南雲詩乃は、帽子のクチュールメゾンやブランドで経験を積み、2019年に自身の名前を冠した「シノナグモ(Shinonagumo)」を立ち上げた気鋭のハットデザイナーだ。ハットのデザインは、南雲が幼少期を過ごしたドイツで見た“ヨーロッパの自立した女性像”を反映しており、長いリボンを施したモノトーンを基調にしたハットなどが特徴的。クラシカルでありながら、日常使いできる洗練されたデザインに定評がある。
現在は伊勢丹新宿店のリ・スタイル(Restyle)やセレクトショップの「アーツ&サイエンス(ARTS&SCIENCE)」や「イエナ(IENA)」など国内30社を超える取り扱いがあり、雑誌の表紙に登場するなど、注目度が高まっている。
ADVERTISING
2022年春夏にはシノナグモをオートクチュールメゾンに切り替え、店頭で販売するプレタ・ポルテのラインを、ウィメンズは「エントワフェイン(ENTWURFEIN)」、メンズは「エントワフェイン オム(ENTWURFEIN HOMME)」へ名称を変更した。22-23年秋冬からは初めて服の展開も開始。新たな転機を迎えた南雲に、自身のルーツや今後の活動について話を聞いた。
南雲詩乃
幼少期をドイツで過ごす。 オートクチュールメゾン、ハットブランドでデザイナーを経験した後、 2019年にハットブランド「シノナグモ」をスタート。 22年春夏からシノナグモをクチュールラインにし、ウィメンズの 「エントワフェイン」とメンズの「エントワフェイン オム」をプレタポルテラインに分けた。
ヨーロッパで憧れを抱いた、自立した女性像
―ファッションに目覚めたきっかけは何でしたか?
幼い頃、3歳半~10歳まで両親の仕事の都合でドイツに住んでいて、近隣諸国のフランスやスイスに旅行で行くことがありました。そこで見た、都会的で洗練された女性たちに目を奪われて、憧れを抱くようになったのがファッションに目覚めたきっかけだったと思います。特にリボンのついた帽子を被っていた女性の、リボンが風になびいている風景が記憶に残っています。
―どのような幼少期を過ごされたのですか?
住んでいたドイツ西部のデュッセルドルフは、寒いので家の中で遊ぶことが多かったですね。お絵描きしたり、空想していたり、自分の時間を過ごしていたかなと思います。外遊びでは、子どもだけが入場できる公園があって、工作を楽しんだり、羊やヤギの世話をしたのを思い出します。母が言うには、幼稚園の頃から自分で服を選び、好みもはっきりしていて、大変だったみたいです(笑)。
―11歳で日本に帰国して、カルチャーショックのようなものはありましたか?
帰国した東京は、未来都市のように感じましたね。ジャニーズ系などのアイドルの曲が流行っていて、ドイツにはなかったカルチャーだなと(笑)。
―日本のファッションは、当時の南雲さんの目にどのように映りましたか?
ネガティブな言い方をすると、男性に媚びるようなファッションに見えました。ヨーロッパの自立したかっこいい女性像を見てきたので、流行りを追っていくスタイルは私がしたいことではないと感じましたね。
帽子職人からデザイナーへ
―帽子のデザインはどのように学んだのですか?
まず女子美術大学の短期大学部で服飾デザイン科に入りました。そこで「私にしか出せないスタイルは何だろう?」と考えたときに、幼少期のヨーロッパで見た帽子を被った女性の姿を思い出したんです。そうして女子美を卒業後に文化服装学院の帽子デザイン学科に進み、皇室の帽子などを手掛けられていた帽子デザイナーの市瀬廣夫さんのアトリエでインターンをさせていただいて。文化を卒業後はそのアトリエに就職し、先生のデザインを形にする、帽子職人としてのお仕事を2年ほどさせていただきました。
―まずは帽子職人としてのキャリアをスタートさせたんですね。
はい。その後は帽子ブランドへ転職し、約10年経験を積ませてもらいました。最初の3年は店頭でオーダーメイドの帽子を制作していたのですが、「自分でもデザインをしたい」という思いが芽生えてきて、デザイナー職の希望を出し、ウィメンズのハットデザイナーになりました。
―帽子ブランドで得たことで印象的なことは?
