カルティエのアイコンジュエリー「トリニティ」
数多くの名作ジュエリーを生み出してきた「カルティエ(Cartier)」。その中でも、絡み合う3つのリングが象徴的なデザインの「トリニティ(TRINITY)」が今年、100周年を迎える。ここでは、時代を彩る著名人たちの手元に寄り添い、多様な愛と絆を表現してきたジュエリー「トリニティ」の歴史を紐解く。
「トリニティ(TRINITY)」とは?
英語で"三重"や"三位一体"など「3」にまつわる意味を持つ「トリニティ」。それぞれ愛情、忠誠、友情を意味する、ピンク、イエロー、ホワイトという3本の異なるゴールドリングが繋がり合うデザインが特徴だ。互いの可動性を残しながらしなやかに絡み合う、無駄を削ぎ落としたフォルム。性別や年齢にとらわれない普遍的なコレクションとして受け入れられ、「カルティエ」にとって最初のアイコンジュエリーとなった。
タイムレスな佇まいながら、100年の歴史とともに絶えず進化してきた革新的なコレクションでもある。ボリュームが変化したり、カテゴリーが多彩に広がったり。環の数は、10連まで増えたことも。
デビュー当時のジュエリーの世界で主流だったのは、ダイヤモンドをはじめとするプレシャスストーンが中心の伝統的なものづくりだった。そこから新しい扉を開き、ひたむきにゴールドのピュアな輝きと向き合ってきた「トリニティ」の歴史を振り返ってみよう。
愛と絆の3連リング 100年の歴史
TRINITY 誕生: 1924年
カルティエ創業者の孫にあたる、ルイ・カルティエが3連リングを生み出したのは1924年のこと。翌年には米国版「ヴォーグ(VOGUE)」が記事内でこのリングを「トリニティ」を記載するなど、シンプルながらアイコニックな存在感を示した。流れるような環の動きが重なり合い、結びつくように見えるデザインから、愛や絆を象徴するジュエリーとして浸透していく。
TRINITY: 1930〜60年代
1930年代には、アーティストをはじめ各界の著名人から熱視線を浴びるようになった。詩人ジャン・コクトーは、「トリニティ」リングを小指に2つ重ね付け。アメリカ人俳優のゲイリー・クーパーも、愛用していた姿が1931年のポートレートに残されている。その後もアラン・ドロン、ロミー・シュナイダー、グレース・ケリーといった多くのセレブリティが愛用。時代の寵児たちの手元を3本の環が彩った。
「トリニティ」リングを小指に重ね付けしたジャン・コクトー
Image by: © Boris Lipnitzki / Roger-Viollet
TRINITY: 1970〜80年代
シンプルながら一目でわかるコードゆえ、カルティエのアート オブ リビングのクリエイションにも採用。「マスト ドゥ カルティエ」コレクションが一世を風靡した1970〜80年代は、ライターやペンといった日用品に3本のリングの装飾があしらわれ、日常に溶け込んでいった。
革新的なクリエイションの環が広がる
TRINITY: 1990〜2000年代
1997年、全てのスリーゴールド3連リングが「トリニティ」と正式に呼ばれるようになった。その後も、タイムレスな魅力を放つ環の中にトレンドを巧みに取り入れながら、独創的なクリエイションで表現の幅を拡大していく。
XLサイズのブレスレット、ダイヤモンドをパヴェセッティングしたリュクスなリングなど、2000年代はさらにきらめきを増し、デザインもサイズもバリエーション豊かに広がった。
TRINITY: 2020年代
2022年の阿部千登勢「サカイ(sacai)」デザイナー兼ファウンダーとの出会いによって、躍動感のあるグラフィカルなフォルムで再解釈されたイヤリング、ブレスレットといった、限定コレクションも記憶に新しい。
常に革新を続けながらも、調和のとれた普遍性のあるデザインの核はぶらさず、3本の環を通してその時代のモダニティを体現してきた「トリニティ」。シンプルでいてアイコニックなデザインはジェンダーレスに愛され、いつの時代もつける人の個性にそっと寄り添ってきた。スリーゴールドが表してきた伝統的な意味合いは現在、よりいっそう解釈が自由に広がり、融合と多様性のシンボルとして、そこに託された愛の意味も身につける人に委ねられている。
TRINITY 100周年: 2024年
アニバーサリーイヤーを迎える2024年。大胆なアプローチで美を追求した新モデルの登場も予定されている。
text: Chikako Ichinoi
edit: Chiemi Kominato (FASHIONSNAP)
Realization: Mizuki Okuhata (FASHIONSNAP)
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