会期中も会期後も読める新たな批評の在り方を模索。会期後のレビューではなく、会期中の展覧会を彫刻家で文筆家の鈴木操がレビューする同連載。第9回は、東京都現代美術館で開催されている「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ展」について。鈴木は同展をどう見たのか。
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パリ装飾芸術美術館から始まり、ロンドン、ニューヨークと世界を巡回してきた「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展が、現在東京都現代美術館で開催されている。大西洋を渡り、そして世界各国へと巡回するその順路は、まさにクリスチャン・ディオールが歩んだ成功の軌跡そのものであり、企画者のディオールへの深い尊敬の念が伝わってくる。展覧会は既に、入場待ちが生じるほどの大盛況ぶりで、クリスチャン・ディオールが生み出した魅力的な世界観への生々しい羨望が、現代の日本においても激しく渦巻いている。世界的なラグジュアリーブランドの回顧展ということで、どのような展示構成なのか期待に胸が膨らんでいたが、その期待を超えてくる豪華な美的空間の広がりに、筆者は終始魅了された。多くの展示室がマジックアワーを思わせる明度の照明によって作られ、テーマに沿ったスペクタクルで幻想的な空間は、クリスチャン・ディオールが作り上げた美に相応しい演出であった。だから皆さん、是非観に行ってほしい。今私たちが一体どのような“世界”に生きているかが、体感的に分かる。というのも、世界中多くのファッションブランドが提示するトータルデザインの精神を、見事に美術館という空間に実現しているからだ。
現代社会の生活において、ファッションという領域が持つ影響力はとても大きい。実際、今あなたが身に着けているもののほとんどは、ファッション産業に携わる誰かが企画デザインした製品であり、手元のスマートフォンでセルフィーを撮りSNSにあげるにしても、その世界観を構築する衣服や日用品、インテリアや建築といった空間のほとんどが、デザインされた製品で成立している。そしてファッション産業が、現代社会を生きる私たちに大きな文化的影響力を持ち得るに至るその道筋の礎を築いたのは、クリスチャン・ディオールと言っても過言ではない。その意味で本展覧会は、メゾン・ディオールがこれまで維持し守ってきたものが、現代の私たちの生活にどのように関係するかを問うことが、本展覧会の一つの見方であると筆者は考える。それ故に、創設者クリスチャン・ディオールが創り上げた理念に対して、メゾン・ディオールがどれほど忠実であるかを確認するような展示でもあった。
ともあれ、ディオールが創り上げた理念については後述で見ていくことになるが、当記事の方向性としては、ディオール本人がどのような社会や文化状況の中に生き、その経験がどのようにクリエイションへ反映されていたかを見ていくことで、20世紀から現代にかけて長く維持されている“ファッションにおけるモダニズムの精神=モード”のパイオニアとしてのディオールの達成へと迫りたいと思う。それが翻って、私たちの現代的な生活において、ラグジュアリーブランドが一体どのように影響しているかを理解するのに役立つと筆者は考えている。
パリ発のディオールを見出したアメリカ
本展覧会は、クリスチャン・ディオールがもともと芸術の道を志していたこともあり、彼の芸術との関わりを強調することから始まる。特に1933年にシュルレアリスムの展示を自らのギャラリーで開催したという事実からは、同時代の芸術家との交流がディオールのクチュリエ活動において、非常に重要なものであったことが伺える。特に芸術家との交流で言えば、会場でちらほら名前が登場した、詩人ジャン・コクトーの存在は外せないだろう。ジャン・コクトーの名前が出てきたのであれば、そこにはココ・シャネルの名前もあって然るべきかもしれない。というのも、1937年のジャン・コクトーの舞台「円卓の騎士」では、シャネルとディオールはコラボレーションしているし、何よりこの二人のファッションデザイナーは方向性は違えど、19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパのファッション文化が大西洋を渡り、アメリカへと流れていく系譜的軌跡を描いた代表的な人物であるからだ。
