YUSUKE TAKEI
Image by: FASHIONSNAP
「ナイキ(NIKE)」を代表するスニーカー「エア フォース 1(Air Force 1)」が、2022年に40周年を迎えます。1982年に初めて「ナイキエア」を搭載したバスケットボールシューズとして登場し、現在ではライフスタイルシューズとして様々なデザインのエア フォース 1が展開されています。数ある種類の中で、押さえておくべきモデルは何か?日本一のエア フォース 1コレクターとも言われるYUSUKE TAKEIさんに、1982年発売のファーストモデルやエミネム(EMINEM)のシェイディー・レコード(Shady Records)モデルなど、お気に入りの10足を解説してもらいました。
目次
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■YUSUKE TAKEI
25年に渡りエア フォース 1を集め続け、SNKRSでも紹介されたナイキ公認のコレクター。その数はおよそ600足に及び、古今東西のエア フォース 1を知り尽くしている。
1. 1982年 オリジナル
YUSUKE TAKEI(以下、TAKEI):1足目はエア フォース 1のファーストモデルです。1982年に発売されたものですね。
FASHIONSNAP(以下、F):どこで購入したんですか?
TAKEI:あまり覚えていないんですが、1990年代後半に古着屋を回っていたときに見つけて買ったと思います。当時はハイテクブームの最中で、ヴィンテージブームが少し落ち着いた頃。定価は2万5000円なんですが、3万円くらいで買えました。
F:今、一般的に販売されているエア フォース 1は定価が1万1000円。当時の方が高いですね。
TAKEI:レザーも今より良い物を使っていて質が良いですからね。ディテールも変わっていて、つま先にベンチレーションホールがなく、サイドメッシュ、ストラップのディテールが特徴です。僕はストラップは失くしちゃってるんですけどね。あとヒールに「NIKE AIR」の文字が入っているんですが、今のモデルにはここにスウッシュがあります。一番最初のロットだけがこのディテールで、同じ1982年でもこれの次に製作されたものはつま先にベンチレーションホールが空いていて、サイドもメッシュではなくレザーになります。昔の月刊バスケットボールに広告が出ていて、白、銀白、赤白青の3色が発売されたんですが、実はその3色も持っています。当時は今みたいに新作が大量に出るという感じではなかったので、目ぼしいモデルは全て買うというような感じでしたね。
F:購入の決め手としてはファーストモデルという点ですか?
TAKEI:そうですね。集めているモデルの起源なので持っておかないとダメだなということで。
2. 1983年 オリジナルローカット
TAKEI:続いてはエア フォース 1の初のローカットモデルです。ハイカットは1982年に発売されましたが、ローカットが初めて出たのは1983年なんです。
F:ローカットはファーストモデルからつま先にベンチレーションホールが空いていますね。
TAKEI:そうですね。ただ、今のモデルとはディテールが違っていて、つま先のアウトソールが今は星型になっているんですが、1983年発売のものは星ではありません。ヒールの「NIKE AIR」もスウッシュなしです。あとは、サイドのステッチがくの字になっています。2020年10月にラベルメーカー(LABEL MAKER)というシリーズで1983年のモデルが復刻されているんですが、実はナイキのデザイナーの方が私のこのモデルの写真を撮って作ったんですよ(笑)。
F:凄いですね(笑)。デザイナーとはどこで知り合ったんですか?
TAKEI:OTCというヴィンテージスニーカーの愛好家が集まる会に持って行ったら、デザイナーの方が来ていて。ちなみに、OTCというのは「ナイキオタククラブ」のことです(笑)。ナイキクロニクル(NIKE CHRONICLE)というヴィンテージの本を作ったメンバーが主催している会で、近年はコロナで開催できていないですが、基本的に毎年やっています。
3. エミネム シェイディー・レコード
TAKEI:これはエミネム(EMINEM)のシェイディー・レコード(Shady Records)モデルです。2004年にプロモーションで作られた非売品で、フレンズ&ファミリーというやつです。
F:どこで購入したんですか?
TAKEI:パスオーバー(PASSOVER)です。2004年か2005年に買ったんですが、11万円ぐらいでした。エミネムが好きだったのは前提として、当時は非売品が買えるチャンスが有るとは思っていなかったので迷わず買いました。
F:今だといくらになるんですかね?
