Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
「ケイスケヨシダ」のショーが始まる数時間前に長畑宏明が気になるポストをしていた。
良し悪しや、個人的な好みは置いといて、指摘はごもっともであると思う。筆者はここでの「自分史」を「自分の個人的な経験や人生を起点にするエモい表現」と解釈したが、エモいだけが、クリエイションの始原であってはらないし、エモいことは猛烈に人の心を揺さぶってしまう。そして、今の社会には取り上げるべき困難や不安のトピックスに溢れていることも確かである。
しかし一方で、どうしても一足飛びで社会的風景に触れてしまうことは、かえって空虚なものになりかねないと思ってしまうのだ。自分以外の社会的なトピックスに向かい、それらに絶対的な説得力を持たせるのは他ならない自分史なのではないだろうか。自分を立脚点に、そこから遠ざかるからこそ生まれる強度のあるクリエイションは世の中に間違いなく存在している。
「ケイスケヨシダ」が立教大学の正門をショー会場に選んだと聞いた時、吉田が小学校から大学までの16年間をそのキャンパスで過ごしていたことを思い出し、正直「またそこに戻るのか」と思ってしまった。吉田にとってのグランドゼロを会場に指定し、自分の内面を抉り出したような“エモい”ショーが繰り広げられるのだろうと予想したのだ。何も悪いことではない。ただ、過去2シーズン、自分の個人史から始まったクリエイションを早めに手放すことで、新たな境地を迎えたように見えた吉田のクリエイションを、まだもう少しだけ見てみたいと思ってしまっただけだ。
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ただ、その予想はあっけないほど簡単に裏切られた。吉田は、2019年秋冬コレクションでも立教小学校の制服をモチーフにしているし、2021年秋冬コレクションでも「思春期」をテーマに自分の冴えない中学時代の佇まいをルックに投影している。今回のショーでもファーストルックはランドセルを片手に、大きな制服を着崩したモデルが歩いてきた。今までと違うのは、モデルがトボトボ歩いたりすることもなく、続くルックや演出においてもコンプレックスを煮出したような暗い様相を感じられなかったことだ。吉田が、これまでに、学生時代からのコンプレックスを作風にしてきたことを考えると、このカラッとした溌剌さはブランドが新たな境地に着実に向かっていることを感じさせる。
立教大学を会場に選んだこのショーを、吉田はいくでらもエモくすることができたはずだ。それをしなかった吉田に好感を持った。もし、33歳の吉田圭佑が自分史だけを切り出し、全てを出し切って母校でショーをやったのなら、それはもうほとんど回顧展のような様相になってしまったと思う。30歳いくばくで分かったように語るのはみっともないし、いま語り切ってしまうのは勿体無い。もう少し年齢を重ね、クサいくらいの総括や物語が堂に入るまではもう少しだけ取っておいておきたい。そういった吉田の意思を勝手に感じ取ったし、その考えに強く同意した。
話題をさらった前回のフィジカルショー、そして初めてパリでのルック撮影に挑んだ前シーズンのコレクションを見て、勝手ながら吉田を日本の生物学者に今西錦司に重ね合わせることが多くなった。彼は登山家・探検家としての肩書も持ち、生涯をかけて多くの山を完登した。今西は、なぜ山に登るのかという問いに「山に登るとその頂上からしか見えない景色があって、そこに次の山が見える。山に登らなければ、次の山は見えない」という金言を残した。効率的に一本道を歩む方法もあるが、寄り道をしながら曲線的に歩みを進めることでしか得られない風景もある、と今西は言う。
吉田はここ2シーズンを「大きな変化があった」とし、その状態を「輪ゴムを引っ張り続けているような緊張感を保ち続け、2024年春夏コレクションの撮影で、引っ張り続けていた輪ゴムの手を離すようだった」と例えた。「ある意味、自分から遠ざかれたことが大きな収穫だった」と吉田は続ける。
自分から始まったものを早い段階で手放した吉田は、端的に言えば「力みすぎない」術を会得し始めている。半年間懸命に取り組んだアイテムを早い段階で他者に委ねること。「力みすぎない」という芸当はなかなかに高度な技術で、不安も伴うものだと予測する。「力を抜く」と「力を入れない」では同じようで全く意味合いは変わる。一度、山頂に到達した人にとっては「力を抜く」ことになり得ることも、山頂を知らぬ人が行えばそれは、ただ力を入れていない「不足」を意味しかねない。吉田が早い段階で、自分史から手放すことができるのは、吉田がこの9年間で何度も何度も、自分史を掘り下げることで“山頂”を知っているからこそ許される芸当だ。
輪ゴムが張り詰めれば張り詰めるほど弛緩の勢いは強くなるように、自分史から始まったものから意図的に遠ざかったクリエイションには圧倒的な強度がある。それほどまでに大袈裟ではなく、エモいわけでもなく、急に社会的な風景を感じさせるわけでもなく、ただの自分史で終わらせるほど野暮じゃないクリエイション。自己と普遍の間で、自己から離れようとしていくからこそ、そのクリエイションは胸を打つ。吉田の所作をみながら、自分史を通さずに、社会の一員として社会的事象をなぞるだけでは、それこそただ表層をなぞるばかりでしらけてしまうと確信した。30代という年齢ならなおのことだ。人生を振り返るほど成熟しているわけでも、がむしゃらに自分に向き合うほど青臭くもいられない。ある種、最も社会と強固に繋がれる、何者にでもなり得る年齢。そんな30代だからこそ、自分を立脚点にすることで、社会との強烈な接続を可能にするのではないだろうか。
