Image by: 杉田聖司
「designer’s dialogue」は、アップカミングなデザイナーの今ここ現在地から見えるもの、感じるもの、つくるものについて対話を重ねていくインタビュー連載。ファッションマガジン「apartment」の杉田聖司を聞き手に、デザイナー自身の半生を遡りながら、ファッション史との繋ぎ目を確かめながら、これからのつくり手のあり方を探っていく。
第2回は、「ガーウィン(GURTWEIN)」デザイナーの長谷川照洋とウィング・ライ(“Jianying” Wing Lai)。セントラル・セント・マーチンズ(以下、セントマ)で出会い、「ジバンシィ(GIVENCHY)」、「バーバリー(Burberry)」を率いたリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)のもとで経験を積んだ。私生活でもパートナー関係にある2人は、日本と中国で生まれ、イギリスでファッションを学び、フランスのメゾンでイタリア人のデザイナーと働き、現在は日本でコレクションを作るという国際的なバックグラウンドを持つ。東京での初めての展示会を終えた2人は、これから日本という環境でどのようなものづくりを目指すのか。学生時代から現在までの軌跡を紐解く。
目次
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ファッションを目指す方が逆に珍しい、セントマ時代
ーまずはじめに、お二人がファッションに興味を持ったきっかけを教えてください。
ウィング・ライ(以下、ウィング):私は中国出身なんですが、高校生の時に「VOGUE CHINA」が創刊されたことがとても大きなインパクトでした。元々ファッションに興味はありましたが、VOGUEをきっかけにいわゆる「モード」に惹かれていって。そこから他のモード誌も読み漁るようになりましたね。
ー雑誌に載っていた服とウィングさんが当時着ていた服にはどんな違いがありましたか?
ウィング:高校では寮に入っていたので平日はずっと制服を着ていました。週末も寮から家に帰るだけ。そのため私服で着飾るという機会はほとんどなかったですね。雑誌に載っていた服は「着るもの」ではなく「見るもの」でした。
ー当時雑誌で見て特に印象に残っているブランドは?
ウィング:「バレンシアガ(BALENCIAGA)」。ニコラ・ ゲスキエール(Nicolas Ghesquière)がデザイナーをしていた頃です。
ーゲスキエールはお二人と同世代の別のデザイナーさんも話題に挙げていました。当時の勢いを感じます。
ウィング:私たちの世代のデザイナーは特に、ゲスキエールやジョン・ガリアーノ(John Galliano)、アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)から強い影響を受けていると思います。彼らのクリエイションには常に明確なテーマがあって、毎シーズン驚くような服が発表される。私の場合はそんな姿に衝撃を受けて、ファッションの道を志すようになりました。
ーそれからセントマのウィメンズデザインコースに進学されるわけですが、進学前に中国ではファッションの勉強をされていたんですか?
ウィング:していません。
長谷川照洋(以下、長谷川):でもウィングはファンデーションコースを飛び級しているんです。イギリスの大学では、まずファンデーションという入門コースを受けてから通常の学部に入学するのが一般的なんですが、彼女は18歳の時点でウィメンズコースに入学していました。
ーファンデーションに通わなくても入れるものなんですね。
ウィング:もともと手を動かすことが得意で、英語もできたので。
ー当時からウィメンズウェアのデザインを学びたいと決めていましたか?
ウィング:他の選択肢は考えたことがなかったです。
ー長谷川さんも同じくセントマのウィメンズコースに入学されています。それ以前の幼い頃に原体験と言えるような出来事はありましたか?
長谷川:僕には彼女ほどドラマチックな原体験はなくて。中高生の頃は、ちょっとおしゃれをしよう、くらいの気持ちで制服を着崩してみたり。 当時はゲスキエールなんて知らなかったです。
ーでは、ファッションを学ぼうと思った理由は?
長谷川:高校を卒業して2年間はファッションではなく建築の専門学校に通っていました。元々はイギリスの建築系の大学に行きたかったんです。でも、イギリスで建築家になるには予想以上の時間やコストがかかってしまうことを知って。別の道を探していたタイミングでセントマの存在を知り、そこから本格的にファッションを勉強し始めました。
ー建築から次のキャリアに進むとき、ファッション以外にも色々な選択肢があったと思います。なぜファッションだったんでしょうか?
長谷川:選択肢で迷うことはありませんでした。それに当時のセントマは、ファッションの学校の中では入学するのが一番難しいという噂を聞いていたので、挑戦しようという思いが強かったですね。
ー当時のセントマの印象はいかがでしたか?
