UNDERCOVERデザイナー 高橋盾
Image by: FASHIONSNAP
モードの本場パリで「異端児」と呼ばれるデザイナー高橋盾氏。1990年代の裏原ブームを先導した「UNDERCOVER(アンダーカバー)」は、東京で10年、パリで10年のコレクション発表を重ね、独自の地位を築いてきた。震災後の2年間はパリコレを休止していたが、2013年2月の最新コレクションで復帰し、さらに今年は2つの新ラインをスタートする予定だ。ユニクロやナイキとの協業を経てさらに服づくりの幅を広げる高橋氏に、パリコレに復帰した理由とより強いクリエイションを追求したという2013-14年秋冬コレクションのアプローチ、そして今の東京や若手デザイナーに対する考えを聞いた。
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「UNDERCOVER」の進化
―「UNDERCOVER」のスタートは手刷りのTシャツだったそうですね。
文化服装学院の在学中に始めたんですが、実はいつが最初だったのか僕もはっきりと分からないんです。1989年頃なので、もう23〜24年は経つんじゃないでしょうか。
―1994-95年秋冬に東京コレクションにデビューしてから約10年でパリへ。2003年春夏にパリコレクションに初参加してから10年が経ちます。
東京コレクションに参加して徐々にブランドが波に乗ってくるに連れて、海外からもより多くの人に見てもらい、評価を聞きたいと感じ始めました。特にパリが目標ではなかったし憧れだったわけじゃないんですが、モードの本場で自分のブランドを見てもらう時期だと感じて、パリコレに挑戦しました。
―コレクションを発表する上で、東京とパリの違いは?
パリで感じたのは、購買層が日本より上で、より高いクリエイションが求められるということでした。例えばデザイン性が高く強い印象を与えるものは国内では受け入れられにくく、逆にパリでは評価されたり。海外でどのように見せて買ってもらうかと考えるうちに、自分たちに足りなかった部分に気付きました。東京とパリの両方を経験していなかったら、今こうして続けていられたかどうかわかりませんね。
2年間のショー休止
ここ数年、コレクションの発表形式はシーズンごとの状況やテンションで決めてきました。約10年続けてきたパリの発表を休止したのは震災後のシーズンからです。自分に何ができるかを考えて、また新しいことを試そうという時期でした。初めてオンラインショーをやったり、サイトを立ち上げたり......。でも次第に日本人として本場で活躍することや、勇気を与えることができたらと思うようになって、またパリに戻る時期だと感じるようになりました。
―そして今シーズン、2年ぶりにパリでランウェイショーを開催した経緯は?
パリで活動を再開したのは先シーズンの2013年春夏コレクションからで、その時に発表した「ワンオフ・ピース(=1点物のコレクション)」のドレスは、自分らしいものを作れたという満足感がありました。次に考えたのは「もっと見せたい」ということ。それにはランウェイショーが最も適しているので、、またパリでショーをやろうと決めました。しばらくはまたこの方向でいきたいと考えています。
―一度離れたパリコレクションで同じようにショーを開くのは難しいのでは。
実際にショーをやっていないと展示会に来てくれるバイヤーやジャーナリストの数が減るので、発信力という点で、ショーが強いのはわかっていました。でもパリでショーを再開するにはスケジュールの問題とか、簡単ではなかったですね。ショーをやっても人が来るのかどうか、また来たとしてもどんな反応をするだろうかという不安もありました。
―再び東京でショーを開催するという選択肢はありますか?
東京のお客さんに見せたいという思いはあります。でも、現実的にパリと東京の両方でやることは予算面で難しさがありますし、東京のみの発表になるとブランドの方向性がずれてしまうので、今は難しいですね。
最新コレクションのテーマと服作りのプロセス
―2013-14年秋冬コレクション「Anatomicouture」のイメージは?
クチュール的な要素を内面から出していくこと。「洋服を脱いでいく」という最初のコンセプトに従って、精神的にもモチーフにも内面をさらけ出すということをイメージしました。内蔵や骨といったモチーフをデザインに落とし込んで、グロテスクやセクシーさの相反する要素として幼児性を含ませました。両極の要素の混ざりあいは「UNDERCOVER」の服の基本でもあります。
>>全ルック
「UNDERCOVER」2013-14年秋冬コレクション
「UNDERCOVERISM」2013-14年秋冬コレクション
―デザインや制作のプロセスについて教えてください。
アイデアをまとめる手描きのノートは毎シーズン作っていますが、デザインのアプローチは毎回違いますね。ある程度の全体のイメージが固まったら、基本は作業をしていく中でデザインを詰めていきます。ワンオフ・ピースは、1日1体くらいのペースで古着を解体して自分でピン打ちして再構築するという作業で、今回は9体を作りました。
―これまでもドールメイキングなど、即興で作り上げるクリエイションに力を入れていますね。
即興性は、自分独自のテイストになっているものだと思っています。頭で考えたり絵に描いたりするのを超えたデザインを生み出すことができる、自分なりの方法ですね。立体裁断やワンオフ・ピースは最近改めて力を入れていて、古着を再構築したものを量産のプロダクトに落とし込んだアイテムも制作しています。
―2年ぶりのショーの反響は?
