アンナ・チョイ
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「ヘンネ(HAENGNAE)」は、フリルを多様した複雑なディテールとダイナミックなシルエットでブランドコンセプトである「知性や勇気を持ちながら逞しく生きる"強きロマンチスト"のための服」を打ち出す。ブランドデビューシーズンにあたる2021年春夏コレクションからセレクトショップ「リステア(RESTIR)」がいち早く買い付け、現在デビューから3シーズン目を迎えたばかりにも関わらず「デルタ(DELTA)」「ルテンス(lutens)」「3-9-12 HIGASHI」などの高感度ショップで取り扱われていることから、その注目度を伺うことができる。ニューヨーク、日本、イギリスでファッションを学んできたデザイナーのアンナ・チョイは「神戸で生まれ育った"こてこての関西人"」と自身を形容しながらも、現在も国籍を韓国に置く自身のルーツについて「日本人でもないし、韓国人でもない」と俯瞰し、その上で「だからこそ全てのものに境界線を儲けることなく、フラットに物事もをみることができた」と自身のクリエイションの根幹にあるものを分析する。幼少期から自己表現にこだわり続けた彼女と共に、同ブランドのクリエイションの源を探った。
アンナ・チョイ
1992年、兵庫県神戸市生まれ。韓国国籍を持ちながらも日本で育つ。ニューヨーク、日本でファッションデザインを学び、2017年に文化服装学院在学中に「神戸ファッションコンテスト」特選を受賞。特待生としてイギリスのノッティンガム・トレント大学へ留学する。 卒業後、メゾンから複数オファーを貰うも、自身のブランド立ち上げを志し日本に帰国。2021年秋冬コレクションから「ヘンネ」をスタートさせた。
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ーアンナさんは韓国にルーツがあると聞きました。
両親が韓国人で、祖父母から続いて私で在日3世になります。私は、生まれも育ちも神戸で。大学を卒業するまでずっと神戸にいたし、第一言語も日本語なので、こてこての関西弁を使う関西人です(笑)。
ー「ヘンネ」は2021年春夏コレクションにIMCFから日本でデビューしました。韓国にルーツがありながら日本でブランドを立ち上げた理由は?
韓国がファッションメゾンに強いイメージが無かったからです。実際に、韓国の美大も調べたのですが、美大はあっても学部・学科にファッション専攻がなかったり、服飾専門学校が少なかったので、韓国でのデビューは選択肢から消えました。たしかに、私は国籍が韓国のままなので、ビザ無しですぐにでも生活が始められるのは韓国なんですけどね。
ーアンナさんは「アンナ・チョイ」という名前と「高山杏奈」という日本名を持っています。
実はもう一つ名前があって。それは「ヘンネ・チョイ」という韓国籍のパスポートに登録されている名前です。
ー「ヘンネ・チョイ」「アンナ・チョイ」「高山杏奈」という3つの名前がある?
そういうことになりますね。日本名でもある「杏奈(あんな)」を韓国読みすると「ヘンナ(Haengna)」になるのですが、母親がパスポートを登録するときに間違えて最後に"e"を書き足してしまったんです(笑)。母も私と同じく日本で育っていて、韓国語も英語もネイティブなわけではないので間違えてしまったんでしょうね。それで正式に戸籍として登録されている名前は「ヘンネ(Haengnae)」になりました。自分の名前が「ヘンナ」ではなく「ヘンネ」で登録されているというの事実もパスポートを更新する20歳まで知らなくて。大使館で「申請書に書いてある名前が間違っているよ」と言われて、え?みたいな(笑)。
登録されている「ヘンネ(Haengna)」という名前は、韓国の人でも読めない不思議な名前で、当然アメリカやイギリスでも正しく読まれないし、日本では尚更です。このままだと生活する上で不便だったので、日本名である「杏奈」と韓国名の名字「チョイ」を組み合わせて、ニックネームとして「私のことはアンナ(杏奈)・チョイと呼んでね」と。なので学校生活でもアンナ・チョイで出席簿が付いていたし、卒業証書もアンナ・チョイとして登録されています。
ーでは、ブランド名の「ヘンネ(HAENGNAE)」は、戸籍名には登録されているけど全く使われていない本名なんですね。
その通りです。話は少し脱線するのですが、私はヘンネとは別に、一点もののオートクチュールのみを展開する「アンナ チョイ(anna choi)」というブランドも手掛けているんですが、プレタポルテに重心を置きつつも既製品と一点物を融合させたような唯一無二なブランドを立ち上げたいと考えた時に、一番等身大の自分ではあるけれど全く使われていなくて、でも誰も読めず、代替えが効かないという意味で「ヘンネ」がぴったりだな、と思ったんですよね。ちなみに、ヘンネのロゴマークは「ANNA」の表記を重ね合わせたものになっていて、見方を変えれば「HAENGNAE」の頭文字であるHにも見えるようになっています。このロゴ自体は妹に作ってもらいました。
ーアンナさんが服に興味を持ったきっかけは?