本展覧会キュレーターのフロランス・ミュラーは、メゾン・ディオールを「帝国」と形容している。メゾン・ディオールがそのような覇権的存在感を構築し得た背景には、アメリカでの受容が大きくあるだろう。クリスチャン・ディオールは第二次世界大戦後、冷戦下アメリカ合衆国の覇権が拡大されていく新しい世界秩序で成功したデザイナーである。戦間期にデビューしたシャネルとはクリエイションの方向性が対照的ではあるが、その受容のされ方には系譜的な関係性がある。
第一次世界大戦後、狂騒の20年代を迎えたアメリカマーケットの影響力は世界のマーケットにとって大きかった。1929年の世界恐慌を受けてニューディール政策が行われるアメリカを筆頭に、欧米では失業した男性に代わって女性労働者の人口が増えていた。さらに低賃金で雇えることから女性労働者は雇用者にも好まれており、現代の労働条件にも尾を引く、性差的なステレオタイプがこの時代に生まれている。こういった社会的な抑圧に対する女性労働者の意志は、当時の欧米の文化や社会に現実的な変化をもたらしつつあった。このような欧米の社会状況が、例えばシャネルのクリエイションの中には直接的に反映されている。シャネルが生んだジャージー素材のドレスは、女性の社会運動や、労働環境のシステム化(フォード化、テイラー化)から余暇が生まれ、それによって流行したスポーツ文化など、同時代の社会的動き=モダニティを反映したリアルなものであった。そして当時、一世を風靡することになるジャージー・ドレスをいち早く大きく取り上げた雑誌が、アメリカのファッション雑誌「ハーパーズバザー」である。
他方で時代を下り、クリスチャン・ディオールは、第二次世界大戦後すぐの1947年にメゾン創設後初めて行ったショーで発表した「ニュールック」が、アメリカのバイヤーの目に留まった。そのきっかけを作ったのがハーパーズバザーの編集長カーメル・スノーの一声だった。彼女が「クリスチャン、あなたのドレスは『ニュールック』を創出したのよ」と熱狂したことで、ニュールックは世界に広く浸透していったのだ。戦後の社会が未だ緊縮財政を引きずっていることから、多くの反発も受けたディオールのニュールックだったが、ハーパーズバザーがディオールをいち早くアメリカで紹介することで、その成功を後押ししている。このことは戦中ナチスに占領され疲弊していたフランスのファッション界を活気づけることにも繋がり、戦後アメリカが行ったマーシャル・プランという西ヨーロッパ復興計画と併走するかたちで、ニュールックは文字通り、新しい時代の幕開けを象徴するスタイルとなっていった。
ニュールックとは何か、ディオールの精神性
よく言われる“モード=シルエット”という捉え方は、20世紀初頭のヨーロッパの社会的あるいは文化的な身体性が込められた、時代精神を表すものであると筆者は考えている。なぜなら、シャネルやディオールといったモードのパイオニアたちが生み出したスタイルには、明確に時代の反映が見て取れるからだ。ディオールのニュールックからは、肩や腰の丸みなどアールヌーヴォー的な曲線を構築しつつも装飾は排除され、全体のプロポーションからはプリミティブな印象も感じられる。これは、ヨーロッパのモダニズムが追及したデザインや芸術の様式を総合するような、系譜的で構築的なスタイルと言えるものだ。またコルセットやクリノリンを想わせるウエスト周辺のシルエットは、極めて新古典主義的な引用ではあるが、そのような女性的な身体性の強調を古典の更新としてだけ受け止めるのではなく、同時代の彫刻家たちが求めた新しい彫刻的な人体像との比較を導入する方が、もしかしたらより適切であるかもしれない。というのも、元々芸術家を志し、同時代の芸術家たちとの交流が深かったディオールの在り方を鑑みると、当時のヨーロッパの芸術で模索されていた新しい人体像が、クリエイションに現れていると見るのが自然な見方ではないだろうか。