思った以上に良かったと思います。改めて自分の立ち位置や、期待されている部分と自分のやりたいことの焦点が合っていたことを確認することができました。「UNDERCOVER」の発表はストレートなランウェイショーというよりもシアター的な要素があって、今後はそういう持ち味をもっと突き詰めて表現していけたら面白いと思っています。
―毎シーズン新しいクリエイションを生み出すモチベーションの源は。
モチベーションに関係なく、ファッション業界のサイクルと、自分のサイクルがリンクしているので、シーズンが訪れれば自然とそういう頭になるものです。ものを作っていく上では、もっと面白いものを作りたい、また違うものをやってみたいという欲は常にありますね。その欲が、新しいクリエイションを生み出しているんじゃないでしょうか。
セカンドラインと新体制
ーウィメンズの「SueUNDERCOVER(スーアンダーカバー)」とメンズの「JohnUNDERCOVER(ジョンアンダーカバー)」を立ち上げたきっかけは?
セカンドラインの構想は以前からあったんですが、ちょうどパリのコレクションに復帰しようと進めていく中で具体的な形になりました。クリエイションを追求していく一方で、ビジネス面を支える服作りも必要になってきます。これから自分がより強いクリエイションを見せていく上で必要な別ラインを立ち上げるには、ベストなタイミングだと考えました。
―ライン名の由来は?
「UNDERCOVER」の根底にある女性像と男性像のイメージです。基本にあるような女性像と男性像に名前をつけたら"Sue"と "John"になりました。
―「UNDERCOVER」とセカンドラインのデザインの違いは?
デザインは主に、僕と一緒に企画デザインをしているスタッフに任せています。「UNDERCOVER」が好きでこの会社に入ってくれて、一緒に仕事をしてきたスタッフが作るコレクションは、とても面白い。自分はその舵をとっていくという立場ですが、実際は企画からヴィジュアルの撮影までノータッチでした。僕自身、何ができるのか楽しみで、結果的に「UNDERCOVER」らしさがありながら新鮮なコレクションに仕上がったと思います。
―セカンドラインを立ち上げて、ビジネス的には新体制になっていくのではないでしょうか。
そうですね。ユニクロで取り組んだ「UU」のように、より多様な人たちに着てもらえるような服作りと、また一方で強くて唯一の服作り。この二本柱をバランスよく両立させていくことが、これからビジネスの重要な課題です。
>>「SueUNDERCOVER」と「JohnUNDERCOVER」詳細はこちら
高橋盾の多彩なデザイナー活動と今後
―東京のストリートファッションの原点が今のクリエイションに影響していますか?
ルーツを意識してクリエイションをしているわけではありませんし、それで評価をされるわけでもないと思います。ただ、そういう道を歩んできた自分なので、東京っぽさやストリートファッションの感覚が自然とクリエイションに反映されている部分はあるかもしれません。
―UNIQLOの「UU」やNIKEの「GYAKUSOU」が、キャリアに与えている影響は?
「UU」については、「UNIQLO」に対して自分がやらなければならないことを踏まえた上のデザインだったので、自分たちだけではなかなかやらないことに挑戦できて、それが勉強になりました。一方でNIKEは、自分自身がランナーで、その経験を反映させたランナーのための服なので、すごく理にかなってると思っています。それらが「UNDERCOVER」のブランド自体に与えている影響は特にないと思いますが、それぞれがとても面白い取り組みで、自分にとっては大きな経験になっています。
―20年以上続けてきた「UNDERCOVER」は、今どういう位置にいると思いますか?
2年ぶりにショーを始めて、今は「また新たなスタート」という気持ちです。パリでは、待っていてくれた人がたくさんいたということがすごく励みになりました。やるべきことと、やりたいことが合致してきていますが、まだまだこれから。「UNDERCOVER」にしかできないクリエイションをもっと強くして、ファッションの世界に根付かせたいと思っています。あと、自分のやりたいこととビジネスのバランスは常に課題ですね。
―当面の目標は?
あまり先のことは考えないんですよ(笑)。自分はパリでまた「異端児」と呼ばれて、でもそれは自分にとっては褒め言葉。そういう立場でやれているのはうれしい事で、異端な存在でありつづけたいと思っています。
今の裏原や東京の若手ブランドについて
―近年、1990年代の裏原ブームに乗った多くのストリートブランドが衰退してきています。
継続する動機と持続するパワー、そして経営のバランスをとれないと生き残るのは難しいんじゃないでしょうか。もちろん自分の進んできた道にも常に厳しさがあったんですが、そのバランスを意識しながら、第一線で自分のクリエイションが通用するかということを試してきたつもりです。僕は欲が多いので、現状に満足しなかったことが良かったのかも。潰れてしまったブランドは、ある程度売れた時に満足してしまって次のステップに行かなかったのかもしれません。苦しいときに耐えられるか、さらに成長する気持ちがあるか、すべてはそこだと思っています。
―今の東京のブランドに期待することは。
今シーズンは東京のショーをいくつか見に行きました。自分も東京をベースに活動しているので東京でやっていくことの良さもわかるんですが、一生懸命に取り組んでいれば欲が出てくるはず。海外に行くのも東京で挑戦し続けるのも手段だけど、欲が出たときに飛び出す場所や方向を視野に入れて欲しいですね。もっとそういう人が飛び出してきたら面白いし、レベルも上がっていくんじゃないかと思います。
―最後に、若手のデザイナーに対するエールを。
今は、やりたいことをやり続ければいいという時代ではないじゃないですか。好きだったらとことんやってほしいけれど、とことんやるには何をしたらいいのかということを考える必要はあると思います。僕はパリに行ってから10年くらいになるけど、勝負はこれからだと思っています。やるからには自分にしかできないものづくりを追求して、時には欲を出して自分をさらけ出すことも必要。お利口さんにはなってほしくないですね。
(聞き手・小湊千恵美)
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