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PRADAの革新はどこから生まれた?ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズから紐解く創造のヒント

PRADAの革新はどこから生まれた?ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズから紐解く創造のヒント

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どのような企業や職業を選び、どのようなキャリアを築くか。これは誰にとっても大切な選択であり、理想通りに進むことができれば、それ以上の幸せはない。しかし、現実にはさまざまな壁にぶつかり、悩むことも少なくないもの。そんなとき、思いがけない視点から考えることで、新たな可能性が広がることもある。本連載は歴史あるラグジュアリーブランドや注目ブランドのファッションデザイン、ビジネスに焦点をあて、その創造性、革新性を丁寧に紐解いていく連載コラム。ブランド業界で働く方々、これから目指す方々の知識を深め、ビジネスやキャリアのヒントに繋げてもらえるような内容をお届けする。ブランドやデザイナーに関する情報をリサーチする際にも、ぜひオンライン辞書のように活用していただきたい。第一回目はミウッチャ・プラダとラフ・シモンズ率いるイタリア・ミラノのラグジュアリーブランド「プラダ」を取り上げる。2025年1月、ミラノ・メンズファッションウィークで発表された「プラダ」2025年秋冬メンズコレクション。AIをはじめとしたテクノロジー全盛の時代に、“UNBROKEN INSTINCT”(途切れることのない本能)と名付けられたメンズスタイルが、人間の本能へ訴えかける。

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コントラストを生み出したスタイルが本能を刺激する

ショー会場となったのは、プラダ財団の複合施設「Deposito(デポジト)」。会場の演出は、プラダと知己の関係である建築家レム・コールハースが率いる、建築事務所OMAの研究機関「AMO」が手掛けたものだった。

会場内に組み立てられた剥き出しのパイプがインダストリアルな印象を与える一方で、フロアにはキャサリン・マーティンによるアンティーク調のカーペットが敷き詰められていた。このコントラストは、ランウェイを歩くモデルたちの装いにも反映される。

スタイルの基盤となっているのは、スーツやテーラードコート、チェックシャツやジーンズといったように、ドレスとカジュアルの両面で揃えた男性のトラディショナルスタイル。現在もストリートウェアの流れを汲むボリューミーなシルエットが主流の中、プラダは時代を一歩先んじるスレンダーシルエットを披露し、時代との対比を描く。

また、モデルたちの体を洗練させるスリムな服の輪郭は、1990年代に発表されたプラダのスーツを彷彿させるシルエットで、プラダ自らがブランドのアーカイブを再解釈したかのよう。ここでも過去と現代という時間の縦軸でコントラストが生まれていた。

肝心のルックに目を向けると、都会的なコートやニットの上から艶やかな毛並みの野生的なシアリングをベストのようにレイヤード。服そのものも対比的に作られ、プラダは徹頭徹尾テーマを貫く。

私たちは過去の視聴履歴に基づいたコンテンツを楽しむことも多いが、ときには予期せぬ動画を偶然見つけ、思いがけない興奮に襲われることがある。それと同じように、プラダのこの対比的なメンズコレクションは、予想外の衝動や感動を呼び起こす仕掛けのように思える。

この知的で挑発的なアプローチを仕掛けたのは、ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズという二人の天才デザイナーだ。

世界を驚かせたスターデザイナー二人の共演

ファッション界では想像もしなかった、本能を刺激するニュースがたびたび発表される。2020年4月もそうだった。プラダは、ミウッチャ・プラダと共にクリエイションを指揮する共同クリエイティブ・ディレクターに、ラフ・シモンズが就任したことを発表した。

ファッションブランドで、二人のデザイナーがトップに立つことは珍しいことではない。ラグジュアリーからインディペンデント、さまざまなブランドで見られてきた現象だ。しかし、その多くはキャリアをスタートさせた時からタッグを組み、デザイナーデュオとして活動してきたケースになる。

プラダの発表が異端だったのは、既に世界的実績と知名度を誇る大物デザイナー二人が、突如タッグを組んだ点にある。しかもそれがコラボレーションという一時的なものではなく、継続していく関係性であることが異端だった。

だが、たしかにシモンズの共同クリエイティブ・ディレクター就任は驚きだったが、ブランドの歴史を振り返ると、プラダにとっては必然の発想だったと言えよう。

プラダは先端的な事例をいくつも実現してきた。高級バッグといえば皮革製が一般的だったが、プラダは素材でラグジュアリーバッグに革新を起こす。

1984年、それまで軍隊向けのパラシュートに使用されていた、撥水性に優れたナイロンで製作したバッグを発表。黒いナイロン生地に映えるトライアングルロゴのバッグは、瞬く間にバッグの歴史を変えていった。工業素材が、高級素材に価値を変えた瞬間である。

プラダの先端的な取り組みとして忘れてならないのは、ヨットレースの最高峰「アメリカズカップ」への参戦だ。アメリカズカップは1851年に始まった、世界で最も権威があると言われる国際ヨットレース。プラダはチーム「ルナ・ロッサ」を設立し、1997年に初めて挑戦する。アメリカズカップのスポンサーも務め、競技の実力においてもルナ・ロッサはイタリアを代表するセーリングチームへと成長した。

