前回はスターバックスの誕生を追いながら、それを同時代的な共時性の中に位置付けつつ、その特徴を見ていきました。スタバは、カウンターカルチャーや同時代の「食に関するムーブメント」との類似性を持ちつつ、同時に資本主義に対する柔軟性を持っていたことがその大きな特徴だと語りました。
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このような資本主義に対する柔軟性を伸長させ、最終的にスタバをグローバルな企業にしたのが、スタバの実質的な創業者といわれるハワード・シュルツです。今回はこのハワード・シュルツがどのようにスタバをグローバル企業にしたのか、その経緯を見てみましょう。
シュルツとスタバの関係
ハワード・シュルツとスタバの関わりは少し複雑です。まず、シュルツがスタバに関わるようになった経緯を簡単に見てみましょう。
ハワード・シュルツはスターバックスの創業から11年目の1982年、セールスマンとして働くかたわら、スタバの噂を聞きつけます。そして、創業者のジェリー・ボールドウィンらとコンタクトを取り、熱烈な働きかけの結果、スタバに入社することになります。
スタバで働いているとき、彼はイタリアへ出張をします。そこで彼はイタリアの人々がカフェスタンドを活発に利用している姿を見て、スタバでもそうしたカフェ事業を展開することを主張します。しかし、当時のスタバはコーヒー焙煎店でしたから、創業者のジェリーらはそうした事業展開を行うことを承知しませんでした。
それでもシュルツは諦めませんでした。彼のカフェスタンドという業態に対するこだわりがよく分かりますね。シュルツの再三にわたる説得にジェリーは折れます。新規店舗の一部を間借りする形でコーヒースタンドをオープンすることを承諾したのです。現在のスタバの原型がここで誕生したわけですね。シュルツが実験的に立ち上げた店舗は、大いに人気を博します。
しかしその繁盛ぶりを見てもなお、ジェリーたちはスタバを本格的にカフェスタンドの業態へとシフトすることを承知しませんでした。このような状況に我慢できなかったシュルツは思い切った行動に出ます。スタバを退社したのです。そして、自身が思い描くカフェ業態を展開するため、「イル・ジョルナーレ」という、イタリアのカフェスタンドをモチーフにしたカフェを立ち上げます。
このカフェが成功をおさめはじめたちょうどその頃、ジェリーら、スタバの創業者たちは、その商標と店舗を売却し、他の事業に乗り出そうとしていました。そのとき、買収に手を挙げたのがシュルツだったわけです。こうして1987年、イル・ジョルナーレは名前を変えて、現在のスターバックスが誕生しました。ここにきて、それまでジェリー・ボールドウィンらが営んでいた、地元に密着したコーヒー焙煎店である「スタバ」は、ハワード・シュルツがその経営を握るものとなり、本場イタリアのカフェバーを彷彿とさせるカフェとして再出発したわけです。
イル・ジョルナーレでの教訓
シュルツ体制以後のスタバを考えるときに重要なのが、シュルツが経営していた「イル・ジョルナーレ」です。これは先ほども言った通り、現在のスタバに通じるようなカフェ形式の店であり、実質的にこの店の経営スタイルがその後のスタバを作ったといえるでしょう。では、この店は現在のようなスタバの雰囲気をすでに持っていたのかというと、そうではありません。シュルツはこの店について次のように語っています。
この最初の店で、私たちは本場のイタリア風コーヒー・スタンドを再現しようと決意した。本物志向を最優先したのだ。とにかくイタリアで味わったエスプレッソの香味とコーヒー・スタンドの体験をシアトルで薄めてはならない。流す音楽もイタリア・オペラだけにした。バリスターは白のワイシャツに蝶ネクタイ。お客はみんな立ち飲みで椅子席はない。[…]こうした配慮はシアトルでは通用しないことが、次第にわかってきた。お客からオペラがうるさいという苦情が出るようになった。蝶ネクタイも適切ではない。急がない客は椅子を要求する。[…]われわれは、お客のニーズに合わせる必要性を徐々に受け入れた。(H・シュルツ『スターバックス成功物語』、p.115-116)
シュルツは、最初にスタバに在籍していたときのイタリア出張の際に、本場のカフェバー文化に心を奪われていました。そこで彼は、アメリカに本場のカフェ文化を輸入しようとしました。そこでは彼の「こだわり」が全面に出ていました。そしてそのこだわりは、前回私たちが見てきたような、1960年代の食に対する「本格志向」と近い志向を持ったものだったでしょう。
しかし、それでは店を維持することができない。経営を行い、実際に顧客に対峙する中で、シュルツはそう思ったのです。それからシュルツはあくまでも「顧客」がどのように考えているのかを徹底してその店づくりに生かすようにします。
