幼少期は2人の弟の面倒をよく見て、近所のお兄さんたちを引っ張るなどリーダーシップを発揮。高校時代はバレーボールに、大学時代はテニスサークルに明け暮れるが、その根底には仲間との交流を深めることが楽しかったという。資生堂に入社後、長い入院生活を送る一人の若い女性の、メイクによって生まれた笑顔に鳥肌ものの体験と感動が原体験となり、今日までの鈴木さんを作り上げている。後編では海外赴任や新規ブランドの立ち上げなど、資生堂でのキャリアと、今後について。連載「美を伝える人-企業編-」資生堂 鈴木ゆかり氏(後編)
ADVERTISING
留学制度でポジティブなエネルギーあふれるNYへ
—ビューティーサイエンス研究所の後は、どんなことをされていたのですか?
実は、研究員として入社したものの、マーケティングにも興味があったので、留学制度を使って1年半ニューヨークへ赴任しました。
ニューヨークでは、その当時から「人のイメージをどう作るのか」という説得的コミュニケーション研究に基づく社会心理の理論が広告や宣伝に生かされていて、とても勉強になりました。
—ニューヨーク時代の印象深かったエピソードを教えてください。
知人のつてを辿ってPRエージェンシーに居候させてもらい、資生堂の現地事務所で働いたり、エージェンシーでお手伝いをしたりしていました。文化も生活環境も、何もかもガラッと変わってしまい最初は戸惑いましたが、とにかく新鮮で楽しかったですね。でも実は1997年当時、ニューヨークは経済状況が悪く、企業の倒産も相次いでいて社会的には暗くてどん底の時代だったはずなのに、それでも街は、「現状をなんとか明るく変えていこう!」というようなエネルギーに満ち溢れていました。世界中から才能が集まり、いろんなことが生み出されていくエネルギーにも勇気をもらいました。ここでの経験があって、なんでもポジティブに物事を捉えられるようになった気がします。
—これまで数えきれないほどのプロジェクトを手掛け成功に導いてこられましたが、いちばん思い入れの強かったプロジェクトは何でしょうか?
「アユーラ(AYURA)」(2015年アインファーマシーズに譲渡)の立ち上げですね。ブランド開発から携わった初めての仕事でした。「今までになかった化粧品を作りましょう」ということで、自由に発想させていただいたことは今でも感謝していますし、この経験が自分自身の成長につながりました。
—アユーラではどんな取り組みをされたのですか?
ニューヨーク時代に知った「アフターマーケティング」を積極的に取り入れました。マーケティングって、宣伝広告で新しいお客さまを集客するものですが、「その時出会ったお客さまをいかにもてなしロイヤリティを増やしていくかが大事である」というのがアフターマーケティング。これって今では当たり前ですが、当時の日本ではあまり行われていなかった。だから帰国したらすぐに導入したかったんです。
ーどんなことを行いましたか?
アユーラのローンチはインターネット元年とも言われる1995年。ホームページもまだみんな持っていない時代に先駆けて作ったり、パソコン通信を使って双方向からのコミュニケーションを取れるようにしたり、溜まったデータをもとに商品開発にフィードバックしたり…。とにかくプリミティブではありましたが、声を聞いてモノづくりをすることの手応えみたいなものはありましたね。
バリでの大規模スパ事業
—アユーラを離れた後は、バリでのスパ事業を手掛けていらっしゃいましたが、まったく異なるプロジェクトでご苦労はありませんでしたか?
