Image by: Japan Fashion Week Tokyo
彼は、高橋 盾の向こう側を目指して歩き始めた。そんな観がある。飽く迄も気配に過ぎぬが、彼の創作には恰幅が備わってきた。そもそも後藤愼平に、そのつもり(意識して高橋の背中を追い求める)はないかも知れないし、この場合、高橋を引き合いに出すことが相応しいことだろうか。私には自信がない。斯様な忖度なぞ敢えてする必要はないのだろうが、向後、後藤の創作が如何様に化けるか。てんで予想もつかぬから、尚更、私の言も頼りない。往時の東京を見事に転覆させた高橋のデビューの衝撃には到底及ばないが、それでも、昨今パリにてデビューした数多の東京発のメンズブランドに一番欠けているところの、横紙破り式な感覚、弾けた感性が後藤の創作には根付いている。ペラペラな服地のチープ感は、ブランドの懐都合で幾らでも改善の余地はあるだろうから、いまはさして気に病むところではない。
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寧ろ、勘所となるのは、彼の描出する世界の独自性である。それは、彼の主体的な意義付けによって組み上げられた青写真だから代替えはきかない。ジェンダーレスと云う常套句は好きではないが、メンズブランドの「男」の記憶を、「女的」を以てソフトに水増しし、トレンド至上主義式のやわなセンスのみを拠り所に、大人的で主導的立場式の創作道徳で中和して見せるのではなく、好い意味でのナードな感受性に裏打ちされた「マス」の作品群には、世間並みのジャンル分けでは到底括ることの出来ぬ手強さがあるし、だからこそ、物の見事に陽から陰に暗転して見せた今季の「マス」のショーは、こちらの予定調和式の見解を、気持ちの好いほどにスパッと裏切ってくれたのであった。
ズブ濡れになって取材した小塚信哉のショー同様、期せずして本稿もまた雨に係わる。怪異小説の、あの『雨月物語』ではないが、「falling rain said yes to the boy.」と云う今季の主題を膨らませた、ちと幻想的な雰囲気を醸し出す一篇の物語。雨がもたらす空間的位相には、思想の表現を容易ならしめるパトスが宿っているのかも知れない。雨礫にはエトスが宿っているに違いない。前以て断りを入れておくが、本稿は単なる報告記事ではない。飽く迄も、酒毒で多分に脳髄をやられた筆者の独断と偏見に拠るところが多く、時に、読むに堪えない駄法螺に辟易する読者も少なくないと自省するところもあるが、そもそも独断と偏見のまったくない思想の書(言葉の誤用であることは端より承知しているが)なぞあり得るだろうか。あったとても、そんなものを読む意味があるのだろうか。と云うのが、私自身の偽りない独断と偏見なのでありマス。だから勇を鼓して先に進もう。
本年睦月「エムエーエスユー」が裏日程にてパリメンズに颯爽デビューした経緯は、既に他所に書かれているから、此処では割愛する。因みに東京での展示会も終わっている。東京のファッションウイークのメーン会場を使った此度のフィルム上映会は、大人の事情により実施せざるを得なかったのだろう。パリの再演は、東京の街にはちと荷が勝ち過ぎる。あれは文字通りのVSOPだった。だが、ショーの映像を改めて大画面で見せられると、また一歩、私は妙な確信を得た。ヘンテコな喩えだが、電線の上を歩く烏の足音を聞き分ける耳と、闇夜に蝙蝠の塒を探し当てることが出来る眼を持つ者だけが知悉している静寂とか、虚無とか、孤独とか、儚さとか、哀切とかを、此度のパリでのショーは存分に描き切っていたと思う。残念ながら、私はその現場を生で体験出来なかったが、ダークなファンタジーに相応しい空間の造作を丹念に映し出した映像は、会場に渦巻くボルテージの昂りを充分に伝えるものだった。
蜂蜜の悪どい甘さに包まれた穢れなき童心。唯々甘で蒼白いスチリストと云うのとはワケが違う、この悪どさ(番度言葉の誤用になるが、辛うじて意味だけは通るだろう)があるから、彼のロマンチスト的表現には濃くて深みのある旨味が増す。曩にも云ったように、いまはまだ、服作りの随所に拙さを散見するが、描出される世界はズシッと重く、ズンと深い。と云ったとて、巷間のマスボーイたちが近寄り難いほどの敷居の高さは微塵もない。やっとこさパリの上がり框に立てたかどうかのうぶいブランドではあるが、ドッコイ、既に風格だけはあるのだなぁ。そう云えば、クリープを入れないコーヒーなんて...と云うテレビCMがあった(この意味不明且つ時代錯誤的なロウトル感が顰蹙のタネになるのだが)。
きっと本人が聞いたら、さぞかし眉根を顰め、大方失笑を買うのが関の山だろうが、それでも最後に云っておきたいことがある。彼は、アフォリズムめいた逆説を駆使して、ほくそ笑んでいる、ふざけた奴なのだ。誤解のないよう断りを入れておくが、不真面目なほど真面目であり、真面目なほど不真面目だと云いたいのだ。勝手に私はそう思っている。なんとなれば、永遠な存在と敢えて結び着くことをせず、それ故に、一瞬の煌めきを見せておいて暗転に紛れて姿を消す君こそが、その絶えざる勝ち負けの宿命そのものから、いまは暫くは消えないでいる太陽の贋物性を情け容赦なく暴き立てるからである。君は去って行く後ろ姿で、勝者の見せ掛けの大人染みた洗練をヘラヘラとせせら嗤う不埒奴だ。事あるごとに限界に抗う君は、もしかすると、新たな秩序の限界をもいち早く見破っているに違いない。君の次の仕事を楽しみにしているのは、恐らく私ばかりではあるまい。(文責/麥田俊一)
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