日本を代表するスニーカーショップのキーマンが1年間を振り返る「スニーカートップセラーに聞く」。2024年も本企画の常連、ミタスニーカーズ(mita sneakers)のクリエイティブディレクター国井栄之さんに2024年のベストスニーカー3足と、昨今のシューズ事情について語ってもらいました。
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⎯⎯まずは、2024年のベストスニーカー3足を伺う前に、2024年の1年間で所有するスニーカーはどれだけ増えましたか?
国井栄之(以下、国井):毎年200〜300足は増えるので、今年もそれくらいは増えたと思いますが、実は盗難被害に遭いまして。3年ほど前、事務所を引っ越すタイミングで整理を兼ねてコンテナ倉庫を借りたんですよ。それ以来、一度も開けていなかったんですが、先日、管理会社から「国井様のコンテナの鍵が外れているようです」と連絡をいただき、向かったら中身を半分ぐらい持っていかれてました。
⎯⎯昔の私物や未発売モデルのサンプルなどが保管されていたのではないでしょうか......?
国井:いや、その類は事務所に置いてあり、コンテナに置いていたのは忘れた頃に履きたくなるインラインの寝かせ系が中心だったので、むしろ何を盗られたのか全然把握できていなくて。というのも、盗みに入った人はおそらくスニーカーに明るくない人物だったようで、いわゆる世の中的に欲しがられるモノは履いたことがある状態ばかりだったから、デッドストック状態の寝かせ系ばかり無くなっていたんですよ。そっちの方が売れると思ったんでしょうね。
⎯⎯国井さんのコレクション目当ての犯行ではなかったと。
国井:コンテナには旧車などを収納している方もいるらしく、そちらを狙っていたのでしょうが、鍵を開けたらスニーカーが出てきたので仕方なく盗んだんだと思います。ただ、仕事でスニーカーを売っている分、プライベートでは一切売らずに溜まっていく一方だったので、ぶっちゃけへこんでいなくて。良い断捨離の機会になったと思っています(笑)。
ニューバランス × ミタスニーカーズ/MT580 “OGコンボ”
ニューバランス(New Balance)× ミタスニーカーズ(mita sneakers)/MT580 “OGコンボ”(MT580 “OG COMBO”)
Image by: FASHIONSNAP
⎯⎯それでは、ここからはベストスニーカーの紹介をお願いできればと思います。1足目は、ミタスニーカーズといえばの「ニューバランス(New Balance)」との協業で、10月に発売されたモデル「MT580 “OGコンボ”」です。
国井:「MT580」の昔話からさせていただくと、1996年に日本改良品版として発売されたOGモデルが最終的にワゴンセールに行きになった中、へクティク(HECTIC)やミタスニーカーズなどの身内で流行り、その後に偶然にもコラボの話が舞い込み、同モデルが世界的な支持を得た結果、インラインとしても2008年にグローバルローンチされた、という話だったのが、「ワゴンセールのスニーカーがコラボで世界に広がった」と切り取られがちで。改めて振り返った時に、一番重要な僕らがどこの誰よりもOGモデルが好きだという事実が伝わっていなかったことに気がついて、2つのOGカラーを組み合わせた「MT580 “OGコンボ”」を締めくくりとして作らせて頂いたんです。
⎯⎯ストーリーがミタスニーカーズさんらしいですね。
国井:日本だけで販売されていた「MT580」が逆輸入的にグローバルローンチを迎えた2008年、トリプルネームの「MT580」第2弾と第3弾のカラーリングを組み合わせたカラーウェイをリリースしたことがあったんです。今回は、そのコンセプトを踏襲しつつ、OGカラーでブリングバックさせた感じですね。
⎯⎯シルエットはOGモデルから少し変わっている気がします。
国井:僕らはポテっとした丸っぽいシルエットの「MT580」が好きだったんですけど、今、復刻では「900番台」や「1000番台」などナローなシルエットが好まれる傾向にあるので、ラストがやや細身のSL-1に変更されています。ただ、「“OGコンボ”」を謳っているのに当時のボリューム感が足りないのは嫌だなと思っていたら、ニューバランス ジャパンの次世代のデザイナー陣に「昔はシュータンやライニングのパッドがパンパンでしたよね」と言われて。当時、「ニューバランス」だけでなく他のスニーカーも、パッドに綿を入れてパンパンにすることでホールド感を補う作りをしていたんですよ。それを再現することで、当時を知っている方は足入れした時のフィット感を思い出せるし、当時を知らない若い方はシューレースをルーズに通して足元にボリュームを持たせられるし、世代によって違う履き方が楽しめるようにしました。カラーリングやシルエットは画面上でも分かるけど、感覚は履かないと分からないという、スニーカー本来の醍醐味ですね。
