会期中も会期後も読める新たな批評の在り方を模索。会期後のレビューではなく、会期中の展覧会を彫刻家で文筆家の鈴木操がレビューする同連載。第12回は、国立新美術館で開催されている「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」について。鈴木は同展をどう見たのか。
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「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」が、国立新美術館で開催中だ。イヴ・サンローランの日本での大規模な展覧会は、1990年にセゾン美術館で開かれた回顧展以来となっている。今年の5月まで開催され、話題となった東京都現代美術館でのクリスチャン・ディオール展に続き、本展はこの秋注目のファッション系の展覧会として、既に各メディアから数々のレポートが挙がっている。双方とも所謂ブロックバスター展※としての企画枠だと思うが、そういった美術館の運営にまつわる問題は触れないでおこう。というのも、美術館でファッションの展覧会が開かれることに対して、筆者個人としては素朴にポジティブな感情を抱いているからだ。何しろクリスチャン・ディオールに続き、イヴ・サンローランである。この二人は言うまでもない有名な師弟関係であるが、その関係性を見ていくことには、20世紀フランスを中心に発展したモードがどのようなスタイルを生み出してきたか、ファッションの系譜を回顧する意味も生じ、絶好の機会となっている。
※ブロックバスター展:既に評価が確立し、人気のある作家や作品を集め、メディア共催によって大々的な広報活動のもと行われる大型展覧会のこと。
「スタイル」とは規範的な形で捉えることができない
現代のトレンドなきインフルエンス時代において、本展覧会のタイトル「時を超えるスタイル」は、非常に魅力的な言葉並びである。なかなか終息を迎えないウクライナ戦争や、イスラエル・ガザ戦争など、様々な歴史的不安が蔓延る現代では、「スタイル」とは人々がサバイブし、共存するための合言葉のようになっている。ここでのスタイルとは、姿勢や容姿を意味するのではなく、「スタイル=様式、態度」と定義したい。「スタイル」は、ある特定の時間や場所から生まれているがために、“スタイルから時代が見て取れる”という個々人の歴史意識の萌芽と美意識、感受性が生じることになる。故にスタイルとは、ある事象に対して「私はどう思うのか」という態度と時代の規範意識の拮抗によって生じるものだ。それは、クリスチャン・ディオールが、ナチスが提示する「美しさ」に抗うために打ち出した“スタイル”が「ニュールック」であった、という歴史的事実にも帰着する。トレンドとスタイルは昨今似たような意味合いで語られることが多いが、歴史から切り離された共時的な意味や内容のみに没入することは、“スタイルが在る”ことからもっともかけ離れた状態であるだろう。つまり類推的な言い方ではあるが、真正のスタイルとは必然的に時を超えるものなのだ。
SNS中毒の私たちは時に、インフルエンサーや著名人の仕草から、積極的にもっともらしい道徳的な規範(健康や美)を享受しようとする。ここには全くと言っていいほど前述の意味での「スタイル」は存在しない。スタイルは、人の意思に関わる故に一般的なものではなく、特殊で個別なものなのだ。本来、個別の記述のみが許されているスタイル(態度)を、規範的な形で捉えることは不可能と言える。しかし、「書く」という行為には、一般化が伴ってしまう。この矛盾を引きずりながら、本稿はイヴ・サンローランのスタイルを探っていくことになる。
では、イヴ・サンローランが、時を超えて私たちに示した「スタイル」は、本展においてどのように披露されていたのだろうか。先ほど「スタイル=様式、態度」として示したが、イヴ・サンローランのクリエイションの態度がどのように様式として具体化されていたかは、歴史的な事象をただなぞるような共時的な規範性に当てはめるのでは見えてこないだろう。必要なのは、イヴ・サンローラン独自のスタイルを見出し、記述していくことだ。その点で言えば、同展の展示構成には、若干の違和感を覚えた。
