デザイナーの山下陽光。撮影場所は「途中でやめる」のアトリエ兼自宅
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「途中でやめる」のデザイナー山下陽光の経歴はおもしろい。劇団員や借金取り、Tシャツのプリント工場勤務などを経て、2004年に自身のブランド「途中でやめる」を立ち上げ。翌年2005年には高円寺に古着屋「素人の乱」もオープンしている。全商品の0円販売や途中でやめるの展開アイテムが低価格であることから、山下がファッションとお金の関係性に関心があることが伺えるのではないだろうか。金と服の関係性を起点に、資本主義への違和感を表明する山下は、東日本大震災を機に拠点を東京から九州地方に移していたが、昨年の12月に再び上京。新大久保に新たに構えたアトリエ兼自宅で山下に話を聞いた。
山下陽光
1977年長崎県生まれ。文化服装学院を卒業後、劇団員や借金取り、Tシャツのプリント工場勤務などを経て2004年に「途中でやめる」をスタートさせる。翌2005年には高円寺で古着屋「素人の乱」をオープンさせるが東日本大震災を機に店舗を畳み、長崎県に移住。2021年12月に再度上京し活動を続けている。
公式インスタグラム/公式ツイッター
ー山下さんがファッションに興味を持ったきっかけは?
意外とベタなんですよ。セックス・ピストルズ(Sex Pistols)などのパンク音楽が好きだったけど、楽器は弾けないし、歌も音痴だし……と考えている中で「このボロボロの服なら俺でも作れるんじゃないか」と思ったことがきっかけです。あとは上京の口実として、東京の服飾専門学校に進学するというのは良いアイデアかな、と。
ーそして文化服装学院の夜間部服飾科へ進学。
進学したら進学したで、まったく学校に馴染めませんでした。当時は裏原系が全盛期で、みんなが同じ方向に向きすぎている雰囲気が心底嫌だった。裏原文化が醸し出す内輪感とか「著名な人のレコメンドアイテムを並んで買いました」というカルチャーが個人的に気に食わなかったこともあって、誰とも喋らずに心を閉ざしていましたし、毎日同じ服で学校に行って反抗を示していましたね。
ー劇団員や借金取りなどを経て、2004年に「途中でやめる」を立ち上げ。山下さんの経歴の中でもどうしても気になるのが「借金取り」という肩書です。
やっぱり気になりますよね(笑)。求人サイトには「ルート集金」って書いてあって。居酒屋の集金みたいなものだろうと応募をしたら、日掛金融の取り立てだったんですよね。飲食店への集金が多かったんですが「おしぼり機の下にあります」みたいなことを言われるんです。今はもちろん違法ですが、宝探しみたいな感じで楽しくはありました。
ー山下さんは、都内近郊のどこかにご自分が執筆した新聞や100円玉を隠してツイッターで発信していますよね。
たしかに、借金取りの記憶が宝探しのようで楽しかったから宝探しをやっている節はあるかも知れません(笑)。
ー「途中でやめる」というユニークなブランド名の由来は?
当時ブランド名をつけることすら本当は嫌だったんですよ。例えば「無印良品」だって海外に行ったら「MUJI」という名前で人に覚えられていて、かつ売上を伸ばしている。そういう状況を見た時に「どんなブランド名だろうと人はものを買うんだ」ということを突きつけられたんです。だったら名前をつけない方が、ブランドの枠のとらわれず自由に活動ができるし、その場に応じて勝手に名前を変えられることもないんじゃないかと考えていました。でも「名前がないブランドなんて無い」と友人に一蹴されて。「じゃあ、名前が少しでも知れ渡ってきたらその時点でブランド名を付けることを辞めます」という意味で、「途中でやめる」と命名しました。「途中でやめるという名前以外は俺が認めない」という意思表明でもあるのかもしれません。
ー近年、途中でやめるでは花瓶や素人の絵画と服のセット販売を行っていますよね。
そうですね。リサイクルショップで見つけてきた花瓶や顔も知らない人の絵画作品をモチーフにアイテムを製作して、セットで7000円〜1万円くらいの価格で販売しています。
ーどうして物と服をセットで売ろうと考えたんでしょうか?
服だけを見る人が少なくなってきたと感じたからですね。今までは身体と服のコーディネートしかやってこなかったけど、場所と服をコーディネートすればファッションをまだまだ延命できるんじゃないかな、と。
話は少し脱線するかも知れませんが、「途中でやめる」というブランドは服だけを取り扱っている店舗よりも、本屋やミュージアムショップで売れているんです。それは「わざわざ洋服屋さんで服を買う」という瞬間がもうみんな無くなってきているということなのかもしれない。それよりも、美術館で良いものを見た後になんとなく立ち寄ったミュージアムショップで3000円で売られているTシャツの方がパッと買いたくなるのかなと。そんな風に「売り方をほんの少しずらす」ということを意識してずっとやってきました。
ー「本屋やミュージアムショップで売れている」と言ってもTシャツで約2000円〜と手に取りやすい価格設定のものばかりを展開しています。採算は取れているんでしょうか?