長谷川:ウィングのようにもともとファッションが好きだった人もいれば、僕のようにほとんどファッションの知識のなかった人もいる。バラバラだったからこそ居心地がよかったですね。
ー誰にとっても居場所があるような環境だったんですね。
長谷川:教師たちの評価も、技術や知識を基準にしていないので、他生徒との差を感じることもありませんでした。服を縫えなくても、絵を描けなくても、それ以外の手段での表現を歓迎してくれていました。
ウィング:セントマは個々人を最大限まで大切にしてくれる場所。悪く言えば「放置」なんですが、好きなことを好きなだけやらせてくれましたね。
ー長谷川さんは元々建築系出身ということですが、建築家のクリエイションからも影響を受けていますか?
長谷川:もともとレム・コールハース(Rem Koolhaas)に影響を受けて建築に興味を持ち始めました。中国に行った時も、彼が設計した「CCTV(中国中央電視台本部ビル)」までウィングに連れて行ってもらいました。
ーレム・コールハースのどんなところに惹かれますか?
長谷川:レムの会社の名前は「OMA」と言って、「Office for Metoropolitan Architecture(都市建築の為のオフィス)」の略称なんです。会社に自分の名前をつけず、「OMA」というチームとして様々なスペシャリストと仕事をしているという姿勢に惹かれています。一見ユニークだけど真面目な作風自体も、語ると長くなりますがとても好きです。「OMA」は「プラダ(PRADA)」のショーの空間演出や「プラダ財団美術館」の設計も手掛けているんですよ。
ーセントマ在学当時はどんな作品を作っていたんですか?
長谷川:技術的な粗さはあったものの、「強いもの」をひたすら目指していました。基本的な姿勢は今のガーウィンと変わっていないと思います。
ー「強いもの」を目指す、というのは共通する感覚ですか?
ウィング:例えばショッピングに行っても私たちは違うものを選びます。好きなものや美的感覚は違うけど、目標とするのは「強いもの」という共通点が昔からあります。
長谷川:お互いに当時から「ファッションデザイナーになりたい」「大学院に行きたい」「パリで仕事がしたい」という想いを持っていて、そのために「強いもの」をつくっていました。当時のセントマには意外にも、僕たちのように「ファッション業界」を目標にしている人は多くなかったので、「ファッションデザイナーになりたい」という強い思いも共通点であり、他のクライスメイトたちとは違う点でした。
ー学生時代、お二人にとってそれぞれはどんな存在だったのでしょうか?
長谷川:僕らはまさに競争相手。彼女が強い作品を作ったら僕も負けじと作る、みたいな。学びへの向き合い方が同じだったから、いつも席は隣で、大学から大学院までずっと切磋琢磨してきました。
ー良きライバルですね。一方で他の学生は「ファッション業界」とは距離をとりながら、インディペンデントな活動を続ける人も多くいたんでしょうか?
長谷川:そうですね。ファッションを仕事にしていない人も多くいます。そのうちの1人は最近環境団体を立ち上げました。志は違ってもみんな行動力があるので、各々のフィールドで積極的に活動しているようです。
ウィング:ファッションとは異なる場所で面白いことをやっている人たちが沢山いますね。
リカルド・ティッシが整えた2人のための環境
ー長谷川さんは大学院卒業後からリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)のアシスタントになりましたね。
長谷川:2014年に、僕の卒業制作がLVMHグラデュエートプライズに選ばれ、その審査員の1人だったリカルドが声をかけてくれて、ジバンシィでのデザイナー生活が始まりました。従来のメゾンのデザインチームでは間に色々な人が立つので、クリエイティブディレクターと直接コミュニケーションを取ることは難しいのですが、2015年にリカルドが、僕とダイレクトに仕事ができるように新しいチームを作ることを提案してくれて。僕のチームに、元々別の仕事に就いていたウィングを入れようと言ってくれたのもリカルドでした。
ージバンシィの頃からウィンさんとタッグを組んでいたんですね。
長谷川:そうなんです。そこから彼女と共に、リカルドと近い距離で仕事をしてきました。ジバンシィ時代のポジションで言うとヘッドデザイナーですね。その後彼が「バーバリー(Burberry)」に移った際にはディレクターという立場で彼の元で働き続けました。
ーリカルドから受けた影響を具体的に挙げるとしたらなんでしょうか?