展示全体の構成は非常にシンプルで標準的なものとなっており、細かに区切られた章立てのもと、順繰りにサンローランの仕事を網羅的に巡るもの。マネキンに衣服を着せ、ガラスケースに衣服やジュエリーを飾り、関連資料を什器に入れて随所に配置し、極めて一般的な博物館キャビネットのような様相で、どちらかと言えば「歴史的事象をなぞる」という印象を覚えた。同展の序章にあたる「第0章」で、イヴ・サンローランの人生へフォーカスしていたのに対し、それ以外の章で展示されている衣服やジュエリーらとのコントラストが強いことも非常に気になった。イヴ・サンローランがその人生において纏ったスター性に焦点を合わせるポートレートの連続で始まるこの展覧会は、時代によって生み出された「イヴ・サンローラン」のアイコニックなスター的イメージを最初に最大化し、それをまず否応なしに観客へ印象付ける。この第一印象はなかなか強烈なものがあり、筆者は観覧中終始抜けることがなかった。これはイヴ・サンローランをどのように見せたいかという主催者の意図に関わると思うが、いずれにしても、構成的にサンローランの芸能的なポートレートがパッケージとしてあり、その内容物として衣服などがあるような、やや世俗的な構図になっていると感じられた。ただ筆者としては、もう少し踏み込んだ記述を試みたいので、ここからはあえて狭く切り取った視点を導入してみたい。
展示会場に不在のプレタポルテと「リヴ・ゴーシュ」
「イヴ・サンローランのスタイルとは何か」という問いに紐づいた視点はいくつかあるが、取り分け三つほど注目したい。一つ目は1950年代から70年代の怒涛の時代とイヴ・サンローランはどのような距離を取ったか。二つ目はクリスチャン・ディオールとクリエイションの上でどのような距離を取ったか。三つ目は展覧会で構築された印象を拭いたいがための願望でもあるが、「イヴ・サンローラン」のアイコニックなイメージを、彼自身が自らのデザインによってどのように距離を取り、あるいは消し去ったか、そもそもそのような態度が存在したかを見てみようと思う。距離に着目するのは、スタイルが、歴史的事実と対峙した自分自身が「どのような態度をとるのか」という意味に他ならない。イヴ・サンローランは、時代の規範がダイレクトに反映された一般的な「スタイル(容姿)」と、時代や規範と対峙した上で生まれた「スタイル(態度)」とに、それぞれ分節する。そして、後者のスタイルこそが同展で着目すべきだと考える。
故に規範意識が漂う中心的なルックを外していき、イヴ・サンローラン個別のスタイルを浮彫にしていこうと思う。例えば、有名なトラペーズ・ラインは、ディオールの後継としての規範性が色濃くあり、ディオールが軸とした形態を中心とする美学の中で作られている。またトレンドをダイレクトに反映した代名詞サファリルック、ジャンプスーツ、タキシードといったルックたちも時代から自立的ではないという意味で、ほとんど中心的なものではなくなる。代わりに注目すべきものは、芸術家へのオマージュのシリーズと服飾の歴史をレファレンスしたシリーズ、また展覧会では紹介されていなかったが、1966年にオープンしたプレタポルテのブティック「サンローランリヴ・ゴーシュ」(以下、リヴ・ゴーシュ)の存在も非常に重要なものになると考える。
同展には、プレタポルテの衣服が全くの不在であり、当然「リヴ・ゴーシュ」への言及もなかった。当時のサンローランは、リヴ・ゴーシュをオープンさせることでプレタポルテを積極的に展開していき、オートクチュールとプレタポルテの間で、大いに悩み、分裂していただろうと想像する。そうではなくとも、サンローランの中でオートクチュールとプレタポルテが互いにどのように影響したかは、本来回顧展であるならば問うべき事柄だと思う。またブランド運営の観点から見た場合、オートクチュールをやりつつ、いち早くプレタポルテのブティックをオープンさせたサンローランは、時代の危機や歴史的な社会変化に非常に敏感であったことが分かる。