服だけで生活できるようになったのはここ1、2年の話です。もちろん、その前から暮らしていけるだけの収入はあったけれど、借金もあったし、売れば売るほど値段を下げたりしていたのでまったく儲かっていませんでした。
ーどうしてコロナ禍で売上が伸びたんでしょうか?
コロナ禍で、マスクを2枚配るという政府の渾身のギャグがあったじゃないですか。あれを目の当たりにして「だったら、途中でやめるを買ってくれた方にマスクを無料でプレゼントします」みたいなツイートをしたらめちゃくちゃリツイートされて。結果的に売り上げが10倍近く上がったんです。善意のつもりだったけど、時流にのっちゃったなと思いましたね。結果的に、借金も返して、なんなら余裕さえ出てきました。あれだけ「お金、ふざけるな!」「なんでもタダに!」と活動していたけれど、生活に余裕が出てきたらすごい穏やかな性格になってしまったんですよね。だから今の自分は、昔の自分だったら「嫌だな」「なりたくないな」と思っていた人物になってしまったんじゃないかという危機感すらある。
学生の時に「みんなが同じ方向を向いているのが嫌だ」「裏原の"なかよしごっこ”が気に食わない」と思っていたけれど、最近になって著名な人が着用してくれることが増えてきて、その上で褒めてくれるんですよね。さすがにそれに対して「ムカつく」とは思えないし、正直めちゃくちゃ嬉しくて。でも「著名な方のレコメンドからブランドの認知度が上がっていく」というのはまさしく昔の自分が嫌悪感を頂いていた裏原の体系とそっくりで。
ー変化し続ける世の中や自身の価値観を素直に受け入れているんですね。
まずは素直に自分自身の変化を受け入れるしかないですからね。「好きなことを仕事に」とか言って変化を受け入れることを拒否したらおしまいだと思っています。それに、服だけを作って食べていける人たちは一握りだと知っているので「なんとなく続けていればうまくいくよ」という無責任なことはとてもじゃないけど言えない。
金持ち喧嘩せずじゃないですけど、お金を持っている人でお金を否定する人ってやっぱりあんまりいない。でもそれは言いたくはないけど仕方がないことなんですよね。おかしな例え話ですが、車に乗っていたら歩行者は邪魔だし、歩いていたら車は邪魔なわけで。じゃあその上で「お金のことをやんわりと否定しながら、搾取する側とされる側という縮図をどうやって軽減していくのか」ということは考えなきゃいけない。それをしなければただの強者になってしまうので。
ー具体的にはどのように搾取する側とされる側の縮図を軽減しようとしていますか?
ブランドを手伝ってくれているアルバイトの時給を1年間で500円上げました。いくら自分が「お金に振り回されるのは嫌だな」と思っていても儲かれば儲かるほどその感覚は麻痺するものだと思っているので、だったらブランドのために働いてくれている人や、身近な人にどんどん還元していくのが良いお金の使い方なんじゃないかなと思って。例えば、俺が5万円儲かって100万円から105万円の収益になるよりも、アルバイトの子が15万円から20万円の月給になることの方が同じ5万円でも後者の方がインパクトがありますよね。
なんだか逆説的だし皮肉なんですけど、今お話しているような「僕が思うお金の価値観」の話はお金がない時には気づけなかった。その上でやっぱり、ファッション業界のお金の仕組みは類を見ないくらい変だなと思いますけどね。
ー「ファッション業界のお金の仕組みは類を見ないくらい変」というのは?
