2021年東京五輪の新種目として採用され、国内でも注目が集まった3人制バスケットボール「3×3(スリー・エックス・スリー)」。ストリートシーンから誕生したゲームスタイルで、DJによる音楽やMC、ダンスパフォーマンスが繰り広げられるなかゲームが展開し、5人制とは違ったカルチャーが派生している。国内で本格的に3×3の世界を目指す桂葵(かつら あおい)さんは、今年の2月に約7年間勤めていた大手総合商社を退職。世界を目指しながら、どのようなライフステージでもバスケットボールが楽しめるコミュニティを運営している。そんな桂さんが、リスクを恐れずにチャレンジを続けられる原動力とは? そのルーツを辿り、現在の活動に迫る。
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桂 葵さん/ZOOS(ズーズ)合同会社 代表
1992年9月2日生まれ。転勤族の父のもと、国内外を転々とする幼少期を過ごす。小学校の3年間をドイツ ハンブルクで過ごし、帰国後バスケットボールの世界へ。桜花学園高校卒業後、早稲田大学社会科学部へ進学。大学4年時にインカレ優勝・MVP獲得。早稲田大学卒業と同時に競技を引退し、新卒で三菱商事に入社。3年のブランクを経てストリートバスケットボールの世界観に魅了され、3×3で競技復帰。商社マンとして従事しながら、2021シーズンには3×3プレミアリーグ優勝、MVP獲得。2022年2月、約7年間勤めた三菱商事を退職し、日独合同クラブ「Düsseldorf ZOOS」を設立。女子3×3界で初となる選手兼オーナーとして、世界最高峰の3×3プロサーキット「FIBA 3×3 Women’s Series」へ参戦する。
ZOOS(ズーズ)公式HP:https://zoosjp.com/
業界に浸透した通念にとらわれず、自分のスタイルを貫く
─ 幼少期から国際的な経験があると伺いました。幼少期の経験が、現在の活動に影響していることはありますか?
父の仕事の関係で、生まれた頃から国内外を飛び回って暮らしていました。3年ごとに引っ越しを繰り返し、小学1年生〜4年生までの3年間をドイツのハンブルクで生活。インターナショナルスクールに通い、クラスに同じ国籍が2人もいないような環境で暮らしていました。世界各国からさまざまなルーツを持つ生徒が集まっていたため、授業を抜けてお祈りをする生徒がいたり、豚肉を食べられない生徒、断食中の生徒がいたり。日常生活でそれぞれの習慣や価値観の違いを目にするのはごく当たり前の光景で、それに違和感なく友人と過ごしていました。そうした場所で過ごした経験があるため、「こうでなくてはいけない」という既成概念や型にとらわれない考え方が現在に活きているかなと感じます。
─ バスケットボールとはじめて出会ったとき、どのような印象でしたか?
バスケットボールとの出会いは、小学4年生のとき。それまではドイツでクラシックバレエを習っていましたが、日本に帰国して兄の練習についていくうちにバスケットボールに興味が湧き、ミニバスを通してはじめて部活文化に触れました。これまでクラシックバレエをしていた私にとって、バスケットボールは別世界そのもの。当時のチームメイトはみんな好きですが、スカートを履いて練習に行くと「なんでスカート履いてるの?」と不思議に思われたり、ファーがついた上品なコートを羽織っていくとすごく浮いていました。チームメイトは全員ショートヘアでしたが、わたしはロングヘアにしたかった。かわいいではなく、スポーティーであるべきという暗黙のルールみたいなものが、私が所属するチームだけではなく、業界全体の常識になっていたことに最初は衝撃でした。
─ 日本の部活文化のもとでバスケットボールに触れ、国や業界によるカルチャーの違いを実感されたのですね。当時はどのように思いましたか?
