大阪文化服装学院在学中にブランドを立ち上げ、バンタン・パルコが主催するグローバルインキュベーション企画「ASIA FASHION Collection」でグランプリを獲得。2022年にはNYファッションウィークにてコレクションを発表。卒業後すぐにRakuten Fashion Week TOKYOに参加するなど、その高い創造性と独自性で注目を集めるデザイナーユニットDOKKA vivid。ブランドの世界観を2人でどのように創り上げているのか、デザイナーになるまでのエピソードと合わせてデザイナーの菅内のどか(Nodoka)さんと夏明豊(あきほ)さんにお話を伺いました。
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小学生の頃から変わらないファッションデザイナーへの夢
―ファッションに興味をもったきっかけは?
菅内のどか(以下:Nodoka):元々絵を描くことと服が大好きだったので、小学生の頃にファッションデザイナーに興味を持ち、中学生の頃に服の絵を描き始めて本格的に将来の夢として意識するようになりましたね。
夏明豊(以下:あきほ):洋服が大好きな祖母の影響で、可愛い服をたくさん着せてもらううちに服が好きになりました。小学生の頃に「Paradise Kiss」※の映画を見てファッション業界で働きたいと思うように。元々絵画教室に通うくらい絵が好きだったので、ファッションデザイナーになろうと決めました。
※【Paradise Kiss】――矢沢あいの漫画を原作とし、テレビアニメ、実写映画も制作されている。通称「パラキス」。受験勉強に追われる主人公が、矢沢芸術学院の生徒達が立ち上げたファッションブランド「パラダイス・キス」のショーモデルを務めるうちに友情や恋が芽生え、自らも夢を見つけて行く物語。
―中学校から高校にかけての多感な時期に夢が変わることはなかったのでしょうか
Nodoka:小学生からの幼馴染で、2人とも中国民族舞踊部に入っていたので学校生活も部活もプライベートもずっと一緒だったので、変わらず「ファッションデザイナーになろう!」と夢を語り合っていましたね。でも、高校だけは別の学校でした。同じ塾に通って、同じデザイン系の学校を目指していたんですが、私がちょっとだけ点数が足りなくて......(笑)
あきほ:ちょっとだけね!(笑)私は母が勉強を重視するタイプだったので、4年制の大学に行くように言われていて......結果的にデザイン系の高校ではなく、進学校を選びました。
―初めて離れ離れになった高校生活はいかがでしたか?
Nodoka:週に3回、中国民族舞踊部のOB会があり、バイト先も同じだったので2人の関係はまったく変わりませんでした(笑)。ただ、私は全然行く気のなかった学校に行ったので楽しくなくて......。最初のうちは授業中もほとんど寝て過ごしていました。でもこの学校で自分の夢に近づくためにはどうしたらいいんだろうと考えて、高校生でも受けられるデザイン画コンテストを片っ端から受けることにしたんです。授業中に睡眠をとって(笑)、放課後に5時間バイトをして、夜から朝までデザイン画を描く生活をしていました。
あきほ:高校2年生の時に友人たちと東宝主催の映像コンテストに向けて作品作りをしていました。私はスタイリングや空間演出を担当。世界観を構築する面白さや、ひとつのチームでクリエイティブする楽しさを知り、当時の経験が今のクリエイティブにも通じています。DOKKA vividでもファッションだけでなく映像など様々なアウトプットで世界観を表現してみたいと思っています。
―それぞれがクリエイティブな活動をされていたんですね。
あきほ:別々の高校ではありましたが、3年生の時には私たちと、カメラマンとヘアメイクの友人の4人でグループ展を開きました。私は母に認めてもらえなかったこと、自分が母を説得できなかったことがとても悔しくて。大学では絶対に自分の好きなことをしたくて、母に認めてもらうために何かアクションを起こしたかったんです。グループ展は200人以上の人が集まって、母にも応援してもらえるようになりました。
Nodoka:グループ展では私たちらしさの詰まったチャイナドレスや、梱包材のプチプチで作ったドレスを発表しました。まだファッションの知識がない時だったので、異素材で服を作ったら知識がないなりにちょっと面白くなるかなという考えです(笑)。この時作ったチャイナドレスを今、ファーストサマーウイカさんがテレビのレギュラー番組で衣装として着てくださっているんです!
「人間の限界を超えた」大阪文化服装学院時代
―高校を卒業して2人で大阪文化服装学院へ?
