コム デ ギャルソン2024年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)
その日は朝から本降りの雨が続く気配だった。コム デ ギャルソン社の3ブランドのショーが開催され、パリ・ファッションウィーク中、最も純粋なクリエイティビティに出会える日として"後半最初の山場"と世界のファッション関係者が目するその日。「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」のショーが始まる夕刻まで、重く垂れ込めた灰色の空の下、冷たい雨は止まなかった。(文・渡辺三津子)
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先シーズンの2024年春夏コレクションでは、色と柄にあふれたクリエイションによって「気の滅入るようなグルーミーな状況のなか、明るい輝く未来を期待したい」とメッセージを出した川久保さんが、次に何を発表するのだろうか。毎回のことながら予想などつくはずもないなか漠然とした胸の高鳴りとともに、パリの中心地で廃墟のごとくコンクリートが剥き出しになった元デパートの殺風景な建物に足を踏み入れた。どことなく客席の雰囲気も落ち着かず、ざわついている印象だった。
いつもなら、他のどのブランドより予定時刻に忠実なコム デ ギャルソンのショーが、30分近くたってもまだスタートしない。雨のせいだろうか。後からバックステージの入り口近くに座っていた人に聞くと、川久保さんが何度も顔を出して客席の様子をうかがっていたという。「なぜ早く始められないのか」と苛立っていたのではないかと想像する。
やっと人々がシートにつき、ショーがベートーヴェンのピアノソナタ「月光」とともに始まった。人工レザーを使用した大きな黒い塊のような歪なフォルムをもつドレスをまとったモデルが静かに歩みだす。この人工レザー素材は質感を変えながらショーの全ルックに使用されていた。ポンパドール風に結い上げられたヘアウィッグ(ARAI TAKEO)がドレスのフォルムに共振するように上に横に、無作為にそびえる。
3人目の赤毛のウィッグをまとったモデルが登場すると、フロントロウから服に手が届きそうなほど狭く短いランウェイの中頃で、突然立ち止まった。何か不具合があったのかと思った次の瞬間、彼女は拳を握りしめて憤りの表情と共に足を踏み鳴らした。
コム デ ギャルソンのショーで、このような演出が行われたのは、私の記憶では未だかつてないことだった。続いて登場した数人のモデルたちも、フロントロウに座る観客にいきなり歩みより、顔を傾けて見つめるもの、逡巡するように来た道を一歩戻り、また踵(きびす)を返して歩き出すものなど、不安や憤り、迷いなどの感情を想起させる動きが続いた。観客は戸惑い、なかには曖昧に微妙に笑う人もいた。このアクションをどう受け取っていいのかわからない混乱による反応だったともいえよう。
人工レザーで造形されたルックには、花びらやリボンなど女性的な装飾が巨大化されて黒の塊を飾り、フェミニンなアイコンが愛らしさという常識をくい破って、内側から激しく溢れ出す名づけられない感情へとメタモルフォーゼしてゆく。他のルックには、私たちの人間性や自由を拘束するように、鎖や有刺鉄線が黒のレザーにペイントされていた。
先シーズンの「明るい未来」を望む色や柄に溢れたイメージから、突然、隠し扉を回転させるように、まったく真逆の世界に私たちは直面させられた。春夏コレクションのステイトメントで触れられた「グルーミー(陰鬱)な世界」とは、ウクライナへの軍事侵攻を想起させるものだったが、パリで発表された直後、今度はパレスチナでの戦闘が始まる。コム デ ギャルソンのショーから2週間後に東京で行われた朝日新聞の取材(2023年10月29日ウェブ掲載 /インタビュー・鈴木正文)で、最新コレクションについて川久保さんはこう発言している。
「いまの社会というか世界中で、ひどいことがたくさん起きていますし、そういうことを、もう終わりにしてもらいたい、のりこえて違うところに行きたい、という気分があったことはたしかです」
そしてその翌年、2024年1月に発表されたコム デ ギャルソン・オム プリュスのテーマは「スピリチュアルワールド」だった。白をメインにしたコレクションで、「白は祈りの色」と川久保さんは述べていた。しかしその間、世界はさらに混迷へと突き進んでいった。
そして迎えた今シーズン、2024年秋冬コレクションのショーが終了した後、ジャーナリストや川久保さんを敬愛する人々がバックステージへと向かった。私もいつものようにその流れに従ったが、どんな言葉を伝えればいいのか、今回はいつにも増してまったく思いつかなかった。言葉を失う、という表現が近かったかもしれない。舞台裏へ向かう途中にコムデギャルソンのPR担当者に今回のキーワードは? と尋ねると、たった一言だけが返ってきた。