当時自分らしく過ごせたのは、なによりも母のおかげです。ファーがついたコートもスカートも、私が好きで着ているものに「かわいいじゃん!」とよく言ってくれました。周りに合わせる必要はないし、かわいいと思うものを着続けたらいい、と声をかけてくれた母の言葉が支えとなり、チームに馴染みながらも自分のスタイルのままで過ごしたい、という意識がこのときに芽生えたと思います。チームメイトもどこか「葵は帰国子女だから」という特別枠のような位置付けで、これまで当たり前だった通念とは違う私のスタイルを受け入れてくれたのかもしれません。それに乗じて「私は私だから」と自分のスタイルを崩すこともありませんでした。
─ 業界の通念と、ご自身が大事にされている部分の葛藤に向き合ってこられたと思います。桂さんの価値観に影響を与えたバスケットボールから、一度離れたときの状況や心境を教えてください。
中学生から身長が伸びはじめ、その頃から代表や選抜に選ばれて注目されるようになりました。ただ、そのときに評価されていたのは、努力して得た実力ではなく高身長という親からもらったポテンシャルの部分。世間では「バスケットボールがうまくて、勉強も英語もできる」みたいな持ち上げられ方をされて、本来するべき努力や自分と向き合うべきことを怠ってしまうのではないかという恐怖を感じていました。
また、年代別の日本代表に招集されている生活を送っていたので、選手として出会える人に出会い尽くしたな、とバスケットボール人生の天井が見えたような気がして。例えば、自分の実力ではWNBA(アメリカの女子プロバスケットボールリーグ)で活躍するのは難しかったでしょう。しかし、実際に活躍する選手の生活や人生を、身近でみることができました。自分が今生きている場所から飛び出して、さまざまな価値観や人と出会い、もっと広い世界を見るべきだと考えたのが就活のタイミング。大学卒業とともにバスケットボールから離れ、総合商社に就職しました。
ストリートシーンで目の当たりにした、バスケットボールが持つ可能性
─ 大学を卒業後、新卒で三菱商事に入社されました。会社員時代は、どのようなお仕事をしていましたか?
世界を横断しながら、さまざまな価値観と出会うことができそうという理由で、三菱商事に就職しました。トレーディングや、三菱商事が出資する会社の株主としての業務を担当。当時商社での仕事は向いていないと思うこともありましたが、振り返ってみると、今自分がやりたいプロジェクトをゼロイチで進めていくときに、必要な要素を洗い出して、必要な人たちをアサインしていくというフレームワークを組んでいく作業は、商社マン時代の経験によって培われたと思います。
─ 商社で働きながら、なぜ再びコートに戻られたのでしょうか?
入社して4年目で、バスケットボールをしようとストリートバスケットボーラーが集まる場所に行ったとき、その世界観に衝撃を受けました。学生時代に「バスケットボール界の人たちとは、もう出会い尽くした」と思っていましたが、全然知らない世界が広がっていて。わたしが生きてきた世界では、誰よりもうまくて、誰よりも自主練していないと「バスケが好きだ」なんて言えない雰囲気がありましたが、ここに集まる人は、バスケの上手い下手や、練習量を他の人と比べることなく、ただ「自分はバスケが好きだ」と当たり前のように言うんです。振り返ってみると、私自身「わたしバスケ好きなんだよね!」と誰かに言ったことがなかったかもしれないと初めて気づき、自分が知っていたバスケットボールとは違う、それぞれの人生やスタイルでバスケットボールと向き合うカルチャーの違いに惹かれて気づいたら復帰していました。
─ バスケットボールの違う側面や文化、違う形に出会うことができて、また新しいスタートを切ることになったんですね。ご自分のスタイルに合っていましたか?
ストリートシーンに惹かれた延長線上に3×3があり、このスタイルが自分にとても合っていると思います。これまで歩んできた道を経て、ベストタイミングでスタートアップのような競技に出会えました。わたしがまだ知らなかったバスケットボールの側面があり、人それぞれライフスタイルのなかで、バスケットボールの楽しみ方を持っている。そんな3×3の可能性に、競技者としても、このシーンを作っていくひとりとしても、魅了されている自分がいます。
─ 3×3シーンをさらに盛り上げるため、2022年夏に三菱商事退社という大きな決断をされました。このタイミングで退職した決め手を教えてください。
2つのタイミングが重なって退職を決めました。ひとつは、3×3の競技環境的に、2022年からのチャレンジが大事だと思ったから。2024年に五輪がありますが、五輪に向けた1年間は世界中の競技者が五輪に向けて練習に励みます。そこで一緒にに3×3を盛り上げても、一過性のムーブメントになってしまう。中長期的に考えてひとつの競技として確立するためには、なんとしてでも今年立ち上がる必要がありました。
もうひとつは、私自身が今年30歳を迎える年齢になったこと。女性であり、これからいつ子どもが産みたくなるかわからないし、産みたくないかもわかりません。ただ、子どものいる生活がこれまでと全く違うものとなると考えたとき、「今この時間をデスクワークに充てているのはもったいない。3×3に向き合う時間を増やしたい」と思ったのが、退職を決めた理由です。
自分にとって心地よいベストな選択で、人生を豊かに
─ ご自身の人生のなかで、バスケットボールとどのように生きていくのかを常に考えられていますね。会社員を辞めてから、現在の活動を教えてください。
会社を辞めてから今の心境は、とにかく前だけを見て、1日1日を一生懸命生きています。女性を取り巻くスポーツの環境をリデザインしていくことをミッションに掲げる「ZOOS(ズーズ)」プロジェクトを立ち上げ、ドイツバスケットボール連盟とデュッセルドルフの自治体からのサポートを受けながら「Düsseldorf ZOOS」を結成。ZOOS運営のもと、世界最高峰の女子3×3プロサーキット「FIBA 3×3 Women’s Series(※)」へ参戦するために動いています。「FIBA 3×3 Women’s Series」は大会のレギュレーションがアップデートされて、民間クラブも参戦が可能になりました。さまざまなハードルがありますが、世界でチャレンジする機会をずっと待っていたので、このチャンスに挑戦しない手はありません。
今回の挑戦に対し、無謀だと思う人もいるかもしれません。私自身も世界でどこまで通用するのかわからないのが正直なところ。わからないからこそ、プロセスのひとつひとつを仲間と一緒に全力で取り組んでいます。たとえどこかで失敗してしまったとしても、「わたしたち、できるところまで頑張ったよね!」と笑って納得できるように、ベストな選択ができるといいですね。
※FIBA 3×3 Women’s Seriesとは、FIBA主催3×3ウィメンズカテゴリーにおける世界最高峰のプロサーキット。
─ 世界進出ともうひとつ新しい挑戦「ZOOS(ズーズ)」では、どのような活動を行っていますか?
