Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
これまでの歴史において、ファッションは過去を引用し再解釈することで新たな魅力を提案したり、社会の既存の価値観や文化に異議を唱え新たなスタンダードを打ち出したり、最新の技術や素材を取り入れた全く新しいスタイルやアイテムを生み出したりしながら、常にその時代の“現在”を更新し、未来を形作ってきた。
数多のブランドがそれぞれのスタイルや手法で時代を切り拓いてきた中で、森永邦彦が手掛ける「アンリアレイジ(ANREALAGE)」は、人々が日常の中で気づかずに通り過ぎてしまうものを“非日常”と呼び、それをファッションを通して可視化させることを目指すブランドだ。初期はパッチワークをはじめとした圧倒的な手仕事によって、近年は最先端のテクノロジーや素材を駆使した近未来的な手法と視点によって、現在に“不在”のものや価値観を人々に提示してきた。
一方、先シーズンデビューした「アンリアレイジ オム(anrealage homme)」では、アンリアレイジにおける“未来”とは対照的に、森永自身のデザイナーとしての原風景でもある「2000年代の原宿」という“過去”に焦点を当てたコレクションを展開。昨年デザイナー活動20周年を迎えた森永は、なぜこのタイミングで、一見矛盾するように思えるもう一つのブランドを始動するに至ったのか。今回、2シーズン目となる2025年春夏コレクションのランウェイショーを見た筆者は、ある一つの仮説を得た。それは、この相反するように思える2つのブランドは、ベクトルやアプローチは違えど実は“同じ”ものを目指しており、互いに補完し合う存在なのではないかということだ。
今季森永がコレクションのテーマとしたのは、自身が小学生時代や服作りを始める以前に見ていた原風景。引き続き「2000年代の原宿」というテーマは根底にありつつも、少年時代の「純粋性」やそれに伴う「歪さ」「未熟さ」といった要素をコレクションの核に据えた。そして、その表現方法として特徴的なのが、これまでアンリアレイジでは参照してこなかった「ヴィンテージウェア」をベースに、小学生の手によるものとも思えるような“未熟”な手仕事によるステッチワークやパターン、ゲームやアニメをモチーフにしたようなアップリケ、ビーズによる刺繍などが、過剰なまでに随所に施されていることだ。
ADVERTISING
「自分の原風景は、当時上手くいっていなかったこともあって正直あまり向き合いたくはない。でも、アンリアレイジ オムではそういうものをしっかり肯定できるような服を作りたいと思っています。ただ、例えばパンクやロカビリーをベースにしたアイテムに対しても、それを破壊的な方向ではなく、優しく温かく表現していくことがこのブランドでやりたい世界観。それを意識して、色使いやフォルムにも反映しました」(森永)
今回森永が取り入れたというロカビリーやパンク、ヒッピー、ストリートなどのスタイルやアイテムには、いずれも各時代において、当時の若者たちがその社会や価値観に異議を唱え、反抗する態度とエネルギーが通底している。そんな世界的なファッションやカルチャーの文脈の中でのスタイルと、森永と同時代を生きてきた日本の少年少女たちが見ていた風景、ファッション・カルチャーの発信地として力のあった2000年代の原宿、森永自身が当時持てるすべてを注ぎ込んで手掛けた、ブランド初期の頃の手仕事による作品たち。それら全てには純粋さや情熱からくる歪さや偏りがあり、だからこそたとえ未熟であっても、そこには人の心を惹きつけ社会を動かすような力やエネルギーがある。
しかし、デザイナー活動20周年を過ぎた今、上記の全ては森永にとって“過去”であり、現在には不在のものだ。そして、“現在(日常)に不在”という点で、「非日常(人々が日常生活の中で気づかず通り過ぎてしまうもの)」を可視化することを試みる「アンリアレイジ」と「アンリアレイジ オム」が目指すものは、時間軸や表現方法は違えど“同じ”であり、両者は補完し合っていると言えるのではないだろうか。
また「オムでは自身の心の日常の変化といった、よりパーソナルで内面的な“非日常性”を表現していきたい」と話す森永の言葉からは、近年アンリアレイジではコンセプチュアルなテーマや表現を中心に取り組む中で、ファッションや服作りとは本来切り離せないはずの情緒や人間味という要素の“不在”を、森永自身が自覚し懸念していたことも窺える。だからこそ、このタイミングで新たにブランドを立ち上げ、全く違うベクトルの表現を並行して行うことにしたのだと腑に落ちた。
もう一つ“なぜ今”で言えば、既にデザイナーとしてはベテランの域に足を踏み入れた森永が、なぜこれほど過剰なまでの若さや未熟さを表現するのだろうと、ショーを見た当初は少し疑問に思った。けれども、それは森永がアンリアレイジ初期の頃に手掛けていたパッチワークや大量のビーズ使いといった過去作品の要素を踏襲しているともいえるし、ブランド設立当初からずっと大切にしてきた「神は細部に宿る」という哲学を忠実に反映しているともいえる。
ブランド設立20周年を迎えた“現在”の視点から森永が“過去”を振り返るとき、そこには過去が孕む未熟さや純粋さを愛おしく眩しく見つめるまなざしとともに、その価値やパワーを再考し肯定しようという強い思いが感じられる。それ“しか”できなかった過去とは違い、高い技術と経験、資金力をもっていかようにも洗練されたシルエットやディテールのアイテムを生み出せるはずの今、小学生の子どもが懸命に縫ったようなステッチや手引きのパターン、チープなビーズで施された刺繍など、「手仕事」や「未熟さ」の痕跡としての“細部”を突き詰めて表現することは、森永なりの過去に対する敬意や賞賛、情熱の現れにも思える。そして、あくまで“現在”から“過去”をまなざしているがゆえのあたたかさが、角が取られて丸みを帯びたコートやシャツの襟や裾のライン、ピンクやブルー、グリーンなどやわらかで明るいパステルカラー中心のカラーパレットに反映されている。
“未来”を志向したパブリックで概念的なものと、“過去”を振り返ることで見えてくるパーソナルで内面的なもの、森永は相反する2つのブランドで互いを補完し合いバランスをとりながら、その狭間に浮かび上がってくるあるべき“現在”や少し先の未来を模索しようとしているのかもしれない。これまでは、概念やテクノロジーが先行し、情緒や人間味がやや置き去りになっているような節があった。しかし、「内面的な非日常性」に目を向けその価値を再考する「アンリアレイジ オム」という新たな表現の場が加わったことで、今後森永がトータルで提示する世界観やものづくりに、より深みや奥行きが増していくのではないだろうか。
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【注目コレクション】の過去記事
RELATED ARTICLE
関連記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境