セーリングというそれまでファッション界と縁が薄かった世界に挑んだことは、プラダの革新性というブランドイメージを高めることになる。また、セーリングからインスパイアされたスポーツラインを発表し、赤いタグがついたスポーティウェアは顧客の新たな憧れとなった。

そのほかにも、文化活動やアートを支援するプラダ財団を設立し、プラダグループを代表するもう一つのブランド「ミュウミュウ」では、2010年代に吹き荒れたストリートウェア旋風仕掛け人の一人、スタリストのロッタ・ヴォルコヴァを起用するなど、プラダの先端性を物語るプロジェクトは枚挙にいとまがない。

そして、今述べてきた事例は、ミウッチャが1978年にプラダの経営参加以降に実現されてきたものばかり。創業者マリオ・プラダの孫娘は、いったいどのような人物なのだろうか。次からは、キャリアとファッションデザインに言及しながら、ミウッチャ・プラダという人間について読み解いていきたい。

パントマイマーから祖父のブランドを蘇らせた革命家へ 

1945年5月10日、イタリア・ミラノでミウッチャは生まれ、ミラノ大学で政治学を学び、博士号を取得する一方、パントマイマーとしても活動する。また、イタリア共産党に入党し、積極的に政治活動に取り組むという多面的な人物だった。

大学卒業後、母親の勧めで祖父が1913年に設立したプラダに入社し、1978年には30代前半の若さでオーナー兼デザイナーに就任する。当時のプラダは、かつてイタリア王室御用達のブランドとして知られながらも、戦争の影響や創業者マリオの他界後、経営が低迷していた。そんな状況を打破したのが、ミウッチャの才能だった。

1984年、彼女が発表したナイロンバッグ「ポコノ」はプラダを復活させるきっかけとなり、以降ブランドの改革が加速する。1987年にはビジネスパートナーだったパトリツィオ・ベルテッリと結婚。ベルテッリの助言を受け、1988年にウィメンズウェアを開始、1994年にはメンズウェアもスタートする。さらに1993年には自身の愛称を冠した「ミュウミュウ」を設立し、プラダとは異なる若年層をターゲットにしたブランドを成功へと導いた。

裕福な家庭に育ち、祖父のブランドを引き継いだミウッチャのキャリアは、一見すると順調そのものに見える。しかし、実際には低迷期を迎えていたプラダを、彼女の創造力と経営手腕によって蘇らせた、ハードな環境を乗り越えた人物だと言えよう。

ナイロンバッグを誕生させ、クリエイターとしての実力を証明したミウッチャは、レディトゥウェア(既製服)のラインでも、底知れぬ才能を発揮する。

1990年代のプラダは、当時の主流であったミニマリズムを反映したシンプルな服を発表し、熱い支持を得るが、ミウッチャが提唱するミニマルな服には一つの特徴があった。ミニマリズムというと、クールでシャープなデザインを思い浮かべるが、ミウッチャが手がける当時のプラダは、コンサバティブなファッションを基盤に、時代の感性であるミニマリズムを取り入れたものだった。

誤解を恐れず言えば、「コンサバ」という言葉には少々古めかしいスタイルが連想される。だが、ミウッチャはそんなコンサバスタイルを、ミニマリズムを象徴するブラック・グレーといったクールな色彩とスリムなシルエットで作り上げ、最先端ウェアへと更新した。

今は古く感じられ、価値がないと思われるものでも、現代の価値観で作り変えれば、新しいものが生まれる。ミウッチャの手法は新しさを作り出すために必要なことを示唆する。

彼女の革新は止まらない。知性と品格を備えたプラダのコンサバスタイルは、思いもしなかった姿に変貌していく。

2014年春夏ウィメンズコレクションは、それまでのシンプルなデザインが嘘のように、色とグラフィックと装飾性が前面に出たものだった。人物の顔をイラストタッチに描いたグラフィックが、ミドル丈のワンピースを飾る。オリーブ色のコートやピンク色のワンピースの上からは、ブラジャーを彷彿させるトップスを重ね着する。本来は服の下に隠れているはずのランジェリーが外に現れ、服を大胆に装うアクセサリーのようでもあった。

以降、ミウッチャは「コンサバ×ミリタリー×オリエンタル」、「近未来感×カワイイ」といったように、別々のスタイルを大胆に組み合わせて調和を無視する、「悪趣味なエレガンス」と言えるほど独特のファッションを発表した。

このようにミウッチャは、従来の調和を重視するエレガンスではなく、異なる要素をぶつかりあわせたときに生じるパワーを個性とする、新しいスタイルを作り出した。

人気を獲得したデザインでもあっても、顧客の支持を失う可能性があっても、次の新しさを提案する。消費者が本当に欲しいのは「これが欲しかった」という満足よりも、「こんなものがあったのか!?これが欲しい!!」という驚きではないだろうか。

ミウッチャは挑戦を信条とする真のクリエイターだ。そんなミウッチャだからこそ、工業素材だったナイロンをバッグに使用して、祖父の遺したブランドを苦境から救えたのだろう。人々を驚かせる発想は、きっと常識の外側にある。