祖母と母の影響だと思います。祖母は、工芸品や建築物などの美術品が好きで、よく美術館や舞台にも連れて行ってくれましたし、私自身はクラシックバレエを習っていました。当時は美術品に対して強い興味を持っていたわけではなかったんですが、祖母には「今はわからなくてもいいから、とりあえず本物を見なさい。いつかそれが『いいな』に変わることがあるかもしれないし、今この瞬間に『いいな』と思えた感覚は一生残っているはずだ」ということを言われ続けました。私が、どんなものでもまずはフラットな目で物事を捉えることができるのは祖母のおかげですし、毎シーズン絵画に着想源を得ているのも幼少期に祖母に連れられた先で感じた「いいな」という感覚がそのまま直結していると思います。
また母は、着飾ることが好きな人で、百貨店に新作アイテムを見に行くために小さい私をよくを連れて行ってくれました。祖母の血を継いでいるので同じように本物志向でもありましたね。
ー大学まで神戸にいたということでしたが服を本格的に学び始めたのは?
大学2年生の時に、半年間学校を休学してニューヨークに留学した時からです。私は、小学校から大学までエスカレーター式で進学できる学校に通っていて。大学でも制服があるような学校だったんですけど、進路のことを考え始めた時に「4年間かけてこの学校を卒業して、私は一体何者になるんだろう。人生はまだまだ長いのに、何をしていいのかわからない」と思ったんですよね。自分が本当にやりたいことはなんだろうと反芻した時に思い出したのは祖母に連れられて見てきた芸術や、母に教えてもらった服だった。業界のことは何もわからないけど「興味があるものを学ぼう」「ファッションデザイナーになろう」と、ファッションの道に進みました。
ー日本の服飾専門学校に進学する選択肢はなかったですか?
進学校だったので「大学を辞めて、国内の服飾専門学校に行く」と言ったら、両親や祖父母に絶対反対されると思ったので、「海外の専門学校に行く、と言ったら誰も反対しないかな」と(笑)。性格的にも自発的なタイプではなかったので、両親も突然ニューヨークの専門学校に行くと言ったときは驚いていましたが、最後は背中を押してくれました。結局、海外留学をしたいと打ち明けてから3ヶ月後には渡米。ニューヨークではアートスクールと語学学校を掛け持ちして、午前中は英語の勉強、午後はアートの勉強をしてファッション工科大学(FIT)やパーソンズ美術大学に入学できるようなポートフォリオを制作するために孤軍奮闘しました。両親と「半年間試しに行ってみて、何も結果が出なかったら今の大学を卒業しなさい」と約束していたので必死でしたね。結局、渡米してから2年近くニューヨークで過ごしました。
ーニューヨークではどのようなことを学びましたか?
服のパターンや、デザイン画、ドレーピング、デッサンなど一通りのことを学びました。
ーアンナさんは帰国後、文化服装学院に入学されています。
ニューヨークで服飾の基本を学んでいる中である日「あれ私、縫製してないな。服を自分の手で作っていないな」と思って。「どうしよう、ここにいたらって縫製の勉強ができない」と気がついたんです。
ー縫製の勉強ができない、というのは具体的に?
私がいたところは洋裁学校ではなくアートスクールだったので、学生が自分で服を作るというよりは「デザイナーはデザイン画を描くのが仕事だから」と、学校に縫製員が常駐していました。つまり、パターンを引いてカットしたものを縫製員さんに渡すと、次の日には縫われたものが上がってくるんです。私は、自分でミシンを踏んで一着を作り上げる過程が好きだったし、0から1を生み出せる人になりたいと思っていたのでデザイン画を描くだけでそのままポンと実物になることにすごく違和感を感じたんですよね。それに、「私は出来上がってくる実物を想像しながらデザイン画を描けるんだろうか」という疑問もありました。だから、服が出来上がるまでの工程をすべて知ることで、より良いものづくりができるようになるんじゃないかな、と。「手に職をつける」じゃないですが。それで、縫製というものに歴史があり、かつ"洋裁学校"でもある文化服装学院に進学することにしました。
ー技術を学び、作風が固まってきたにはいつ頃でしたか?
