Image by: SUNAOKUWAHARA
「売上は十数分の一になりましたが、豊かな気持ちと自分たちらしい良いバランスでできるようになりました」。そう語るのは、2024年でブランドデビューから30周年、エイ・ネット傘下から独立して今年で10周年を迎えるブランド「スナオクワハラ(SUNAOKUWAHARA)」のデザイナー 桑原直氏だ。ファッションビジネスという観点において、売上・出店拡大や海外進出、パリコレ参加などブランドの“拡大”ばかりに注目が集まる傾向がある中、デビューから20年を経て拡大路線から降りることを選び、“小さくも豊かで純度の高い歩み”を続けてきたという同氏の言葉は、興味深く新鮮に響く。そんな同氏に、独立後10年間の道のりと現在地を訊ねた。
「“数字のため”のものづくりは続けられない」だから選んだ独立の道
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デザイナーの桑原氏は、1989年に三宅デザイン事務所に入社。1994年に「I.S.」ブランドのチーフデザイナーとなり、「I.S. Sunao Kuwahara」として自身の名を冠しブランドデビューした。1996年にグループ会社 エイ・ネットに移籍し、2003年春夏コレクションからはブランド名を「スナオクワハラ(sunaokuwahara)」に変更。年2回のショー形式でのコレクション発表も続けていた。しかし、2015年春夏シーズンを以てブランド活動を休止し、エイ・ネットを退社。自身で新会社のSUNAOKUWAHARA DESIGNSを立ち上げ、2016年春夏シーズンからブランドロゴを大文字にした「スナオクワハラ(SUNAOKUWAHARA)」として再出発し、現在に至る。
独立後初のコレクション(2016年春夏)
Image by: SUNAOKUWAHARA
独立後初のコレクション(2016年春夏)
Image by: SUNAOKUWAHARA
エイ・ネット時代、スナオクワハラは代官山の路面店のほか、全国の百貨店やショッピングセンターなどに20〜30店舗を展開。ブランドの売上は年間数十億円規模で、本社と店舗合わせて100人以上のスタッフを有していたという。親会社の三宅デザイン事務所やエイ・ネットでは、「オーナーの三宅一生さんをはじめ、デザイン・企画チーム全員が、『デザインのオリジナリティ』や『ものづくりの姿勢』を何よりも大切にしていました」と桑原氏は語る。
しかし、リーマンショック後にマーケットがデフレ傾向となると、ファストファッションが台頭し“安価なもの”が求められる時代に突入。2011年春には価格を抑えたピンクタグのシリーズ「ピンクライン」の展開や、2012年春夏シーズンにはリーズナブルな価格帯のセカンドライン「クスクス(kuskus)」をスタートするなど、同ブランドも世の中の流れに合わせて対応していった。
「数十億円規模の売上を維持して売場を守るためには、商品コストや価格帯のバリエーションを含め、どうしても“数字のため”のものづくりもする必要がありました。でも、自分たちは当然、ただ売上を伸ばしたいというわけじゃない。僕自身も含め、チーム皆が現実と理想のギャップに苦しんでいたと思います。その中で、自分は現実や数字を追い求め続けるような仕事はできないという気持ちだったので、独立することを選びました」と桑原氏は当時を振り返る。退職時、三宅氏の厚意で退職金代わりにブランドの商標を会社から譲り受け、元の名前のままブランドを続けることができたという。
エイ・ネット時代とは“正反対”な独立後の在り方
独立し「SUNAOKUWAHARA」として再始動したとき、100人以上いたブランドスタッフはわずか3人に。以来現在まで、基本的にはデザイナーの桑原氏と、プレス担当者、三宅デザイン事務所時代から共にしてきたテキスタイルデザイナーの常時3人体制でブランドを運営している。
現在は、各メンバーが元の業務に加え、経理から営業、販売、物流、生産まで全てを分担しているが、パタンナーやショップスタッフをはじめ、エイ・ネット時代にブランドに在籍していたメンバーとの関係性も継続。「ポップアップなどのイベントがあれば一緒に販売をすることもありますし、営業面や生産面でわからないことがあれば、当時担当だった元同期に相談したりもしています」(プレス担当者)。独立から10年が経った今も、長年の仲間との繋がりを維持しながらブランドを続けている。
2021年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
2021年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