立教大学の敷地内には、小学校から大学までの校舎が一つの大きな箱庭に集約されている。人間の人生の中でも最も濃い時間の、始まりから終わりまでが1ヶ所に集中しているというのはなかなかに強烈なことだ。そんな特殊な磁場を持つ一貫校における卒業式ほど、別れと程遠いものもない。学年が変わろうとも通う学舎が変わるわけではなく、しかもクラスに集まる面々も卒業したとてそう大きく変わらないのだから。経験則も踏まえると、一貫校における卒業式は、どちらかといえば親や教員など、大人のための祝祭といったほうがしっくりくる。それを思えば、ショーに出てきた一輪のバラを持った女の子(卒業式では大抵一輪の花が渡される)は、不思議と大人の女性に見えてくる。改めてルックを見ると、卒業式を迎えた女の子というよりは淑女の雰囲気を醸し出しており、それは先生や母親が持つ、頼り甲斐のあるキリッとした顔つきと上品な佇まいだけが印象に残る。なので、彼女に声をかけるとするならば「卒業おめでとう」ではなく「3年間、お疲れ様でした」なのかもしれない。
そんな風に今回のショーで登場したモデルは、吉田が明確に打ち出した人間像ではなく、自分の記憶の中にある装いを追随するような印象を覚えた。ミッション系大学では見覚えのある牧師、ボーイスカウトの少年少女、授業参観に着てくれた母親、黒板の前に立つ先生など、学舎に通っていればいくらか見覚えのある人々がランウェイを歩く。話を聞けば、今回のモデルはルックに合わせてキャスティングされたそうで「今までで一番人間像がなかった」と吉田も認めた。
服そのものに目を向けてみる。学生時代からのコンプレックスを作風にしていた吉田が、コンプレックスではなく「学生時代に育まれたもの」に目線を向けていることがじんわりと伝わってくる。この学校で当たり前に過ごしてきた日々が、実は吉田の美意識を育んでくれていたことに気がついたのかもしれない。以前、吉田に「学校の指定カバンだった茶色いランドセルはとても味の出る革で、高学年になればなるほど、色味も落ち渋くなる。僕の周りではボロボロであればあるほど『カッコいい』とされていて、親に買い換えられないギリギリを攻めながら革のランドセルを育ていたんですよ」と、彼のファッションの原風景を教えてもらったことがある。ハンドルが取り付けられ、ショルダーベルトが取り払われたランドセルや、襟に収まっていないネクタイ、スカートの丈を短くするために折られたスカート、引きずるほどに長いベルトなどは、校則の中でなんとか自分のファッションを見出そうとし背伸びをしていたあの頃を思い返す。
中盤に登場した、手を後ろに拘束するように巻かれたマフラーは、校則の厳しい私立学校の生活か、はたまた「ファッションを真剣に学びたかったのに、親の反対を押しきれず大学に進学した」吉田の投影か。過去のコレクションの中でも多用されてきた紫色も、立教大学の正門を前にすると、立教のスクールカラーであることを思い出させ、吉田が無意識ながらも立教が掲げるエレガンスの象徴=紫の影響を受けていることを浮き彫りにする。細い身頃と太い袖によって形成される前傾姿勢のシルエットはオーバーサイズながらどこか脆弱で、校舎を歩く猫背の青年を描き出す。こう書き出してみると、このコレクションはショーの演出に頼らずとも、十分に場所とルックだけで説明にたりうる強度を持っている。
今回のランウェイは、長い一本道で吉田はそれを「人生のようだ」と思ったそうだ。人生ならば、何度も往復する必要がない、とフィジカルショーの定番であるフィナーレは行われなかった。代わりに、吉田が長い一本道を爆走した。今回のショーが立教大学で行われるとわかり、吉田が文学界に寄稿したコラムを読み直した。今から3年前に綴られたコラムは、最後、こう締めくくられている。
「ショーの最後、ランウェイに駆け出すと、いつも思わずお辞儀をしてしまう。ひょいっと手を挙げて挨拶ができるようになる日が僕にもいつか来るのだろうか」(「文學界」2021年8月号)。
この日行われたショーで、吉田はいつものように高速でお辞儀をし、手を合わせた後、右手をひょいっと挙げたのだった。記憶にある限り、吉田がひょいっと手を挙げたのはおそらく今回が始めてだ。そんなところにも、ケイスケヨシダが新たなフェーズに入りつつあることを感じさせるのだ。
ファッションの強みは、自分が思ったことや、やりたいことを既存のルールやゲーム、しがらみなど関係なしに表現できる軽やかさにあるところだと思っている。周りに目配せをして、態度を変える必要もない。そこが、ほかの芸術文化(特に昨今の現代アートシーン)には無い強みだ。父親の死の影からクリエイションを始めた「ソウシ オオツキ」、コントの中で日常を切り取った「コウタグシケン」、自分自身の違う側面を女性性で提示した「カナコサカイ」、ラグジュアリーの憧れとギャップを吐露した「ヨウヘイ オオノ」、歳を重ね忘れてしまいそうなことを忘れないようにもがく「ピリングス」。今シーズン、東京でショーを披露した多くのブランドが冒頭の指摘の通り“自分史から何かを見出そう”としている。その中で、自分史の半径1mで作るクリエイションか、吉田のようにできるだけ遠くを目指すようなクリエイションかは千差万別。ただ、デザイナーには、自分の中で納得する必然性がそこにありさえすれば、それだけで完結しうるほどの熱量とパワーを持つことが許されている。なぜなら、ファッションには「最終的に、着たくなるようなイケてるものであればいい」という視覚芸術と市場が近いから。最後の物差しが「かっこよくて、ダサくなくて、イけていればいい」というわかりやすさは、途中のプロセスをどこまでも大胆に、アクロバティックにさせてくれる。私はそのやりすぎなくらい飛躍した表現を見ることが、毎シーズン楽しみで仕方ないのだ。
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