近代文学を語る上で欠かすことのできない天才詩人 中原中也(木戸大聖)と、稀代の文芸評論家 小林秀雄(岡田将生)。友人同士だったその2人と同時期に恋愛関係にあった、“奇妙な三角関係”の中心人物 長谷川泰子。役者の卵として彼らに出会う泰子は決して“聖母”ではない。「掴みどころがなく、不安定で脆い、生々しい人間」、広瀬が演じたのは、そんな人物だった。初挑戦となる難解な役だが、だからこそ、即答で出演を決めた。
「ふと飛んでいってしまいそうな、不安定さと危うさ、脆さがすごく魅力的だと思いました。でもそれって“作る”ものでもないような気がするので、『大胆に』ということだけは忘れず、『遠慮しない』とだけ心に留めて演じました。“作らない”といっても、泰子みたいな人は正直、周りを翻弄するタイプだと思うので、全く共感はできません。でも、“理解できない”わけではなくて」
「台本にも自然と口に出したくなるようなセリフが多かったので、セリフを喋っているうちにどんどん“その気になってくる”というか。役の言葉を借りているうちに役と共有できるものが増えていくんです。泰子は、なんというか『女性だな』という印象。でもその“女性感“がすごく面白かったですし、演じていて気持ちが良い部分もあれば、ジリジリふつふつと燃えている感覚も同時にずっとあって、新鮮でした」
俳優業の傍ら、泰子も時折詩作をしていた。そして誰よりもその才能を買っていたのは中也だった。文学の世界において、自分にも他人にも厳しかった中也だが、別離後に泰子に送った手紙の中でも「詩人の素質を立派にもつあんた」と泰子を表現している。
「泰子が持っていたのは才能なのか、または“存在”なのか。才能はもしかしたら何もないような気もする。なんだかとても空っぽに感じる瞬間というか、何かがありそうだと思って蓋を開けると『あれ?』と思うようなことがすごく多かった気がします。でもなぜか(だってちょっと変だから)存在自体を目で追ってしまう。そのバランス感が他人の興味をくすぐる『存在』なのかも知れません。吸い込まれるように近づいてしまう危うさが、色気に変化しているような」
また別の手紙で中也は『自分自身でおありなさい。弱気のために喋舌(しゃべ)つたり動いたりすることを断じてやめなさい。断じてやめようと願ひなさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。すればそのうちきつと何か自分のアプリオリといふか何かが働きだして、歌ふことが出来ます』という言葉を泰子に贈っている。
広瀬は14歳で芸能界の道に進み、芸歴は10年以上。現在26歳、広瀬にとって中也の言う「自分自身である」とはどういうことなのだろうか。
「世間で思われているイメージと自分のギャップみたいなものに対して、すごく不器用にモヤモヤしていた時がありました。でも、どんなに考えても、無理して頑張ってみても、変われないものなんだろうなと思って。“諦め”の境地に入ったら、すごくいい意味で何も気にならなくなりました。もう『目の前にいる人たちさえわかってくれたら良くないか』と。誰にどう思われていようが、自分が真面目に素直に生きてさえいたら、きっと伝わるだろうし」
「『気にしたってしょうがない!』と自分に言い聞かせながら、内心結局モヤモヤすることもありました。なのでもう“『気にしない』とすら思わない”みたいな境地です(笑)。ある意味楽をすることを覚えたら、頑張りすぎないとか、ちょっと力を抜くとか、自分なりにバランスがやっと取れるようになって。はじめて心から『肩の荷が下りた、軽くなった!』と思えたんです。そこからはもう全然気にしていないですね。次第に性格もオープンになっていって、自分の役への解釈を監督へ伝えることなど、これまでは周りの目を気にして恥ずかしがっていたような意見出しも、少しずつできるようになっていきました」
ラストシーンの泰子は、ボリュームのあるファーを肩に掛け、さながらパワーショルダーのようなシルエットの喪服姿を見せる。これは作中でも特に印象的に描かれる「服」だ。