ウィング:情熱。リカルドを中心として会社全体が情熱に溢れていました。
長谷川:ジバンシィはチーム全体が一丸となってクリエイションを絶対に妥協しない。言い換えると、働く時間が異様に長い会社として有名でした(笑)。フランスのオートクチュールメゾンとしてのジバンシィのプライドと、イタリア人としてのリカルドの情熱的なバックグラウンドが掛け合わさり「みんなで成し遂げる」という気概が強かったです。
ウィング:「passion(情熱)」という単語が合っているのかわからないけど、彼は人としての魅力でスタッフ全員を惹きつけていました。みんなが彼のヴィジョンを理解し、成し遂げたいと思っていましたね。
長谷川:なので、クリエイションはもちろん、彼のチームへの向き合い方に強く影響を受けました。あとは、彼が僕たちのために作ってくれたチームではブランドが服を作る過程の全てを見ていたので、そこでの経験が今に活きています。
ー「全て」というと?
長谷川:普通のメゾンでは、ショーのチーム、プレコレクションのチーム、クチュールのチーム、プリントのチーム、刺繍のチームなどに細かく分かれているんですが、僕らのチームはそれを一括して担当していました。それぞれの専門について実践を通して学ぶことができました。腕を試せる場所でもあり、学びを深められる場所でもありましたね。
自信に溢れる女性のためのウィメンズウェア
ーリカルドと深い信頼関係を築いていたんですね。ガーウィンを立ち上げるまでの経緯を教えてください。
長谷川:元々、僕の個人的な理由で日本に帰る必要があって。リカルドもその状況を前向きに理解してくれました。ウイングにも相談して一緒に彼の元を去ることになりました。
ウィング:ヨーロッパを離れることになった時は、正直迷う気持ちもありました。
長谷川:向こうでキャリアを積んできたし迷って当然だったと思うので、一緒に来てくれたことに感謝しています。帰国してすぐのタイミングでコロナが流行りだして、ステイホーム期間中に2人で話して「自分たちのブランドを立ち上げよう」と決めたんです。前向きに準備期間だと捉えて、新たなことに挑戦するための巡り合わせかもしれないと考えていました。
ー世界が止まってしまったような時間があったからこその決断だったんですね。先ほどレム・コールハースは自分の会社に自分の名前をつけなかったことにも触れられていましたが、ガーウィンというブランド名にはどんな意味が込められているのでしょうか?
長谷川:「GURTWEIN」はウィングと僕の名前の一部を組み替えたアナグラムです。決める時に意識したのは「性別を感じないこと」、「国籍を感じないこと」、そして「一見意味のない言葉であること」。たしかにコールハースが自分の名前を会社につけなかったことと重なるかもしれません。
ー「活気にあふれ、成熟した女性たち」に向けた服をつくっていると別のインタビューで話されていたことも印象的でした。
ウィング:セントマに通う20代の学生から、ジバンシィのアトリエで働く70代の職人まで、周りにはたくさんの女性がいました。彼女たちはみんな聡明でパワフルで自信に満ち溢れていて、ブランドを始めるときも自然と彼女たちのことが頭に浮かんだんです。
長谷川:僕たちがヨーロッパで関わってきた女性たちはまさにそういう女性たちでした。年齢に関わらず、強い意志を持っている方々が着たいと思える服をつくりたいと思っています。
「アジア人だけどヨーロッパのデザイナー」は特別じゃない
ー2023年春夏のデビューから2シーズンはパリのみでしたが、2024年春夏では東京で初めて展示会を開催されました。そこでの感触はいかがでしたか?
長谷川:海外での暮らしが長かったので、まだ手探りな状態というのが正直なところです。日本のマーケットについて勉強しながら成長していければなと。
ウィング:私たちは2人ともアジア人ですが、ヨーロッパで一から服づくりを学んだヨーロッパのデザイナー。私に至っては人生の半分以上をヨーロッパで過ごしています。なので、自分たちにとって「自然な形」でコレクションを発表していきたいと考えて、これまではパリで展示会を開催してきました。
長谷川:でもガーウィンは日本を拠点にしているので、日本のパタンナーさんや工場の皆さんと密に連携しチームとして活動していると思っています。幸いなことに、僕たちとなら挑戦してみようと思ってくれる工場さんと出会えたので、何度も話し合い、時には喧嘩もしながら製作できる環境が整い、「チーム」としての関係が出来上がりつつある実感があります。その結果は服のクオリティにも表れているのでぜひ見てほしい。パリでの展示会もとても好評でした。海外のバイヤーさんがガーウィンの服を手に取ってくれるのは、日本のローカルなつくり手への評価や信頼があるからこそだと思っています。
ー「アジア人だけどヨーロッパのデザイナー」とありましたが、日本人にとってそれは未だに新鮮な感覚かもしれません。
ウィング:たしかにそうですが、ヨーロッパではこのようなグローバルな背景を持っていることは当たり前なんです。なのであまり意識したことはありません。
ーお二人の肩書きはともに「デザイナー」ですが、どのようにコレクションを製作されているんでしょうか?例えば、製作の中で役割を分けていますか?
