2022年8月5日に亡くなったファッションデザイナー・三宅一生。日本のファッション業界の黎明期から世界にその名を轟かせ、そのセンスは現代においても大きな影響力を誇っています。三宅一生は自身のデザインを通じて伝統を継承すべく、日本の伝統技術を積極的に取り入れてきました。だからこそ「ISSEY MIYAKE」は機能美と高品質を兼ね備えた唯一無二のブランドとして高く評価されてきたと言えるでしょう。今回は、三宅一生が敬愛し、創作において重要な役割を果たしてきた日本の伝統技術との関わりを紹介します。
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三宅一生とは
1938年に広島で生まれた三宅一生は、彫刻家のイサム・ノグチや建築家である丹下健三のデザインに感銘を受け、多摩美術大学の図案科に入学。グラフィックデザインを学ぶ一方で服飾デザインにも着手し、在学中に2年連続で装苑賞受賞の快挙を成し遂げます。卒業後はフランス・パリに留学し、洋裁学校「サンディカ」で本場の服飾技術を習得。アメリカ・ニューヨークのメゾンでの勤務経験を経て1970年に帰国すると、自身のデザイン事務所を設立します。ここから始まったブランド「ISSEY MIYAKE」がパリコレクションなどで世界的な評価を獲得し、1980年代にはDCブランドの中心的デザイナーとして知名度が拡大。1999年にデザイナーを退任してからも国立デザインミュージアム設立に向けての運動や後進の育成に尽力してきました。
ISSEY MIYAKEの魅力
「ISSEY MIYAKE」の服作りには、1本の糸から研究し、オリジナルにこだわる「一枚の布」というコンセプトが息づいています。一般向けでありながら職人の手仕事が行き渡り、機能美と高品質を併せ持つプレタポルテがブランドの特徴を体現。現在では9つのラインが展開されています。代表的なレディースライン「ISSEY MIYAKE」は、パーツの縫い合わせではなく、一枚の生地から切り出して服を完成させているのが大きな特徴。この製作方法は「A-POC(A Piece Of Cloth)」と名付けられ、三宅一生の服作りに対する思想や概念を技術として確立。東洋・西洋の枠を飛び越えたグローバルなデザインは世代を超えて愛され、プラスチックや籐、紙など、布だけにこだわらない革新性を伴って時代に呼応しています。ほかにも1988年以来、三宅一生の服作りに欠かせない要素となっているプリーツを進化させた「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」やコンピュータサイエンスを応用し、多次元的な服作りに取り組む「132 5. ISSEY MIYAKE」、A-POC技術の可能性を追求する「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE」など、スタンダードな服飾とは異なる挑戦的なスタンスでファッションの可能性を開拓し続けています。
日本の伝統技術にこだわる理由
パリやニューヨークで服飾業の経験を積んだ三宅一生。斬新なデザインを発表する一方、キャリアを一貫して古来より受け継がれる製造技術に敬意を払い、自身の服作りに取り入れてきました。その取り組みには、自身のデザインを通じて伝統を継承しようという思いがあり、「人に夢を与えるデザインの意義を問い直す」という意思が込められています。行商人の作業着や刺し子、絣、楊柳といった民衆のための染色布と現代的なデザインが融合した三宅一生のオリジナリティは欧米のファッションシーンで絶賛され、現在も脈々と受け継がれています。近年では「ISSEY MIYAKE」の2022/23の秋冬コレクションに京都の絞り染めを用いたシリーズ「PODS」が登場。2021/22のコレクションでは、水面に垂らした染料から模様を写し取るという墨流しやプリントした記事をほぐして織り直すほぐし絣という技法を取り入れたウェアが話題を呼びました。メンズのコレクションでも染色技術であるろうけつ染めを用いた「ROUKETSUシリーズ」を発表し、革新的なブランドイメージと伝統技術の親和性の高さを証明しています。
三宅一生が愛した工房・職人たち
・白石ポリテックス工業
プリーツ加工を中心に婦人服の一貫製造を行っており、三宅一生とは1980年代から「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」の開発に取り組んできました。一般的にはプリーツ加工をしてから縫製を行いますが、「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」では縫製まで完成した製品にひとつひとつプリーツ加工を施していきます。このプリーツはなんと開発に5年を費やし、通常140℃で行う加工を190〜197℃で調整することで抜群の伸縮性と着心地を実現。優れたデザインと着心地を実現できたのは高い技術力を誇る白石ポリテックス工業あってこそと言えるでしょう。洗濯が簡単でアイロンがけの手間もいらない「PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE」のウェアは、現在、婦人服のスタンダードの一つとして定着しています。
・中村工房
明治時代にイギリスから伝えられた織物技術・ホームスパンを岩手県盛岡市で展開する工房。ホームスパンは「手紡ぎ」という意味で、現在では太い紡毛糸を使用した目の粗い織物のことを指します。中村工房は1970年代から三宅一生、テキスタイルデザイナーの皆川魔鬼子とクリエイティブワークを共に行い、スカーフや真綿のベストなどをパリコレクションに送り出してきました。中村工房では手織りにこだわり、染料には虫やくるみなど天然の材料を使用。皆川魔鬼子は最初、中村工房の草木染めの色の濃さに驚いたといいます。草木染めは素材を乾燥させてから染めるのが一般的ですが、中村工房では量をたっぷり使用し、生のまま染めることで他にはない濃さを生み出しているのだそうです。ホームスパンの暖かく穏やかな風合いと独特の色は、三宅一生のデザインを一層際立たせています。
三宅一生はその他にも様々な伝統技術からインスピレーションを受けています。「ISSEY MIYAKE」の「KOGIN CLOTH」では、弘前こぎん研究所の津軽こぎん刺しよる力強く美しい刺し子の模様のジャカード織りを見ることができますし、「ISSEY MIYAKE MEN」の2019年のコレクションでは、国の伝統工芸品に指定されている京鹿の子絞りを極めた重野和夫の染色技術と、現在では7人になってしまった西陣絣職人の中で唯一の若手である葛西郁子による「あばれ絣」と呼ばれる特徴的な生地によるアイテムが注目を集めました。
TEXT:伊東孝晃
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