⎯⎯「MT580」は生産が終わると耳にしましたが。
国井:そうなんです。昨年グローバルでフォーカスされ、アジアでのみ今年も継続的にその動きがあり、最後にシュリンクした感じで終わるのは嫌だったので、締め括りとしてアトモス(atmos)さんと足並みを揃え(*同時期にコラボモデルを発売)、大きな波を作って終わらせる気持ちで作りました。
⎯⎯アトモス千駄ヶ谷店では、ミタスニーカーズのコラボ「MT580」のアーカイヴモデルを展示するエキシビションが開催されていましたね。
国井:このプロジェクトが始まった時から、小島くん(アトモスのディレクター小島奉文)と「最後に何か一緒にやろう」と話していたんです。アーカイヴモデルは全て保管していたのですが、何十年も前のスニーカーだから加水分解が進んでいることもあり、綺麗に見せられる最後の機会だと思い、小島くんからの依頼に快諾した形です。
⎯⎯ミタスニーカーズのアーカイヴ展示は珍しいですよね。
国井:好きなモデルや思い入れのあるスニーカーを聞かれた時、「最新作」と答えるくらい僕は懐古主義的ではないので。でも、ミタスニーカーズがアトモスさんのあの場所で展示することや、OGモデルを知らない世代にとってはフレッシュなことを考えると、アリかなと。それに、良くも悪くも日本のパワーが薄れてきている時代だし、一緒に取り組めることは一緒に取り組んだ方がいいじゃないですか。個人としてはちょこちょこアトモスさんのお手伝いをしてきたんですけど、ミタスニーカーズとしては久々でしたね。実は、アトモスとニューバランスの初コラボにはミタスニーカーズが関わっていて、2006年にそれぞれ2色ずつ「1700」を用意して、全4色をミタスニーカーズvsアトモス形式で発売したんですよ。世間は“プロレス”が好きなようですが、スタイルは別としてスニーカー屋としての根底は一緒ですから。
アシックス スポーツスタイル/ゲルライトスリー OG “トリコ 2024”
アシックス スポーツスタイル(ASICS SportStyle)/ゲルライトスリー OG “トリコ 2024”(GEL-LYTE III OG “TRICO 2024”)
Image by: FASHIONSNAP
⎯⎯続いては、「アシックス スポーツスタイル(ASICS SportStyle)」から「ゲルライトスリー OG “トリコ 2024”(GEL-LYTE III OG “TRICO 2024”)」です。
国井:これは、僕個人でディレクションさせていただいたモデルになります。「ゲルライトスリー」の誕生30周年であり、東京でオリンピックが開催される予定だった2020年、「ゲルライトスリー OG “トリコ 2020”(GEL-LYTE III OG “TRICO 2020”)」をOGの生みの親である三ツ井さん(アシックスのデザイナー 三ツ井滋之)と共に製作させて頂いたのですが、そのモデルのスペックを踏襲しながらパリ五輪に着想を得て、ブラッシュアップしたのが今作です。
国井:また、「ゲルライトスリー OG “トリコ 2024”」に続く形で「ゲルライトスリー OG “ドライローズ”(GEL-LYTE III OG “DRIED ROSE”)」というモデルも個人で作らせていただきました。2014年のミタスニーカーズとのコラボモデル「ゲルライトファイブ “ドライローズ”(GEL-LYTE V “DRIED ROSE”)」を踏襲したカラーで、“ドライローズ”には日々進化が著しいスポーツシューズを短命な花に例え、手を加えることにより永遠に輝き続けるという意味を込めています。
⎯⎯国井さんは、昨年と2020年にもこのインタビュー企画で「ゲルライトスリー」を選出されていますね。
国井:「ゲルライトスリー」は、「アシックス」にとって本当にエポックメイキングなモデルで、「アディダス」にとっての「スーパースター(Superstar)」、「ナイキ(Nike)」にとっての「エア マックス(Air Max)」のように、ずっとあり続けなくてはいけないモデルなんですよ。今、Y2Kのトレンドで2000年代のテンションのランニングシューズが各ブランドですごく好調で、この流れを牽引したのが「アシックス」。だからこそ、ヨーロッパやアメリカではどうしても「ゲルカヤノ(GEL-KAYANO)」や「ゲル エヌワイシー(GEL-NYC)」など、現在のトレンドだけがフォーカスされてしまう。だったら「お膝元の日本でこそ」ということで、特にこの1年はゲルライトスリーに力を入れていました。僕らの仕事としては、もちろんブランドが打ち出す大きな流れを紹介することも大切だけど、ミタスニーカーズとして継続して伝え続けなきゃいけないこともある。それが「ゲルライトスリー」なんです。
⎯⎯「ゲルライトスリー」は来年で誕生35周年ですが、何か仕込まれているのでしょうか?
