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デザイナー 大野陽平が手掛けるブランド「ヨウヘイ オオノ(YOHEI OHNO)」は、2015年のデビューから今年で10周年を迎える。2016年には「TOKYO FASHION AWARD」受賞、2018年には若手デザイナーの登竜門「インターナショナル・ウールマーク・プライズ」のアジア代表に選出されたほか、東京ファッションウィークでも度々ショーを開催するなど、東京のファッションを担うブランドの一つとして着実な歩みを進めてきた。
「シェイプやフォルムの自由な考察とモダンな女性像の提案」をコンセプトに掲げ、「ファッションは探求や研究の対象」とする大野の服からは、独自の哲学とどこか理知的な佇まいが感じられる。しかし、10周年の節目に同氏の口からまず語られたのは、「ファッションに救ってもらった」という、意外にも“人間味あふれる”言葉だった。ブランドの過去から未来までが体現されているという10周年記念ポップアップの会場を舞台に、ブランドと大野自身の現在地を訊ねた。
■大野陽平
文化服装学院で洋服作りの基礎を学び、コンテストの賞で英ノッティンガム芸術大学に留学。帰国後、2014年に「ヨウヘイ オオノ(YOHEI OHNO)」を立ち上げる。 2015年秋冬シーズンにファーストコレクションを発表。2016年には第3回「TOKYO FASHION AWARD」を受賞、2018年には「インターナショナル・ウールマーク・プライズ」のアジア代表に選出された。
目次
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「ファッションに救ってもらった」
── まずは、ブランド設立10周年を迎えての率直な思いを教えてください。
渋谷PARCOでの10周年記念ポップアップ開催を期に、ブランドのアーカイヴを改めて見返して今思っているのは、「こんなに採算の取れなさそうなことをやっていて、10年間生き残れたのは幸運だな」ということです。自分に似合わないセリフかもしれないですが、「ファッションに救ってもらった」という思いがあります。
── 「ファッションに救ってもらった」とは?
どちらかといえば、僕にはこれまで「少しファッションから距離を置いて服を観察している」という自覚がありました。一方で自分の性格としては、例えるなら「毎朝起きるたびに信じている神様が違う」みたいに、その時々の気分に大きく左右される。周りからは「やりたいこととビジネスのバランスを取ってスマートにやっている」と思われることも多いのですが、実際はそんなこともなくて。すごく迷ったり反省したりするし、「もっと賢くやらなきゃ」「理にかなったことをやらなきゃ」と思うのに、次の日の朝起きたら「やっぱりこういうことがやりたい」と全く違うことを考えている。そういった自分の辻褄が合わないところに、「人格に問題があるんじゃないのか」とずっと苦しんできた部分がありました。
だけどファッションは、「今日正しいと思うことを思い切ってやりなさい」といつも言ってくれているような気がして。今振り返ってみると、ファッションのそういった部分に救われてきたと感じます。
── この10年で、大野さん自身の中でクリエイションに対する思いや価値観、向き合い方などはどのように変化してきましたか?
根本的には変わっていないですね。「“ファッション”や自分自身を俯瞰しながら、その時に熱量のあることをやりたい」という思いはずっと変わらないですが、より自分自身とブランドが近くなってきている感覚はあります。先程も言ったような、人間の合理的ではない矛盾した部分がブランドの中にも出てきていて、「こういうことを良しとする人なんだ」ということが周りの方たちに理解され、許容してもらえるようになったと感じています。
── 先程「毎朝起きるたびに信じる神様が違う」という言葉があった通り、考え方や価値観は日々変化していく部分もあると思います。今大野さんがものづくりやブランドをやっていく上で、特に大切にしていることはなんですか?
