Image by: 松尾芳晴
新進気鋭のヘアスタイリストに迫る連載第7回。今回は代官山に一軒家サロンを構えるSAL松尾芳晴さんをピックアップ。美容室5社を渡り歩き、SALを立ち上げた松尾さんの美容キャリアのスタートは意外にも消去法。“どうしても美容師になりたいわけじゃなかった”ヘアスタイリストの松尾さんの人生に、使い捨てカメラで撮ってもらった画像とともに迫ります。
#7 松尾芳晴 まつおよしはる
Instagram
1988年11月25日生まれ。愛媛県松山市出身。資生堂美容技術専門学校後、都内5店舗を経て、2022年4月にSALを設立。まるでアート作品のようなセンスあるInstagramの投稿も話題。
【店舗プロフィール】
SAL サル
予約サイト
代官山にある一軒家を貸し切ったヘアサロン。感度の高いメンズヘアを得意とする。パーマ比率は80%以上。
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―今年の4月に共同代表の菅原さんと一緒にオープンしたSAL。1階はギャラリーのようになっていて一見、美容室とは思えませんね。
セット面は2階と3階にあり、1階はギャラリースペースになっています。普通、美容室って見た瞬間からバタバタしているじゃないですか。でも、こういうスペースが最初に目に入ることで忙しそうとは思わないし、ワクワクもする。ただ、美容室っぽくなくて「SALってここで合ってるよな?」と不安になられるんですけどね(笑)。
室内から見たサロンの入り口
―元々独立願望があったのでしょうか?
実は全くなかったんです。SALを立ち上げようと思ったのは、うーん、楽しく生きるためですかね。やっぱり自分が歳を重ねていく過程で、自分たちの責任の範囲で、自分たちが心から楽しめる空間を作りたかったんですよね。
―独立しようと思ったきっかけは?
前職では割と大きな組織にいたのですが、なかなかフィットできなかった部分がありました。人数が多い分、コミュニケーションが増え、どんどん複雑化していく状況についていけなくなる自分がいて…。僕は目の前のことに集中しがちなタイプだったので、情報が膨らみすぎた環境に対応しきれなくなったんですよね。
―現在のSALの人数体制は?
僕を入れて5人体制。共同代表の菅原とは、お互いに持っていない部分を補い合いながらやっているので伸び伸びできています。僕もきっと、真面目にコツコツ組織でやってきた経験があったら、大きな組織でも適応できたんでしょうけど、振り返れば誰かに教えてもらって覚えるのではなく、常に自分で考えて動いてきた美容人生だったので。SALにたどり着くまでに5社経験していますから。
―そもそも美容師になった経緯を教えてください。
とにかく勉強したくなかったんです(笑)。大学で4年間も机に向かうのは自分にとっては難しいことだと感じていたので、とりあえず人と関わる仕事がしたいという軸で将来を考えました。
結局、飲食かアパレルか美容師で迷ったとき、料理するビジョンはあんまり見えないし、アパレルはインセンティブがない。「美容師のほうがいいんじゃない?」と周りに勧められたこともあり、じゃあ美容師で、という感じでした。
―ある意味消去法的に美容師を選ばれたわけですね。
そうですね。そのまま東京の美容学校を卒業して1社目に就職をしたのですが、体育会系の社風が体に合わず1ヶ月で辞めてしまって。とりあえず食い扶持をつなぐためにバーで働いてみたりしていたのですが、結局「美容師をまだやりきってないし」とまた美容師に戻ることに。それで、2社目は逆に小さな個人店を選んだんですよね。
―小さな個人店だと縦社会のしがらみもなさそうですね。
縦社会のノリはなくなったのですが、その分主体性を重んじるお店で。これは完全に僕が未熟なせいなのですが、自分主体になったらなったで今度は自主練が嫌すぎて…(笑)。全く練習をせず、練習している風を装うようになりまして…(笑)。
―それはすごい(笑)。
先輩が来る時間に合わせて、床に落ちた髪の毛を引っ張り出してやっていた風を装うみたいな(笑)。その美容室は実践主義だったので、練習をしなくてもお客さんに入れたんですよね。そういうシステムのおかげもあってあまり練習の必要性を感じずに、お客さまと話す、くらいのモチベーションで美容師を続けていました。
漠然と「このままスタイリストになるんだろうな」くらいの気持ちでいたのですが、いざカリキュラムが終わってデビューをしたときにめちゃくちゃ困ったんですよね。お恥ずかしながらお客さまになりたいビジュアルを提示されてもどう切っていいかわからないんですよ。それで、切ってみるものの仕上がりは微妙に違う…。
―どうやって乗り越えていったのでしょうか?