例えば本で言うと、村上春樹の新刊でも俺が書いた新刊でもだいたい同じ値段で販売されていますよね。ラーメンも1杯1000円前後でだいたい同じ価格帯。つまり、世の中の大体の物は同じ値が付いている。でもファッションって価格が一緒じゃないことが許されていると思いませんか?「ユニクロ(UNIQLO)」がある著名なアーティストとコラボしたTシャツを1500円で売る一方で、「シュプリーム(Supreme)」がユニクロと同じアーティストとコラボして作ったほぼ同じようなデザインのTシャツを1万5000円で売ったとしても、文句を言う人ってあまりいない。それは、誰もやっていないことを他の誰かよりもちょっとだけ先にやっただけという「既得権」を持っている人たちが主導権を握って「高く売りたい」と考えていたからだと思うんですが、今は誰かのレコメンドや許可がなくてもメルカリなどのフリマアプリで自由な値段で好きに販売できるんですよね。ユニクロとシュプリームのたとえ話は、言うならば、回転寿司(1500円)と回らないお寿司屋さん(1万5000円)くらい値段の差があるけど、この10年で安くて品質が良いものを売る企業が増えたし、世の中の感覚も変わってきたんじゃないかな。
ーお金の話でいうと、山下さんは個展での売上をすべてSNS上で発信されていますよね。
妻からは怒られるし、周りの友人からも「辞めときなよ」と言われるんですけどね。売上を全てオープンにしているのは、自分が既得権を持っている1人だという自覚があるから。今、自分が服でご飯を食べられていること自体が奇跡だと思っているんです。ファッション業界は「有名な古着屋はどのようなルートで仕入れているのか」「有名なブランドがどのようにコストを抑えているのか」というようなことを隠すことが美徳とする風潮がありますが、それは既得権を持っている人たちがその権利を守り続けているだけですよね。これだけオープンソースになった時代で既得権を守り続けることは不可能だし、ブランドにとっても、ファッション業界のためにもならないんじゃないか、と。だったらせめて俺だけでも公開しようと思って公開し続けています。
ただ、やっぱり売上を公開する弊害もあって。「ファッションってこんなに楽に儲けることができるんだ」と勘違いをさせちゃう部分もあるんじゃないかなと。「あいつがやってんだったら自分もやってみよう」と感じてもらえるのは嬉しくもあるけど、どうして売れたのかというところまでを詳細には書けていないし、SNSの短い文章だけだと真意を読み取ることも難しいだろうし。
ーでは、売れた要因はどこにあったと分析されていますか?
例えば、先日神田のアートギャラリー手と花で行った「思いついたことをやる実験室」は2週間の会期中、全日程フルタイムで在廊し続けたんです。全日在廊していたアーティストは、手と花が9年運営してきた歴史の中でも2人目だそうです。作家が身近にいて、実際に話も聞けて、何なら一緒にお酒とか飲んで楽しく過ごせば、人はその日の記念品としてものを買ってくれるんですよね。
ーお金を稼ぐためだけだったら誰もやっていないことをやればいい、と。
当たり前だけど、だからこそ価値がある。自分が得意なものの中で、みんなが求めていることをやればいいんじゃないかな。それが俺の場合は服だった。ファッション業界も含め、表現の世界にいる人たちは「自分がやりたいこと"だけ"」をやるから大変なんだと思います。俺だって、自分がやりたいことだけをやっていたらただ都内近郊に新聞を隠しに行くだけの人になっちゃうし、それだけだと当然お金にはならないじゃないですか。でもファッションの人はそれをやりがちで「これって面白いでしょ」「自分の世界観を見てくれ」と思うものに真剣に取り組んでいる。それはそれで素敵だとは思うけど、おそらくそのクリエイションは「いいね」と言われて終わりで、お金になることは難しいのかなと思う。
ただたしかに「俺の世界観を見てくれ」というクリエイションが成り立っていた時代もありましたよね。でも今は、誰が何をやるのかをワクワクしながら待つ時代じゃなくなったんだと思います。在り方ややり方を変える時代にとっくに突入しているんだと思います。
ー一方で山下さんは「ファッションまだまだ夢ある!」とツイートされていました。その真意は?
服には「ファッションはオワコンなので明日から全員素っ裸です」とはならない強さがあるんですよね。既得権が無くなってきているものの、着なくなったわけじゃない。言ってしまえば「まだまだぼろい商売で、簡単に儲けられるぜ」と思う。幸か不幸か、スマートフォンやインターネットで全てがデジタル消費できるようになった時代で、その場で消費をしきることなく、「触りたい」「着たい」「欲しい」とも思うし、服が届くまでの「待つ」というドキドキは失われていないようにも感じるんですよね。
ー山下さんはお金と服の関係性を起点に、資本主義への違和感を表明するが全否定もせず、むしろ笑い飛ばしているかのような印象を受けました。
そうですね。あんまり服のことを考えていないっていうのはあるかも知れないです。昔はこういうことを言っても「負け惜しみ」としか思われていなかったんですけどね。
僕個人の意見ではありますが東日本大震災以降、日本が好転したことはなくて、全ての産業が泥船になり、様々なものが沈んでいくのを見ているような気分なんです。だから「今すぐ旧態依然とした在り方を辞めて、こっちに来い」と叫んでいるつもりなんですが、なかなか聞いてもらえない。じゃあどうやったら、耳を傾けてくれるかなと思ったら並走するしかないのかなと最近は考えています。「こいつのこういうところは信用できるな」「普段はだめだけどココの部分はしっかりしているから服を販売すれば売れるんだな」と思ってもらえるように僕自身がならなきゃいけない。ただ、おそらく自分だけが発信し続けてもそれは勝者の意見みたいになってしまって、人は聞く耳を持たないと思うんです。だから、耳を傾けて欲しい人たちの視界に入る範疇で僕自身がもがいて、あわよくば一緒に走り続けてくれるような人を増やしていきたい。動かない・動けない人を動かすのは真実や正しさではなくて、静かに困っていそうな人たちのところへ行ける身軽さと並走する体力なのかなと思っています。
(聞き手:古堅明日香)
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