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日々トレンドが変わるファッション界にあって、70年代から現在まで一定の層からコアな人気を誇るパンクファッション。パンクミュージックにルーツを持つこのスタイルは時にトレンドの中心に躍り出ながら、年代ごとに少しずつテイストを変えて進化し続けています。2022年の暮れにはパンクの女王と称されたデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド氏が81歳でこの世を去り、再びパンクファッションが注目を集めました。レザーにスタッズ、メッセージTとパンクを象徴するアイテムは数あれど、2023年版にアップデートされたパンクファッションとはどんなものでしょうか。
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パンクファッションとは
パンクファッションが世に生まれたのは70年代の英国ロンドン。不況にあえぎ社会や権力への反発を音楽で表現したパンクロックが誕生し、そこから派生したファッションが原点です。60年代にはモッズやロッカーズ、70年代にはパンクと、この時代の英国ファッションは音楽と密接に関係し、ファッションは自らが属するカルチャーの表現手段のひとつでした。そしてパンクファッションを世に広めたのが、セックス・ピストルズに代表されるパンクバンド。彼らが纏うスタッズを散りばめたレザージャケットや破れたTシャツ、重ね付けした安全ピンなど、過激で反逆精神に満ちた衣装は瞬く間にロンドンの若者を虜にしました。そのセックス・ピストルズの衣装を手掛け、パンクファッションというムーブメントを起こしたのがマルコム・マクラーレンという人物。マルコムはセックス・ピストルズの仕掛け人であり、自身もミュージシャンでありデザイナー。彼は70年代当時流行していたヒッピー文化を好まず、その頃同じ思想を持つヴィヴィアン・ウエストウッドと出会います。パートナーとなったふたりは「レット・イット・ロック」というブティックを1971年に出店し、3年後には店名を変え挑発的でメッセージ性の強い服を売るようになりました。その後1982年に、今なおヴィヴィアンのモチーフになっているスクイグル柄を取り入れたウィッチーズコレクションを発表し、このコレクションを最後にヴィヴィアンとのパートナーシップを解消しています。パンクファッションはセックス・ピストルズの成功によって世界中に広まり、そのメッセージに共感する若者の間で一大ムーブメントとなりました。
ヴィヴィアン・ウエストウッドの功績
燃えるようなオレンジの髪に真っ赤な口紅、挑発的な視線で自身がデザインしたドレスを纏う女性。アバンギャルドなのにエレガント、そして唯一無二の存在感を放つヴィヴィアンの姿は、ファッションを愛する多くの人がすぐに思い浮かべることができるでしょう。パンクの女王と称され81歳で逝去するまで現役で仕事をし続けた彼女ですが、マルコムがパンクファッションの生みの親だとすれば、ヴィヴィアンはそれをよりブラッシュアップしモードに仕立て上げた育ての親的存在。超厚底のプラットフォームシューズ「ロッキンホース」やオーブモチーフのロゴやアクセサリー、襟をハートに見立てた「ラブジャケット」など、今も熱狂的なファンを持つアイコン的アイテムを多数生み出しています。実際に彼女に影響を受けたデザイナーも多く、アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノらもそのひとり。またデザイナーとしてのみならず、人権保護団体のキャンペーンのデザインを手がけたり、政治や環境に対して運動を起こす活動家としての一面も。2006年にはデイム(ナイトの女性版)の爵位を授与されるなど、英国ファッションの歴史に大きく名を刻んだ人物でもあります。
初期のパンクファッション、実はシンプル?
パンクファッションの草創期は、今のイメージよりもずっとシンプルでした。スタッズをあしらったレザージャケットにタイトなダメージデニムが定番で、その背景にはモッズファッションの流れがあります。モッズのシルエットがややルーズなのに対し、より細身かつテディ(不良)ボーイのテイストを効かせたのがパンク。この頃はポロシャツやトレンチコートといった品の良いアイテムを取り入れることも多く、まだ派手にカラーリングしたモヒカンヘアやジャラジャラとつけたチェーン、安全ピンは登場していません。
音楽がルーツのパンクロック
パンクファッションを語る上で外せないのがパンクロックでしょう。元々音楽が源流にあるファッションですが、意外にもパンクロックが生まれたのは米国ニューヨーク。今もバンドTの代名詞である「ラモーンズ」が1974年に結成され、ロンドン公演を行った際に英国でも同スタイルのバンドが増加。ニューヨーク・パンクムーブメントを起こしたラモーンズに続くようにセックス・ピストルズが結成され、その反体制的な音楽とマルコム・マクラーレン手掛ける衣装がパンクファッションの定義を決定づけたのです。ただし、ラモーンズ結成当時のアメリカではパンクロックはさほど注目されず、ロンドンで大きく花開くことに。現代でもパンクの聖地は英国のイメージが強いものの、その実産声を上げたのはニューヨークだというのは覚えておきたいもの。なお、そもそもは反社会・政治的なスタンスの音楽ですが、日本でもザ・ブルーハーツやハイスタンダードといったパンクバンドが登場し、今なお熱狂的に支持されています。
多彩な音楽要素を取り入れたポストパンク
進化するパンクファッションの第一次変革期は1970年代後半~1980年代。ダブやスカ、ファンクといった異なる要素を持つ音楽や民族音楽までをパンクに取り入れた「ポストパンク」にあります。既存のパンクに縛らることなく幅広いテイストの音楽を取り入れて洗練させ、実験的な要素をふんだんに盛り込んでいました。このポストパンクが生んだのがゴシック系やグランジといった退廃的な魅力を持つファッションです。ダークでミステリアス。そういった不健全性や反道徳性を内包することで、パンクはより多方向へと進化していきます。
ニューパンクはランウェイから誕生
ポストパンクである種の多様性を身につけたパンクファッションですが、2018年にはよりモードな空気を纏って新たなスタイルを確立します。第二次変革期とも言えるこのブラッシュアップはデザイナーの手によるもので、ディオールやプラダ、バレンシアガといったブランドがメッセージ色の強いデザインを発表。時代の流れに対しデザインで自己表現をするニューパンクは、いわばランウェイから誕生したルック。かつてはストリートカルチャーのひとつだったパンクがモードと融合したことで、パンクファッションは再び復権を果たしました。
今、注目のポップパンク
ポストパンクやニューパンクを経て、現在最も注目を浴びているのがポップパンクです。これは音楽シーンやランウェイ発信のトレンドではなく、Z世代が牽引するSNSカルチャーが発信源。Y2Kファッションに代表されるブームに乗って90年代のガールズパンクをお手本に、真似をするのはアヴリル・ラヴィーンやグウェン・ステファニーのスタイル。生粋のパンクほど挑発的ではなく、パンクのエッセンスを取り入れつつもキュートかつポップに仕上げるのが鍵のよう。チェックのスカートやタイトなTシャツなどはアムラーブームを彷彿とさせるものがあり、やはりトレンドは巡るのだと実感します。
パンクファッションは時代ごとに変化し、よりソフトかつポップになっているよう。その進化の先頭に立ちパンクをエレガントにまで昇華したヴィヴィアン・ウエストウッドの功績に改めて感じ入りますが、その根底にあるのは反骨精神。パンクファッションを纏うとき、そのスピリットを知っていればよりファッションに奥行きが出るのではないでしょうか。
TEXT:横田愛子
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