まずは求めているビジュアルにならなかった理由を口で説明できるようにしました。説明できるということは、逆にどうすれば求めているビジュアルになるのかを理解できるということ。ならなかった理由を考えているうちに、“切る方法”も徐々にわかるようになっていったんです。当時から今でも変わらず来てくださるお客さまもいらっしゃり、本当にありがたい限りですよね。
―美容師を辞めようとは思わなかったのでしょうか?
他にやりたいことがなかったんです。美容師を辞めたときに違う何かに飛び込む勇気もなかった。そう思って続けていると、お給料を稼ぐために売上を上げなくちゃいけない。売上を上げるために技術力を上げなくちゃいけない。それと同時に接客的なところやデザインをどう提供していくかも考えなきゃいけない…。
お客さまに来ていただくためにはどうすればいいか?という点において、自分のできないところをどんどん潰していきました。トライ&エラーの繰り返しです。
シザーケース。ベルトループに引っ掛けるタイプなのでコンパクトに付けられお気に入り
―その後は?
その美容室に3年半ほど在籍した後、3社目、4社目を経て、2社目に出会った先輩と一緒に5社目のサロンではオープニングスタッフとして働きました。やっとこのあたりから数字的な結果が目に見えてきて、売上も徐々に上がっていったので役職もいただくことができて。
―トライ&エラーの成果が出てきたのですね。
お客さまに対する考え方も徐々に変わっていきましたね。4社目で業務委託形態として働いていた際、ひとり2000円と安めの価格設定でカットしていたのですが、お客さまにとっては金額関係なく「2000円でもやりたい髪型にしたい」と来店されていることに気づきました。金額の大小に関係ない。僕らは求めるデザインを提供していくべきなんだなと顧客に対する考え方も変わっていって。
5社目でオープニングスタッフとして携わらせていただく際は、自分のカット価格も当然アップしたのですが、そのときには「自分の価格設定」と「お客さまが求めてくるもの」をどうマッチさせていくかというのを、より一層考えるようになりましたね。
―いろいろ考えられて真面目に取り組まれているんですね。
いや、本当に真面目だったらアシスタント時代からサボらず真面目にやっていたと思います(笑)。ある意味、アシスタント時代に経験すべきことをいろんな店舗を渡り歩きながら経験していったというか。誰かに教わった経験がない分、どうにか自分で自分を成長させなきゃいけなかったわけです。
でも、自分ができていることとできていないことを常に考えながら、「もっとこうしたらよくなる」というトライ&エラーを飽きずにやってこられたから、今があるんじゃないかなと思っています。
―消去法的に選んだ美容師、今、仕事の面白みを感じられているのでしょうか?
美容師としての価値はといえば、ひとつが売上です。自分がもがいて変えた何かに対して売上が結果として返ってきます。作ったヘアデザインに対する評価も含め、美容師は結果が見える仕事。そういう意味では、とても面白いですね。
―最後に、これから美容師になる方、若手美容師の方に向けてメッセージをお願いします。
美容師という枠にとらわれなくてもいいとは思うのですが、美容師をするのだったらちゃんと美容師なりの結果を残して、「美容師」を名乗らないといけないと思います。美容師は他者から評価される仕事。やるんだったら評価されるまでやったほうがいいです。
あとはフレッシュな感覚を大事にしていってほしいですね。何か真新しいものに触れたときの感動をちゃんと自分の中に入れておいてほしい。「楽しい」と感じることは悪いことじゃないので。つまらないんだったら辞めてもいいけれど、判断が時期尚早な場合もあるのでちゃんとバランスは取るべきかなと思います。
(写真:松尾芳晴、企画・編集:福崎明子)
編集者、ライター
出版社2社を経て独立。書籍の企画・編集、ブックライティング、記事等のインタビューなど活動中。ペンギンが好き。「now&then」の聞き手、文を担当する。
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