そもそもディオールがクチュリエとして活躍する前に関わったシュルレアリスムという芸術運動は、精神分析を創始したジークムント・フロイトの無意識概念から影響を受け、伝統的な美や文化という枠組みを壊してズラすことを企てた運動であった。もちろんここでディオールがシュルレアリスムから直接影響を受けてニュールックを作ったと言いたいのではない。そうではなく、シュルレアリストたちを含め、この時代の多くの芸術家たちが、現行の文化や社会によって生じている抑圧に対する不満や不安と対峙する中で、古代の芸術からインスピレーションを受けたり、シュルレアリスムのように無意識を使うことで、現行の文化や社会の外へと向かうような実践を行っていた。そしてディオールも例外なく、その実践者の一人のはずだ。例えば同時代の芸術家の動きで言えば、パブロ・ピカソの新古典主義時代と言われている一連の絵画は、古代ギリシア彫刻からインスピレーションを得たものであり、また彫刻家アルベルト・ジャコメッティのシュルレアリスム時代に作られた作品「女=スプーン」は、アフリカのダン族の擬人化されたスプーンを着想源に、古代エジプト文化やアフリカ文化を通したプリミティブな形への憧憬が作品の中に現れている。他方で、大陸とはまた違うイギリス で活躍したジェイコブ・エプスタインやアンリ・ゴーディエ・ブルゼスカも、古代ギリシアとエジプトからインスピレーションを受けていた彫刻家であった。この二人が築いた古典以前のプリミティブな原理は後に、ヘンリー・ムーアが生み出す母性を暗示する独特の曲線を持つ抽象彫刻の中へと引き継がれる。ムーアは非人間的なファシズムの脅威に対して抵抗し、抽象でありながらも人間的であることを彫刻の中で両立させることで、モダニズム彫刻の普遍的な価値を総合している。
ただここで指摘しておかなければならないのは、古代エジプトやアフリカの芸術からインスピレーションを可能とする文化的環境には、イギリスをはじめとするヨーロッパの植民地主義政策が大きく関わっていることを忘れてはならない。ともあれ、ディオールのニュールックなどのシルエットに見られる生命力あふれる洗練された曲線からは、彼と同時代の彫刻家たちが探求した普遍的なヒューマニティと近いものが感じとれる。特にムーアの曲線とディオールが生み出す曲線との間には、個人的に強い親和性を感じる。 モダニズム芸術に特有のこのヒューマニズムは、次のディオールの言葉の中にも現れている。
ファッションで何よりもまず大事なのはラインだ。靴から帽子まで、シルエット全体を気にかけなければならない。
この言葉には、クリスチャン・ディオールの「トータルルックによるエレガンス」という理念が込められている。ディオールの「トータルルック」という構想には、アール・ヌーヴォーに始まる建築、芸術、工芸を結合させる「総合芸術=トータルデザイン」というコンセプトが反映されているだけでなく、女性を美しくするために部分としてある衣服の諸要素を連結させ、モダニズム的全体性を実現する、構成主義的な人間像を描くことの希求が通底している。その意味で「コロラマ」という展示パートの空間は、「トータルルック」の構想が忠実に具体化された空間であった。
シャネルとは似て非なる「クリスチャン・ディオール」
ところで話が前後するが、1946年に繊維界の重鎮マルセル・ブサックが、オートクチュールのメゾンの再建をディオールに依頼し、それに応える形で、戦後の「再生の時代」を象徴する新しいメゾンの立ち上げを計画するところから、ディオールのクチュリエとしてのキャリアはスタートしている。そしてディオールは「一体何を再生したのか?」を具体的に問うとしたら、その回答を彼のクリエイションの中に求めるのは妥当であろう。ディオールが自らのクリエイションの中で実現した再生とは、「トータルルック」という構想において、ファッションの中に19世紀末のアールヌーヴォーに始まるトータルデザインの精神性を移植することであり、それは同時に戦前のモダニズム精神をファッションの内に再構築=アーカイヴすることであったと思われる。
