他の誰とも被らない、今までに見たことのないデザイン。シューズブランドの「iCHiGEKiRiDATSU(一撃離脱)」をひと言で表すのならそんな言葉。このブランドを立ち上げたデザイナーのOikawaさんは、元々はファッションの街として知られる神戸市出身。当初は神戸で靴づくりをしていたものの、2020年に一念発起し祖母の居住地だった鳥取県若桜町に移住を決意。大都市から人口2309人の町へと移り住み、そこにアトリエを構えて活動を続けています。シューズデザイナーを目指したきっかけや靴との向き合い方、環境の違いによる変化についてお話を伺いました。
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医療と靴を結ぶ接点
――子供の頃からバスケットボールに夢中で、いつかはバスケットシューズ(バッシュ)のデザインをしたいという夢を抱いていたOikawaさん。それを叶えるべく進んだのは、意外にも医療福祉の専門学校だったのだとか。
医療福祉の専門学校で整形靴を学びました。解剖学や運動学などの医学的アプローチを用いて、患者さんが抱える歩行の障害に向き合うプロセスが、シューズデザインに必要だと思ったからです。それに日本でバッシュを作っていたメーカーへの就職率が高かったのもあり進学を決めました。学ぶうちにファッションやカルチャーに興味が移ったことで、よりクリエイティブなものづくりがしたいと思うようになり、卒業後は東京の浅草にある2年制の本格的な紳士靴靴作りの学校へ。しかし、卒業目前で退学しました。そこで学びたいことはもうなかったし、純粋に最後の授業料を払いたくなかったのが最たる理由ですが、その2年間で周囲との熱量に差を感じてもいたんです。この頃から自分なりの哲学も形成されつつあり、徐々に就職ではなく、ブランドを立ち上げる方向を意識し出していました。そこから神戸に戻って靴のリペア店でアルバイトをしながら、自分の作品を作り始めたのが最初です。
――自身の作品づくりに取り組むというのは、いわば起業。迷いや葛藤もあったそうですが?
当時は人生に安定など存在しないと考えていましたが、一般的な幸せにも憧れもあったので、先が読めない独立起業という道を進むにはかなりの覚悟を要しました。食えなくなったら最悪餓死してもいいと腹を括りましたが、一方で自分の中で湧き上がってくるアイデアに自信もありました。次々と浮かぶ、行き場のないアイデアをアウトプットしないと勿体ないという欲求に背中を押され、最初に立ち上げたのが“The rooms(to the other side)”というブランドです。このブランドの“HAND BAG”というモデルのショートブーツは2018年のジャパンレザーアワードで審査員賞を受賞したのですが、実はこれには裏話も。というのも、同じく靴デザイナーの友人がここに出品したものの当時審査員を務めていた有名デザイナーに酷評され、その仇討ち的感覚で僕が出品したんです。そしたらそのデザイナーが選ぶ審査員賞を受賞し、僕としては喧嘩を売るくらいの気持ちで出したのにとんだ肩透かしでしたね(笑)。ともあれ、今思えばこの頃はより個性を出そうとし、頭でっかちなデザインばかりをしていました。当時、大手百貨店でのグループ展に出店したのですが、この時店頭で僕の靴が一足も売れなかったんです。これは今も苦い思い出ですが、こんなことやプライベートでの出来事も重なり、環境を変えることを思いつきました。
――そして鳥取へ移住を決めたのですね。どうして鳥取だったのでしょうか。
もう他界していますが、祖父母の家が鳥取の若桜町にあったからです。子供の頃に帰省した思い出が詰まっている土地だし、修行のように雑念を追い払って制作に集中できる環境が必要でした。それに、もう神戸にいたくなかったのもあります。神戸って観光向きの綺麗な街並みがある反面、闇市の名残が色濃く残る雑多な場所もある。この光と影の二面性みたいな部分が好きだったのが、再開発でどんどん影の部分が消えていった時期でした。まるで自分も一緒に排除されている感覚でしたね。それなら神戸以外に自分のルーツがある場所へと、移住を決めました。
環境を変えたことで靴との向き合い方にも変化が
――鳥取に居を移したことで作品に何か変化はありましたか?