「今日の自分のエキサイト」ですね。昨日まで信じてきたことより、それを放棄してでも今日掴みたいものは掴む、ということを一番大切にしています。僕の場合、デザイン面では過去に自分がやってきたことをアップデートし続けているので、 どちらかといえば過去からの繋がりを考えている。でも、気持ちの変化が激しい自分がそれをずっと続けていられるのは、「このやり方もいつかやめ時が来るだろう」というくらいの気軽さがあるからかもしれません。
例えば、今まで執着していたものがなくなったからこそ、今回10周年を機に服ではない一点物の「ランプ」を作ってみようという気持ちになりました。「今が楽しければいい」ということではなく、「ちゃんと今のものを信じるけれど、明日は明日で正しいことを強く信じる」ということが大事なのかなと。
── 「信じるものが変化する」背景には、どのような理由やきっかけがあるのでしょうか?
きっかけや原因が分からないので、人格によるものでしょうかね。あとは、僕は愛知が地元なのですが、そこでは自分の居場所のなさを感じて「ここじゃない」と思ったものの、結局どこに行ってもしっくりこなくて、拠り所とするものがあまりない。そのことを長い間“空虚”のように思ってきたのですが、それはファッションにおいては肯定できることなんですよね。そういったこともあって、「変わって当たり前なんだから変わり続けよう」と今は考えています。
目指すは“ファッションブランド”の輪郭をぼかし、拡張すること
── これまで10年間ブランドを続けてきた中で、ご自身が感じている手応えと課題をそれぞれ教えてください。
正直自分の中では、「まだ何も成し遂げていない」と感じていて。今後の自分のテーマは、“ファッションブランド”というものの輪郭をぼかしつつ拡張すること。今回開催した10周年ポップアップの内容が体現している通り、これからはブランドビジネスやプロダクトの形式にこだわりすぎず、もっといろいろなことに挑戦していきたいと考えています。
例えば、今回制作・販売した一点物のライトのような、服ではないオブジェクトを作ることも自分の中ではしっくりきていて。日本には偉大な先人デザイナーたちが既にたくさんいる中で、「その恩恵を受けながらも別物になる」ということが、今の僕の課題であり目標かもしれません。
── 今回、服以外のオブジェクトの制作に初挑戦してみての所感は?
オブジェクト制作は「作ったことがないものを、自分の技術やリソースの中からどのようにして作るか」という経験だったのですが、なんだか初心に戻ったような感覚で、すごくハッとさせられました。
僕は2014年にブランドを立ち上げた時、ファッション業界で何の経験もない状態からのスタートでした。生地を買う場所や縫製を依頼する工場もよくわからないまま、「ファッションブランド」や「コレクション」というものがどうしたらできるのかを、自分で模索し構築していくような感じで。だから、今回は改めて原点に立ち返ったような気持ちになりました。
デビューコレクション(2015年秋冬)
Image by: YOHEI OHNO
デビューコレクション(2015年秋冬)
Image by: YOHEI OHNO
── 先程「今までの執着がなくなったから新しいことをやろうと思えた」という言葉がありました。大野さんの中では、以前よりも自由にクリエイションができるようになったということでしょうか?
最初の話に戻るのですが、僕はファッションは「辻褄が合わない部分や愚かな部分を肯定してくれるもの」だと思っていて。だからこそ、「こういうブランドです」「こういうコンセプトです」と明確にオーガナイズされたものよりも、もっと“人間臭さ”のあるファッションやものづくりになってきているような気がします。
── 歴代のコレクションを見ても、以前は大野さん自身とコレクションとの間に一定の距離があるような印象がありましたが、最近は比較的パーソナルな要素も取り入れていましたよね。
確かに、ショー形式で発表した直近2回のコレクションは、2024年春夏シーズンでは「幼少期から見た家族や故郷に対する印象と今の自分とのギャップ」、2024年秋冬シーズンは「ラグジュアリーな世界への憧れと実生活との距離」といったテーマで作りました。でも、それはあくまでいろいろな題材の中の一つとして自分のパーソナルなものを2本立てでやってみただけで、向き合うスタンスとしては、どちらかといえば俯瞰して編集しているような感覚だったと思います。
2024年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
2024年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
── 10年間の中で、特に気に入っている、思い入れのあるコレクションはありますか?