現代から見れば、結果的にそれは、戦後のファッションにおいて、モダニズムが生み出した上流階級的な卓越性の意識が維持される状況を、グローバルな世界状況の中で展開するための模範的な道筋として機能した。この点においては、戦間期にパンツスタイルやジャージー素材などで積極的にモダニティと向き合い、従来の文化や社会に対して抵抗しつつ、階級や生まれを越境しようとした破壊的なシャネルとは非常に対照的である。シャネルのようなコンテンポラリーな革命性と比較したときに見えてくるディオールの非革命的な側面は、ある意味で冷戦期アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグが展開したフォーマリズムの戦略と、非常に近いものを感じる。いずれにせよ、かつて民族や宗教が占めていた衣服や日用品や住む空間は、個人によって集められた美的なもの=デザインされたものの展示空間へととって変わり、社会の在り方をスペクタクルな方向へと変容させていった。このようなディオールが戦後ファッションに持ち込んだトータルデザインの精神性とモダニズムの卓越性は、アメリカでの受容を通してハイブラウという価値観と合流し文化化され、その後ラグジュアリーという世界観として、グローバル資本主義を特徴づける強力な要素となっている。そしてこの状況は現在さらに進行中である。
ディオールが打ち出した「美の条件」
そもそもファッションだけではなく、アートや建築物にも影響を与えてきた産業化の進行と表裏一体のトータルデザインの精神性は、都市空間に生じていた様々なリアリズムと結びつき、受容者にセルフデザインという現代的な主体性を育んできた。特に、1990年代のストリートファッションの台頭によって、モダニズムの卓越性は部分的に退場し、空いた席にアイデンティティ・ポリティクスが収まることで、アイデンティティがトータルデザインの精神性と結びつき、製品として流通するという状況が随分長く続いている。しかしこの状況は、かつてシャネルが切り開いた道の延長であり、戦後ディオールが維持したモダニズムの道と合流したものでもある。商品、あるいはプロダクトと呼ばれている物は、隣接する様々なものと鎖のように繋がり、全てを(消費者も含め)相互に生産していく。つまり、衣服を着て街を歩き、自撮りして、SNSにあげるという行為までもを生産するのだ。
トータルデザインの理念は、製品というフェティッシュな性質に注目してみると、もはや必然的に生まれてくる産業的生理学の権化であり、そしてこのプロダクティブな連鎖の中心にある「美」とは一体何か、という問いが謎かけのように飛び出してくる。もちろんこれまで記述してきたような堅苦しい観賞態度を脇において、ディオールの夢の空間に没入するのも素晴らしい経験だと思う。ディオールが作り上げた世界観に魅了され、全ての人が性差を超えて“淑女”となってしまうような美は率直に素晴らしい。ただ、現在も続くウクライナ戦争の波紋が生み出す殺伐とした社会状況をわき目に、メゾン・ディオールが創り上げた美に没入するのは麻酔的だ。快と不快の激しいコントラストに快感を覚える私たち人間にとって、崇高的な美とは、快と不快のコントラストが最大化していく地点に出現する。しかし19世紀末から20世紀初頭のアールヌーヴォーやバウハウスといった、デザインの総合芸術化の動きが社会そのものを展示空間へと変容させていったことで、崇高や美が出現する地点に変化が生じた。そういった文化的変容の中で芸術は、世界の殺伐としたリアルを表現する方向へ進むことで、美的領域の位相を転換させる実践をしてきた。アールヌーヴォーやバウハウスといった建築、芸術、工芸を総合させるデザインの美的理念の進行と、他方シュルレアリスムやダダイズムといった破壊的で不吉なことを行う反美学的なアヴァンギャルド芸術の出現は無関係ではない。このように美の条件が揺れ動く動乱の時代において、クリスチャン・ディオールは確固たる美の再構築をもくろんでいたのかもしれない。そしてこの現代においても、美の条件が新たに揺らめき始めているとしたら、私たちに一体何ができるのだろうか。
彫刻家/文筆家
1986年生まれ。文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始。彫刻が持つ複雑な歴史と批評性を現代的な観点から問い直し、物質と時間の関りを探る作品を手がける。2019年から、彫刻とテキストの関係性を扱った「彫刻書記展」や、ファッションとアートを並置させた「the attitude of post-indaustrial garments」など、展覧会のキュレーションも手掛けている。
(企画・編集:古堅明日香)
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