人気美容師自身が撮影した写真と共に、半生をひも解く連載第20回。今回は、2022年春に「アクア(ACQUA)」の新形態としてオープンしたMaison ACQUA共同代表の平野里奈さんにフォーカス。新卒で都内有名店に入社し、デビュー2年で売上No.1に上り詰め、その後さらなるレベルアップを目指し新天地へ赴くも大きな挫折を経験。現在は旧知の仲の嶋山豪さんと共同代表を務める「メゾンアクア(Maison ACQUA)」で日々奮闘し人気を集めている。平野さんの“現在地”を探ります。
#20 平野里奈 ひらのりな
インスタグラム
千葉県出身。パリ美容専門学校卒業後、新卒でUn amiに入社。その後都内1社を経て、2022年にMaison ACQUAのオープニングメンバーとして参加。嶋山豪さんと共同代表を務めている。新規客のパーマ比率は驚異の90%。顧客の”本当の心情”を引き出すカウンセリングが丁寧だと評判。ヘアメイクとしても活躍中。
【店舗プロフィール】
Maison ACQUA メゾンアクア
東京・表参道にあるトレンドヘアサロン。2022年の春にACQUAの新形態としてオープン後、最先端のデザインを発信し続けている。メディア露出も多数。
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ー平野さんはパーマヘアへの熱い思いがあると伺っています。
パーマは「可愛い」を持続させられる点が魅力だと思っています。髪質にあったスタイリング剤と知識があれば、「毎日、可愛い」をお客さまが自分で作れる。数ヶ月に1度美容室に来て、可愛いをスイカ(Suica)みたいにチャージしていただいている感覚です。
ーInstagramにもパーマヘアをたくさんポストされていますよね。
でも、最近少し考え方が変わってきて。昔は「パーマはいいぞ!」とパーマ至上主義だったけれど、今はカットだけでも女性の魅力を引き出せることに気づきました。その人に合ったデザインにパーマが必要ならかけるし、もし必要ないと判断すれば、お客さまがパーマをかけたいと言ってきたとしてもお断りすることもあります。
ー今年の3月でMaison ACQUAは丸2年。現在の自身を客観的にどう見ていますか?
いい感じに足掻いているんじゃないですかね?現実的な課題と自分の夢のギャップが見えてきた部分もあったり、2社目で苦い経験をして、人を育てることや数字と向き合うことの重要さもリアルに体感してきたので。
ACQUAは30年続いてきた老舗の美容室。2社を渡り歩いてきた私から見ると、「残さなきゃいけない部分」と「変えたほうが良い部分」が交差するというか。良いものを残したいし、新しいものも取り入れたい。その変化を織り交ぜていくのは、難しくも、面白くもあると思っています。
ー1社目は有名店Un amiに入社されています。選んだ理由は?
この話をするには美容学生時代まで話を遡るのですが、当時失恋をしまして(笑)。そのときクラスの友達と一緒に、ユミちゃんという担任の先生が励ましてくれたんです。それに恩を感じて「学生からされて嬉しいことってある?」と彼女に聞いたら、「ワインディング※の全国大会に連れてってほしい」と言われて。そこから得意でもないのにワインディングを頑張って、ギリギリで全国大会に行ったんです。ユミちゃんはとても喜んでくれました。
就活中、このエピソードを第一志望の美容室で話したら、「そんなもの無駄だから、スタイルブックを作った方が良い」と突き放されてしまって。
※ワインディング:髪にパーマをかける際に、毛髪をロッドに巻いていく作業のこと
ー真っ向から否定されてしまったと。
でも、全貌を知ろうともせず否定されたことが「ここに入社したら、私どうなっちゃうんだろう」と考えるきっかけになったんです。それで、「私って、自分のためよりも誰かのための方が頑張れるのかも」ということに気づきました。自分のためだとすぐ諦めてしまうけれど、誰かのためならなぜか頑張れる。ワインディングの全国大会も、自分ではなくユミちゃんのためだったから。
「私ってそういうのを結構大事にしてたんだよなー」ということに気づくと同時に、第一志望だった美容室に入る自分が想像できなくなり、受けるのを辞退しました。
ーその後の就活は?
当時、本当にふらっと行った「Un ami」の説明会で聞いた森内さん(雅樹さん/Un ami代表)の言葉が心に刺さっちゃって。Un amiはフランス語で仲間や友達を意味する言葉。「人とのつながりを大切にしている」という話を聞いたのが決め手でした。私が大事にしている「誰かのためなら頑張れる」という気持ちも、人との縁があって初めて成り立つことなので。
あとは、単純に「ここならいられる」と思えたのも大きかった。入って満足するのではなく、きちんと修行をしないといけない。だから「修行できる環境」や「人間関係」が整っていないといけないと思ったんです。
ーデビューはいつ頃でしたか?
3年2ヶ月目でデビューしました。早くデビューしたくて、何人かの先輩よりか早くデビューさせていただいて。器用じゃないからとにかくやらなきゃと思ってたくさん練習しましたね。自分が「できる」と思ったことは1度もないのですが、「これをやればできるようになる!」といつも信じていました。
ーデビュー後は売上など順調でしたか?
当時はデビュー月でも100万円達成するようにとされる時代だったのですが、そのとき私には50人もフォロワーがいなくて…。SNSで集客には全く結びつけられなかったのですが、気合でなんとか達成しました(笑)。
ー現在フォロワーは1.7万人。どのように伸ばしていったのでしょう?
