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「「ハラカドを新たなカルチャーの発信地に」 れもんらいふ千原徹也の“原宿観”

表参道・原宿のインフォメーションメディア
OMOHARAREAL

 原宿・神宮前エリアの新しいランドマークとして2024年4月17日に開業した「ハラカド」。表参道と明治通りが交差する神宮前交差点の南西角に建てられたこちらは、時代ごとに多様なカルチャーを生み出し続ける原宿の新たなクリエイティブ拠点として、内外から期待を集める新商業施設だ。

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 「ハラカドを新たなカルチャーの発信地にしたい」――こう話すのは、東京を代表するデザイン会社「れもんらいふ」代表・クリエイティブディレクターの千原徹也氏。「ハラカド」開業に向けて事業企画に尽力してきたキーマンのひとりで、同施設の3階にある「クリエイターズマーケットフロア」にオフィスを構え、オープンな場でのデザイン業務、コミュニティ創出やクリエイティブ塾の創設などに取り組む最中にある。

 「原宿はずっと好きなまち。定期的に夜行バスで東京に通っていた学生の頃の思い出も、関西から上京してがむしゃらにデザイン仕事に打ち込んできた日々も、いまの僕の財産です」。

 偶然なのか必然なのか、話を聞いてみると現在「ハラカド」が建つ場所は、れもんらいふ創業の場所でもあるという。原宿を愛し原宿に愛されてきた千原氏の “オモハラ観”を覗いてみた。

《Profile》
1975年、京都府生まれ。広告(H&Mや、日清カップヌードル×ラフォーレ原宿他)企業ブランディング(ウンナナクール他)、CDジャケット(桑田佳祐 「がらくた」や、吉澤嘉代子他)ドラマ制作、CM制作など、さまざまなジャンルのデザインを手掛ける。またプロデューサーとして「勝手にサザンDAY」主催、東京応援ロゴ「KISS,TOKYO」発起人、富士吉田市の活性化コミュニティ「喫茶檸檬」運営など、活動は多岐に渡る。2023年7月、映画監督としての作品「アイスクリームフィーバー」が公開。2024年春開業、原宿の商業施設 東急プラザ原宿「ハラカド」にれもんらいふを移転させ、新たなプロジェクトに取り組む。

“好き”を追い続ける京都発Olive少年。東京カルチャーを浴びたブレイク前夜

 「僕、小学生の頃から好きなものが変わっていないんです。映画、音楽、ファッション……好きなものをひたすら吸収しちゃうような“Olive少年”でした。Olive少女ならぬOlive少年。SNSのない30年以上前の話だから、当時は『Olive』や『BRUTUS』『relax』『Esquire』といったカルチャー誌から“東京のいま”を感じていました。渋谷・原宿、カルチャーの震源地はいつだって、憧れの場所でしたね」

 本人いわく、「まだ何者でもない、不安だらけのカルチャー男子」。京都で過ごした大学時代はミニシアターに通い、レコード店やカフェ、古着屋、クラブにも出入りしていた。バイト代を手に3ヶ月に1度、夜行バスに乗って東京に行き、雑誌の中で紹介されるさまざまなストリートカルチャーに触れ、巡り歩いた。雑誌に登場するデザイナーやスタイリストといった“裏方の職業”に憧れたのもこの頃からだ。

2002年上京当時。まだトレードマークの金髪になる前だが、被ったハットから今の面影を見てとれる(千原氏提供)

 「たしか1993年頃だったかな? 渋谷の『パルコクアトロ』にオープンした『クアトロWAVE』でフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴのCDと出会いました。渋谷のタワーレコードの書籍売場に行った後に、宇田川町にあった『CISCO(シスコ)』などのレコード店をまわり、それから原宿にあった『W&L.T.』や『クリストファー・ネメス』といったモード系ブランドをチェックしたり、『Olive』を見ながら古着屋を回ったり。原宿のキャットストリートの辺りをウロウロして、そのまま京都に帰らずに沖野修也さんや大沢伸一さん、田中知之さんいわゆる“京都三銃士”がやっていたクラブイベントに行って夜を明かしたり、当時から東京、とりわけ原宿や渋谷にはさまざまな思い出がありますよ」

 千原氏が大学生だった90年代中頃の東京は、ファッションと音楽が混ざり合いながらストリートカルチャーが根付き始めた頃。裏原宿カルチャーが隆盛期を迎え、インディペンデントなブランドがメジャーな存在に押し上がっていく時代でもあった。

