ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回は、ニューバランス ジャパンの鈴木健氏が登場。ニューバランスブランドのPRおよび広告宣伝、販促活動全般を手掛ける彼は、「一般社団法人マーケターキャリア協会」のフェローとしても活動し、若手マーケターの育成も行っている。自らのキャリアは広告代理店の営業からスタートしたという鈴木氏は、どんな経験を経てマーケターに成長していったのだろうか。NESTBOWL COOの田崎が詳しく話をきいた。
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鈴木 健さん/ニューバランス ジャパン マーケティング部 ディレクター
1991年に広告代理店の営業からキャリアをスタートし、2002年ナイキジャパン入社。ナイキゴルフの広告、Web, PRを担当。2009年ニューバランス ジャパン入社。ブランドマネジメント、PR、広告などマーケティング全般に幅広く携わる。
田崎 直人/NESTBOWL株式会社 COO
1989年生まれ。埼玉県出身。大学卒業後、クリエイティブに特化したエージェンシー事業を展開するC&R社にて、ゲーム、ファッション、XRなど、主に新規事業立ち上げに従事。NESTBOWLではCOOとして、ビジネス領域全体を管轄している。また、創業29年目を迎える家業のもつ焼き専門店 「せんとり」の経営も担う。
ナイキで目の当たりにしたブランドへの誇りとクリエイティブ魂
― 鈴木さんのキャリアのスタートは営業だったそうですね。
最初は広告代理店の営業から始めました。5年くらい経った時に、もう少し英語を使った仕事をしたくなり、外資系の企業へ転職。それまで広告のことはあまり勉強していなかったのですが、先輩から勧められたアル・ライズとジャック・トラウトの「ポジショニング戦略」という本が非常に面白くて。「広告という仕事はこういうものですよ」と箇条書きに書いてあるものではなくて、世の中の見方や人を動かすための考え方をどのように作っていくのか、ということが書かれていたんです。最終的に制作をやりたかったんですけれど、営業の中でもアカウントプランニングが一番制作に近いので、そこも面白いなと思って。ずっと「アカウントプランナーになりたい」と言い続けて、いろいろな人を紹介してもらい、ジョブチェンジすることができました。
― その後ナイキに転職されたのですよね。
そうです。知人のお声がけをきっかけに、2002年に「FIFA ワールドカップ」が日本と韓国で共同開催された年にゴルフカテゴリーの広告担当として入社しました。それまで広告代理店での勤務経験のみで、事業会社で働くのは初めてでした。
ナイキが面白いなと思ったのは、クリエイティブに対して社員全員がエキスパートなんです。ブランドのコピーを作っている時に、代理店が出してきたコピーで検討したのですが、なかなか決まらなくて。そうしたら上司が「もし決まらなかったら、今日、徹夜してでも、私たちが作るからね」と言ったんです。エージェンシーに「いつまでに作ってきて」と頼るのではなく、「ここで自分たちがやるしかないし、クオリティの高いものを作らないといけない」という魂がありました。
必然的に社内の基準は非常に高かかったので、クリエイティブのディティールまでクオリティが高くないと注意されます。なぜならみんな「ナイキのブランドはすばらしい」と思っていて、正直なところ、マーケティング部門以上に他の部門の人たちの方がナイキブランドのことを語るんです。だから彼らをしっかりと説得できないといけない。そこまでブランドの観念が出来上がっているのです。自分たちはナイキというブランドでご飯を食べているという意識があります。
シンプルイズベストではない、多様な引き出しを持つのがニューバランスの強み
― 2009年にニューバランスに入られて、現在13年目とお伺いしています。ニューバランスに入社した当初は、どのようなことを担当されていたのでしょうか?
ニューバランスの広告宣伝マネージャーを担当していました。入社した時はブランドが違うから、どういうことをやればいいのか分からなかったので、正直にその思いを上司に伝えました。すると「同じことをやればいいのではないでしょうか?おそらくナイキも昔は今の私たちと同様の時期があったでしょうから」とアドバイスしてもらったんです。
まず、全体をみたところ、やることを広げ過ぎていたため、それだと予算は分散してしまうから、「やらなくていい」というカテゴリーを作って、業務を整理していきました。
あと、ニューバランスはライフスタイルが強かったのですが、スポーツ分野にポテンシャルを感じたため、ランニングを中心に組み立てていきました。それからエージェンシーとのコミュニケーションも変えていき、ワークショップなども交えながら、より具体的に私たちが求めていることや全体像を共有して、チームビルディングを強化しました。
― 現在の体制ができた背景には、ライフスタイル分野に加えて、スポーツ分野を強化して、さらにやらないことを決めていくうちに、確立されていったということでしょうか?