デザインチームと店頭スタッフの距離が近く、実際に店頭に行ってリアルな声を聞くことで売れる商品が作れるようになった感覚がありました。ウィメンズの帽子を作っていたんですが、男性のお客さまの購入も多いというのもい驚きでしたね。また資材の買い付けで、チェコやポルトガル、ポーランドなどに行くことも多く、オーストリア・ウィーンへはインターンとして3ヶ月ほど現地で技術を学ぶ機会にも恵まれました。
“今まで帽子を被っていなかった人が手に取る帽子”
―そうして経験を積んで、独立してご自身のブランドを立ち上げられたんですね。2019年秋冬のシノナグモのデビューコレクションではどのようなコンセプトを掲げていたんですか?
デザインをしていく中で、帽子だけでなく、服などもトータルブランディングしたいという思いが強くなっていきました。ずっと根本にあったのは幼少期に見た自立した大人の女性像です。またアンティークが好きなので、クラシカルなものを現代のデザインに落とし込んで、新しい風が吹くようなブランドにしたいと考えました。
―アイコンとなっている帽子はありますか?
看板になっているのは「アーミッシュ ハット(Amish Hat)」。アーミッシュ(北米に住むドイツ系移民のキリスト教集団)の男性の正装である帽子が着想源になっています。畳めるトラベラーキャップの「ジョゼ(Joset)」も人気がありますね。帽子には人の名前をつけるようにしていて、刻印入りの金具を取り付けているのも特徴です。
―素材はどのようなものを使用していますか?
フェルトは、デビューシーズンからオリジナルのポルトガル産のラビットファーフェルトを使用しています。レースはフランスのカレー地方で作られたのもの、ジャカードは日本の織物産地で織ってもらっています。
―反響は?
バイヤーさんたちから「今まで帽子を被ってこなかった人が手に取っている」「たくさんの人に似合う帽子だね」と言っていただけたり、デビューシーズンから取り扱ってくださっている伊勢丹新宿店のリ・スタイルでは、これまで帽子がなかなか売れにくかった中、「ファッション好きの人が購入されていく」という話を聞けたりしたのも嬉しかったです。またアーツ&サイエンスで接客を受けて、購入いただいたお客さまから「ブランドの世界観に共感しています」とインスタグラムでメッセージをいただけたことも感動的な出来事でした。
Image by: FASHIONSNAP
今後のシノナグモとエントワフェイン
―ブランド名をエントワフェインに変更する理由は?
最初に帽子のオートクチュールメゾンで働いていた経緯もあり、私もいつかオートクチュールに挑戦したいと思っていました。やるのであれば、自分の名前を冠して、私にしかできない表現を見せていきたい。そこで、店頭で販売するプレタ・ポルテのラインの名前を変更することにしました。ブランド名は、原点であるドイツ語の“設計図”や“デッサン”を意味する“Entwurf”をつけて、“The”のような冠詞の意味を持つ、“ein”をあえて、頭ではなく後ろに合わせています。そうすることで、これまでの経験や過去のことも大切にしていきたいという思いを込めました。
―今季から服の展開もスタート。
これまでもブランドの世界観を表現するため値段を付けずに参考商品は作ってきたのですが、今回は「スモーキング」をテーマに初めてプライスを付けて、ドレス、ガウン、ジレ、ポンチョ、ボトムスなど、ウィメンズ4型、メンズ2型の全6型を制作しました。たくさん生産するのではなく、クチュールとプレタの間くらいのものをお届けできたらなと考えています。
―今後オートクチュールメゾンとなるシノナグモは、どのように発表していくのですか?
オーダーメイドを受ていくほか、アーティスト活動として個展を開いていきたいと考えています。そちらは年1回くらいのペースで一般開放をして、どなたでもご覧いただけるような場にしたいですね。構想段階なので変わってしまうかもしれませんが(笑)、初回は2023年に発表できればと思っています。
ADVERTISING
RELATED ARTICLE
関連記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境