毎日一晩中遊んだものだけれど、今の若者は遊ばなくなっているのが心配だな。遊びからオリジナリティが生まれるし、人間性がわかる。外へ出て服を着る場を作らないと、いくら売っても売れ残りますよ。元々ファッションには、人を喜ばせたり楽しませたりする役割があるんです。
だから僕の叶えたい夢は「日本の百貨店」を作ること。日本という国にありながら、自国のブランドに目を向けないのはプライドを捨てたようなものです。日本のデザイナーや物づくりは捨てたものじゃないですよ。美味しいものもたくさんあるしね。日本のいいもの、人、地域の価値が「ブランド化」して、「日本の百貨店」があって、そこに外国の人が来たらきっと喜ぶと思うし、そこから文化をどんどん発信していきたいですね。そしてこれからは、遺していく仕事もしていきたいと思っています。オヤジになってもジジイになっても、夢を追いかけ続けますよ。
■藤巻幸夫(Yukio Fujimaki)■プロフィール

1960年東京生まれ。 株式会社シカタ代表取締役プロデューサー、株式会社テトラスター代表取締役社長
上智大学卒業後、伊勢丹に入社。バーニーズジャパンバイヤーを経て、新人デザイナーを集めた売り場「解放区」、百貨店初のセレクトショップ「リ・スタイル」、ライフスタイル提案する売り場「BPQC」などを立ち上げ、カリスマ・バイヤーとして知られる。
2000年、独立しアパレルメーカーの経営に参加するかたわら、商業施設プロジェクトなどのアドバイザー業務などを行う。2003年、民事再生法適用となった福助株式会社代表取締役社長となりファンドと再建に取り組む。
2005年、株式会社セブン&アイ生活デザイン研究所代表取締役社長へ就任。同年5月からは株式会社イトーヨーカ堂取締役執行役員衣料事業部長も兼任しスーパーの衣料改革に取り組み、その後顧問となる。
2008年1月、株式会社セブン&アイ生活デザイン研究所代表取締役社長を退任し、4月よりデザイナー丸山敬太と組み株式会社テトラスターを立ち上げる一方、空間プロデュースやホテルやカフェの運営を行う株式会社トランジット・ジェネラル・オフィスの特別顧問も務める。10月に明治大学特任教授に就任。
〜インタビュアー・インプレッション〜
「またひとつ夢が叶いました」と藤巻氏がスピーチしたのは、同氏が代表取締役プロデューサーを務めるシカタが7月に開催した新バッグブランド「Y'SACCS KENJIIKEDA(イザック ケンジイケダ)」の発表会にて。約5年前に出会ったバッグデザイナー池田憲治氏のクリエーションに惚れ込み、「いつか一緒に仕事をしたい」という夢が実現に至ったのだという。高い志と熱意による「フジマキ流」の仕事術が実を結んだ瞬間だった。多くの人が集った会場で、「がはは」と豪快に笑いながらも一人一人を丁寧に紹介して歩く藤巻氏。次々と人を巻き込んでいく藤巻幸夫の夢には、きっと終わりはない。
連載「ふくびと」一覧
・設楽洋(ビームス代表取締役社長)
・本間正章(マスターマインド・ジャパン デザイナー)
・吉井雄一(ザ・コンテンポラリー・フィックス オーナー/ゴヤール ジャパンブランディングディレクター)
・【前編】山室一幸(WWD JAPAN編集長)
・【後編】山室一幸(WWD JAPAN編集長)
・勝井北斗・八木奈央(ミントデザインズ デザイナー)
・【前編】伊藤美恵(ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長)
・【後編】伊藤美恵(ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長)
・重松理(ユナイテッドアローズ代表取締役社長)
・阿部千登勢(サカイ デザイナー)
・ドン小西(コメンテーター)
・増田セバスチャン(ロクパーセントドキドキ代表兼ディレクター)
・藤巻幸夫(バイヤー)
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