「家で1人で泣いた後、あんなに派手な喪服を着て会いに来るんだから、本当にとんでもない人。でも自分の肩を強く見せないと折れてしまいそうな弱さがちゃんとある人だから、少しでも自分を大きく見せていたのかも知れません。図々しくて、弱さと自分の感情を隠している」
広瀬自身の「弱さ」と「弱さを隠すこと」についても聞いてみた。
「結構“強い“と思われやすいタイプなので、もう弱みを見せるのも恥ずかしくなってきちゃって。さらに我慢強いから、弱い部分を見せるのは避けがちです。図星なことを言われたりすると、結構食らっちゃう時もありますが。でも弱い瞬間って誰しもあるだろうし、それを弱さだと捉えるかどうかも人それぞれだからこそ、隠そうとか、見せようとか、そういうものでもないんだろうなと。自然に向き合っています」
中也の妻 孝子が「陰で中也を支えた」と称されるのと対照的に、目を離せない“危うい閃光”のように中也や小林の心を突き動かした泰子。時代の寵児であった中也と小林を中心にした見方ではしばしば「悪女」扱いを受ける泰子のことも、同作は「1人の青春物語の主人公」として、ある種の清々しさをもって描く。
「悲しくても、時間が止まっているのは違う、という解釈で中也の死に対峙しています。そういう姿勢でいられたのは、泰子自身がちゃんと真面目にまっすぐ生きている心地がしたからなのかも知れないし、お芝居をしている瞬間や男性に頼らずに暮らせている瞬間に生きているって感覚があったからなのかも知れません」
タイトルの「ゆきてかへらぬ」は、中也の遺作となった詩集『在りし日の歌』に収録された詩の題でもある。人生は後戻りができない。この「ゆきてかへらぬ」という言葉に、広瀬はどんなイメージを持っているのか。
「泰子は結局中也でも小林でもない方と結婚しますが、多分中也の奥さんよりも自分の方が彼のことを理解していると思っているだろうし、一緒に居なくても、運命共同体みたいな2人だったと思う。だから、絶対に死んじゃったら意味ないけど、でも少しだけどこか楽になったかもしれません。他に替えるものがない2人だったからこそ、時が戻らないからこそ、その先に“続き”があるような気もしますけどね」
「ふと飛んでいってしまいそうな、不安定さと危うさ、脆さがすごく魅力的だと思いました。でもそれって“作る”ものでもないような気がするので、『大胆に』ということだけは忘れず、『遠慮しない』とだけ心に留めて演じました。“作らない”といっても、泰子みたいな人は正直、周りを翻弄するタイプだと思うので、全く共感はできません。でも、“理解できない”わけではなくて」
「台本にも自然と口に出したくなるようなセリフが多かったので、セリフを喋っているうちにどんどん“その気になってくる”というか。役の言葉を借りているうちに役と共有できるものが増えていくんです。泰子は、なんというか『女性だな』という印象。でもその“女性感“がすごく面白かったですし、演じていて気持ちが良い部分もあれば、ジリジリふつふつと燃えている感覚も同時にずっとあって、新鮮でした」
俳優業の傍ら、泰子も時折詩作をしていた。そして誰よりもその才能を買っていたのは中也だった。文学の世界において、自分にも他人にも厳しかった中也だが、別離後に泰子に送った手紙の中でも「詩人の素質を立派にもつあんた」と泰子を表現している。
「泰子が持っていたのは才能なのか、または“存在”なのか。才能はもしかしたら何もないような気もする。なんだかとても空っぽに感じる瞬間というか、何かがありそうだと思って蓋を開けると『あれ?』と思うようなことがすごく多かった気がします。でもなぜか(だってちょっと変だから)存在自体を目で追ってしまう。そのバランス感が他人の興味をくすぐる『存在』なのかも知れません。吸い込まれるように近づいてしまう危うさが、色気に変化しているような」
