90年代にちょっとしたデザイナーズブームがあった。
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東京、大阪で独立を果たした個人デザイナーが相次いでデビューした。
しかし、実際に自身のブランドだけで生計を立てている人は少なく、多くのデザイナーはアパレル企業からの外注デザインを請け負うことで生計を立てていた。
当方が業界紙記者になったのは97年のこと。その当時もまだ余波は残っていて、実際に独立したばかりというデザイナーにも多数お会いした。
当時はネットも存在していないから、ブランドの直営店を開設するか、専門店・ブティックに卸売りするかしか監禁する手段がなかった。直営店開設にせよ、卸売りにせよ、ポッと出のブランドなんてそんなに売れるわけではない。必然的にブランドだけでは生活できないということになる。
そんな彼らを救ったのが、アパレルや大手セレクトショップからのデザイン業務の外注を請け負うことだった。ベイクルーズとかワールドとかそのあたりの企業は結構、独立間もないデザイナーたちにデザイン業務の一部を外注していた。
直接彼らから聞いたところによると、だいたい年間契約額は300万~500万円というところが多かったが、仮に300万円だったとしても本人一人ならそれで十分に生活だけはできたというわけである。
それ以降も独立しましたというデザイナーは毎年現れたわけだが、いつの頃からか「〇〇(大手アパレルや大手チェーン店の社名)のデザイン外注を請け負っています」という話は聞かなくなった。実際に企業側からも聞かなくなった。
現在のご時世だとSNSで話をモリモリにしたり、お気持ちポエムを垂れ流したりしながら、上手く行くとネット通販でそこそこの売上高が稼げるのかもしれないが、みんながみんなSNSでイキることが得意なわけでもない。不得意な人はけっこう生活が厳しくて、それこそ衣料品とは無関係のアルバイトをしながら生活している場合もある。
では、なぜ「アパレル企業からの外注デザイン請け負い」という仕事が消えたのか、である。
これは以前にも一度同じことを書いている。
理由は簡単でODM業者が増えたからである。小規模な個人事業主みたいな企業から大手商社の製品部門までさまざまある。
そこに依頼すれば、デザインだけではなく生産まで請け負ってもらえるからアパレル企業としては楽である。一方、昔の「外注デザイン」システムだとデザイナーからデザインは上がってくるが、生産を手配するのはアパレル企業側である。元々、生産を得意としているアパレルならそれで何の問題も無いが、生産が不得意な大手セレクトショップや大手チェーン店、新興アパレルになると、生産までセットになっていた方がありがたい。
もし、個人事業主のODM屋だと与信が不安だとしても、大手商社の製品事業部にお願いすれば安心である。中堅クラスのODM企業も掃いて捨てるほどある。
要は自ブランドの条件に合うところを探せばよいだけのことである。
恐らく、業界にODM屋が急速に広がった2000年代半ばに
「アパレル企業からの外注デザイン請け負い」という食い扶持は消滅したのだろうと考えられる。
しかし、2010年代以降、目端の利く独立デザイナーは大手商社も含めたODM屋から外注デザインを請け負っているという場合が増えた。
実質、物作りをしているのはODM屋なのだし、デザイン業務が弱いODM屋だって存在するから、アパレルからの注文が無ければそこから注文をもらえれば良いのである。
目端の利くデザイナーはそこに目を付けたわけである。
さらに言えば、2010年代半ば以降、専門商社もODM事業とは別に自社製品ブランドを立ち上げ始めている。すごく売れているという話は聞かないが、そこそこ堅調に推移しているという話を聞く場合もある。そこそこの成功例が出れば、追随するのはいつの時代も同じである。何匹目のドジョウまで捕まえられるのかはわからないが(笑)。
そうなると、さらにODM屋でのデザイン業務の需要は増える可能性が高い。
その一方で、増えすぎたきらいのある国内ODM業者の破綻も増えていると感じる。
当方の身の周りだけでも個人事業主の小規模ODM屋は毎年何軒か破産に追い込まれている。つい先月にもそんな連絡をいただいた。
ある程度の資本力がある中堅・大手商社のODM事業部が好調なブランドを軒並み押さえてしまっている。それ以外の不振ブランドの仕事を請け負っても小規模ODM業者は疲弊してしまうばかりとなり、最終的に破産に追い込まれるというパターンである。
小規模なODM屋が大手に割って入ろうと思うと、何か特殊なスキルが必要になる。めちゃくちゃ安いとかめちゃくちゃ速いとかめちゃくちゃ接待しまくるとか、そういう特殊スキルである。
以前にもご紹介したが、欧米での販売が売上高の8割くらいを占めているニットブランドの「CTプラージュ」ももともとはOEM屋として独立したが、大手商社の製品事業部の参入を間近で体感して「資本力が違いすぎてとても勝ち目がない」と考えてオリジナルニットブランドへと転身したいきさつがある。
自社ブランドを開発するよりも堅実と思われがちなOEM/ODM事業だが、現在は、自社ブランド開発よりも厳しい弱肉強食の世界になっているといえる。
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