以前から噂になっていたことが、ついに現実へ。2024年10月2日、「セリーヌ(CELINE)」は、アーティスティックおよびクリエイティブ、イメージディレクターを務めていたエディ・スリマン(Hedi Slimane)の退任を発表した。
スリマンの功績について詳細に述べる必要はないだろう。「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」から始まり、「ディオール オム(DIOR HOMME、現「ディオール」)、「サンローラン(SAINT LAURENT)」への復帰、そして「セリーヌ」と、自身がディレクションしてきたブランドはいずれもビッグヒット。ビジネスで結果を出すデザイナーとしては、まさに世界最高峰の人物だ。
とりわけ2度目のディレクター就任となった「サンローラン」では、グランジやロックといった音楽性をテーマにしたファッションが、「ディオール オム」時代よりも迫力を増した印象だった。
スリマンはブランドの業績を爆発的に成長させて評価を高める一方で、コレクションは賛否両論だった。理由は、どのブランドを手がけても「エディ・スリマン」になることにあった。ブランドを移籍したはずなのに、ランウェイを歩くモデルたちの装いに大きな変化は起きず、スキニーシルエットが主役のロックスタイルが披露される。伝統あるメゾンを自身のブランドのように手掛ける様子に、「自分のブランドをやるべきだ」という声も見られた。
スリマンを語る上で、「スタイルが変わらない」という特徴は避けて通れない。しかし、「セリーヌ」時代のコレクションは大別して3回の変化を起こしていたのだ。これはスリマンのディレクションでは珍しい事例である。エディは「セリーヌ」で、どのようにコレクション変化させてきたのか。今回はその変遷に触れていきたい。(文:AFFECTUS)
アイデンティティのスキニー&ロックスタイルに変化が、なぜ?
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体の細さを極端に主張するスキニーシルエットは、スリマンの代名詞だ。なぜ、彼はここまで細いシルエットにこだわるのだろうか。それは幼い頃の体験が影響していた。
かつてスリマンは海外メディアからのインタビューで、痩せていた自分の体にぴったりのジャケットを見つけることの難しさについて触れ、その悩みを解決してくれたのは、母親が作り直したジャケットだったと語った。
エディにとってスキニーシルエットは、痩身の体に似合う服に出会えなかった苦しみを母親が解決してくれたという、自身のアイデンティティに関わる重要なものだ。しかし、ストリートウェアのビッグシルエットが市場を席巻しても変えることのなかった大切なシルエットに、スリマンは「セリーヌ」2019-20年メンズウィンターコレクションで手を加えた。それが、スリマンに起きた第一の変化である。
パンツのシルエットに注目してほしい。「サンローラン」時代の第2の皮膚と思える細さのパンツと比べて、明らかにボリュームアップしている。シルエットの変化はパンツだけではなく、アウターにも現れた。
以前のスリマンならチェスターコートのショルダーはコンパクトに収まっていたはずだが、このコレクションではパワーショルダーが象徴だった1980年代を思い出させる肩幅の広さだ。
また変化はシルエットだけでなくスタイルにも現れていた。ここまで繰り返し述べてきたとおり、スリマンスタイルの中核はロックを軸にしたファッションにある。しかし、「セリーヌ」ではネクタイを巻いたスーツルック、チョークストライプや千鳥格子などシックな素材を用いたアイテムの比率が高まっていた。
ロックからシックへ。このシフトは次のシーズンで発表された2020年メンズサマーコレクションで、さらに顕著なものになる。ほんのりとしたフレアシルエットのブーツカットジーンズと、胸元を大胆に開けてシャツの襟をジャケットのラペルに上に重ねる着こなしはクラシックであり、ヒッピー的な要素も混じる。
ますますロック成分が薄まっていき、ジャケットのシルエットはオーバーサイズであることが明らかになってきた。
なぜスリマンは自分のアイデンティティとも言えるロック&スキニーを変化させたのだろうか。スタイルが変わらないという批判に対し、反論の意味も込めてスタイルを変化させたのか。いや、外野の声で自身のスタイルを変えるくらいなら、もっと早くから変化が起きていたはずだ。
ではファッションデザイナーとして、トレンドを取り入れてスタイルに時代感を盛り込むという意図だったのだろうか。当時はストリートブームが落ち着き、エレガンスへの移行が始まっていた時期でもある。その意味で、トレンドがスリマンに何かしらの影響を及ぼしたとも考えられる。
だが、当時はシルエットの観点から見ると、「ヴェトモン(VETEMENTS)」が発端のビッグシルエットにボリュームダウンが起こり始めた時期でもある。つまり、世の中はシルエットが徐々にスリム化していく中、スリマンは逆にボリュームをアップさせたということだ。しかも、自身のアイデンティティであるはずのスキニーシルエットを崩してまで。
