Image by: FASHIONSNAP
FASHIONSNAPで掲載した、全3回にわたる津村耕佑と大月壮士の対談企画を受け、ソウシオオツキの2024年秋冬コレクションショーを鑑賞した津村がレビュー。
2024秋冬ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)のコレクションが渋谷ヒカリエで発表されました。
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実はソウシオオツキのランウェイコレクションを見るのは初めてなので、彼の過去作品と比較した変遷を語る事は難しく、他のデザイナーとの比較やファッションの歴史と関係づけてみたいと思います。勿論、私の消費者故のバイアスも含まれている事は事前にご了承ください。
まず、暗い会場には細くて低いランウェイがあり一直線に並んだスポットライトと相まって暗く孤独な夜中の国道を彷彿させます。登場するルックはテーラードジャケットやコートなど基本的な西欧スタイルですが時に紋付を思わせる羽織もあります。全体的に大きく緩やかなシルエットですがエクストリームなオーバーサイズというストリートファッションには括れない上質な仕立てによるエレガンスが漂い、フォーマルとストリート/セレモニーと日常が溶け合います。
それを見てまず感じたのは私の世代のスターであったトキオクマガイのコレクションです。戦後の日本人が感じる様式と歴史、社会制度のギャップに対するアイロニーも含まれていたと記憶します。それに加えて大月壮士は今の男子が故に感じてきたであろう現代の違和感、それを敢えて受け入れ提示して見せるプライド、既存スタイルに振り切らないセンスをディティールからも感じとれました。憧れの西欧ファッションとノスタルジーの彼方にある日本は既に西欧化している訳で、地元に拘るヤンキーと同様の意識が日本国家に対してもあるのかもしれません。それは正直が故の保守と、それすらにも反抗する姿でしょうか、そういえば先日FASHIONSNAPのインタビュー対談で彼がFINAL HOMMEというコレクションを発表していた事と、私の考案したFINAL HOMEに関する話になりました。言葉は似ていますがソウシオオツキの場合はサラリーマンの悲哀の表現であり、私の場合は究極の家としての衣服というプロダクトという違いがあります。しかし、故郷はどこにあるのかという根源的問いかけでは一致する部分もあると思います。その思いや構造をロジカルに語りデザインしようとすればするほど逃げてしまう偶然のリアリティーを引き寄せようとする姿勢にも共感するものがありました。ともすれば流行に回収されやすいファッションから逸脱し続ける為のファッションという難儀な仕事の骨格は「good memory」というショーのタイトルに現れているのかもしれません。
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