パトリツィオ・ベルテッリとミウッチャ・プラダ ( Photo by:PRADA公式サイト)

独学から始まったキャリアは、ラグジュアリーの最高峰に到達する 

ラフ・シモンズもまた、ミウッチャ・プラダと同様に常識の枠を超えてきたデザイナーである。「ジル・サンダー」「ディオール」「カルバン・クライン」など、彼がディレクターを務めてきたブランドはいずれも超一流だが、キャリアの始まりはファッション界のエリートコースとは違っていた。シモンズが歩んできた道のりは「伝説」と表現するのがふさわしい。

1968年、ベルギーの小さな村でペンキ職人の父と市役所職員の母のもとに生まれたシモンズは、ジェンクの工業デザイン学校で写真や映像を学び、卒業後は家具デザイナーとして働いていた。転機は、学生時代に見たマルタン・マルジェラのショー。子どもたちがランウェイを歩き回り、子どもを肩車したモデルが登場する独創的かつ自由な演出に衝撃を受けたシモンズは、ファッションの道を志す。

名門校アントワープ王立芸術アカデミーへの入学を決意したシモンズは、ファッション学科長リンダ・ロッパと出会う。ロッパは彼の才能を見抜き、「学校に行く必要はない。ただ服を作りなさい」と助言。この体験がきっかけとなり、シモンズは自身のコレクション制作を開始。ロッパの支援のもと、男性服の常識を覆すブランド「ラフ・シモンズ」が誕生した。

現在、男性が細いシルエットの服を着ることは特別珍しいことではない。この現代の常識を作り出したのが、シモンズだ。男性の個性は力強さだけではない。男性にも繊細な儚い一面がある。そのことをシモンズは、ロック音楽とイギリスやアメリカのトラッドファッションからインスパイされた服で表現する。

黒やグレーで作られたベーシックなはずの服は、それまでのベーシックにはない魅力にあふれ、男性の繊細さをメンズウェアの新しいエレガンスへと変えた。

彼の才能はメンズウェアにとどまらない。ディレクターを務めた初めてのブランド、ジル・サンダーではシモンズの真の才能はウィメンズウェアにあるのではないかと思えるほど、エレガントなコレクションを発表する。

そして、ついにはディオールからも才能を認められ、ディレクターとしてオートクチュールまで手がけるようになる。ファッションの専門教育を受けなかったデザイナーはラグジュアリーの最高峰にまで上り詰めた。

しかし、順調に思えたシモンズのキャリアに影を落とすのがカルバン・クライン時代。先鋭的なシモンズの提案は顧客の支持を得ることができず、ビジネスの成長を鈍化させ、2018年12月に退任となってしまう。在籍期間は、たったの4シーズンだった。

だが、一般的には失敗に終わったと見られるカルバン・クライン時代のコレクションにこそ、ミウッチャとの共通点が多く見られる。シモンズも調和を重視しない「悪趣味なエレガンス」を披露していたのだ。

カルバン・クラインにおけるシモンズ最後の発表となった2019年春夏コレクションは、さまざまなアメリカのカルチャーが渾然一体となったもの。映画の『ジョーズ』と『卒業』、ダイビング、1980年代、アメリカントラッド、グランジ、クラシック、これらの要素が混ぜ合わさり、一見すると脈絡のないスタイルに仕上がっている。

しかし、ランウェイを歩くモデルたちの姿にはカオスなパワーがあった。調和の取れたエレガンスではなく、パワフルなファッションを望む人に響く価値があったと言える。その価値を証明するように2020年2月、シモンズのプラダ共同クリエイティブ・ディレクター就任が発表される。ミウッチャはシモンズの才能を必要としたのだ。

ある場所で、評価されなかったとしても、それが終わりではない。市場が変われば価値も変わる。一つの環境で通じなかったスキルが、別の環境に移ったら絶対的な武器になる。挫折が新しいチャンスに繋がることもある。自分の武器を研ぎ澄ましておくことは、誰かの目にとまり、新しい評価を得るためにも大切なことだと言える。それをシモンズの歩みは教えてくれた。

ラフ・シモンズ ( Photo by:PR TIMES)

新しい道を切り拓くチャンスは、どこにある? 

ミウッチャ・プラダとラフ・シモンズは、ファッションデザインを名門校で学んだわけではないし、シモンズに至ってはファッションブランドで十分なキャリアを積んでいない。

これらの事実を見て「二人には才能があった」と言うことは簡単だ。しかし、二人のキャリアには新しさを切り拓くヒントがある。ミウッチャは、華やかなファッションとは遠く離れた工業製品から、ブランドの経営危機を救うバッグの新素材を見つけた。シモンズは、従来の男性の価値観とは真逆の価値観をファッションとして表現し、瞬く間に若者たちの心を捉えた。

本当の新しさは、それまで常識とされてきたこととは、全くの逆、全く関係ない領域に潜んでいることがある。未知の分野に挑戦する時こそ、自分の視野と意識を広げる。今まで関心を持たなかった場所にこそ、きっとチャンスがある。

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