「当時は今と正反対のことをやっていた」と桑原氏が言葉にするほど、ブランドの運営方法やビジネスの在り方も大きく変化した。以前は全国の百貨店やショッピングセンターに数十店舗あったものの、独立後は0からのスタート。店舗もなく、限られた資金の中で現実的にどうブランドを運営し商品を売るかと考えたとき、選んだ方法は「展示会を開催して直接お客様を呼び、原則受注生産で在庫を持たずに運営する」というものだった。
「今でこそ先行予約や受注生産を行うブランドは多くありますが、10年前はほとんどありませんでした。SNSもまだ今ほど普及していなかった当時は、展示会に直接来ていただくことが、お客様との繋がりを作る一番良い方法だったんです」(プレス担当者)。
2022年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
2022年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
その後、元々エイ・ネット時代に店舗があり顧客も多かった松屋銀座から依頼を受け、自社の展示会に加えて同店のセレクトスペースでも受注会を開催。徐々に少量の在庫を持つようにしながら、全国でのポップアップ開催や自社オンラインストアの開設など、少しずつ販路を拡大していったという。現在も、基本的には在庫をほとんど持たない受注生産方式をベースにしながら、2018年にオープンした北青山の直営店や公式オンラインストア、ポップアップ、全国の一部セレクトショップなどで商品を展開している。
純度の高いものづくりで、セールや廃棄を0に
商品の型数は、以前は毎シーズン約300型作っていたところ、独立後は約50型と6分の1ほどに縮小。生産量の減少に伴い、生産背景は全て国内工場に切り替えた。売上は数十億円規模だった独立前と比べ、現在は数十分の一ほどに減少したという。桑原氏は「今は資金が限られていて数もたくさんは作れないからこそ、自分が本当にやりたいものやお客様に喜んでもらえるものを優先して作り、自然と余計なものを削ぎ落としていく形になりました。ですから、結果的にものづくりの純度が高まりましたし、より自分らしいバランスでできるようになったと感じています」と現状を肯定的に捉える。
質の良いものづくりにこだわり、純度を高めた現在のクリエイションは、長年の顧客からも支持を集めている。「昔からのお客様は、皆さんブランドとともに大人になっているので、『今のスナオクワハラのものづくりがすごく今の自分に合っている』と言ってくださって。なかには、『独立前の最後の頃のものづくりには、正直少し違和感を感じてしまっていたんです』とおっしゃる方も。そういった声を聞くと、ブランドが今の形になってよかったなと思います」(プレス担当者)。
2023年春夏コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
2023年春夏コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
さらに、受注生産方式を採用しコレクションの型数や生産量を削ぎ落としたことで、シーズン毎のセール販売や商品の廃棄を行わない方向にシフト。「独立前は倉庫に残った商品在庫を目にするのがとても心苦しく、一時期はそれらをリメイクして販売していたこともあったのですが、手間も時間もかかるので限界がありました」と、桑原氏は当時の葛藤について話す。
現在もシーズン毎のセールは実施していないが、最近では10年間少量ずつ蓄積されたアーカイヴアイテムを期間限定でプライスダウンし、北青山の直営店と自社オンラインショップで販売するといった取り組みもスタートした。「発売された当時は買いそびれたが欲しいと思っていた」「歴代のものを一度に見られる機会があるのは楽しい」など、顧客からも好評を得たという。
独立して初めて実感、デザイナーとしての根源的な喜び
運営体制や売上規模に加え、独立後最も大きく変化したことの一つは「顧客との関係性やコミュニケーションの在り方」だ。デザイナー業務のみに専念し、顧客との接点がほぼなかったエイ・ネット時代とは対照的に、独立後は展示会やイベントなどで桑原氏自らも店頭に立ち、顧客とダイレクトに接する機会が増加。今では互いに顔や名前のわかる顧客も複数いるという。
桑原氏は、「実際に目の前にお客様がいて、自分が作ったものを手に取って試着したり、嬉しそうにしている姿を見るというのは、独立して初めて経験したことでした。その喜びや大切さを、自分は長年“わかったつもり”でやっていたのだと自覚しましたし、決して安価ではない服を毎シーズン購入してくださるお客様のありがたさや、『その一人ひとりの上にブランドも自分たちも成り立っている』ということを改めて実感するようになりました」と言葉にする。
