アパレル業界で活躍するデザイナーたちは、その多くが服飾系の専門学校、もしくは大学・短大の服飾コースを卒業し、キャリアをスタートさせています。今回は、日本各地にある服飾系専門学校や大学のなかから、数多くの有名デザイナーを輩出してきた名門校を紹介します。
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文化服装学院
1919年、町の小さな裁縫学校として始まった文化服装学院は、1923年に東京府(現在の東京都)から認可を受け、日本初の服装教育を行う学校として創立。これまでに約30万人の学生が日本や世界のファッション業界へと巣立っていきました。西新宿の広大な敷地には、同校の象徴ともいえる地上20階、地下1階建ての立派な校舎が建ち、教室や実習室のほか、貴重な資料を揃えたファッションリソースセンターも備えています。教育環境は、服飾、ファッション工科、ファッション流通などの専門課程があり、さらにそのなかで専門的なコースが細分化。合計30もの学科でファッション業界に関する専門知識を学ぶことができます。また、就職対策にも力を入れており、入学後すぐにキャリア開発授業で企業研究やインターンシップなどに取り組むことができるのも大きなポイント。長い歴史を持つことからファッション業界とのかかわりも深く、在学中に大規模なコンテストやプロジェクトに参加するチャンスも数多く設けられています。
津森千里(TSUMORI CHISATO)
1976年にデザイン科を卒業した津森千里さんは「イッセイミヤケ インターナショナル」「I.S. chisato tsumori design」のデザイナーを経て1990年に自身のブランド「TSUMORI CHISATO(ツモリチサト)」を創業。当初は服飾の基本を学ぶぐらいの気持ちで入学したそうですが、在学中に新人デザイナーの登竜門である装苑賞に4回入賞し、審査員を務めていた高田賢三さんや三宅一生さんに見いだされたことで頭角を現していきました。
皆川明(ミナペルホネン)
「ミナ ペルホネン」を主宰する皆川明さんは、1989年にII部服装科を卒業。入学当時は授業についていけず、縫い物の課題にも苦労したとか。しかし文化祭でのショーの統括を務めたことでプロデュースの才能が開花。卒業後も縫製工場やアトリエなどで経験を積み、27歳で自身のブランドを立ち上げました。現在は多摩美術大学の美術学部生産デザイン学科で客員教授を務めています。
山本耀司(Yohji Yamamoto)
山本耀司さんは慶應義塾大学を卒業後、洋装店を営んでいた母の影響で服飾の道を志し、文化服装学院に入学。在学中から装苑賞や遠藤賞(文化服装学院生の優秀なデザインに贈られる賞)のデザイン大賞を受賞するなど、めざましい活躍を見せ、1972年に株式会社ワイズ(Y’s)を設立します。1981年には「ヨウジヤマモト」でパリコレクションに参加。黒を基調とした斬新なコレクションが大きな話題となりました。現在も学内で特別講義を行うなど後進の育成に注力しています。
コシノヒロコ(HIROKO KOSHINO)
コシノ3姉妹の長女であるコシノヒロコさんは、当初、美術大学への進学を考えていましたが、母親の反対により断念。その後、中原淳一さんの作品を通してファッションにおけるアートの重要性を知り、1956年、文化服装学院ファッションデザイン科に入学。1961年には自身のブランドを設立し、国内外での活動を展開。日本ならではの“粋”と西洋のモダンなテイストを絶妙なバランスでマッチさせたスタイルが特徴です。
黒河内麻衣子(Mame Kurogouchi)
精巧な刺繍やシルエットの曲線美が特徴的なブランド「Mame Kurogouchi」を主催する黒河内麻衣子さんは、新聞で見た「イッセイ・ミヤケ」のショーの写真に衝撃を受け、ファッションデザイナーになることを決意。文化服装学院を卒業後、三宅デザイン事務所で腕を磨き、2010年に独立を果たします。伝統から最新まで、さまざまな技術を用いた妥協のない服作りが女性からの厚い支持を獲得しています。
高田賢三、コシノジュンコ、松田光弘(ニコル)、金子功(PINK HOUSE)ら“花の9期生”については、過去記事「文化服装学院 花の9期生」をご参照ください。
エスモード