開発に携わったスパは、ウブドという土地のアユン川の渓谷沿いにあるジャングルを切り開いてヴィラを立てるという、とにかく規模の大きな事業でした。当時、スパといえば路面やホテルにあるものと思っていたので、化粧品会社に入って、こんな仕事があったのかと驚きました。バリは駐在ではなく、出張ベース。東京でトリートメントを開発したり、開発した商材を現地へ運んだり、運営するお手伝いをしたり、4年間で30回以上も行き来していました(笑)。
ーバリはNYや日本とはまた違った文化を持っていますよね。
すごく信仰心の強い、ある意味昔の日本のような懐かしさがある場所です。習慣も生活も価値観も違う。現地の人たちを尊重して価値を作っていくことが何よりも重要だったので、うまくいかないこともありましたが、とても勉強になりました。
チーフ D&I オフィサーの役割
—現在、チーフ D&I オフィサーを務めていらっしゃいますが、資生堂が推進するD&Iは、その時の経験が生かされているのですね。
ニューヨークやバリでカルチャーショックを受けた経験があって良かったと、つくづく思います。多様な人がいて、それぞれ良さがあり、うまく活かしていくことの大切さを学べましたから。考えてみると、一人ひとり違うのは当たりまえ。そもそも多様なものなんですよね。プロジェクトから離れ帰国したときに、そう強く思いました。
ただ最近思うのは、多様性って、多様さを作ることが目的じゃないということ。多様な人の才能が生かされることがダイバーシティ。力が寄りあって新しいものを生み出すというふうに持っていくことが本質だと思うんです。持っている才能たちがそれぞれうまく生かされる方向を目指さないといけませんよね。
—女性活躍のための支援活動も積極的に行っていますね。
当社は、ダイバーシティ&インクルージョンを重要な経営戦略の柱と位置づけています。なかでも、90年代初めから法律に先駆けた育児休業や育児時間制度を導入するなど、女性の活躍を積極的に推進してきました。全社員の意識と行動の変革を促し、国内資生堂グループの女性管理職比率は37.3%(2022年1月時点)になりました。ダイバーシティは企業の成長には不可欠なものです。今後は、当社だけでなく、女性のさらなる活躍支援を行い、社会全体でD&Iを盛り上げていくアクションを推進していきたいですね。
—それを踏まえると、今求められるリーダー像とは、どんな人なのでしょうか?
リーダーって、いろんな形があってもいいと思うんです。イメージを固定化しなくても良いような気がします。組織の力を最大化し人を育てるのが役割だとすると、やり方はいろいろ。得意不得意もいろいろ。優秀な人が100%揃うことって、現実的にないと思います。組織の能力を最大化し、足りないところ得意なところを補い合うことが大事。1+1=3になるような組織を作れるのが理想ですよね。人も考え方もリーダー像もいろいろ。とにかく多様性を尊重する時代だからこそ、それを取り入れて活かせる人がいたら百人力。今は先が不透明で不安になりがちな時代だからこそ意識的にポジティブでいられることも大切だと思います。
今後は若い世代の成長のサポートも
—今後の展望は?
人生100年時代、何らかの形で若い世代の成長をサポートできたらと思っています。不安だらけの世の中で、今の若者たちは夢を抱くに抱けないのが現状。だからこそ、もっと明るい未来を作っていくための支援をしていきたいと思っています。
—最後に、この先もますますお忙しくなるかと思いますが、プライベートでのリフレッシュ法を教えてください。
趣味は華道です。以前から「道」がつく習い事をやってみたいと思っていて、いろいろ検討した結果、華道を選びました。花という命をハサミでばさっと切って美を見出すのって、よくよく考えてみると残酷なこと。でもだからこそ表現できる美しさがある。お華の世界は本当に奥深いなあと感じています。
—お花を生けることも、今の仕事にいい影響をもたらしていますか?
生花の作品もチーム制。調和を生み出すための取捨選択をする、という意味で今の仕事ともつながるなと感じることはあります。みんな多様なのに、集団になった時に最も美しいポジションや配分を考えてひとつの作品になるというところも。自分の気質にあっているから、ついのめり込んでしまうのかもしれませんね。
(文:美容ライター サカイナオミ、聞き手・企画編集:福崎明子)
美容ライター
美容室勤務、美容ジャーナリスト齋藤薫氏のアシスタントを経て、美容ライターとして独立。25ansなどファッション誌のビューティ記事のライティングのほか、ヘルスケア関連の書籍や化粧品ブランドの広告コピーなども手掛ける。インスタグラムにて、毎日ひとつずつ推しコスメを紹介する「#一日一コスメ」を発信中。
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【美を伝える人】の過去記事
RELATED ARTICLE
関連記事
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境