ウィング:役割は特に分けていません。2人で毎シーズン、目指すべき「強いもの」についてじっくりとディスカッションしてデザインを作っていきます。
ー先ほども話題に挙がりましたが「強いもの」とは具体的にどんなものなんでしょうか?
ウィング:見た途端に一瞬で心奪われるシンプルなもの。私はそれが強さだと思っています。でも彼の考える「強さ」の定義とは少し違うんです。
長谷川:僕はまだうまく言語化ができていなくて。だからまさに質問いただいたように「どんな強さ」を表現したいのか、毎シーズンまず2人で話し合いします。
ウィング:2人のリサーチがそれぞれ違うものになるのは、表現したい「強さ」が違うからだよね。
長谷川:もちろん似たような部分もありますが、僕は男性で、普段の自分が着る服を作っているわけではないので、彼女とは異なる視点で「強さ」を捉えていると思います。
「全員が主人公」であるための服づくりとシステムづくり
ー2024年春夏では、これまでのブランドイメージとは異なるヴィヴィッドな印象を受けました。
長谷川:皆さんそうおっしゃいます。でも僕たち自身は変わったという意識はなくて。過去2シーズンでは、僕らがブランドの基盤にしていきたいハードな部分、つまり基礎としてのテーラリングやジャケット、パンツ、ドレス、シャツなど、メゾンに当たり前にあるカテゴリーをブランドの中で確立させたいと思っていました。なので2シーズンじっくり時間をかけて、まずはチームとの理解を深めてきたつもりです。そして、今シーズンからは、その基盤に新たな要素を重ねています。例えば蛍光色やシフォン地ですね。
ー今回がガーウィンとしての基盤が出来上がって初めてのシーズンなんですね。コンセプトは?
長谷川:「サイファイ」や「サイバー」、特に「ゲーミング」というキーワードが今の時代を象徴していると思っています。昔のゲームには1人の主人公がいたけど、今のオンラインゲームには主人公がいない。なぜなら全員が主人公だから。国も言語も性別も関係なく、みんなが独立している文化。そこには共感するものがあります。
ウィング:もちろん私たちのアイデンティティであるテーラリングの要素やゴシックな部分は残しながら、今シーズンはそれらのサイバーな要素を取り入れました。
ー「全員が主人公」はお二人が学ばれたセントマ、さらには様々なプロフェッショナルが集ったジバンシィ、「国も言語も性別も関係ない」はガーウィンそのものの哲学に重なる部分がありますね。一方で、これまではファッションの中心としてのヨーロッパ、周縁としてのアジアという区別で語られることが多かったことも事実です。両者に拠点を置かれた立場として区別やギャップを感じた経験はありますか?
長谷川:肌感覚ではそういった違いを感じたことはありません。たしかに西洋が中心とされた時代はあったと思いますが、今は日本でも中国でもファッション業界はそれぞれ成立しています。それぞれがインディペンデントで、中心がなくなってきている。パリに憧れる気持ちを否定はできないですが、そういう時代ではないんじゃないかなと思います。
ー一つの中心ではなく、様々な中心が点在しているという感覚でしょうか。
長谷川:そうですね。今では国や都市という大きな括りではなく、もっと小さな単位での表現が大切な時代だと思っています。
ー最後に今後の展望、挑戦したいことを教えてください。
長谷川:日本で協力してくれる方々の輪を広げて、日本でもっと色々な方と色々な形で服づくりをしていきたいと思っています。メゾンでの経験も踏まえた、新たなシステムをつくりたい。
ウィング:縦軸ではなく横軸で繋がり、ガーウィンという環境に地域に根付いた技術を持つパタンナー、シューデザイナー、ニッター、工場さんたちが集い、一緒に作っていく。そういうシステムです。将来的には日本だけに留まらず、中国や様々な国の地域の技術者と共にコラボレーションをするプランを立てています。
長谷川:僕ら2人の仕事はまずプラットフォーマーであること、そしてプレゼンターであること。これが理想的な形です。
ウィング:「everyone is a hero」。この言葉をいつも忘れないようにしています。
1999年生まれ。ファッションを中心に企画、インタビュー、シューティングなどを行う。2019年よりファッションマガジン「apartment」を主宰し、個々人の装いを起点とした雑誌発行やイベント制作などを継続中。
(編集:橋本知佳子)
◾️GURTWEIN:Instagram
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