なぜなら、オートクチュールとは、フランス政府が法的に保護する特殊な制度だからだ。国と企業と労働組合が連携し拡大成長していくことを目論む意味では、所謂フォーディズム的な形態とも言える。一方プレタポルテは、エネルギー革命の進展により社会の新たな脆弱性が明らかになり始め、産業のフォーディズム的成長が衰退し始める70年代を目前にして出てくる新しい形態である。そのため、フランスのファッション産業の系譜に照らして言えば、表面的にアメリカ由来の大量消費主義としてプレタポルテを見るだけではなく、オートクチュールという制度への批評的な形態としてプレタポルテを捉えるべきであろう。
ともあれ、サンローランはクリエイションにおいて、体制的なオートクチュールのシステムと反体制的なプレタポルテをいち早く同時に走らせていたが「オートクチュールに比重を置いていたのだろう」と直観的に感じた。しかし、この曖昧な印象がどこから湧いてくるのか。またこの印象は、本展でオートクチュールコレクションのみを扱った理由とも関わるのだろうか。もう少し違う角度から考えるために、リヴ・ゴーシュがオープンした1966年のフランスを振り返る必要がある。
サンローランがファッションの歴史的アーカイヴを再構築した訳
サンローランが華々しくデビューし、デザイナーとしての確固たる地位を築いていった1950年代から1970年代にかけてのフランスは、戦後の冷戦体制の中で揺れている時期であり、旧来の帝国主義的植民地主義の体制が徐々に綻びつつあった。フランスからの脱植民地化をめぐるアルジェリア戦争が起こり、アルジェリアに生まれ育ったサンローランも徴兵された。また冷戦空間におけるアメリカとソ連に対抗するために、1966年フランス政府はNATO軍事部門から脱退し、核保有の政治体制へと進んでいく。かたや有名な1968年パリ五月革命は、このような核保有を含めた国家の政治体制に抵抗するため、新左翼系の青年たちが中心となって起こったことだった。青年たちによる旧来の社会構造を打倒する革命的態度は国境を超え伝播し、時代に敏感な欧米の若者はこの時代精神の中に生きていた。日本も、パリのこの動きに影響を受けた。三宅一生もその影響を自認している一人だ。
こういった青年たちの精神性と重ねて考えれば、サンローランにとってオートクチュールという制度や、クリスチャン・ディオール、ココ・シャネルなどの先行者たちは、打倒すべき旧来の制度的存在であったはずだ。しかし、サンローランが独自にエレガントなところは、衣服をデザインする次元において、打倒するようなやり方(スタイル・態度)で同時代的精神を生きていないことである。またそれは繰り返し過去の衣服をレファレンスする方法でデザインしていたことから伺える。一見古典的なドレスに見えるものも、デコルテのカッティングは繊細かつ大胆で、いつどんな時代においても恐らくサンローランにしか実現出来ないとびっきりの代物だ。つまり、サンローランは自らのスタイル構築について極めて冷静であった。冒頭にも記したが、スタイルとは、ある特定の時間や場所に属しているがために、美的経験が生じることだ。それは歴史意識の自覚を促すことになる。故にサンローランの服飾の歴史への深い慈しみと繊細な眼差しは、彼個別に備わったスタイル(態度)と見なすべき仕草でありリアリズムなのだ。またサンローランの特筆すべき点は、自らが時代やトレンドを反映するかたちで生み出した=サファリルックなどが、後世にて歴史に曝されるのを見越して解釈可能な領域を拡げておくために、ファッションの歴史的アーカイヴを自らで再構築し補足し続けたことにある。この広い視野を保持した時間と空間の感覚は、非常に教養主義的で倫理的である。この点に関しては、クリスチャン・ディオールとよく似た気質を感じるし、これこそが若くして後継者に選ばれた所以なのかもしれない。
デザイナーの存在感を打ち消すほどの手仕事
サンローランが、過去の衣服をレファレンスとすることでクリスチャン・ディオールが生み出した規範性から逸脱したように、芸術作品で独自のスタイル(態度)を扱ったことは注目すべきである。