TAKEI:売る気がないので詳しくはわからないですが、おそらく100万円は超えるんじゃないですかね。
F:カラーリングも良いですね。
TAKEI:当時はカラーバリエーションが全然なかったので、見た時に凄く衝撃を受けましたね。今だと「NIKE BY YOU」でカラーを真似して作ることができるはずです。これはシュータンとヒール、インソールにシェイディー・レコードのロゴがデザインされています。
F:気になったんですが、今日着けられているベルトはシューレースに付いているデュブレと同じデザインですよね?
TAKEI:そうです。このデザインが2004年前後で使われていたモノで。このベルトと着ているパーカが私のメディア露出用の衣装で、ベルトはもう1本ストックがあります(笑)。
4. アンディフィーテッド×アントラージュ
TAKEI:映画「アントラージュ★オレたちのハリウッド:ザ・ムービー」のプロモーションで出たモデルです。ナイキがコラボやプロモーションのモデルを作り始めたのが2000年代初頭で、エミネムやこれが最初の方のモデルですね。
F:レーザーカットのデザインが特徴的ですね。
TAKEI:「アンディフィーテッド(UNDEFEATED)」とのトリプルコラボで、シュータンには手書き風の「ファイブストライクス」もあしらわれています。レザーはシワ加工がかけられていて、ディテールまでかなり凝ったデザインだと思います。レーザーカットのシリーズはエア フォース 1で4型発売されていて、レーザーのシリーズは全て太いシューレースなんですよね。ちなみに、これはプロモーションで150足限定で配られたと言われています。
F:これはどこで購入したんですか?
TAKEI:イーベイ(eBay)だったと思います。買ったのは2010年頃で、価格は約10万円でした。
F:購入の決め手は?
TAKEI:エミネムと一緒で存在は知っていたんですけど、150足限定なので買えるとは思っていなかったんです。偶然マイサイズが売られていたので、迷わず買いました。
F:マイサイズ以外を買うことはありますか?
TAKEI:ほとんどないですね。ごく僅かだけ、履けるんですがマイサイズの10じゃないものがありますが、エア フォース 1をコレクションし始めたときから、履くために買うということを一貫していて。自分の中では、サイズ10じゃないとエア フォース 1じゃないという感覚を覚えるほどです(笑)。
5-25周年記念 「1 LOVE」サプリーム
TAKEI:これはエア フォース 1の25周年に発売されたもので。25周年ってナイキが凄く力を入れたアニバーサリーなんですよ。
F:普段売られているものとレザーの質感が違いますね。
TAKEI:周年モデルの中でも3種類あって、ノーマル(NORMAL)、プレミアム(PREMIUM)、サプリーム(SUPREME)の順番でグレードが上がっていくんですが、これは上位モデルで定価3万円くらいのサプリームです。
F:ディテールがそれぞれ違うんですね。
TAKEI:レザーの質感もですが、わかりやすい箇所で言うと始末に違いがあります。いわゆるノーマルは一般的に販売されているものと同じで普通に縫われていて、プレミアムはステッチの始末を内側に織り込んだデザインになっています。サプリームは縫い目自体を内側に織り込んだ製法でステッチが見えない仕様です。
F:サイドには25周年記念のポップアップショップ名「1 LOVE」の文字などが刻印されています。
TAKEI:抽選で当選した人か、ポイントを貯めた人がレーザー刻印を入れられる仕組みだったと思います。あとノーマルやプレミアムと比べると、シューズの内側もレザーでヒールカウンターの「NIKE AIR」ロゴもレザー加工。シューレースアクセも高級感あるディテールになっています。
F:これはまだ着用していない?
TAKEI:していないです。履いていても真っ白なので誰にも気が付かれないので、ノーマルのホワイトで良いかなという気分になってしまい(笑)。あとエア フォース 1だけでも約600足持っているのでシンプルなホワイトを敢えて履く機会が少なくて。自分の結婚式ではホワイトのエア フォース 1を履きましたけどね。6足ぐらいスニーカーを持って行って、衣装替えの代わりに靴変えをしました(笑)。
F:凄いですね(笑)。靴変えは新郎新婦二人共ですか?
TAKEI:妻は全く興味がなくて、スニーカーを買ってあげてもエア マックス 1しか履きません。
F:家の二部屋がスニーカーで埋まっていますが、何か言われることはないですか?
TAKEI:出会った時からいっぱい持っていたので、今更何も言われないですよ(笑)。
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