国井:大きな節目なので何かしらやりたいんですけど、今のところまだ不透明というか、逆にやらないかも。まぁ、「ゲルライトスリー」だけでなく「ゲルライトファイブ」だったり、シリーズ自体が少し忘れられているので、「ゲルライト」にフォーカスできるようなモデルを提案できたらいいなとは思っていますね。
アディダス オリジナルス × ミタスニーカーズ/ライバルリー ロー & ZX 8000 “アスク” “コンソーシアム”
アディダス オリジナルス(adidas Originals)× ミタスニーカーズ(mita sneakers)/ライバルリー ロー & ZX 8000 “アスク” “コンソーシアム”(Rivalry Low & ZX 8000 “Ask” “Consortium Cup”)
Image by: FASHIONSNAP
⎯⎯ラストは、2023年開催のデザインコンペ「アディダス コンソーシアム カップ(adidas Consortium Cup)」のためにデザインされた「ライバルリー ロー(Rivalry Low)」と「ZX8000」です。本大会は全4戦の勝ち抜きトーナメントで、ミタスニーカーズを含む16ショップが参加していましたね。
国井:1回戦の相手はイギリスの「オフスプリング(OFFSPRING)」で、2022年のミタスニーカーズと「アディダス オリジナルス」のコラボモデル「フォーラム 84 ロー “アスク”(Forum 84 Low “Ask”)」を着想源とした「サンバ(Samba)」で挑んだのですが、残念ながら1票差で負けてしまいました。ただ、アディダスのグローバルの方曰く一番盛り上がった試合だったそうで、今回の対戦を機に仲が悪くなったところもある中、僕らは試合後にリスペクトに溢れたDMをいただき、その後、実際に顔を合わせたりと良いリレーションが生まれた大会でしたね。
国井:それで、2回戦のために用意していたのが「ライバルリー ロー」です。ちょうどデザインしていた頃、原宿のたこ焼き屋「いちひく」に行ったら「バウンティーハンター(BOUNTY HUNTER)」のHIKARUさんに遭遇し、「レイダースカラーのスニーカーを作ってよ」と声を掛けられて。それから家に帰ってもなぜかその言葉が忘れられず、以前「フォーラム 84 ロー “アスク”」を渡せなかったことも頭をよぎり、そういったHIKARUさんとの断片的な記憶をギュッと集めて完成したのが「ライバルリー ロー “アスク” “コンソーシアム”」なんです。
後日談として、1回戦で敗退したので商品化はされなかったのですが、記念に10足ほど作ってもらえることになり、きっかけでもあるHIKARUさん用のサイズを用意してもらうはずが、手違いで納品されず再度お渡しできないという地獄を見ました......。それでもHIKARUさんに笑って許していただけたのが救いです。
⎯⎯では、3回戦用が「ZX 8000 “アスク” “コンソーシアム”」だったんですね。
国井:そうです。2013年にミタスニーカーズからSMUで発売した「ZX 8000」を、全く同じカラーでリバイバルさせながら、当時は価格の問題でスペックダウンした素材などを、本来やりたかった仕様に全てアップデートしました。元々のカラーは、「エキップメント サポート ランニング(EQT SUPPORT RUNNING)」を参考にしているんですけど、当時プロトタイプを履いてベルリンに行ったら、僕より少し上の年齢の方々に「それなんだよ」や「どこで買った?」と質問攻めにされて。
話を聞けば、「EQT」がデビューした1991年はベルリンの壁崩壊(1989年)の直後で、アディダスは西側の代表的なブランドとして自由の象徴だったから、思い入れが一際強いそうなんです。日本人の僕たちからすれば、当時のアディダスといえばアメリカのさまざまなカルチャーやスポーツとリンクしたイメージが強かった中、たまたま出張で行ったベルリンで自分が制作に携わった「ZX 8000」に対して大勢の人が想いを語ってくれるとは考えておらず、お膝元でアディダスの歴史の一端に触れられた1足になりました。この背景もあり、2013年の「ZX 8000」はヨーロッパを中心にヒートしたんです。