2024年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
2024年秋冬コレクション
Image by: SUNAOKUWAHARA
一般客である顧客にとっても、各シーズンのコレクションを一堂に見られる機会を得たりデザイナーと顔が見える距離感での交流を深めていくことで、高揚感や特別感が得られ、ブランドへの愛着がより強くなっている側面もあるようだ。
一方で、独立による一番の課題はやはり「資金面」だ。エイ・ネット時代と比べ、ものづくりに関して「やりたくないことをやらなくても良くなり、不満はなくなった」反面、資金的・量的な制約などから、以前とは違った意味で「やりたいことができない」側面もあるという。しかし、「制約があるからこそ生まれる新たな発想もある」と、桑原氏は現在の状況を前向きに受け止めている。例えば、以前は全てオリジナルで制作していた生地を、現在は既製の生地を組み合わせることによって新たな柄を生み出すなど、デザイン面でさまざまな試みを行っている。
「以前はお金の心配を一切せず、純粋にデザイナー業だけに専念してものづくりができたという意味で、デザイナーとしてはかなり恵まれた環境にいたと思います。でも今の方が、人と人との繋がりや気持ち的な豊かさを得られるようになったと感じていて。当時と今とでは売上やブランド規模は全く違いますが、どこに価値を置くかで何を良しとするかは変わってくるものだなと思っています」(桑原氏)。
そんな桑原氏が今デザイナーとして大切にしているのは、「日常的に自分をニュートラルな状態にし、身の回りにあるたくさんの“宝”を常に見出し感じ取れるような心持ちでいること」。独立してデザイナーの仕事だけに集中できる環境ではなくなったからこそ、毎シーズン“スナオクワハラらしくて新しいもの”を生み出すべく、より意識的に心がけているという。
設立から30年、目指すは“長く続けること”
ブランド設立から30年、独立から10年が経った今、桑原氏が目指すのは「顧客も含めたブランドに関わるすべての人々をより“豊か”にしながら、ブランドを長く続けていくこと」だという。「僕には、一生さんのところで20年間やってきた中でブランドについてきてくださった、“お客様”という何物にも変えられない財産があります。一方で長く続けている分、『スナオクワハラ』というブランド自体に新鮮味はない。世間やお客様から常に新しいものを求められる状況の中で長く続けていくことは難しいからこそ、続けることが何よりも大切だと考えています」(桑原氏)。
桑原氏は、“長く続けること”にまつわる三宅一生氏との印象的なエピソードを聞かせてくれた。
「一生さんは昔、『僕はフランスパンみたいなものを作りたい』と言っていたのですが、当時僕は『この人は何を言ってるんだろう』と思っていました。でも、先日車に乗って信号待ちをしていたら、年配の女性がプリーツの上下を着て、庭の花に水をやっているのが目に入った。その時に、『一生さんは、それくらい人の日常に身近にあって、なおかつ必要とされるものを作りたい』ということを言いたかったのだな、と腑に落ちたんです。
『プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケ(PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE)』は、決して最初から今のように売れていたわけではなく、営業サイドが事業をやめたいと言っても、一生さんは絶対やめさせなかった。それが結果的には何十年も続いて、あれだけ大きなものになっていますよね。もし会社のオーナーが一生さんではなく普通のビジネスマンだったら、とっくに消えていたであろうものがたくさんある。そういった意味でも、ブランドを長く続けることのすごさや大切さを改めて感じています」。
現在のスナオクワハラは、“拡大”を目指した売上目標や計画は設けず、基本的には前年をクリアすることをベースにブランドを運営している。ブレないものづくりと顧客との密で丁寧な関係性を維持してきたからこそ、コロナ禍でも大きな影響は受けずに済んだという。一方で、現在もポップアップやインスタグラムなどを通じて少しずつ増えてはいるものの、新規顧客の獲得は課題。今後も長くブランドを続けていくべく、新規層にもアプローチしていきたい考えだ。
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