あまりないんですよね。だから、どれか一つを選ぶのは難しくて。ただ先程もお話しした、自分の幼少期から着想を得てテスラの車やラグビーボールをモチーフにした2024年の春夏コレクションでは、元々は個人的なものをあくまでフラットに扱おうと思って取り組んでいたのですが、やっていくうちに予想外に感情的になってしまったんです。そういった意味ですごく思い出に残っていますし、感慨深かったですね。
── 近年は自身のブランドだけでなく、映画の衣装制作や大阪・関西万博「住友館」のユニフォームデザインといったクライアントワークにも積極的に取り組んでいます。クリエイションをする上で、何か考え方や取り組み方に違いはありますか?
やはり、クライアントワークと自分のコレクションとでは全然違いますね。クライアントワークでは、先方が求めていることを丁寧に引き出しつつも、それにそのまま応えるのではなく、自分なりに少しサプライズを含めた発展性のある提案をする必要があると考えています。
そして、これはクライアントワークに限らずですが、僕は「ファッション」や「ファッションデザイン」というものがもう少し街や人々の間に広がっていくような、“ファッションの拡張性”を意識した提案ができたらいいなと思っていて。その点で、安部公房原作の映画「箱男」(監督:石井岳龍、2024年)の一部衣装のデザインを担当させてもらったことは、自分にとって大きな経験でした。
「箱男」で、僕は決してリアリティがあるわけではない独特なフォルムや素材を取り入れたナースの衣装と白衣を制作したのですが、いざ完成した映画を観たら、それが作品世界の中ですごく良い形で機能していたんです。その時、「映画の世界の中では、自分のデザインが“普通のもの”として馴染んで機能すること」「映画衣装というのは、ただリアリティのある服を作ることだけではないこと」を知ることができました。
── 今のお話に関連して、大野さんは「ファッションデザイン」の役割や可能性をどのようなものだと捉えていますか?
世間では「ファッションデザイン」というものがあまり理解されておらず、「ファッションって、アパレル業界の人たちがなんとなくノリで今っぽいことをやってるんでしょ」と捉えられがちな部分がありますよね。「ファッション」という言葉自体が、ネガティブなワードとして使われることもありますし。でも、僕はそうは思っていないんです。
ファッションとは、「言葉では説明できないけれど、今その時に自分たちが肌で感じている感覚」に真摯に向き合うことのように感じていて。デザインに関しても、僕は理路整然としたものはあまり好きではなくて、「こういうコンセプトでこういうものを作りました」と言われても、「それで?」と思ってしまう。「こう考えていたけど、結果的にこんなことをやってしまった」という方が、人間味を感じますよね。そんなふうに、論理の枠にはまり切れない人間だからこそ抱える矛盾や不条理に寄り添い肯定することが、ファッションデザインの強さだと思っています。
そして、ファッションは差し迫った“今”の肌の感覚でしかないからこそ、それほど未来的な提案はしないですよね。基本的には半年後や1年後の提案がメイン。実際にその時になってみないと自分がどう考えているかもわからないですし、だからこそ、“その時の正しさ”にきちんと向き合うことが大事だと思っています。
先人たちに恥じない、胸を張れるものづくりを
── 毎シーズンのコレクション制作の出発点やプロセスについて教えてください。
僕は毎回あまり大きなコンセプトは決めずに、これまでに積み上げてきたテクニックや、「前回はあれをやったから今回はこれをやってみよう」「今の気分的には明るい色がいい」といったその時のざっくりとした思いや感覚を取り入れながら、多面的なアプローチで作っていくことが多いですね。そして、毎回作っている最中はあまりよくわからないのですが、コレクションが完成する頃にはぼんやりと1つのステートメントができあがっています。
僕にとってはそういうやり方が一番自然でやりやすいのですが、ショー形式で発表する際にはある程度目線をしっかりさせる必要があるので、最初に大まかなテーマは決めるようにしています。
── 現在は一旦ショー形式での発表をお休みされています。「コレクションの発表形式としてショーが必ずしも正解ではない」という考え方もある中で、大野さんは「ファッションショー」というものをどのように捉えていますか?