「怒り」。それを聞いてさらに言葉から心が離れていくのを感じた。
バックステージに入ってすぐの場所に川久保さんの姿が見えた。私は情けなくも、ショーの感想とはまったく関係のない「あいさつ」のような一言を発するしかできなかった。私の隣にいた日本の新聞社の記者が速報のためにボイスレコーダーを持って質問する。「何に対する怒りですか?」
川久保さんはこう答えた。「特に自分自身への怒りです。何も思うようにできない」。記者が「世界に対しても?」と質問を続けると「それもありますけれど」と川久保さんは静かにつけ加えた。
「祈り」の白の次に現れたのは、「怒り」の黒。ショーに登場した17体のルックは、どれもが、内側から溢れる激しい感情が外へと歪に増殖して膨れ上がるようであった。その禍々しい強さはしかし、恐怖や憤りといった負の感情を想起させはしても、醜さの相貌とは無縁の、奥から蠢(うごめ)き光る美しさを発していた。硬質ななかに柔らかさを内包するレザーの質感が、その抽象的な両義性を支えているかのようだった。
川久保さんは「見たことのない新しさ」を常に目指しながら、経験を積めば積むほどそれが難しくなってくる、とここ数年何度も語っていた。しかし、その「苦しさ」が独自の方法論となり、誰にも到達できない「新しさ」を生むことにもつながってきた。では、今回はその流れがさらに難しさを増し、思うようにならない自身への込み上げる「怒り」に達したのか。一方で、世界に目を移せば、戦争の悲惨さは終わりの見えない状況にはまり込んでいる。憤りと寄る辺のない感情が渦巻く。無力感、苛立ち、不安。私たちはそれらの感情から、目をそらして何もなかったかのように日常をただやり過ごしてはいないだろうか。さまざまな感情を突きつけてくるモデルたちのアクションは、川久保さん自身に、そして私たちすべての生き方に対して、深く荒々しい問いを投げかけるものであった。
半年前に遡(さかのぼ)るが、昨年10月、パリ・ファッションウィーク中にコム デ ギャルソンのパリ店が同じフォーブル・サントノーレの表通りに場所を移転し、新装オープンした。地上3階、地下1階のフロアは以前の1.5倍の面積で、プレオープンの日には川久保さん自らがエントランスに立ってゲストを出迎えたという。
Comme des Garçons Paris shop
adress: 56 rue du Faubourg Saint-Honoré 75008 Paris
open: Monday to Saturday 11am-7pm
この新しいショップを見ることが、私にとって渡仏のひとつの目的でもあった。加えて今回は、ドーバー ストリート マーケット・パリのオープンもファッションウィーク中に予定されていたのだが、諸般の事情で2ヶ月ほど遅れることになり、「美しきカオス」をテーマにしたドーバー ストリート マーケットがパリでどのような姿になるのか確認することができなかったのは大変残念な思いだった。
パリから東京に戻ってすぐ、伊勢丹新宿店メンズ館にコム デ ギャルソン社のメンズブランドが集合した「コーナー・コム デ ギャルソン」がリニューアルオープンするニュースが届いた。川久保さんは、世界中のすべてのショップのコンセプトとデザインを考え、細部までチェックすることを欠かさない。この1年の間にも、多大な労力と時間をショップのクリエイションに注いでいたことは間違いないだろう。私たちは、ついランウェイで発表されるコレクションにばかり注目してしまいがちだが、デザイナーの仕事、特に川久保さんにとっては、それは何よりも大切な核ではあってもブランドのひとつのパートであり、ショップやDM、インスタレーションなどその他のすべてが「コム デ ギャルソンのデザイン」なのである。
大規模ショップの連続オープンという数年に一度といえる立て込んだ状況のなか、「何も思うようにいかない」という「怒り(Anger)」のコレクションは生まれた。「忙しいから思うようにいかない」という次元の話ではないと推測する。常に高く遠く、現状を超えなければならない、という川久保さんの考え方が、すべてのハードルを押し上げているためだと想像できよう。しかし、その前進する意志のなかにこそクリエイションの意味がある、といつもコム デ ギャルソンのコレクションは教えてくれる。
ショーの最後に現れたのは唯一、全身白のルックだった。「白は祈りの色」。どんなに闇の中にいようとも「目を閉じてはならない」。そうすれば、その先に光はある。いや、光を探す方法はそれしかないのだ、と「黒の声」が私たちに迫る。
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