 「大学卒業後はマクドナルドのクーポン券をデザインする大阪の会社に就職しました。グラフィックデザイナーという肩書きでしたが満足していたか?と言われればそうとも言えず。だからこそ、制限の中でいろいろなアイデアを生み出し続けたので、クリエイティブな脳を使う基礎体力はつきましたけどね。働いた5年の間、それまで出入りしていた京都のライブハウスのフライヤーを作ったり、自分なりの楽しみを見つけるような日々でもありました。人生が動き始めたのは、忘れもしない2002年のことです」

 当時はグラフィックデザイナー全盛の時代。広告クリエイターの名を冠したプロジェクトが支持を集め、佐藤可士和氏や箭内道彦氏といったクリエイティブディレクターが世を賑わせていた。

 「佐藤可士和さんが手がけたSMAPの広告に衝撃を受けました。『美大を出てなくてもアイデアで勝負できる!』と(勝手ながら)思うことができたんです。『デザインも提案の仕方次第では赤と青と黄の3色だけで勝負できるのかもしれない』――こんな気持ちのみを下支えとし、ずっと憧れていた“カルチャーの震源地”に行くことを決めました。それが28歳のとき。僕のグラフィックデザイナーの第二幕が始まります」

デザイン会社のアシスタントとして、東京でのキャリアをスタートさせた千原氏 仕事で海外の撮影にでかけた際の一枚(千原氏提供)

 「28歳で東京に出てきてそこから8年間はデザイン会社に入り、SHIBUYA109のシリンダー広告やラフォーレ原宿の看板を『いつか作る!』という決意をもちながらアシスタントとして死に物狂いで働きました。上京した2004年、最初に住んだのが浅草です。京都に雰囲気が近いということと、『男女7人夏物語』※明石家さんま、大竹しのぶが主演の1986年にTBS系で放送された人気ドラマ が大好きで、隅田川を挟んで住んでいたさんまさんと大竹しのぶさんに憧れもありました(笑)。もう少し原宿に近づいて参宮橋にもちょっと住みましたね。そのあと『渋谷や原宿のカルチャーを常に感じる場所にいるべきだ!』という思いで原宿の六畳一間のアパートにも住み始めます。当時の家賃で6万8000円、この間取りでは決して安い家賃ではなかったけれど、踏ん張りました」

れもんらいふを立ち上げる以前、ファッションのアートディレクションを専門に行う「ストイック」という会社でデスクワークに励む千原氏の写真。2005年頃には、千原氏を象徴する金髪にしていたそうだ(千原氏提供)

 2008年頃、千原氏は“原宿村の住人”になった。そこから2011年10月には、原宿の神宮前交差点、『ハラカド』がある場所にデザイン会社『れもんらいふ』を開業する。今はなき、コープオリンピアAnnexの2階にあった知り合いの会社に間借りする、たった2席からのスタートだった。

 「僕の思いに共感するスタッフにも恵まれ、れもんらいふの設立以降は、がむしゃらに仕事しながら多くの出会いを育むことができました。れもんらいふの仕事といえば『装苑』※ハイファッション・モード系の女性向けファッション誌 の表紙のデザインという印象を持っている方も少なくないと思います。れもんらいふを創業して1年目くらい。原宿に住んで、育んできた交友関係の甲斐あって、表紙を担当させていただくことができました。Charaさん、きゃりーぱみゅぱみゅちゃん、僕がずっと抱いていた映画監督という夢を叶えた作品『アイスクリームフィーバー』(2023)で主演してくれたモトーラ世理奈のような“時代のミューズ”と評され、表参道・原宿エリアと親和性の高いアーティスト・モデル・俳優さんと出会えました。だから、振り返ってみると僕にとって表参道・原宿は夢を追い続ける場所として、当時から大切な場所といえますね」

 千原氏が上京し、原宿に創業するまでの2000年代後半から2010年代初頭にかけ、表参道・原宿の街の顔つきも変わってきていたという。表参道にシンボリックな存在としてあり続けた同潤会アパート(同潤会青山アパートメント)がなくなり2006年に表参道ヒルズが誕生。それを期に、表参道・原宿が商業の街へと変遷していった過渡期だったと振り返る。

 「​誤解を恐れずに言えば00年代、カルチャーは死の時代を一度迎えた。代わりに、佐藤可士和さんを筆頭にアートディレクター、デザイナーたちが駆け上がっていった“広告”の時代だったと捉えています。そして00年代後半、青文字系が出てきて、きゃりーちゃんが『もしもし原宿』で2011年にデビュー、“原宿KAWAIIを世界に”という機運がピークまで高まったこともあり、インバウンドが増え、外資系のブランドもその間ガンガン進出して、カルチャーの街から商業の街に様変わりしていったと記憶しています」。