僕は、元々ファッションショーをやるような、いわゆる“コレクションブランド”というものに憧れてそれを見続けてきたので、「ショー」は自分の中ではやはり“王道”です。なので基本的には、ローカルでインディーズなところでどれだけ騒いでいてもあまり意味がなく、ちゃんとランウェイのようなオーセンティックな場所で発表してこそ意味がある、と考えてきました。
でも、今の僕は「発表の形式や場所はそこまで関係がない」とも思っているので、ショーではない異なるアプローチもいろいろと採用しています。大切なのは、自分が憧れリスペクトしてきた先人たちに恥じない、堂々と胸を張って見せられるようなものをやることなのかなと。だから、クライアントワークも含め、どんな仕事でも「これぐらいやればいいでしょう」ではなく、「自分がやりました」と自信を持って言えるようなものを作りたいと思いながら取り組んでいます。ショー形式での発表も、またいつかやりたくなる時が来るかもしれませんが。
わかりやすくないからこそ、憧れる
── ちなみに、大野さんがリスペクトしてきた先人たちとは?
「バレンシアガ(BALENCIAGA)」時代のニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)や、イギリス人デザイナーのジャイルズ・ディーコン(Giles Deacon)*にはすごく影響を受けました。
*ジャイルズ・ディーコン:1962年イギリス生まれ。セントラル・セント・マーチンズ卒業後、「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」やトム・フォード期の「グッチ(GUCCI)」などのデザイナーを経て、2004年秋冬シーズンに自らの名前を冠したブランド「ジャイルズ(Giles)」で、ロンドン・ファッションウィークデビュー。2010年には「エマニュエル ウンガロ(Emanuel Ungaro)」のクリエイティブ・ディレクターに就任した。そのほか、2004年に英国ファッション評議会主催の「ザ・ファッション・アワード」で最優秀新人デザイナー賞、2006年に同アワード大賞の「デザイナー・オブ・ザ・イヤー」、2009年には仏「アンダム ファッション アワード」でグランプリを受賞するなど、国際的な評価を受けている。
── そういった先人デザイナーたちのどのようなところに惹かれ、影響を受けてきたのでしょうか?
高校生の時に、偶然手に取った雑誌にジャイルズ・ディーコンのインタビューが載っていたのですが、言っていることがわからなかったんです。でも、学校の先生たちが言うことよりも奥ゆかしいことだけは理解できたし、だからこそ憧れました。
今の時代は、みんなから共感を得ることや数字を取ることを目指して、なんでもわかりやすくしようとしすぎていると思います。でも受け手からすると、少し意味がわからないくらいの方が意外と興味を持ったり憧れたりする。例えば映画でも、表情を見れば登場人物が何を考えているのか察することができるのに、「なんでそこまで言葉にするの?」と思うことがあって。受け手を舐めてはいけないですよね。
── 「わかりやすさ」を求めすぎているというのは、我々メディアにとっても耳の痛い話です。
ファッションデザイナーに関しても、今はやはり「共感」の時代。ある人に「デザイナーはミステリアスではなく共感を集める人の方がいい」と言われたのですが、僕は自分が若かったら、たぶんそんな人には憧れていないと思うんです。先程話したニコラ・ジェスキエールは、アプローチが複雑すぎていまだにコレクションを見てもわからないし、「この人は何をやってるんだろう」と思う。でも、自分はそういう追いつけないような、“鉄人”みたいな人に憧れてしまいます。
そのほかにも憧れていたデザイナーはいるのですが、今はファッション業界の第一線にいない人も多くて。でもその方たちは、今は自分なりのそれぞれ違うやり方で創作活動を続けていたりもする。そういう意味では、ファッションデザイナーとしての在り方は、決して「業界の中でどんなポジショニングを取り続けるか」ということだけではなく、本来もっと広がりがあるはずだと思っています。
「ファッションブランドとして成功したい」とは思っていない
── 大野さん自身は、デザイナーとしてどのような存在になりたいですか?
