左:隈研吾、右:佐藤可士和 PHOTO:SEVENTIE TWO
クリエイティブディレクターの佐藤可士和と建築家の隈研吾が監修を務める「団地の未来プロジェクト」は、その第一弾として神奈川県横浜市のUR賃貸住宅「洋光台団地」の再生を手がけた。2021年1月に開始した「洋光台団地」の新築棟の入居募集には、倍率7倍となる応募があった。日本の高度成長期とともに日本各地に建設された団地は、高齢化や老朽化などさまざまな課題を現在抱えているが、「団地の未来プロジェクト」はこうした課題の解決を目指すプロジェクトだ。「洋光台団地」をモデルケースとして、継続的に団地の価値を上げていくことで、より良い社会づくりに貢献していくことを目的とし、UR都市機構が平成27年3月から進めてきた。
佐藤可士和と隈研吾は3月2日、『佐藤可士和展』が開催されている国立新美術館で、「『集まって住むパワー』による新しい豊かさとは」をテーマにトークセッションを行った。登壇した佐藤可士和は、「隈さんからある会合でいきなり団地をやらないかと言われました。まず、隈さんが手掛けるということで、インパクトがあり面白いなと思いました。僕は、ジェレネーション的に、団地が建ち始めたのは小学生の頃です。友達が住む団地の5階からは、見たことがない展望が見えたことを覚えています。僕の家は普通の家でしたが、それとは全然違ってピカピカしているのが印象的でした。団地には幸せな記憶があって、昭和の良かった頃の記憶が残っています。今回の話を頂いて、意外ではありましたがポジティブな気持ちになりました。詳しく聞いてみると、日本の社会問題になっていることや世界的にみても団地は非常に珍しいものだと、知らないことばかりでした。僕はいろいろなブランディングの仕事をしていますが、クリエイティブはうまく使うとパワーになります。こうしたパワーを社会的課題の解決のためにほんの少しでも貢献できたらと思い、お引き受けしました」と語った。
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また、今回のプロジェクトの意義について、隈研吾は「私は中高生の頃、大船の学校に通っていましたが、ちょうどその頃に洋光台団地ができました。なにもなかった隣のエリアに、すごいことが起こっているなと思ったことを覚えています。日本の未来はこっちにいくのかなと、48年ほど前の出来事ですが昨日のことのように思っています。ですから、洋光台団地の再生のお話しを頂いて、これは絶対にやらなくてはと思いましたね。団地というのは、世界的に見えても例のないような集合住宅のあり方です。アメリカにはこういった建物はほとんどありません。20世紀にこうしたモデルができ始めた時に、ソ連は実際にすごいものを作りましたが、それ以上のものを日本が作りました。それは、日本人と団地に相性のいいとことがあったんじゃないかと思います。これを現代的に再生させたら、世界遺産的なものになれるんじゃないかと思っています。そして、素材としては面白いが、なんとしても格好良くしなくてはいけないと思い、佐藤可士和さんに声をかけました。コロナ禍を経て、資本主義や幸せの定義が変わってきていることを感じます。公益資本主義と最近言われるようになってきました。今までは会社は株主のためにあると思われていましたが、それがいかに社会を不幸にしてきたかということです。会社は株主以上に社会のためにあるべきではないか、そんなことを団地はリアルに見せてくれるのではないでしょうか。コロナ後の救いにもなると思っています」と語った。
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