1840年にパリで創設された世界初のファッション専門教育機関・エスモードフランスの日本校。1984年に原宿で開校し、現在は恵比寿にキャンパスが置かれています。ファッション業界の即戦力となる人材の育成をモットーにしており、パリ校と日本校独自の教育プログラムをミックスしたカリキュラムを実施。総合コースでは、1年次にデザイン画の描き方や平面製図、立体裁断などの基礎を徹底的に学び、2年次でフォーマルウェアの制作や、ファッション業界の運営について学ぶ産学協働プロジェクト(O.P.É)実習など、より難易度の高い課題に挑戦します。3年次では学生自身がブランドを制作してプロの審査を受け、商業的な展開についても計画を立案。ファッション業界の流れを肌で感じながら卒業・就職に向けた準備を進めていきます。海外での活動を視野に入れている学生には、1・2年次の授業を英語で行うイングリッシュコースやパリ留学コースも設けられており、国際的な規模を誇る同校ならではの教育環境が大きな魅力となっています。
横澤琴葉(kotohayokozawa)
高校時代からファッションを学んでいた横澤琴葉さんは、エスモードジャポンのオープンデーを訪れ、そのレベルの高さから進学を決意。総合学科のレディス専攻を卒業後、企業でのデザイナー経験を経て2014年にエスモードAMIに入学します。卒業後、2015年に自身のブランド「コトハヨコザワ」を設立。現在は夫である日高俊さんと共同で、部屋着と外出着の間のような、気負わないユニセックスのデイリーウエア「シンク コトハヨコザワ」での活動も展開しています。
吉田康子(TOGA)
幼少期からファッションデザイナーを志していた古田泰子さんは、エスモードジャポンに入学後、3年次にパリ校に編入。現地で見たコムデギャルソンのショーに衝撃を受け、帰国後、1997年に自身のブランド「TOGA」を設立し、2006年にはパリコレクションへの進出も果たしています。先進的かつ官能的なデザインが人気を博し、現在は、同ブランドで「トーガ プルラ」や「トーガ ビリリース」など、テイストの異なるラインを展開中。今年、東京で約5年ぶりにショーを開催し、話題となりました。
武内昭 & 森田美和(THEATRE PRODUCTS)
1998年に総合科を卒業した武内昭さんは、コム デ ギャルソンでパタンナーとして勤務した後、2001年に劇場的なデザインや運営をコンセプトにしたブランド「THEATRE PRODUCTS」を設立。現在は同じく総合科を卒業した森田美和さんをパートナーに迎え、アクセサリーを中心としたライン「ensemble THEATRE PRODUCTS」も展開しています。また、武内さんは京都造形芸術大学の空間演出デザイン学科でも教鞭をとっています。
多摩美術大学
ファッションに特化した学校ではありませんが、多摩美術大学では生産デザイン学科にテキスタイルデザイン専攻が設けられており、芸術性の高い表現とともに伝統的な染色技術と先進的なテキスタイル技術を学ぶことができます。カリキュラムは、1年次で繊維素材の取り扱いや色彩、テクスチュアなど造形の基本を学び、2年次では基礎技術の追求しながらコンセプトに基づいた表現を行うことで創造力を育成。3年次で技術習得を「織」または「染」のいずれかから選択し、4年次の卒業制作へと進みます。技術だけでなく理論も重点的に学び、廃材を再利用する産学官共同プロジェクトへの参加実習も行われるなど、美術大学ならではのカリキュラムが充実。校舎には着尺機やコンピュータジャガードなどを設置した織実習室、さまざまな技法を実践できる染実習室、大型シルクスクリーンやインクジェットのある共同ラボなど、豊富な設備が備わっています。卒業後の進路は、アパレル業界を中心にインテリアや車両内装、IT関連など多岐にわたり、アーティストや染色作家の道を選ぶ学生が多いのも特徴です。
三宅一生(ISSEY MIYAKE)
丹下健三やイサム・ノグチに多大な影響を受け、多摩美術大学の図案科で学んだ三宅一生さんは、1961年から2年連続で装苑賞を受賞するなど在学中から才能を発揮。1965年からパリやニューヨークで修業を重ね、1970年に帰国します。自身のデザイン事務所を設立し、ブランド「イッセイ・ミヤケ」を展開し、1999年までパリコレクションのトップデザイナーとして活躍。2010年には文化勲章を受勲しています。80年代に大ブームとなった「DCブランド」の御三家と呼ばれるブランドのひとつです。
三原康裕(MIHARAYASUHIRO)
画家の母親のもと、幼い頃からアートに触れていた三原康裕さんは、1993年、多摩美術大学のデザイン学科テキスタイル専攻に入学。「身につける芸術」を追求し、在学中から独学で靴の制作を開始します。1996年にオリジナルブランド「archi doom(現:MIHARAYASUHIRO)」を設立し、2000年代からは海外でも積極的に活動を展開。2020年には天然素材を使用した新しいスニーカーライン「General Scale」をスタートしました。また、アパレルやアクセサリーの制作・販売も行っています。
TEXT:伊東孝晃
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