世界中のVIPを魅了するイタリアの老舗テーラー「Liverano & Liverano(リヴェラーノ & リヴェラーノ)」。その昔、大富豪メディチ家が各地から仕立て職人を集めて競い合わせてきたフィレンツェで生まれたブランドです。王侯貴族のための衣服を調達してきた伝統技術の街に単身で乗り込み、ショップマネージャーとして活躍する大崎さんから、ご自身のキャリアについてお話を聞きました。
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大崎 貴弘さん/Liverano & Liverano ショップマネージャー
1979年生まれ、埼玉県出身。実家が婦人靴メーカーを営み、高校卒業後は、靴の伝統校エスペランサ靴学院へ進学し、メンズシューズの工場に勤務。その後、語学留学でイタリアへ。高校時代の友人がイタリアへスーツの仕立てに来た折、通訳としてLiverano & Liverano(リヴェラーノ & リヴェラーノ)を訪れた。この出合いが縁となり、Liverano & Liveranoへ就職。現在はイタリアと日本を往来するショップマネージャーとして活躍している。
Liverano & Liveranoの社長から、「ここで働かないか」の一声。
― ファッション業界に関わることになったきっかけは?
実家が婦人靴のメーカーで、私も学校を卒業してから日本で靴のパタンナーをやっていました。その頃から、この業界はなぜ海外に日本製品を出していかないんだろうと思っていました。同時に、高校3年生のときに1ヶ月の語学留学でオーストラリアに行き、英語に興味を持ったことから、お金を貯めて海外で勉強して外から日本を見てみたくなったのです。
そこでオーストラリアにワーキングホリデーで行こうと考え、父に相談しました。でも「ワーキングホリデーに行って何をやるんだ。皆、英語なんてできるぞ。逆に英語ができる日本人が少ないほうへ行ったらどうだ」と言われ、イタリアから日本へ輸出する仕事をしたいと思っていたこともあり、イタリア行きを決めました。
Liverano & Liverano との出会いは、留学していた23歳のとき。高校時代の友人が仕立て屋の服が好きで「フィレンツェに有名な仕立て屋があるから、一緒に行って通訳してくれ」と頼まれ、留学してまだ3ヶ月でしたが、つたない通訳で社長のアントニオ・リヴェラーノと話すことになり、それがファッション業界とLiverano & Liverano に関わるきっかけとなりました。
― その出会いからLiverano & Liverano へ就職するまでの経緯を教えてください。
フィレンツェの街自体は小さく、その後お店の近くで社長にばったり会って「チャオ」と挨拶を交わすこともありました。イタリアへ行ってすぐ、デニムのカジュアルなお店でバイトをしていましたが、イタリア語を学ぶため一度バイトを辞めて学校に通いました。卒業後、もっとイタリア語を覚えたくて、シャンプーボーイの仕事をしたこともあります。その美容院がたまたまLiverano & Liveranoの近くで、そこを通りがかった社長に声をかけられたりもしました(笑)。
再び、友人のLiverano & Liveranoでのフィッティングに付き合った際、社長に「街で見かけるけど何をしてるんだ?」と聞かれ、シャンプーボーイを辞めて、デニムのお店に復帰したと話すと「ここで働かないか?」と直接、オファーをしていただきました。びっくりしましたね(笑)。最初は冗談かと思い、あなた方の仕事を2週間見せてくれと毎朝通ったんです。ところが、3日目に「やる気があるんだったら明日から仕事に来い。興味がないなら来なくていいから。」と言われ、「じゃあ、明日から働きます」ということで働きだしたという経緯です。
― そこから始まって18年。大崎さんの仕事内容について教えてください。
僕は販売で、プレゼンテーターや企画などをやっています。仕立て職人を一緒に連れていき、直接僕たちがお客様に接客します。一般的なテーラーでは、海外からお客様が来店すると、通訳の方や日本の販売店スタッフが同行して接客しますが、僕らはそういうことは一切しません。作り手は良い素材を分かっていますし、肌の色、目の色、髪の毛などでトーンが全然変わることも分かっています。お客様がどこへ着ていくのか、着る季節はいつかなどを話しながら、似合うものを提供させていただきます。Liverano & Liveranoにいる職人は10人なので、作れる数は決まってきます。商売としては厳しいですが、それが僕らフィレンツェの仕立て屋のスタイルですね。
フィレンツェのスーツは「工業製品」ではなく「工芸製品」
― フィレンツェの人々の気質ってどのような感じでしょうか。
よそ者は好きじゃない、というところはあります。ルネサンス時代に大富豪のメディチ家が職人を各地から集めて競わせたという背景があって、さまざまな職人が集まっている街です。王侯貴族のための最高級品が集められたという部分では、文化へのプライドも高いと感じます。例えば、普通に街を歩けば建築物や美術がたくさんありますから、皆、目が肥えていて辛口。いくら素晴らしくても、フィレンツェの人は「いや、まだまだだよね」と手厳しいのです。逆に、フィレンツェで褒められたら世界中どこへ行っても大丈夫といわれます。