いったいなぜなのか。スリマンの行動に謎が深まる。だが、この謎を紐解くヒントがスリマンもう一つの顔、フォトグラファーとしての活動にあった。
エディ・スリマンは「自分の好きな服だけを作っている」のではない
スリマンがフォトグラファーとしても活動していることは周知の事実だが、彼は撮影した写真を「HEDI SLIMANE DIARY」というウェブサイトで不定期に公開している。サイトを訪れると、アップされた日付とともに写真が公開されているが、サイトデザインは白い背景にモノクロ写真が縦に一列並ぶだけの非常に簡素なものだ。
サイトの日付で2018年7月から2019年4月までに公開された写真を振り返ってみよう。なぜその期間に絞ったかと言うと、先述の「セリーヌ」2019-20年メンズウィンターコレクションと2020年メンズサマーコレクションの製作期間にあたり、インスピレーションに影響があった時期ではないかと推測したからである。
期間内で写真が公開されていた月は2018年7月と9月のみだった。そこで、まず2018年7月に公開された写真を確認してみると、緩やかなサイズ感のシャツに身を包んだ若者、チョークストライプ柄のスーツを着て、シャツの襟をラペルの上に重ねる男性、ボウタイを首に巻くジャケットスタイルなど、スリマンの代名詞であるロック&スキニースタイルではなく、先述した「セリーヌ」の2つのコレクションに登場したルックを彷彿させる服装が写っていた。
2018年9月公開の写真では、音楽性あふれるファッションが写し出されているが、登場する若者たちの服装はいずれも緩やかなシルエットで、やはり「セリーヌ」同シーズンのルックを呼び起こす。
以上のことから推測したのは、エディ・スリマンというデザイナーは「自分が愛する服」を作っているのではなく、「自分が愛する若者が愛する服」を作っているのではないか、ということだ。
自分が愛する若者たちの生態を捉えて、服装を観察する。そして、若者たちが好む服装を把握したら、その服装の特徴をリュクスに昇華させる。それがスリマンのファッションデザインに思える。この手法を実感するコレクションが再び発表された。メンズの2021年スプリングコレクションである。
2020年7月、オンラインで発表された2021年メンズスプリングコレクションのタイトルは「THE DANCING KID」。登場したルックは「セリーヌ」でそれまで発表してきた、セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)をイメージさせるフレンチシックから程遠いものだ。スリマンは現代の若者たちが熱狂する「TikTok(ティックトック)」をテーマに、コレクションを製作した。これが、スリマンに起きた第二の変化である。
F1フランスグランプリの開催地でもあるポール・リカール・サーキット(Circuit Du Castellet)を歩くモデルたちのスタイルを一目見れば、変貌したことが瞬時にわかる。ルーズなシルエット、カジュアルな素材、色と柄のミックスと、「セリーヌ」で新境地を開拓したと思われたフレンチシックとは完全に一線を画す。
スリマンはティックトッカーたちのファッションに注目し、パワーアップさせた。デザインの手法は従来と変わらないが、デザインのベースとなる若者のファッションを変えたのだ。ボトムの主役もジーンズへ移行。チェック柄を使用したシックなトラウザーズとスタイリングしたのは黒いレザーシューズとテーラードジャケットではなく、無数の星が素材を飾り立てるカーディガンと純白のスニーカーだった。
スリマンといえば、黒・スキニー・ロックと言った具合にモデルが着用するスタイルに統一感がある。しかし、このコレクションは破綻的とも言えるほどに様々な要素がミックスされてカオスだった。
その象徴とも言えるのがヘルメットである。ストイックなまでにクールな装いを追求してきたスリマンにとって、ピンク色のヘルメットは異端のアイテムだ。ティックトッカーたちが見せるスタイルは、調和の取れたファッションでエレガンスを生み出すものではなく、「自分の好きな服はカテゴリーなど無視して、すべて着てしまえ」と言わんばかりに雑多的でパワフル。
2021年メンズスプリングコレクションが証明したのは、スリマンが決して自分の好きな服だけを作っているデザイナーではないということだ。スリマンにとって最も重要なのは現代の若者たち。今を暮らす若者たちのカルチャーを尊び、幸せを感じてもらう洋服を作り届ける。それが、スリマンが自らに課したミッションと言えるだろう。若者たちのためなら、スリマンは自身の美学すら捻じ曲げる。
若者たちに“未来”を示した2024年ウィンターコレクション
カジュアル志向のコレクションを発表したスリマンは、再びスタイルを徐々に変化させていく。移行したスタイルが完成したのが2024年ウィンターシーズンだ。メンズ、ウィメンズ共に、クラシックな方向に変貌した。これが「セリーヌ」のスリマンにとって最後となった第3の変化である。