ZOOSは、古代ギリシャ語の「生命体」「生きている」という意味を持つ「zoo」が由来となっています。複数形「s」をつけて、多様な生き方を受容しながらみんなで集まって、より豊かな人生になるコミュニティを創造するために立ち上げました。会社でありプロジェクトであるZOOSですが、コミュニティの側面も持ち、月に1回ガールズバスケコミュニティを開催しています。初心者から久しぶりに体を動かすメンバー、お子さんを連れたママさんなど、ファッションやバスケットボールの周辺カルチャーを楽しみながら、それぞれが自由なスタイルで集まっています。
ストリートシーンで私が衝撃を受けた通り、バスケットボールにはさまざまな向き合い方があるはず。それは女性の一生を考えるときと似ていて、どんなライフステージにいても楽しめるバスケットボールができる場を作りたいという想いがあります。今の私にとって自分の生活を豊かにするのは3人制での世界挑戦ですが、「楽しくバスケットボールをしたい」と、違う軸を持ってコミュニティーに参加するメンバーもいる。そこに優劣はなく、同じズーズのプロジェクトだと考えています。ライフスタイルのなかでバスケットボールをヘルシーに取り入れるための選択肢をズーズが提示していきたいです。
─ これまでの経験を積み重ねて、新たな人生の選択を掴みとってきた桂さんの「これだけは譲れないこだわり」を教えてください。
ためらわずに自分を表現することだと思います。あと、いつも忘れないようにしているのは、周りの人に生かされていること。今回のプロジェクトも、周りの人たちに恵まれたおかげで実現に向かっています。新しい選択をするときに反対や非難する人もいるかもしれませんが、本当に自分のやりたいことに向かっていくときは、とにかくいろんな人に声をかけ、共感してくれる仲間を探し続けること。「こんな連絡したら鬱陶しがられるかな?」と思うこともありますが、そこで鬱陶しがられたらその人とは共鳴できなかっただけ。自分が実現していきたいことなので、積極的に声をかけて仲間を増やしています。
─ 海外への挑戦や大手企業の退職など、大きな決断をしてこられたと思います。新たな一歩を踏み出そうとしていますが、日々どのような思考でご自身と向き合っていますか?
今自分が置かれている環境は、自分が選択した結果だという感覚を大事にしています。大げさに聞こえるかもしれませんが、三菱商事に勤めていたときも毎朝出社するたびに、「今日も私は三菱商事の社員として生きることを選んだ」と思いながら働いていました。会社員でいる選択をしていた毎日から、3×3に向き合う選択をする毎日に変わり、自分のライフスタイルにとって心地いい選択が、リスクをとってチャレンジをすることだったんです。リスクやチャレンジだけがいい人生に導くのではなく、安定を求めるのも、もちろんいい人生。誰かのせいにしたり、会社のせいにしたりせず、自分らしいライフスタイルを送る選択を、自ら選び続けることを大切にしています。
ZOOSではコラボパートナーを募集しています!
アパレル、ZOOSグッズ、リアルイベントなど、様々な分野で既成概念に捉われない新たな取り組みを実現していきたいと考えています。
ご興味をお持ちの方はこちらから詳細をご覧ください。
取材:Nana Suzuki
撮影:Takuma Funaba
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