僕は、ジャイルズと直接話したことがあるわけではないですが、遠く離れたアジアの人間が影響を受けて、彼の“魂”みたいなものをどこかで受け継いでいる気がします。「文化」というのは、物質的なものや技術的なものだけではなく、そういう形の無いものが見えないところで継承されていくことでもあるのではないかと思っています。
だから、僕自身もブランドをやっていく上で「誰かが見てくれているし、見られている」という思いを持っていて。僕は今38歳ですが、世の中ではリーダーシップを発揮していく世代。良くも悪くも後進の人たちに多少なりとも影響を与えているはずなので、その自覚や責任感をしっかりと持って、良い影響を与えられるようなことをやらなくてはと考えています。
── 次世代に良い影響を与えるためにやっていきたいこととは?
今、下の世代はSNSなどを上手に使ってビジネスをやっている人も多いと思うのですが、一方で「コレクションを作って、展示会をやって、商品を売る」という、従来のパッケージでブランドをやっていくことはどんどん難しくなってきています。だからこそ、「ファッションやファッションデザイナーというものの輪郭をぼかして拡張していく」という考え方を後進の人たちにも持っていてほしいし、別の方法や拡げ方を、自分が一つのサンプルとして示すことができたらいいですね。
はっきり言ってしまうと、僕はもう「ファッションブランドとして成功したい」とはあまり思っていないんです。パリコレに出ているような日本を代表するブランドは、既にたくさんありますし。だから、自分は自分で別の山を登って多様な仕事に挑戦しながら、“これまでにない意味のわからない存在”になれたらいいですね。今は自分のやっていることがよくわからない部分もあるのですが、やっていくうちに後から形になってくることもある。ルーティーンの中だけではない考え方や方法でやっていく必要があると考えています。
── 今回開催したポップアップもそれを体現する一つとのことですが、そのほかに今後具体的に考えている計画があれば教えてください。
実は今も、自分のコレクション制作と並行して外部の仕事もいくつかやっていて。例えば、ある企業のデザインチームに入ったり、別の企業のODMの仕事を少しお手伝いして、そこに自分なりのエッセンスを加えるようなこともしています。今は、そういったいろいろな種まきをしている時期。それが最終的に何になるのかはわからないのですが、これまでも多様なものを作ってきたからこそ、10周年イベントをやることになった時もなんとか形にすることができた。だから「見られているという自覚のもと、恥ずかしくないことをやっていく」という点さえ守っていればきっと大丈夫だし、「地道に木を植え続けたら森になる」のではないかと思っています。
あとは、今回オブジェクトの制作と販売をやってみて、次は第2弾として作品だけの展示会などをやってみてもいいかもしれないですね。一点物を全て自分で作るのは、なかなか骨が折れますが(笑)。
── 今からとても楽しみです。大野さんは、以前から「服というより“ウェアラブルなプロダクト”を作っている」とおっしゃっていましたよね。
今でも変わらず「洋服」と定義しきれないものを作っている意識です。「オーセンティックなものではないけれど、自分なりの方法でクオリティをちゃんと高めていこう」という考えで。だから、それが「自分がやれること」だったとも言えます。でも、今はある程度理解してもらえているという実感のもとでできるようになったので、その時正しいと思うことを臆せずにやるようにしています。よく「本当はこれをやりたい」と言いながら、何年経ってもやらない人っているじゃないですか。僕はそういうのが本当に嫌いで。「言うだけじゃなくてやればいいのに」と思うんですよね。
「やりたいことをやればいい」という話でいうと、ファッション業界ではどうしても“選ぶ側”であるバイヤーさんやお客さんの方が立場が上になって、「こういうものを作らなければいけない」とデザイナーが萎縮してしまっている部分がある気がしていて。でも僕は、主導権をデザイナーが握るべきだと思うんです。もちろん、お客さんにわかってもらうためにやらなければいけないことはありますが、マーケティングに寄りすぎてしまうと新しいものが生まれなくなってしまう。個人的には、「採算は取れないかもしれないけどやってしまった」というファッションが生まれた方が面白いなと思っていますし、今後もそうあり続けたいと考えています。
photography : Yoshinori Iwabuchi
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