実際はそんなに美しい流れではないですけど(笑)。ライフスタイルももちろん大事です。でも私はどちらかというと、ライフスタイルとファッションよりランニングの方に興味があったかもしれないですね。あとラッキーなこともあって。2013〜14年ぐらいの時に、ニューバランスのブームが起きたんです。その頃は他のメディアでも取材を受けました。「どうしてそんなに売れたんですか?」と聞かれて。「いや、全然分かりません、何もやっていません」とお答えしました(笑)。
― 特に仕掛けを行ったわけではなかったのでしょうか?
そこは仕掛けというよりは、ニューバランスは前と同じ商品をずっと定番で売っているので、そこが要因だったように思います。他社が真似していないのがmade in USAのような商品で、ニッチに思われているけれど、価値自体が確立されていれば、非常に強い。スニーカー好きな人がずっとブランドを支えてくれていたのに加えて、さらに急に新しいお客さんがそれを買い始めた時期があって。それが2012、2013年くらいで、2014年がひとつのピークだったんですね。
それはいろいろなファッションで取り上げられたとか、後からは説明ができるんですけれど。世の中の文化としてサードウェーブとかノームコアとか、ベーシックなものでずっと長持ちするもの、しかも今の言葉でいうと、サスティナブルな意味合いのものでした。つまり「ずっと直して、変わらないものに価値がある」と思われるようになった。
あとはその直前ぐらいに山ガールが流行ったことが、スニーカーが女性に広がるきっかけになった。2008年・2009年にナイキでウイメンズをやっていた時には、女性は普段あまりスニーカーを履くカルチャーがまだなかった。それがスカートに少し厚めの靴を合わせるのが“外し”のスタイルとして流行るようになり、そこでスタイルの幅が増えたんですよね。スニーカーを履くスタイルが増えたのは、そのくらいがきっかけかな、と。
― 世の中の流れが変わってきたんですよね。今はさらに進んで、男女で同じモデルをはく時代。現在、御社が注力されていることは何でしょうか?
マーケットが変化してブームが来ても、むしろニューバランスがやっていることは、まったく変わっていなかったんです。今はジェンダーフリーとか、ジェンダーイクオリティといったような流れになっているんですけれど、特に弊社の中では高価格帯のMADE in USAなどは、もともとユニセックスサイズで、そういうマーケティングをしなかった、というだけなんです。
ただ数年前にグローバルの調査をした時にリサーチャーが言っていたのは、日本に限らないんですけれど、だんだん男性も女性も、自分のジェンダーで服を選ぶのではなく、自分の好きな服を着たいと考えるようになった、と。カップルになる場合は、同じような服の趣味の人がカップルになる。上海でリサーチャーがインタビューした時に、「ニューバランスの靴がいい」という理由の一つが、「男女同じものではける」ということだったんです。
それはMADE in USAも同様です。なぜ人件費が高いアメリカで作って、しかも2万円もするのかなんですけれど、それが1周まわって、ものづくりにこだわっている、と転換されるわけです。そういう方がビジネスとして、“ものをきちんと作っている”ということになる。またニューバランスも、たとえばMade in UKなどは、“なぜアメリカのブランドにユニオンジャックをつけているんだ?”と思ったんですよ。でも工場も自社工場を持っていって、ものづくりにこだわっている。特にイギリスの工場は、皮を使っているスニーカーでクオリティが高いというポジションができていて。計算して全部ができていった、というより、もともと同じことをずっとやってきて、価値が少しずつ上がるようになっていったのかなと思います。
ナイキはスウッシュ(勝利の女神ニケの彫像の翼をモチーフとしたロゴマーク)があるので非常にコミュニケーションしやすいし、ブランディングもやりやすいんです。でもニューバランスは歴史が長くて、ブランドロゴも今は5本ですけれど、昔は14本だったとか、ロゴの縫い方や靴の見え方もいろいろあって。マーケターとしては、ブランドコミュニケーション上はむしろ複雑になっています。ただ逆に言えば、その方がブランドとしての引き出しはたくさんあって、豊かなリソースを持っている、とポジティブに解釈できるんです。
そういったところをしっかりと資産にしていくことができれば、先ほど言ったような「何周か回って」ということが起きなくても市場化できる良さがあるな、と思います。でもそれは、意図的ではないんです。
なんでもかんでも、シンプルにしてムダをなくしてフォーカスすればいい、というのはスマートにも聞こえるんですけれど、少し余地を残しておいて、いざという時に使ったりできるようにした方が今はいいでしょう。
たとえばこの数年で出ている327という靴は、今までは単純に過去のものを復刻するしかなかったところを、引き出しを組み合わせて新しい靴として作ったんです。今は「70年代っぽいけれど、現代風のもの」といったものが非常に受けていたりするので、引き出しを持っているのは大事だと感じます。
できないこと、ないものを言い訳にせず、どうしたらできるか前向きに考える
― 鈴木さんが今後チャレンジしていきたいことは何でしょうか?