文化服装学院の3年生でしょうか。2年次まではとにかく技術を習得するために、課題をこなすことで精一杯。というのも、2年生に進級してすぐに、今まで自分が学んできたことがどれくらい形にできて、どのくらいの結果が残せるのかを試すために某コンテストに応募してみたんですけど、パターンも縫製も世界観も形にならなかった。コンテストももちろん玉砕。デザイン画のスキルは認められたんですが、実際に形にするための技術がまだまだ足りていなかったんですよね。すごく悔しかったことを覚えています。そのコンテスト以降「もっと技術が身についてからにしよう」としばらくコンペティションには応募していなかったんですけど、3年生の時に地元神戸で開催された「神戸ファッションコンテスト」にだけ出場しました。
ーアンナさんはその「神戸ファッションコンテスト」で特選に選ばれ、副賞としてイギリスのノッティンガム芸術大学に留学されています。
ノッティンガム芸術大学の最終学年である4年生の授業に1年間参加して、共に卒業コレクションを作り上げるというカリキュラムでした。
ーニューヨーク、日本、イギリスと3都市でファッションを学んできたアンナさんですが、それぞれの土地でどのようなことを学び、それはどのようにクリエイションに落とし込まれていますか?
ニューヨークでは、自己表現をするということはどういうことなのかを学びました。例えば、ニューヨークの学校では授業中、一度も発言しないと出席していないと勘違いされて、欠席扱いになったりするんですが、そういう経験が楽しいと思えたんですよね。自分を自由に表現することは、こんなに生きやすいのか、と。
日本は、0から1を自分の手で生み出すための技術を習得する場所でした。デザイン画で手を止めず、実際に自分の手でひたすら生み出すということをトライ&エラーを繰り返しながら挑戦しました。
イギリスは簡単に言ってしまえば、今まで正解だと思っていたものを全部バッサリ切られた場所でした。例えば、夜な夜な寝ずに自分で機械織りしたテキスタイルやパーツを先生に見せても「NO」の一言で全部やり直せって言われるんです。「三日寝ないで作ったのに全部やり直せってどういうことや?なんでそんな非道なん?」とよく思っていましたね(笑)。でも当時、先生に言われてよく覚えている言葉が「やりすぎ、あなた何になりたいの?」と。「ファッションデザイナーを目指してるんでしょ、テキスタイルデザイナーじゃないんだからもっと本質にこだわりなさい。シルエットや、思い描いている形を出すために努力をしなさい。それ以外の付属品は一切いらない」と。袖のトワルを20個以上作って、1cm単位の調整をし始めたのもその頃からです。聞き入れたくないことも沢山ありましたが、そこを取り入れながら自分なりの表現を模索できた一年間でした。
ー長いモラトリアムを過ごした後、企業に入社すること無く、すぐに自身のブランドを立ち上げます。
ノッティンガム芸術大学で卒業ショーを終えた後に複数のメゾンからオファーもあったりと、まだまだ海外で活動していこうと考えていた矢先、コロナで帰国せざるを得なくなったんですよね。元々、日本に帰ってくる時は自分のブランド立ち上げる時だなと考えていたのでデビューすることにしました。
ーヘンネのブランドコンセプトは「強きロマンチスト」。
「愛でる哲学を大切にしたい」という想いが込められています。何かを愛したり可愛がる行動は優しさだけでは成り立たないと思っていて。ある程度、自分自身の芯の強さみたいなものも求められると思うんです。わかりやすいのは、ブランドの象徴的な存在として掲げている、ナイチンゲールとルイーザ・メイ・オルコット著「若草物語」の主人公ジョーなどの、その次代を生き抜いた戦う女性像。彼女たちはとてもたくましいけど、同時に同じくらい優しさを持っている。私もそうなりたいし、服を着ることで強さと優しさが備わって自信に繋がれればいいな、と。生まれながらにして「強きロマンチスト」な人に着てもらうというよりは、身にまとうこと自体がエネルギーになって強く生きようって思ってもらえたら嬉しいです。
ーレトロ調のルックも印象的です。
これは私が、祖母のクローゼットを漁ることが好きだったことに起因しています。服は、無機質な空間にただあるだけだと完結しないじゃないですか。場所や人と密接に関わって初めて魅力的になるし、一つ一つにストーリーが生まれるんじゃないかな、と。例えば「これは●●でおじいちゃんとデートをした時に買ってもらった服なんだよ」とか。そういうストーリー込みで服を見ると、同じ服でも全然違う見え方になりますよ。古き良きものを受け継いで今の形にする、というのを表現できたらと思ってルックも少しだけレトロな雰囲気を出すようにしています。
