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「人生を無駄にしていないか?」母からの問いを機に真剣に商売と向き合う
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売り上げが20億円前後で上下を繰り返す中、母からカフェに呼び出される。
「母ちゃんはC型肝炎だったんです。僕もC型肝炎だったんですけど、インターフェロンを打って治療したのでもう肝臓は正常なんですが、母ちゃんはC型肝炎から肝硬変になって癌ができたんですよ。2011年だったかな、今はロンハーマンになっているサザビーリーグ本社の1階のスタバに呼び出されて。僕は、母ちゃんから何か欲しいと言われたら全部買ってあげていましたし、バーキンだったり時計もいくつもプレゼントしていました。それが親孝行だと思っていたんです。でも母ちゃんから『あんたは金儲けは上手い。けどすぐに脇が甘くなる。人生を無駄にしていないか?私ももう長くないんだから』と。2時間くらい怒られたんです」
母の言葉を機に商売と真剣に向き合うようになり、年商はどんどん伸びていく。
「母ちゃんに恩を返そうと思って、真面目に商売に取り組みました。23億円、29億円、37億円、54億円、92億円と毎年売上が上がっていき、あれから一度も前年比を下回っていないです。一度真剣に向き合って商売のことばっかり考える生活になると、遊ばない生活が基本になりました。僕は煙草も吸わないし、お酒も飲まない。お姉ちゃんにもモテないですからね」
売上を伸ばす為に取り組んだことについて本明氏は2つのトピックスをあげた。
「一つは毎日同じことをすること。石の上にも三年という言葉の通りで、地味なことをどれだけ我慢してできるか。そして二つ目が毎日違うことをすること。ずっと同じことをやり続けながら少しずつ新しいことに挑戦してバージョンアップさせていく。全部が全部上手くいく訳ではないので、成功した、失敗した、成功した、失敗したというのを繰り返しながら徐々に精度を上げて。お金は最終的についてくるモノなので」
本明氏の日課はウォーキング。約10年の間、東京にいる時は朝4時に起きて歩きながらビジネスについて考えているのだという。
「C型肝炎の治療でインターフェロンを打つと熱が上がって、何も食べれなくなる時期がありました。あと、僕の商売が東海岸と連絡を取り合うことが多くて、向こうが活発な時間はこちらが夜中なんです。その影響で睡眠時間が減って、2年間ぐらい本当に調子が悪い時期がありました。今は体も全然元気ですが、体調が悪かったときを覚えているので基本的に遊ぶことはないですね。余計なことを考えないので良いんですけど。23時には寝て4時に起きる。東京にいる時は起きてから毎日約4kmぐらい歩いています。走ると息が上がって考えられなくなるので、歩きながら『こうやったら儲かるんじゃないか』とずっと考えています。母ちゃんが死んだ日も、台風がきていても。一度崖から落ちて、2週間ぐらい歩けないときがあったんですが、その2週間以外は毎日歩いていますよ」
メーカーとの協業ショップの先駆け「スポラボ」をオープン
2013年、ナイキと共に「スポーツカジュアル」を提案する新ショップ「スポーツ ラボ バイ アトモス(Sports Lab by atmos)」を新宿にオープン。現在、アトモスでは「アディダス(adidas)」との協業ショップ「エーティーエーディー(A.T.A.D)」や、「アグ®(UGG®)」とのショップ「UGG@mos」を展開しており人気を集めているが、スポーツ ラボ バイ アトモスがブランドとの協業ショップの先駆けとなる。
「なぜナイキが僕たちのお店に優しいかというと、当時全然ナイキが売れていなかった頃にスポラボを始めたからだと思います。でもスポラボの出店場所についてはナイキは良く思っていなかったみたいで。評価すると『C+』ぐらいで、もしコケても責任が取れないような場所だと言っていましたね」
しかし、本明氏は場所を変えずにスポラボを出店。その結果、売上は堅調に推移した。
「僕はチャプターの頃からずっとナイキを売ってきていて、ナイキが盛り上がって落ちてを2回ぐらい繰り返していたのを知っていました。だからまた来るなと、絶対に売れる自信があったんです。そして、もう一度盛り上がるのであればスニーカーを好きな人たちだけでなく、興味がない層にも広めたいと思っていたので老若男女が集まる新宿が良かったんですよ。原宿は僕たちの本拠地だし、それなりの地場があるから。もっと広めるために」
本明氏の思惑通り、ナイキブーム、そしてスニーカーブームが起き、スニーカー文化はマニアだけでなく大きなムーブメントとなって広がっていった。本明氏は自身のことについて「ナイキで財を成した」と話す。ナイキへの恩を感じていることからスタッフはアトモスカラーの青色の名刺だが、本明氏の名刺だけはナイキのコーポレートカラーのオレンジ色を使用している。
「ちなみに新宿は出店先をずっと探していたんですけどあまり良い場所がなかったんです。それで、妹の結婚式の前日に、相手方の両親とご飯を食べなきゃいけないことになり。仕事の合間を縫って時間を確保したので、走って向かっていたら、光の反射で段差があることに気が付かなくて転けてしまって、骨を折ったんです。痛くて次の日の結婚式もそれどころじゃなかったですよ。それで、なんでこんなところで転けてしまったんだろうと数日後に反省しにいったらちょうど『テナント募集』と書いてあったんです」