国井:「アディダス コンソーシアム カップ」の全貌を話すと、1回戦では「フォーラム 84 ロー “アスク”」を購入できなかったファンのため日本に向けて、2回戦ではストリートカルチャーに密接だった「ライバルリー」をアメリカに向けて、3回戦では先の話からヨーロッパに向けて、決勝では「EQT バッドランダー(EQT BADLANDER)」をコアなファンのために復刻させるストーリーを組んでいました。
⎯⎯2モデルとも非売品ではありますが、ウェブメディア「ミミック(MIMIC)」が主催するフリーマーケット “《あんとき》マーケット”で極少数を販売していましたね。
国井:それぞれ5足だけ出品したのですが、価格はモデル名に「ASK(お尋ねください)」と入っている通り“言い値”です。当日、現場に設置されたQRコードを読み取った方だけが販売抽選に進める方式を採用し、実際に当選者の希望金額で販売しました。三桁万円を希望されている方もいましたが、僕らとしてはわざわざ現場に来てまで応募してくれる気持ちが嬉しいので、別に金額は1円でも良いんです。
2024年のスニーカーシーンを振り返って
⎯⎯去年に引き続き、今年のベスト3にも「ナイキ」は入ってきませんでしたね。
国井:ミタスニーカーズの売上でいえば、これまで通り「ナイキ」は常に上位です。ただ、去年まで売れていたモデルがぱったり止まったり、本当の意味での新作が少なくて、復刻モデルのカラーや素材違いが多い印象ですね。個人的には、「エア マックス Dn “トリプルブラック”(Air Max Dn “Triple Black”)」が“2024年で最も履いたスニーカー”でした。
⎯⎯現在、ナイキは不調と言われていますが、この原因をどう見ますか?
国井:一番の理由は、ナイキが数年前からデジタルにシフトしたコンシューマー・ダイレクト・オフェンス(D2C戦略)を導入し、効率化など様々な観点から直営戦略に切り替えて、基本的に自分たちのプラットフォームでスニーカーを売るようになったのが大きいと思います。以前までのように、ナイキがスニーカーショップやセレクトショップの顔を飾ることがなくなり、フィジカルよりもデジタルでのトピックが多くなった。最初からデジタルでフラットに情報が公開されるのも、大勢の人に購入機会が提供されるのも良いことだけれど、買える・買えないが運に左右されるとなると、モノの見方が為替と変わらなくなり、本来の魅力やストーリーテリングが弱まりますよね。例えば、ブランドの公式リリースの活字をネットで見るよりも、ショップスタッフとの雑談の中で知る大人の事情を取っ払った話が面白いわけで。とはいえ、パンデミックによって世界が無理やり5年スキップしてしまい、なにもかも効率的に回さないと限界が来ているから、進まなくてはいけない道だとも思います。
⎯⎯そういえば、スニーカーショップとのコラボモデルも減った印象です。
国井:アパレルの方がファッションとしての市場規模が大きいですしね。スニーカーと比べて圧倒的にマーケットが大きいし、男女比2:8で比率も全然違うから、スニーカーショップよりもファッションブランドと手を組むことも必要ですよね。
⎯⎯このような状況下でスニーカーショップの意義とは?
国井:極端な話、100mを9秒台で走る選手に魅了されている横で、「車の方が速いよ」と言われても違うじゃないですか。同じスニーカーでもカラーによって市場価値が変わるのも、販売数が少なければ必ず高くなるわけではなく、人の心を高揚させるかどうか次第。数字の羅列やデータでは表せないモノを、どこまでストーリーテリングして届けることができるか。数字だけを判断基準としている人からすれば、所詮スニーカーなんでしょうけど、されどスニーカーなんです。効率化だけを重視した方向に進んでも誰も惹かれません。
⎯⎯2024年のスニーカーシーン全体を振り返ると、ハイプなスニーカーやバズったモデルは少なかった記憶ですが、いかがでしたか?