Nodoka:一緒に決めたわけではないのですが、蓋を開けてみたら2人とも大阪文化服装学院のスーパーデザイナー学科で、学科まで一緒だったんです(笑)。色々な専門学校の説明会に行ったのですが、大阪文化服装学院の先輩方の熱量と、作品のクオリティがすごかったので「ここだ!」と思いましたね。
あきほ:スーパーデザイナー学科は大阪文化服装学院の中でも一番人数が少なく、最初は40人が入学しても卒業できるのは10人以下。その代わり、最後まで生き残った生徒たちのほとんどが海外のコンテストに入賞するなど華々しい卒業を飾ると言われる厳しい学科として有名なんです。実際、色々な学校のファッションショーを観ましたが、大阪文化服装学院のクオリティが一番高く、先輩方の卒業後のビジョンも明確でした。
―実際に入学されていかがでしたか?
あきほ:人間の限界を超えましたね......(笑)。徹夜しすぎて体調を崩して学校に行けなくなったり入院したりする同期もたくさんいました。メンタルとフィジカルの強さ、もしくはそれらをカバーできるくらいの要領の良さが必要でしたね。課題を提出しても、どこが間違っているかは教えてもらえません。自分で考えて直そうとするんですが、まだ知識もないしわからなくて、何十回直しても全部ダメ。朝まで徹夜して提出したものを「全然ダメだから捨てて。なんでできないの?」と言われて「どこがわからないのかがわからないことが悔しいです」と号泣しました。
Nodoka:私もトイレで隠れて泣いていました。でも高校生の頃に徹夜でデザイン画を描く生活をしていたことが功を奏したのか、3~4人しか完成させられないと言われているハードな課題を期限内に完成させることができたんです。高校生の時の経験が役に立ったのだと嬉しかったですね。
「何のために入学したのかもう一度考えた方がいい」と言われて
―ほとんどの人が完成させられない課題を出されるんですね......。
あきほ:実は私は完成させられなくて......それまでは要領の良いタイプだったので、こんなに頑張ってもできないことがあるんだと打ちのめされました。自分の甘さを痛感し、その日からスケジュール管理を徹底して、絶対に何があっても課題を完成させるという決意をしました。のんちゃん(Nodoka)にもすごく叱られて......(笑)。
Nodoka:課題提出期限の前日、私はほぼ完成していたのであきほをご飯に誘ったんです。本当はあきほにはそんな余裕はないとわかってたんですけど(笑)。ご飯を食べながら進捗を聞いたら案の定絶対に間に合わない進捗具合だったんです。でも本人は「徹夜したら大丈夫」と言うので「無理だと思うよ。もっと前々から進めておくべきだし、何のために入学したのかもう一度考えた方がいい。今日はご飯誘われても来ちゃだめだったんだよ」と......(笑)。
―私がNodokaさんの立場だったら優しい言葉をかけてしまっていたかもしれません。
Nodoka:その時が今までで一番厳しいことを言ったと思います。
あきほ:のんちゃんはすごく頑張れる子で、私はサボっちゃう子だったんですよ。のんちゃんはそんな私を引っ張り上げて「一緒にファッションデザイナーになろうって言ってたじゃん!」といつも初心を思い出させてくれるんです。叱られた日も、帰ってすぐにノートに自分の反省点をリストアップしました。今でもやる気がなくなった時にリストを見返して当時のトラウマを呼び覚ますようにしています(笑)。
Nodoka:私自身もノートに自分を鼓舞する言葉をとにかく書いて、心が折れそうな時に読み直すことで自分のモチベーションを保っています。徹夜で課題をしていて「もう嫌だ!」となったらノートを開いて“人生は一度きり”とか”正直みんなやる気なくなってると思うけど、そんな風になってる場合じゃない”とか、”自分は他人とは違う”とか書き殴るんです(笑)。
一瞬だとしても一生忘れられない輝きを感じられる人生を
―文化服装学院在学中についにDOKKA vividを立ち上げられるわけですが、やはり1人ではなく2人が良かった?
あきほ:学校の授業や課題に追われすぎて2人での活動ができない時期もありましたが、お互いずっと一緒にできるタイミングを探っていました。3年生になってコロナが大流行して、授業がすべてストップした時、「今だ!」と思いました。端切れを使ってカラフルなマスクを作って販売したら、皆の気持ちが少しだけ明るくなるかもしれないと思ったんです。軒並みお店が閉まっていても自分たちが持っている端切れを使えばいいし、コストも抑えられる。ブランドを本格的にスタートさせるきっかけとしては最高じゃん!と。Nodokaの“doka”と、私の苗字である“夏(ka)”をあわせて“DOKKA vivid”。2人でずっと続けてきた中国民族舞踊の影響もあって、自然と今のテイストに。覚悟を決めるためにバイトも辞めて、背水の陣で臨みました。
Nodoka:私はちょうどコロナが流行する3ヵ月前くらいにバイトを辞めていました。バイトをする5時間を自分の成長のために使えたら、時給1000円以上の価値を生み出せるんじゃないかと思って。DOKKA vividでどうにかお金を回していけないかを考えて、勉強や準備をしていた時期だったので、今しかないなと思ったんです。
―2人だからこその難しさなどはありますか?