勝負のタイミング、店舗数を急拡大
2014年には8店舗を出店。その後も店舗数を増やし、現在は36店舗を運営している。
「勝負の時だと思ったら、一気にアクセルを回す。スニーカーブームの勢いを感じたので、店舗を増やしました。みんなデジタルデジタルと言うけれど、デジタルの限界も感じ始めていて、デジタルだけだと難しい。ZOZOTOWNの平均単価も3000〜4000円ぐらいで、スニーカー市場ではあまり希望を感じられないですし。もう面白いことが付随していないと売れないんですよ。だから今はポップアップだったり、毎週末必ずどこかの店舗でイベントを開催するようにしています」
2018年には女性向けの業態「アトモス ピンク(atmos pink)」をスタートさせる。
「男性よりも女性の方が購買意欲があると感じたので、売れるんじゃないかなと思ったんです。初めはどうかなと不安もありましたが、安定して売れるようになってきましたし、アトモス ピンクという名前が立ってきたので、今後更に店舗を増やす予定です。あとは、やっぱりスタッフの良さが出てきたなと感じていて。元マッシュホールディングスの事業部長が働いているんですが、彼女のおかげで2年目ぐらいからはアパレルも調子が良い。うちで働きたいという人もこれまでは靴好きな人が多かったけど、アパレルブランドから転職したいという人も増えていますね」
約394億円で売却、会社設立からの25年は「とにかく一生懸命だった」
そして今年、フットロッカーへ売却した。本明氏の元へフットロッカーから買収についての話が来たのは約1年前。コロナ禍ということで、ZOOMを中心に話し合いが行われたという。
「声をかけてもらうまで全く考えていなかったんですが、売却の提案を受けて僕が引退した時のこととかを考えると『それもいいな』と率直に思ったんです。僕は子どもが2人いますが、『俺の家業だから会社を継げよ』というのも可哀想ですし、彼らには彼らの人生がある。今の世の中の流れってそういう感じだと思うんですよ。好調な会社はカリスマ経営者みたいな人がいて、その人がいなくなると上手くいかなくなるケースをよく知っているので。アップルやマイクロソフトは例外ですが、ほとんどの企業があまり上手くいってない印象で。そういったことを考えると売却の選択も悪くないなと思ったんです」
「フットロッカーにとっては、限定スニーカーなども扱える僕らのアカウントが欲しかったんでしょうね。後は中国への進出かな。中国の市場への影響がここまで大きくなるとやはり中国を無視はできない。でも、政府の一言で時価総額が急変する国ですから、フットロッカーのような企業ではなく、僕らのようなコンパクトで細かく対応できる商売の形態の方が向いていると思うんです。まあ、僕が考えることではないんですが。ただ、一つだけ言えることは、フットロッカーが日本に進出してもたぶんうまくいかないでしょうね。売却の報道から色んな人から連絡が来ましたが、『フットロッカーって何?』と言う知り合いが数人いて。日本だとABC-MARTがあって知名度も圧倒的だし、アメリカとは消費習慣が違うので。10年ぐらいかけて基盤を作らないと厳しいだろうと思っていますね」
買収による屋号の変更などはなし。本明氏も引き続き代表として会社を率いていく。
「お客さんにとって見れば何も変わらないと思います。あるとしたらフットロッカーが全盛だった1990年代の別注がアトモスで買えるようになるかもしれないぐらいで、それもナイキに相談してみないとで何とも言えないんですけどね。社内事情だとフットロッカーの人がうちにきているんですが、僕らが売れると確信しているものが共感できず、バイイングについてよく疑問を持たれています。なので、売れているうちはいいですが、売れなくなったら僕はクビになるんじゃないかな(笑)。まあ、引き続き頑張ってやらないと。売却したから売上が下がったみたいな状況になるのも癪だし」
「ちなみに個人の生活も何も変わってないです。まだお金ももらっていないし、変わる気配もない。相変わらず、朝に弁当を作って持ってきていますし、食費は週に7000円ぐらいかな。お金を使っているものといえば本が好きだから本と、後は浮世絵とかウランガラスとか一文銭とか。僕が死んだときに価値がわからないものしか買っていないかもしれないですね」
会社設立から来年で25年。振り返ると「とにかく一生懸命だった」と本明氏は話す。
「本当にあっという間でした。でもこの商売をやっていて一番良かったのは色々な人と知り合いになれたことですかね。敵も多いですけど、真面目にやっていると仲良くなって、良くも悪くも10年、20年とずっと一緒に面白おかしく楽しめるというのは幸せなことだなと思います。一生懸命に取り組めばちゃんとした会社や人間関係を築けるんですよ。スニーカーだけでなくファッションもですが、夢を持って志があって業界に入ってくるけど、お金を得るチャンスがあるのにそれに気付けず途中でやめちゃう人が多いから。業界的に閉塞感がありますが、今回の売却って明るいニュースだと思うんですよね。300万円で始めた商売を300億円以上に成長させた。だから若い人も儲けることについて勉強しながら、時間を大切に一歩ずつ歩んで頑張って欲しいですね。アトモスの売却が少しでも若い人のビジネスの希望になっていれば嬉しいです」
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