当時はショートボブが流行っていたのですが、同じ路線で勝負してもしょうがないなあと思い、逆張りを考えたんです。きっとショートボブに飽きるときが来るだろうって。飽きても急にロングにはできないだろうと見込んで、ショートボブのパーマを打ち出しました。そしたら、動画がたくさん保存され、いいねもどんどん増え、フォロワーもそこから少しずつ伸びていった感じですね。
ー入社から5年半。Un amiを辞め、2店舗目へ転職されます。その理由は?
今思うと、ただの夢見る夢子ちゃんだったんですよね(笑)。順調に売上を伸ばし、デビュー後2年ほどで会社で売上No. 1になったんですよ。目指していたというより「うわ、なれちゃった!」という感じで。
また、お笑い芸人 Aマッソの加納愛子さんをデビュー当時から担当させていただいていたのですが、そのご縁でテレビ収録にヘアメイクとして帯同させてもらえる機会も増えたタイミングでもあって。
ーヘアメイクの仕事にも興味はあったのでしょうか?
はい、有名店を志望した理由もいろんなお仕事がしたいと思ったからだったので。最初は「タダでいいので、ヘアメイクとして連れてってください!」と当たって砕けろ精神から始まって、今はお仕事として加納さんから依頼を受けています。ちなみにですが、ありがたいことに店が変わっても加納さんはずっと髪を切りに来てくださっているんです。そうやって、どんどん叶えたいと思っていたことが続々と実現していったタイミングに、2社目の話をもらったんです。
ー2社目の美容室どうでしたか?
入って2週間ほどで何となく違和感を感じてしまって。急いで作ったお店だったので、不信感が拭えない部分も多くあり、加えてお店の売上のほとんどを私が背負う状況になったりして、とにかく疲弊していきました。
ー辛い状況だったのですね。
当時のことはあまり覚えていないんです。でも、友達曰く「夢を語らなくなったね」と。本当に愚痴しか言ってなかったんですよ。愚痴って本当に人間の原動力を奪うんです。
そんなとき、(嶋山)豪にお店の状況などを相談したところ、Maison ACQUAへ共同代表として招いてくれる話を進めると言ってくれて。たまたま豪もやりたいことがあって、そこに私の状況も重なったんです。
ーすぐに辞める決断はできた?
それが、できなかったんです。まず脳裏に過ったのはお客さまに迷惑がかかってしまうということ。転職してきたばっかりだったし、何より私のお客さまって私の夢を聞いてくれる方が多かったから、それを裏切ってしまうのではないかと葛藤していました。ここで踏ん張ったほうがいいんじゃないか。まだ頑張れるんじゃないか。そんなことを考えて仕事を続けていたら、ある日倒れて病院に運ばれてしまいました。
倒れたとき、駆けつけた母に「心も体も元気じゃなかったら、人を幸せにはできない。だから、まずあんたが休みなさい」と言われたんです。それを聞いてハッとしました。私、お客さまを幸せにしたかったのに、何やってるんだろうって。そのときにやっと思えたんです。休もう、この店も辞めようって。
ー決断できたのですね。
人を幸せにするには、たぶん自分も幸せじゃないといけない、健康じゃないといけないと思いました。「辞められない」と思っていた私の背中を最後に強く押してくれたのは母でしたね。
ー美容師を目指したのは、お母さまの影響もありますか?
実は母も美容師なんです。小さいころから母の仕事ぶりを見ていて、あまりの大変さに「美容師にはなれない」と思っていて(笑)。でも高3で進路を決めるとき、「自分は何がやりたいんだろう?」と紙に書きながら考えたら、「あれ?もしかして私美容師になりたい…?」と気づいて。憧れから入るのではなく、覚悟が決まって進んだ感じですね。
ーお母さまにはなんと言われましたか?
「里奈にはできないよ」って言われました(笑)。でも、「できたとしても苦労するから、そこは覚悟を持った方が良いよ」とも。
ーこれまでしてきたご自身の選択についてはどう思いますか?
良い選択をしてきたと思います。辛さや痛みを知ることで人にも優しくできるから。でも、その経験ってみんながしなくてもいいかなとも思っています。きっと言葉を聞くだけで想像できるだろうし、「こういう経験もあるんだな」と思ってくれればいい。でも、私はやらないとわからない人間なので、嫌な思いもしてきて良かったなって。
ー10年後、どうなっていたいですか?
いろいろ持っている人でいたいですね。例えばもっと深い愛情とか、選択肢とか、技術とか、幸せとか。仕事でもなんでも自分が持っていると、人に配れると思うんです。
「ギブ&テイク」って言葉があるじゃないですか。私、あの言葉がすごく好きなんです。”テイク&ギブ”じゃなくて、ギブ&テイク。先に自分が与え(ギブ)ないともらえない(テイク)。きっと自分が配っていった先には、人とのつながりがご縁になってまた帰ってくる。そう信じて、これからも髪を通じて人を幸せにしていきたいです。
(写真:平野里奈、編集:山本真由香)
編集者、ライター
出版社2社を経て独立。書籍の企画・編集、ブックライティング、記事等のインタビューなど活動中。ペンギンが好き。「now&then」の聞き手、文を担当する。
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