クリスチャン・ディオールは、戦前のアール・ヌーヴォーやバウハウスの精神である「トータルデザイン」を、「トータルルック」という独自の理念の中に引き継ぎつつ、反ナチス的態度と戦後再生の精神を同時代の芸術家のヒューマニズムと共鳴させ、ハイ・モダンなシルエットとして展開した。代表的な「ニュールック」は、それが全面的に現れている。しかし一方で、イヴ・サンローランは芸術家へのオマージュシリーズにおいて、ディオールのように理念的な抽象性は扱わず、代わりに芸術家の作品の色や形の現れ方=スタイル(態度)を直接的に衣服へ反映させ解釈することを目指していたように見える。またそれを実現するためにオートクチュール職人の手仕事が条件としてあるのも非常に興味深い点である。
サンローランはプレタポルテに積極的でありつつも、オートクチュールを極度に先行させる特異な感覚からは、非常に双極的な精神を感じる。その双極的な精神は芸術作品を「服飾」に昇華させた表現方法に現れている。芸術家へのオマージュとして実際に行われたことは、絵の具のマチエールを刺繍という技法に置き換えたり、モチーフや抽象的な“柄”を生地のパッチワークに置き換えたりときわめて表面的だ。サンローランは、その表層性を驚異的緻密さと工芸的強度で補完した。普通なら失敗するような「絵画に対する危ういオマージュ」に細部から真正を与えているのだ。更に、驚くべきことは、これほどまでに緻密なデザインを施しているのにもかかわらず、衣服の中にサンローランの人格的なものがほとんど見えてこないことだ。何故なら、サンローランの固有のこの特殊な危ういアプローチは、ユニークさを始点としつつも、燦々と輝く宝石のような普遍的な美へと、ベクトルが振り切られているように感じられるからだ。
2000年代のジョン・ガリアーノ、アレキサンダー・マックイーンなどに代表されるように、通常私たちはユニークな衣服の中にはそのデザイナーの存在を見出しがちだ。彼らもまた、普遍的な美へと向かうベクトルがあるが、その采配はデザイナー自身の「美的感覚」が色濃く残されているように思う。ところが、サンローランは、刺繍が隙間なく施されたカーディガンなど、その手仕事の強度において、私たちがサンローランの人格を垣間見ることを否定する。手仕事の強度によって、デザイナーの存在感や個人的な美的感覚を消し去ってしまうというのは、驚異的と言えるだろう。スターデザイナーとしてアイコニックなブロマイド写真が世に出回っている一方で、サンローランの凄みとは、自らの姿が消えて見えなくなる方向へ衣服を作り上げていることである。そして、それこそが、サンローランの「時を超えるスタイル」なのではないだろうか。当時のサンローランが、フランスがこれまで歴史的に構築してきた領土性や、それを条件とした文化の上に自身が立っていることにどれ程自覚的であったかは分からない。だが少なくとも、オートクチュールに没入するようなサンローランの一見極端な双極的身振りは、深い歴史意識があって初めて可能となる静謐なスタイル(態度)であるのは間違いないのだ。
この展覧会の中でサンローランの作り上げた「時を超えるスタイル」を見ることが叶うのは一体誰なのだろうか。少なくともそれを“見る”ためには、私たち自身の中に歴史意識が自覚される必要があり、その意味でサンローランの衣服は今もなお未来へと開かれ続け、私たちに“時を超える=歴史意識に貫かれる”精神の在りかを問いかけ続けるのだろう。
彫刻家/文筆家
1986年生まれ。文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始。彫刻が持つ複雑な歴史と批評性を現代的な観点から問い直し、物質と時間の関りを探る作品を手がける。2019年から、彫刻とテキストの関係性を扱った「彫刻書記展」や、ファッションとアートを並置させた「the attitude of post-indaustrial garments」など、展覧会のキュレーションも手掛けている。
(企画・編集:古堅明日香)
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