 様変わりしていった街、その激動の中を千原氏もまた「れもんらいふ」とともに躍進していく。

 「好きなことをやっているだけです」――本人は謙遜しきりだが、10年代以降、千原氏が原宿発“Kawaii”を新しいカルチャーに押し上げてきたクリエイターの一人であることに異論を挟む余地はなし。ひと目見てそれと分かるアートディレクションは、れもんらいふの真骨頂だ。斬新なアイデアとどこかクスッとできるユーモアを併せ持ったクリエイティブワークは、アーティストは言うに及ばず、企業からも多く指名がかかる存在となった。躍進の中で近年は「れもんらいふらしさってなんだろう?」 とあらためて考え、深く見つめ直すようにもなったそうだ。

 「その答えは探している道中にあるけれど、短期的なパフォーマンスだけに捉われず、多様な選択肢の中から“らしさ”と向き合い続ける覚悟でしかないと思うようになりました。つまり、僕が経営するのは小さなデザイン会社だけれど、10年後、20年後を見据えて誇りを持って存続していけるかってこと。

 表参道や原宿エリアに限定して話したとしても、僕がこのまちと深く関わりを持つようになった20年の間に、まちのあり方や存在意義は変容しているように思います。だから、商業施設をただ新しく作るだけでは意味がない。そういう思いもあって『ハラカド』の計画を聞きつけ、事業企画の段階から携わらせてもらうに至りました」

 オモハラエリアをいま一度、東京カルチャーの拠点、憧れの場所にしたい。千原氏のこんな思いも追い風としながら、東急プラザ原宿「ハラカド」開業へとつながっていくのだった。

 「カルチャーこそが人を惹きつけると、僕は信じています。そして街の中、路上で人同士が顔を合わせることで醸成されていく」

 原宿・神宮前エリアの新しいランドマークとして2024年春に開業した「ハラカド」は、時代ごとに多様なカルチャーを生み出し続ける原宿の新たなクリエイティブ拠点として、内外から期待を集める新商業施設。千原氏は、同施設の3階にある「クリエイターズマーケットフロア」にオフィスを構え、本プロジェクトの初期の段階から施設のコンセプトや運営方針に関わってきたキーマンのひとりでもある。

 「ハラカドはクリエイターと来場者による創造施設です。遠く振り返ってみると1960年代、原宿・神宮前交差点にあった『原宿セントラルアパート』は当時を代表するトップクリエイターが集う文化創造の拠点でした。ハラカドはかつての『原宿セントラルアパート』の文化を継承しながらも、さらに発展させていく商業施設として開業しました。僕られもんらいふは、クリエイターを目指す人たちやクリエイティブな考えに触れたいビジネスパーソンたちのクリエイティブ活動のサポートに尽力すべく、同施設の3階にオフィスを構えました。クライアント、お客様、クリエイター、これらすべての枠を外し、新しい何かを生みだすラボとして、れもんらいふは存在したいと思っています」

 「カルチャー」という言葉が企業変革や組織開発の文脈で語られることが増えてきた令和の時代にあって、デジタルによるAIやアルゴリズムだけでは解決できない「時代の空気をキャッチする力」や「文化的な背景を前提とした創造力」を活かしたプロジェクトを興すには、中長期的な視点で考え抜かれた人と人の対話によるカルチャーストーリーのあるビジネスアイデアの創出が大切。数値化できないカルチャー変革こそ、次代の鍵になるという見立てだ。

 舞台は、東京カルチャーの震源地ともいえるオモハラエリア。「ハラカドでは、施設に集まるクリエイターや入居テナントによるクリエイティブコミュニティ『ハラカド町内会』を設立し、新しい文化を創造・発信していきます」と千原氏。その語気は強く、どこまでもまっすぐだ。

 「れもんらいふは、日本で初めて、誰でも入れる商業施設の中に入ったデザイン会社です。“オープンな場”という強みを活かし、デザインの依頼だけでなく、コミュニティ創出やクリエイティブ塾の創設などにも尽力していきます。いつの時代にあっても原宿エリアは、新陳代謝を繰り返しながら新しい文化を生み出しつづけてきたまちです。かつての『原宿セントラルアパート』がそうであったように、ハラカドという場を介し、若いクリエイターが集まり、新しいカルチャーを創造する場所になってほしい。僕らは本気です」

 創業の地へと導かれるようにして、自らの意思で舞い戻った千原徹也氏とれもんらいふ。かつて夢を追い続け、叶えてきた場所でもある約束の地で、千原氏は新たな野望とともに、虎視眈々と街の行く末を見据えていた。今度は誰かの夢を育て、その輪を広げていくために。街づくりの本質を見極めながら、誰もが夢を見られる場所を目指していく。

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