シュルツが語るこのエピソードは、イル・ジョルナーレで彼が学んだことを端的に表しています。そして、そこでの教訓がその後のスターバックスの経営に活きてくるのです。
フラペチーノという葛藤
こうした「顧客ベース」の考え方が顕著に現れたのが、現在スタバを代表する商品として知られているフラペチーノの導入です。1995年からスターバックスで販売されるや否や、その人気は不動のものとなり、現在では季節ごとに応じたフレーバーがSNSで話題になるなど、スターバックスを考える上では欠かせない商品のひとつです。
間違いなくスタバを現在のポジションまで引き上げた大きな要因の一つであることに違いはないでしょうが、これを導入する際、シュルツは大きく反対したと言います。シュルツは当時、次のように言ったとインタビューで答えています。
(フラペチーノの)テイスティングが始まって、純粋主義なわたしは『どうしてわたしたちはこれをやろうとしているんだ?フラペチーノの会社にはなりたくない。うちはコーヒーの会社だ』と言ったんです(「フラペチーノに反対したのは「間違いだった」スターバックスの元CEOハワード・シュルツ氏が明かす」,URL= https://www.businessinsider.jp/post-274986)シュルツはやはり、自身が経営するスタバはあくまでも本場カフェバー文化をアメリカに伝えるコーヒーショップであると認識していました。しかし、フラペチーノは、それとは全く正反対です。だからこそ、シュルツはフラペチーノの導入にためらいを見せたのです。しかし、いったんフラペチーノの販売が開始されると、それはたちまち人気商品になります。これを見たシュルツは、「イル・ジョルナーレ」のときにそうしたように、次のように認識したとインタビューで述べています。
わたしが間違っていました。良い教訓になったと思います。やはり顧客は常に正しいのです(「フラペチーノに反対したのは「間違いだった」スターバックスの元CEOハワード・シュルツ氏が明かす」,URL= https://www.businessinsider.jp/post-274986)「顧客は常に正しい」。こうした認識こそが、スタバを大きな企業に育てたのだといえるでしょう。
フラペチーノと「分裂」
しかし、一方でシュルツのこうした姿勢こそが、スタバの分裂を大きくしてきた、ともいえます。事実、シュルツが反対した通り、フラペチーノの導入は、一部の人からはスタバの「コーヒーショップ」としてのこだわりをまったく無視していると批判されることもあります。例えば、すでにこの連載でも何度も取り上げている『お望みは、コーヒーですか?』では、フラペチーノの導入について以下のように述べられています。
フラペチーノはもっと大きなマイナスをスターバックスにもたらしていた。[…]ストローで飲む、透明なプラスチックカップに入ったクレヨン色のそうした飲み物は、真正なコーヒーではない。そうしたドリンクは、本物のコーヒーを標榜する店には泡だらけで甘すぎ、あまりにも冷たくフェイクすぎて場違いなのだ。[…]オートマチックの機械に依存し、利益追求に打ち込むスターバックスは、砂糖とミルクたっぷりのドリンクを目玉とするフラペチーノ・カンパニーになってしまった。(ブライアン・サイモン『お望みは、コーヒーですか?』p.55-56)
フラペチーノの導入によって、スタバは、最初に創業者の3人が目指したような方向性、つまり「真正なものを売る」という方向性を失って、ある意味での分裂が生じたといえるのでしょう。前回までの文脈で言えば、1970年代的な「食に対する本物志向」という創業時の理念から外れていったということもできるでしょう。
このように、フラペチーノの導入はスタバの「分裂」をよく表しています。そして、そのフラペチーノが現在のスタバを大きく支えているのだとしたら、「分裂」こそがむしろスタバを支えてきた、ということを、フラペチーノはよく表しているのかもしれません。そして、その裏にはハワード・シュルツという人物の存在がいたわけです。
しかし、そもそもこの「分裂」は批判されるべきものなのか、ということを考える必要があるかもしれません。フラペチーノが受け入れられたのは、やはりそうした飲み物が顧客に受け入れられていたからであって、決して誰かが損をしているわけではありません。むしろ、顧客にとってプラスであり、同時にそれが店の売り上げを伸ばすという点では店側にとってもプラスです。また、それがスタバのブランドイメージを下げたのかと言えばそうでもない。むしろ、フラペチーノを含めてスタバのスタバらしさを形作る一つの要因になっているともいえるかもしれません。
こうした「分裂」をどのように捉えるのか、ということを次回は考えてみましょう。
【文:谷頭和希/ライター・作家】
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