― 次にLiverano & Liveranoというブランドについてお聞かせください。
アントニオ・リヴェラーノと11歳上の兄ルイージが始めた家族経営の小さな仕立て屋です。もともと南のプーリア州出身でふたりは仕立て屋として働き、兄が先にフィレンツェへ行き、それをアントニオが追う形で工房を開いたのが始まりです。当時、フィレンツェには多くの優れた仕立て屋があり、目の肥えた辛口のお客様からの評価を受けて二人の兄弟は切磋琢磨しました。Liverano & Liveranoの名が世界に広まったのは、アントニオが年に2回フィレンツェで行われているメンズのファッションエキシビジョンに出てからで、口コミで広まって現在に至ります。
― フィレンツェの老舗が作るスーツには、どのような特徴があるのでしょうか。
スーツの老舗ブランドで言えば、ロンドンのサヴィル・ロウとNYのブランドなどがありますが、これらはインダストリアルな製品なんです。僕たちのような小さいところは、職人が工房で作っている点で違います。ジャケットはジャケットなんですが、実際に縫製をやっている人間であれば「これは工業製品」「こっちが工芸製品」と見分けられます。
しかも、イタリアは共和国でフィレンツェ、ミラノ、ナポリ、ローマって小国が集まっていて、それぞれのスタイルがあるんですよ。ミラノはイギリスっぽいシャープなイメージ、ローマは首都なので行政機関もあって堅くて、ナポリはちょっとリラックスした感じ。フィレンツェは、それらの中間かなという感じです。堅くなりすぎず、リラックスしすぎず。
日本とイタリアの「良いとこ取り」で会社をオーガナイズ
― それは面白いですね。大崎さんは18年間、フィレンツェの工房で販売員として働いてきましたが、その経験はご自身のパーソナリティや販売スタイル、作品などにどのような影響を与えているでしょうか。
やっぱり日本人としての観点とイタリアにしかない観点があって、そこを「良いとこ取り」していると思います。日本のことを向こうでやったらだめだし、逆もそうですし。両方の良いとこ取りで作品を作ったりスタイルを作ったりして、会社の中をオーガナイズしています。日本人という点では、職人の同僚から、期限などが「厳しい」と言われます(笑)。しかし、日本の企業と取り引きするなら期限は絶対に守る。信用問題になるから、守れないようだと商売的、企業的に信用してもらえなくなるということを常に社長と話しています。
社長は良い意味でイタリア人っぽくないというか・・・厳しい方で、朝7時から夜7時までずっと一緒に仕事をしてきました。現在85歳になりましたが、今でも朝9時から夕方5時まで現役でやっています。家族よりも長い時間一緒にいますし、僕の娘なんかはおじいちゃんって呼んでます(笑)。
― Liverano & Liveranoのスーツは、セリエAの選手や日本の芸能人なども愛用されていると聞きましたが、なぜ世界のセレブリティやアスリート、芸能人、著名人に愛されていると思われますか。
愛されているかどうかは分かりませんが(笑)。口コミを通じて皆さんいらっしゃいます。聞いたことがあったとか、宿泊先でおすすめの仕立て屋を聞いたらLiverano & Liveranoだったとか。
― なるほど。先ほどの納期の話のように、日本とイタリアのビジネスカルチャーについての違いをお聞きしましたが、大崎さんはLiverano & Liveranoブランドをどのように成長させていきたいとお考えですか?
ブランドとして成長させる前に、家族経営からもう一歩オーガナイズできればと思っています。スケール、マネジメント、あとは社員教育もそうですね。お客様が工房に入ったとき、縫っている職人がTシャツではなくジャケットやスーツを格好良く着ているとイメージが違います。全体的に社員の意識を高めて仕事に取り組めるように、もっと良い方向にもっていきたいと考えています。
― 最後にキャリアについて教えてください。日本では、自分が海外で働いたり日本語以外を使って働いたりすることを想像できない人がまだまだ多いように感じます。大崎さんはまさにそのような働き方をしてきたわけですが、日本の人たちにおすすめしたいですか?
そうですね。ぜひチャレンジして頂きたいです。世界は広いので、日本を出て何か感覚の違いを感じるのは大切だと思います。旅行でもいいし、違和感を覚えながら日本で働いたり海外で働いたりしてもいい。違う文化の違う言葉を話す人と会って、英語という共通言語で意思疎通をしながら仕事するのは面白いです。さらに第三者的な目でちょっと引いて冷静に見て物事を楽しむこともできます。そのためには、英語と母国語のほかにもうひとつ言葉を話せることが望ましいですね。
― ありがとうございました。
言葉や文化の差や人の気質の違いを認めながら、前向きにキャリアを積んできた大崎さんの強い意思が伝わってきました。イタリアと日本のビジネスカルチャーの違いを「良いとこ取り」する大崎さんならではの方法で発信するLiverano & Liveranoの魅力。今後のさらなる発展が楽しみですね。
撮影:Takuma Funaba
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