2024年ウィンターコレクション「LA COLLECTION DE L'ARC DE TRIOMPHE」で展開したのは、クラシックへの回帰を宣言したウィメンズウェアだ。着想源となったのは「セリーヌ」の黄金期である1960年代。1950年代のクラシックと、1970年代のフォークロアに挟まれたこの時代は、「クレージュ(Courrèges)」や「パコ ラバンヌ(Paco Rabanne、現「ラバンヌ」)が活躍した未来志向の時代でもあった。
落ち着いたトーンの色使い、トラディショナルな素材を用いてクラシックを重視しているように思わせて、ワイドなフレームのサングラス、ミニレングスが主体となったルックは軽快でスポーティ。ブランド黄金期である1960年代を現代に甦らせるルックだ。
モデルの表情には、往年の映画スターとも似た自信と威厳が表れている。コレクションの終盤にはクチュールライクなドレスも登場。球体を形作るこのドレスもミニレングスで仕上げられ、1960年代を覆ったフューチャリスティックな空気にあふれている。
同シーズンに発表された2024年メンズウィンターコレクションもウィメンズ同様にクラシックが基盤になっているが、ウィメンズとの違いはより伝統に重きを置いたデザインに仕上がっている点だ。タイトルは「SYMPHONIE FANTASTIQUE」。
本コレクションは、スリマンが子どものころから好きだったというフランスの作曲家エクトル・ベルリオーズ(Hector Berlioz)が発表した「幻想交響曲(Symphonie Fantastique)」がテーマとなっている。荘厳な創作背景が物語るように、発表されたルックはいずれもテーラリングが主役となったクラシックな出来栄えである。
ルーズなシルエットやカジュアルな素材が一切登場しない厳格なスタイルは、スリマンが「セリーヌ」で発表してきたどのメンズコレクションよりも、クラシック成分が極めて高い。1990年代後半からのスリマンファンからすれば、「イヴ・サンローラン」時代を呼び起こすのではないだろうか。だが、シルエットは20年以上前のコレクションよりも細く、シャープなルックとして作られている。
スマートなフォルムのテーラリングは、ビッグシルエットに慣れ切ってしまった現代人に「もうそろそろ次の時代のファッションに移るべきではないか?」と問いかけるかのようで、モダンクラシックと呼びたいスタイルだ。
ウィメンズと同様に、クチュールライクな逸品も登場した。風に舞うテキスタイルは硬質なフォルムが美しく、ファッションの原点であるエレガンスが再現された。
2024年ウィンターコレクションは、近年のスリマンでは異質なコレクションと言えるだろう。デザインそのものは、「イヴ・サンローラン」や「ディオール オム」で発表されてきたジャケットスタイルを軸にしたもので、スリマンにとって特別珍しいものではないが、若者のカルチャーから着想された背景が明確ではないため、異質に感じられる。
スリマンが撮影した写真を収めた「HEDI SLIMANE DIARY」で、2023年と2024年に公開された写真を確認してみると、いずれもロック成分の高いファッションが写されている。チョークストライプのテーラードジャケットとパンツを着用した写真もあったが、着こなし自体はルーズで、2024年ウィンターコレクションの厳格さとはまったく異なっていた。
私の推測だが、「セリーヌ」ウィンターコレクションは、オーバーサイズのカジュアルウェアに慣れ切ってしまった現代の若者へのスリマンなりの提案なのではないだろうか。スニーカーとジーンズを脱いだら、今度はジャケットに袖を通し、黒いブーツを履こう。次の時代のファッションを若者に提示する、スリマンのプレゼンテーションが2024年ウィンターコレクションだったように思えるのだ。
エディ・スリマンの「凄さ」とは何か
3タイプのスタイルを取り上げ、「セリーヌ」で見せたスリマンの変化を追ってきた。彼は決して自分の好き嫌いのみで、コレクションを製作する独善的なデザイナーではない。そのことはディレクターを務めた各ブランドが、軒並み売上を爆発的に成長させたことが証明している。自分の好きを追いかけるだけのデザイナーが、20年以上に渡って売れ続けるほどファッションビジネスは甘くはない。
スリマンはターゲットが明確だ。自分の好きな若者たちがどんなカルチャーに熱中し、今どんな服を着て暮らしているのかを観察し、新しいコレクションを完成させる。市場をリサーチし、新商品を開発するマーケターのような視点がスリマンの真骨頂と言える。この原稿を書いている時点で、スリマンの今後については明らかになっていないが、どんなブランドのクリエイティブ・ディレクターを任されることになったとしても、スリマンは自身が愛する人々のためにコレクションを作り続けるだろう。
2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。
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