また別の手紙で中也は『自分自身でおありなさい。弱気のために喋舌(しゃべ)つたり動いたりすることを断じてやめなさい。断じてやめようと願ひなさい。そしてそれをほんの一時間でもつづけて御覧なさい。すればそのうちきつと何か自分のアプリオリといふか何かが働きだして、歌ふことが出来ます』という言葉を泰子に贈っている。
広瀬は14歳で芸能界の道に進み、芸歴は10年以上。現在26歳、広瀬にとって中也の言う「自分自身である」とはどういうことなのだろうか。
「世間で思われているイメージと自分のギャップみたいなものに対して、すごく不器用にモヤモヤしていた時がありました。でも、どんなに考えても、無理して頑張ってみても、変われないものなんだろうなと思って。“諦め”の境地に入ったら、すごくいい意味で何も気にならなくなりました。もう『目の前にいる人たちさえわかってくれたら良くないか』と。誰にどう思われていようが、自分が真面目に素直に生きてさえいたら、きっと伝わるだろうし」
「『気にしたってしょうがない!』と自分に言い聞かせながら、内心結局モヤモヤすることもありました。なのでもう“『気にしない』とすら思わない”みたいな境地です(笑)。ある意味楽をすることを覚えたら、頑張りすぎないとか、ちょっと力を抜くとか、自分なりにバランスがやっと取れるようになって。はじめて心から『肩の荷が下りた、軽くなった!』と思えたんです。そこからはもう全然気にしていないですね。次第に性格もオープンになっていって、自分の役への解釈を監督へ伝えることなど、これまでは周りの目を気にして恥ずかしがっていたような意見出しも、少しずつできるようになっていきました」
ラストシーンの泰子は、ボリュームのあるファーを肩に掛け、さながらパワーショルダーのようなシルエットの喪服姿を見せる。これは作中でも特に印象的に描かれる「服」だ。
「家で1人で泣いた後、あんなに派手な喪服を着て会いに来るんだから、本当にとんでもない人。でも自分の肩を強く見せないと折れてしまいそうな弱さがちゃんとある人だから、少しでも自分を大きく見せていたのかも知れません。図々しくて、弱さと自分の感情を隠している」
広瀬自身の「弱さ」と「弱さを隠すこと」についても聞いてみた。
「結構“強い“と思われやすいタイプなので、もう弱みを見せるのも恥ずかしくなってきちゃって。さらに我慢強いから、弱い部分を見せるのは避けがちです。図星なことを言われたりすると、結構食らっちゃう時もありますが。でも弱い瞬間って誰しもあるだろうし、それを弱さだと捉えるかどうかも人それぞれだからこそ、隠そうとか、見せようとか、そういうものでもないんだろうなと。自然に向き合っています」
中也の妻 孝子が「陰で中也を支えた」と称されるのと対照的に、目を離せない“危うい閃光”のように中也や小林の心を突き動かした泰子。時代の寵児であった中也と小林を中心にした見方ではしばしば「悪女」扱いを受ける泰子のことも、同作は「1人の青春物語の主人公」として、ある種の清々しさをもって描く。
「悲しくても、時間が止まっているのは違う、という解釈で中也の死に対峙しています。そういう姿勢でいられたのは、泰子自身がちゃんと真面目にまっすぐ生きている心地がしたからなのかも知れないし、お芝居をしている瞬間や男性に頼らずに暮らせている瞬間に生きているって感覚があったからなのかも知れません」
タイトルの「ゆきてかへらぬ」は、中也の遺作となった詩集『在りし日の歌』に収録された詩の題でもある。人生は後戻りができない。この「ゆきてかへらぬ」という言葉に、広瀬はどんなイメージを持っているのか。
「泰子は結局中也でも小林でもない方と結婚しますが、多分中也の奥さんよりも自分の方が彼のことを理解していると思っているだろうし、一緒に居なくても、運命共同体みたいな2人だったと思う。だから、絶対に死んじゃったら意味ないけど、でも少しだけどこか楽になったかもしれません。他に替えるものがない2人だったからこそ、時が戻らないからこそ、その先に“続き”があるような気もしますけどね」