国井:数年前のチャンキーなシルエットのトレンドの反動で、ロープロファイル(薄底)に大分シフトしましたし、やっぱりソーシャルメディアの影響が大きいと思いましたね。通信速度に比例して伝達力もスピード感も上がり、世界規模で拡散される時代。モノの選び方が、自分から探しに行くよりも、勝手に入ってくる情報の中から取捨選択するようになりましたよね。
とはいえ、全員が同じスニーカーにヒートするようなことがなくなったので、スニーカーショップとしては提案しがいのある1年でした。でもこれは、日本人のお客様に対しての話。アメ横という観光客の多いエリアに店を構えている以上、全体がお土産屋のようになっている歯痒い部分もあります。もちろん、インバウンドでわざわざミタスニーカーズに来てくれるお客さんもすごいありがたいんですが、僕らのようなスニーカーショップは本来、半径数mの人たちに種を蒔くのが仕事なので。
あと、「ヴァンズ(Vans)」がプレミアムライン「ヴォルト・バイ・ヴァンズ(Vault by Vans)」の名称を「OTW・バイ・ヴァンズ(OTW by Vans)」に変更したタイミングで、何十年かぶりに取り扱いを再開したんですが、ベーシックカラーのバルカナイズドシューズが想像以上に世代を超えて好評でした。バルカナイズドシューズは安いので、昔は若い子たちがスニーカーの入り口として履いてましたけど、今の若い子はソーシャルメディアの影響もあって最初から立派なスニーカーを履いていることが多く、逆に「ヴァンズ」が新鮮に映っているみたいです。
⎯⎯また、国井さんはミタスニーカーズとは別に、虎ノ門ヒルズの「セレクト バイ ベイクルーズ(SELECT by BAYCREW’S)」内のフットウェア専門店「ヘリンボーン フットウェア(Herringbone Footwear)」でディレクターを務めています。
国井:客層が圧倒的にメンズのミタスニーカーズと真逆の立ち位置だと思って引き受けたのですが、今はウィメンズの需要もめちゃくちゃ高くて、逆にあまり差がなかったというのが本音です(笑)。とはいえ、ベイクルーズの顧客層は女性がベースなので違いはありましたし、予算に対しての達成率は100%だったものの、店舗とオンラインの売上が真逆で着地してしまいました。なので、お店に足を運んでもらうためにも何かできないかと考えていて、ここ最近ようやくイベントを開催できる土台ができたから、ミタスニーカーズでは決してやらないイベントを「ヘリンボーン フットウェア」で開くような連動は増えるかもしれないです。
今後のスニーカーシーンの展望
⎯⎯最後に、2025年の展望を教えてください。
国井:もう2026年のことが動き出しているので、2025年は僕の中である意味終わっているんですよね。まぁ、淡々とやるべきことをやるだけです。お客さんの選択肢を狭めるのではなく、広げるためにスニーカーショップをやっているので、スニーカーが売れようが売れまいが、プッシュしたいものをプッシュする。非効率の賜物かもしれませんが、数ある選択肢の中で日陰になっているモデルを、僕たちが面白いと思ってスポットライトを浴びせて紹介できれば、皆さんの下駄箱の中に同じようなスニーカーが並ぶことはなくなると思います。下駄箱の空いているスペースにズバッと刺さるような1足を紹介したいですし、スタンバイできています。
■mita sneakers
東京の下町、上野から世界へ向けて独自のスニーカースタイルを提案する「mita sneakers」。下駄や草履を売る日本古来の履物屋「三田商店」としてスタート。創立者「三田耕三郎」の英断で40年以上前から本格的にスニーカーを取り扱い始め、アメ横の老舗スニーカーショップ「スニーカーの三田」として再出発する。現クリエイティブディレクター「国井栄之」の加入後、ショップ名を現在の「mita sneakers」に改名し、当時の日本市場では未知だったコラボレーションや別注を手掛けるようになる。現在ではスポーツブランドからラグジュアリーブランドに至るまで、様々なスニーカーのグローバルプロジェクトに参画し、コラボレーションモデルや別注モデルは勿論、インラインモデルのディレクションまで多岐に渡ってスニーカープロジェクトに携わり、世界のスニーカーヘッズに支持されている。2020年6月に1階をリニューアルし、増床オープンした。
■国井栄之(くにいしげゆき)
「mita sneakers」のクリエイティブディレクター。数多くのブランドとのコラボレートモデルや別注モデルのデザインを手掛けるだけでは無く、世界プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐に渡りスニーカープロジェクトに携わる。
■【スニーカートップセラーに聞く-2023-】
・atmos 小島奉文
■【スニーカートップセラーに聞く-2022-】
・mita sneakers 国井栄之
・atmos 小島奉文
■【スニーカートップセラーに聞く-2021-】
・mita sneakers 国井栄之
・atmos 小島奉文
■【スニーカートップセラーに聞く-2020-】
・atmos 小島奉文
・mita sneakers 国井栄之
■【スニーカートップセラーに聞く-2019-】
前編:atmos 小島奉文とmita sneakers 国井栄之が選ぶ今年のベストスニーカー5選
後編:atmos 小島奉文とmita sneakers 国井栄之が語る2020年のスニーカー市場
■【スニーカートップセラーに聞く-2018- 】今年のベスト&最多着用は?これからのシューズ事情も
・mita sneakers 国井栄之
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