Nodoka:私たち、喧嘩したことないんです。あきほが課題を完成させられなくてお説教した時も、あきほが「そんな簡単に言わないでよ!」って怒っても不思議じゃなかったと思うんです。でも、「このタイミングで叱ってもらえてよかった」と、ちゃんと受け止めてくれた。だから私も「一緒に頑張ろう」となるんですよね。私が落ち込んでいる時もあきほはヒアリングしながら根本原因を一緒に考えてくれます。そんな風にずっと話し合いながらやってきたので、喧嘩になったことがないですね。一緒にファッションデザイナーとしてブランドを成長させていくという目標が変わることはないという信頼感があるんだと思います。
あきほ:いつもメンタルケアをしてもらっているので、のんちゃんが落ち込んだ時は私の出番。上京してすぐ、のんちゃんがOLになって壁にぶつかって落ち込んだ時も、“のんちゃんのモチベーションがなぜあがらないのかシート”を作って一緒に考えました。
―OLをされていたんですか!?
Nodoka:たった2ヵ月でしたが、マーケティングを学ぶことでDOKKA vividに何か活かせないかと思い、SNSマーケティングの会社に入社しました。でも、今までずっとクリエイティブなことをしていたので、朝から晩まで数字の分析をするということにどうしても慣れなくて、精神的に辛くなってしまいました。髪も黒く染めて服装も変えて“一般的な社会人”になったつもりだったんですが、組織という器に入った途端に自分を全く発揮できなくなってしまって、どうして人と同じことができないんだろうと悩みました。今思えば人と同じことをしていたらファッションデザイナーにはなれないので、矛盾した悩みでしたね(笑)。私は何も手につかなくなってしまったので、当時はあきほがDOKKA vividのことを1人でやってくれていました。
あきほ:私はゆくゆくDOKKA vividを日本と上海で同時展開するための視察を兼ねて上海に留学に行こうとしていたタイミングでした。でもコロナで上海がロックダウンしてしまって。ちょうど暇を持て余していた時だったので、のんちゃんの分をフォローできて良かったです。実は私ものんちゃんと同じで、何かDOKKA vividのために学びたいと企画系の会社の面接を受けていたんですが、本当に向いていなくて......就職活動を辞めた途端DOKKA vividとして新しいお仕事が2つも決まったので、辞めて正解だったんだと思います(笑)。
―最後にアパレル業界への転職を目指す人へのアドバイスをお願いします!
あきほ:どんな仕事でも、絶対に辛いことはあります。たとえ好きなことを仕事にしてもその辛さは変わらない。好きなことをしながら辛さに耐えるか、好きじゃない仕事をして辛さに耐えるか、選ぶしかない。私はルーティンワークが苦手なので、数字と向き合い続ける仕事よりも、徹夜でクリエイティブしている方が楽しくてやりがいを感じます。何を辛いと感じるかは人によって違うので、自分が受け入れられる辛さ、受け入れがたい辛さについて考えてみると良いかもしれませんね。
Nodoka:本当にそう!DOKKA vividだって楽しいことばっかりじゃないし、悩むことも沢山あります。ニューヨークのファッションウィークでコレクションを発表した時は、それまでの半年間まともに眠れませんでした。でも、あの時得た経験は何にも代えられません。輝きは本当に一瞬ですが、お金にも何にも代えられないものなんです。本当に好きなことに向き合っているからこそ、心から生きがいや喜びを感じられる。たった一瞬だとしても、一生忘れられない輝きを感じられる人生を、私は選んでいきたいと思います。
DOKKA vivid ドゥッカヴィヴィット
デザイナー菅内のどかと夏明豊によるデザイナーユニット。2018年、大阪文化服装学院在学中にブランド創設。“Spice for your life”をテーマに、エレガントかつ鮮やかなビビットカラーを使った、思わず街に出かけたくなる人生のスパイスになるようなアイテムを展開中。2022年、バンタン・パルコが主催するグローバルインキュベーション企画「ASIA FASHION Collection」でグランプリを獲得。NYファッションウィークにてコレクションを発表。Rakuten Fashion Week TOKYOに参加。
https://dokkavivid.thebase.in/
https://www.instagram.com/dokkavivid/
TEXT:鷲野恭子(ヴエロ)
PHOTO:坂野 則幸
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