面白い仕事をさせていただいているので、新しいことをやるよりは、次のキャリアを考える時、自分はどういう領域で何をやれるのか、ということは気にします。
もともとスポーツブランドに心ひかれたのは、コミュニケーションが面白いと感じたからです。ターゲットが非常に広く、ファッションとは少し違う。世の中の人が急にスニーカーを買い出す、といったことは不思議じゃないですか。それは別に機能性が高いからという理由ではないな、と思うんです。スポーツも魅力的なアスリートはいますけれど、必ずしも能力が高いだけの話ではなくて、やはりストーリーとかキャラクターとか何かあるんですよね。そこでパーソナリティーやドラマが生まれてくる。スポーツはそういう人間的な感じがするところが魅力だと思います。
ブランドは何かしらオーラのようなものを持っているので、それをしっかり捉えた方が絶対に面白いですよね。それはもちろん「クリエイティブでものを売る」といったことだけではないんです。でもブランドや今の消費者の感覚を取り入れてクリエイティブを響くように作っていくのがこの仕事の醍醐味なので、そのヒントのようなものをいろいろな人と一緒に話すのは面白ですね。「なぜこういうのが流行っているのかな?」とか。
ランニングの分野もただ走るだけでなく時代に合わせたトレンドがあるんですよ。たとえば競合のブランドの人気商品と当社の靴を比較すると、確かに機能性の部分では私たちの方が快適だったりするところもあります。しかしそういったブランドがきちんと消費者の望む機能だけでなく生活感覚にはまって売れている、という事実が見つかったりすることがある。それに対して「機能性は優れている」と言うだけでは言い訳にしか聞こえないんです。
おそらく消費者の生活に対する全体設計ができてるからそうなっているんだろうと思うんです。だからなぜそのブランドはそこにしっかりと行き着いたのか。そういう同じ考え方でできるようにするにはどうしたらいいか、といったことに興味があります。
― ニューバランスに入社されて、鈴木さんは全体設計に関われるようになったのですね。
逆に言うと、リソースが限られているからですね。ナイキは会社のスケール自体が大きかったのでマーケティング職でも「そんな専門職があるんだ」というくらい多種多様でした。すごくエキスパートとしてできる人がたくさんいて。一方でニューバランスはいろいろな人はいるけれど、どうしても規模的には小さいので、「これをやりたい」といったら、「誰かに協力してもらいいっしょに進めないといけない」といった雰囲気でした。
自分も含めてなのですが、大きいブランドから小さいブランドにくると、「これもない、あれもない」と言いがちなんです。でもそういうことを言っていたら始まらないから、「どういうふうに組み立てたらいいのかな?」とか「これもできるかな?」と前向きに考えた方が面白いですよね。
― 鈴木さんは現在、若手のキャリア支援も行われていて、一般社団法人マーケターキャリア協会の理事をやっていらっしゃいます。それは次世代の方々に対して、自分がやってきたことを伝えて役立ててもらいたい、という思いからでしょうか?
自分も輝かしくやっていたわけではないですから。それを含めて、いろいろなお手伝いができるだろうと思うのと、特にデジタルマーケティングなどが出てきたおかげで、自分が知らない職のタイプもありうるのではないかな、と思って。昔はコミュニティマネージャーみたいな職はなかったですから。
― 教えるだけでなく、学ばされるものもたくさんあるということですか?
学んでいますね。そして一言でキャリアと言ってしまうと、ゴールはCMO(最高マーケティング責任者)などになってしまいます。しかし、それがすべてではありません。テクノロジーが広がっている時は、スペシャリストがやれることがたくさんある。それはそれで、非常に面白いと思います。
取材:キャベトンコ
撮影:Takuma Funaba
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