肩の力が抜けました。今まで頭でっかちな理論で靴作りをしていたのが浄化されて、清々しい気持ちでクリエーションに向き合うようになりました。そこで“The rooms(to the other side)”とは別ラインの“iCHiGEKiRiDATSU”を立ち上げました。この背景には田舎の空気感と共に民藝に触れたことも大きく影響していて、僕自身がより身近にアートを感じるようになったから。自分が使うものももっと身近でありたいと思い、またこの頃ファッションブランドとコラボをしたのですが、その時のクリエイティブディレクターさんの考え方にも影響を受けました。いい意味でノリが軽く、一緒に作業を進めるうちに自分の足枷が外れる感覚を味わいました。今までは考えに考えて作っていたのが、即興で面白いものができることに気づき、それが今のデザインスタイルの土台となっています。
――鳥取に移ったからこそできるデザインということでしょうか。
この土地ならでは、というのは大いにあります。ここは山奥だから本当に何もなくて、でも視点を変えれば“ない、がある”んです。他に何もない分、余計な情報が削ぎ落されて細部にまで目がいくし、感覚が研ぎ澄まされる。駆除された動物の革をもらってそれで靴づくりをしたり、素材にもここにあるものを活かすようになりました。僕はモノに対する愛着が深くて、全てのモノには命があると思っています。だから本来は捨てられるはずのものが形を変えて新たなモノになるここでの暮らしは、とても性に合っているかもしれないですね。元々、祖父母がいたこともあって町の人にも快く受け入れてもらえ、田舎だからこそ受け手の視点に立てばその特異性が武器になる。環境を変えたことは僕にとって大きなメリットだったと思います。
――若桜町の駅前に構えているアトリエ兼ショップは、外からは一体なんの店か全くわからないと噂になっていると聞きましたが、どうしてそのような店作りを?(*アトリエは9月末で一旦クローズし、改めて移転リニューアルオープン予定)
iCHiGEKiRiDATSUのロゴは点字なのですが、その暖簾のみがヒントです。あえて外から中が見えないようにし、むしろ外からの侵入を排除するような仕掛けにしてあるのは僕なりの戦略。ついこの先に進みたくなるような冒険心を掻き立てる仕掛けのつもりでしたが、残念なことに本当に誰も入ってきません(笑)。今はSNSで集客や購買につなげられる時代ですが、僕自身は対面派。不思議とこのややこしい仕掛けの先に進んでお話をしてくれた人は顧客になってくれる。時代と相反しているようですが、実際にお会いして言葉を交わして伝えることの大切さはこれからも大事にしていきたいですね。
――iCHiGEKiRiDATSUという一度耳にしたら忘れられないブランド名。意味はヒットアンドアウェイという格闘技などで見られる戦法のひとつですが、なぜこのブランド名に?
僕が好きな戦法なんです、というのも僕自身はチキンなので(笑)、こういう闘い方が性に合ってる。本来デザイナーをするなら都心でというのがセオリーですが、それこそ誰もが自由に発信できる今の時代において居場所はあまり関係ない。イメージは深い山中からファッションの中心地である都会に向けてスナイパーのように狙いをつけている感じで、ここから世界にも発信できるのは時代の良さ。SNSは名刺代わりにもなるし優れたコミュニケーションツールですが、直に会って会話することが何よりも大切だと思います。
――生み出す靴はもちろん、ご自身が非常に個性的な装いをしています。Oikawaさんにとって個性とは何ですか?
ジャンルにとらわれないこと。個性と個性的は別のもので、個性的には他者の視点が入りますよね。個性的はファッションでよく語られるような相対的な違いではないし、視覚的要素だけでは語れない。一方で個性は才能に近く、社会性を脱ぎ捨てた時に滲み出る誰もが持っている部分だと思うんです。何系とかカテゴライズされないもの。枠に収まらず○○っぽいという形容をされないものが個性。そういう意味では、唯一無二の靴を作っていきたいです。
個性的という言葉が氾濫する時代に、あえて山奥での暮らしを選ぶ。「ない、ことがある」そんな日常の中でOikawaさんが見つめ直すもの。自分の「個」のセンスをとことんまでに突き詰めて作る靴だからこそ、彼が生み出す一足は唯一無二の輝きを放つのではないでしょうか。
Kohki Oikawa おいかわ・こうき
兵庫県神戸市出身のシューズデザイナー。
医療福祉の専門学校で義肢装具を学び、シューズブランド「iCHiGEKiRiDATSU」を立ち上げた。
2020年から鳥取県若桜町に移住しアトリエを構え、自己と向き合いながら中性的で普遍的な唯一無二のモノづくりを行う。
【取材場所】
珈琲ん
神戸市東灘区御影中町1-6-11中野ビル202
TEXT:横田 愛子
PHOTO:大久保 啓二
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