日本の代表的なアタッシェ・ド・プレスの一人だった齋藤牧里(さいとう・まり、以下敬称略)が8月26日に肝臓癌のために死去した。63歳だった。
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齋藤牧里は、ICU卒業後、ファッションメーカーのアルファキュービック、輸入商社ジャーディンマセソンを経て、1991年からグッチジャパンのPRヘッドを務めていた。「グッチ」ブランドがいちばん苦しかった時代だ。グッチ・ファミリーからグッチ社を買収した中東の投資会社インベストコープは1989年にバーグドルフ・グッドマン社長だったドーン・メローをCEO兼クリエイティブ・ディレクターとしてスカウトしてブランドの再建を託していた。その時期に齋藤牧里は大変な苦労をしていた。
都内のホテルに設けられた「グッチ」のバーゲン会場で奮闘する齋藤牧里によく会った。その後1994年にトム・フォードがクリエイティブ・ディレクターに就任(ウィメンズ・デザイナー就任は1990年)して風向きが大きく変わった。ラグジュアリーブランドがクリエイティブ・ディレクターにスターデザイナーを起用してビジネスを拡大するというシステムを最初に確立したブランドが「グッチ」だった。
齋藤牧里はまさにその渦中にいた。クリエイティブ・ディレクターは単にブランドの方向性を決定するだけでなくブランドを代表する「顔」でもあった。そのPRは今までのブランドPRとは大きく異なった。その後、1998年に「グッチ」を離れて、「ルイ・ヴィトン」へ転職。当時「ルイ・ヴィトン」を傘下に持つLVMHが「グッチ」の買収に動いていて、それを見越した転職ではないかと噂されていた。
「ルイ・ヴィトン」は、アーティスティック・ディレクター(LVMHではクリエイティブ・ディレクターとは呼ばずにアーティスティック・ディレクターと呼称する)にマーク・ジェイコブスを迎えて、パリコレで初のコレクションショーを1997年に発表して、「グッチ」同様のスターデザイナーシステムによるファッション化戦略=トータルブランド化をスタートしたばかりだった。この「スターデザイナー=クリエイティブ・ディレクター」方式を代表する2人の男に仕えたのが齋藤牧里というわけだった。ビジネス的には、日本におけるルイ・ヴィトン ジャパンの設立者である秦郷次郎、そしてルイ・ヴィトンパリ本社のイヴ・カルセル社長が齋藤牧里の後立てだった。トム・フォード、マーク・ジェイコブス、秦郷次郎、イヴ・カルセルの4人こそ齋藤牧里をめぐる4人の男である。
齋藤牧里の仕事で、最大の功績は「ルイ・ヴィトン」においてビッグイベントを成功させたことだろう。その中で最大のものは、2002年のルイ・ヴィトン表参道店のオープンだ。行列が2kmに及んだとか、初日の売上高が1億円を突破した初めての店舗とか、数々の「伝説」を残した。さらに、明治神宮外苑の絵画館で行われたパーティーは、「スパイスロード」をテーマにして館内に砂漠が再現され、本物のラクダが館内を歩くというアトラクションまであって、来場者を驚かせた。未だに目に焼き付いている。
2016年には、ルイ・ヴィトン ジャパンを退社して、PR会社afumiを設立していた。マーク・ジェイコブスが2014年にルイ・ヴィトン社を退社したことが引き金になったのかもしれない。PRトップとして最大の条件は何か?と齋藤牧里に聞いたことがある。彼女は「晴れ女ですね」と即答した。たしかに彼女が指揮したイベントで雨が降ったことはなかったと思う。牧里ちゃんお疲れ様でした。あの世は毎日青空の見える晴天続きだと思いますが、ゆっくり休んでください。
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