ーヘンネは、全てのコレクションに共通したカラーパレットがありますよね。
そうですね。基本的にはベージュ、赤、黒で、どのコレクションも統一しています。ベージュは、服作りの起源でもあるトアルから引用していて「何事も土台は大事だよね」という想いから。赤はわかりやすく愛を連想するもの。黒が芯の強さを表現しています。この3色はブランドの「強きロマンチスト」というコンセプトを体現する上でぶらすことのできない色だと考えています。
ーボリュームのあるシルエットながら、イージーケアであることも特徴の一つです。
皺になりにくいというのと、洗濯機で洗えるということにこだわっています。というのも、私自身がデザイナーとして自己表現をしようと思うと、ひたすらコンセプトに沿うテキスタイルを追求したくなるんですが、実際にプレタポルテとして着ていただくならある程度の気軽さは必要だと思うんです。毎朝スチームアイロンをかけている時間はないし、毎回クリーニングに出すのも面倒くさい。いざという時に時間がないという理由だけで、その日着たい服を着られないという状況を回避したかったんです。
あとは基本的にどんなドレスでもポケットを付けるようにしています。どんな行事であろうとも荷物は少なくしたいし、やっぱりポケットはあったら便利だと思うので。ロマンチックでドラマチックな服の中に機能性も備わっていたらみんな嬉しいかな、と。同様の理由で今は、洗えるシルクを研究中です。上質なものをみんなが手入れしやすいように整えて提供するというのは、日常着をつくる上でやっぱり必要不可欠だし、長く使ってもらえることが一番のサスナブルなんじゃないか、と考えています。
ー1つのアイテムで何通りもの着方ができることも特徴として挙げられます。
ヘンネのアイテムはシルエットに特徴があるものが多いので、インパクトがある分”飽きやすさ”もあると思うんです。でも、私はやっぱり買ってもらえるからには長く大切にして欲しい。特に女性は体型が変わったり、自分のスタイリングが変わったりすることもあると思うんですけど「今回はこういう風に着てみよう」「今だったらこうやって着れるかな」と、長年クローゼットにあることで自分の雰囲気の幅が広がるようなアイテムになればと考えています。だからこそ、素材も手入れしながら長く使ってもらえるようなものを選んでいて。例えば、付け袖にもバッグもなる2way仕様のアイテムは、リアルレザーですがウォッシャブル加工を施しているので、本革だけど水洗いすることもできますし、雨が降っても傷む心配がありません。
それに、ヘンネの服は全てフリーサイズです。なるべく様々な体型の人が着られるようにと、一見布帛に見えるビスチェも後ろ身頃の一部分だけゴムにしていたりします。また、ボリューム感が特徴的ともよく言われるんですが、身体のラインの中でも絞れるところはタイトにするようにしています。例えば、大きいつけ襟一枚でも首元が詰まりすぎていると顔が大きく見えてしまうので、首の打点を下げて長く見せることで小顔効果を狙ったりしています。どのこだわりも、その服を着ている人が一番綺麗に見えることが自信に繋がるのではという共通の想いからです。
ーファッション業界に携わる一員として意識していることはありますか?
今のファッション業界って課題が山積みであるが故に、様々な価値観や考え方があると思うんですけど、私は大量生産・大量消費はしたくない。だから、今ヘンネで徹底しているのは、適正数量・適正価格で、セールをせずに通年販売することを大切にしています。コレクションもシーズンレスにして、名称も「2022年秋冬コレクション」ではなく「チャプター」という呼び方にしています。コレクションをシーズンではなく、紡いでいく目次という立て付けにすることで、チャプター1(デビューコレクション)が古いものになることもなく、チャプター4が新しいものになることもありません。
ー最後に今後の展望を教えて下さい。
引き続き、クチュールの技術とプレタポルテの気軽さの両立を目指したいです。デビューして約1年で今はまだ認知や知名度を高めていく段階とは思っているんですけど、やっぱりそれにはクオリティが伴っていないと、と思っています。もっと先の話をすれば、私自身はおばあちゃんになってもミシンを踏んでいたいです(笑)。
(聞き手:古堅明日香)
■ヘンネ:公式サイト/公式インスタグラム
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