ファッションデザイナー 森英恵氏が死去 業界内外から追悼の声
「ブルガリ アウローラ アワード」の授賞式に孫の森星と共に出席した森英恵(2016年撮影)
Image by: FASHIONSNAP
「ブルガリ アウローラ アワード」の授賞式に孫の森星と共に出席した森英恵(2016年撮影)
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ファッションデザイナー 森英恵氏が死去 業界内外から追悼の声
「ブルガリ アウローラ アワード」の授賞式に孫の森星と共に出席した森英恵(2016年撮影)
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デザイナーの森英恵氏が、8月11日に老衰のため死去した。享年96。戦後復興期の日本において、働く女性の先駆けとしてデザイナーの道を切り拓き、着る人を華やかに彩る洗練されたオートクチュールのドレスや、機能的かつ品のある仕事着は世界中の女性たちを魅了。1970年代にはパリ・オートクチュール組合に属する唯一の東洋人として国際的に活躍してきた。日本のファッション界に影響を与え続けてきた同氏の功績を振り返る。また、業界内外から寄せられた追悼メッセージを紹介する。<随時更新>
森英恵氏の経歴
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1926年 島根県六日市町(現 吉賀町)で誕生。
1943年 東京女子大学に入学。
1947年 東京女子大学を卒業。
1948年 元陸軍主計少佐 森賢氏と結婚。その後、ドレスメーカー女学院に通い始め、洋裁技術を学ぶ。
1951年 新宿にスタジオ「ひよしや」設立。
1954年 「ひよしや」銀座店をオープン。日活「かくて夢あり」をはじめ、大映、東宝、東映、松竹などで数百本の映画衣裳を担当するなど、映画衣装の仕事で頭角を表す。
1963年 「ヴィヴィド」設立。本格的にプレタポルテ分野に進出する。
1965年 渡米。海外初のコレクション発表をニューヨークで行う。
1967年 ニューヨーク、West Point Pepperell Co. と契約し、寝具、タオルをデザイン。日本航空客室乗務員の4代目ユニフォームのデザインを手掛ける。
1969年 インド手工芸織物輸出公団とデザイン契約を締結し、「ハナエ・モリ・メイド・イン インディア」コレクションを発表。
1970年 ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルにブティックをオープン。日本航空客室乗務員の5代目ユニフォームのデザインを担当。
1972年 ロンドンでコレクションを発表。
1973年 ニューヨーク、セブンスアベニューにショールームをオープン。
1975年 グレース公妃の招きにより、モナコでファッションショーを開催。帰途、パリで初のショーを開く。
1976年 ニューヨーク、79丁目にファッションハウスをオープン。
1977年 東洋人として初のパリ・オートクチュール組合のメンバーに加入し、第1回オートクチュールコレクションを発表。パリ、アベニュー・モンテーニュにメゾンをオープン。以後、オートクチュール及びプレタポルテコレクションをパリ、ニューヨーク、東京で発表する。日本航空客室乗務員の6代目ユニフォームをデザインを担当。
1978年 東京・表参道にハナエ・モリビルをオープン。中国へ招かれ、デザイン指導を行う。
1979年 中国製ブラウス「ハナエ・モリ・メイド・イン・チャイナ」を日本および世界に向けて発売。
1985年 パリ、フォーブルサントノーレにブティックをオープン。ミラノ・スカラ座でのオペラ「マダム・バタフライ」の衣裳を手掛ける。
1986年 パリ・オペラ座でのバレエ、ルドルフ・ヌレエフ版「シンデレラ」の衣裳を担当。
1987年 劇団四季の「エビータ」の衣裳を担当。
1988年 東京ドーム杮落し公演「美空ひばり 不死鳥コンサート」の衣裳を担当。劇団四季の「はだかの王様」「オンディーヌ「夢から醒めた夢」の衣裳を制作。
1989年 デザイナー生活35周年を記念し、衣裳展「森英恵展」を東京で開催。劇団四季の「人間になりたがった猫」の衣裳を担当。
1990年 パリとモナコで「森英恵展」を開催。
1991年 劇団四季の「ミュージカル李 香蘭」の衣裳を担当。
1992年 バルセロナオリンピック日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。パリ、アルマ広場にオートクチュールメゾンを移転。
1993年 皇太子殿下のご成婚に際し、雅子さまのローブ・デコルテを担当。
1994年 リレハンメル冬季オリンピック日本選手団の公式ユニフォームをデザイン。
1995年 フランス、Cosmetique et Parfum Internationalよりハナエ・モリフレグランスを発売。
1996年 ザルツブルグ音楽祭オープニング・オペラ「エレクトラ」の衣裳を担当。文化勲章 受章。
1997年 創作能「高山右近」の衣裳を担当。
2000年 水戸芸術館開館10周年記念事業「見る 着る 超える―ファッションが動かす二つの世紀―」の一環として、「森英恵展 東と西の出会い」を開催。
2002年 フランス政府より、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ 受章。能とバレエ「胡蝶」の衣裳を担当。民事再生法の適用を東京地裁に申請。
2003年 新作歌舞伎「斑雪白骨城」の衣裳を担当。篠田正浩監督引退作 映画「スパイ・ゾルゲ」の衣裳を担当。
2006年 東京、パリで衣裳展「森英恵 手で創る」開催(2007年には島根で開催)。劇団四季「鹿鳴館」の衣裳を担当。
2009年 水戸と東京で「手で創る 森英恵と若いアーティストたち」展開催。
2010年 フランス、CYMBELINEよりウェディングドレスを発表。新国立劇場の新制作オペラ「アラベッラ」の衣裳を担当。
2012年 彫刻の森美術館、美ヶ原高原美術館の館長に就任。特別展「手で創る 森英恵オートクチュールの世界」が東武百貨店池袋店で開催。
2014年 オペラ「夕鶴」の衣裳を担当。
2015年 島根県立石見美術館で「HANAE MORI HAUTE COUTURE 森英恵 仕事とスタイル」展を開催。
2016年 「ブルガリ アウローラ アワード(BVLGALI AVRORA AWARDS)」を受賞。
2019年 NHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」で、新曲「あれから」の衣裳を担当。島根県立石見美術館コレクション展「森英恵」が開催。
2020年 水戸芸術館開館30周年記念事業の一環として「森英恵 世界にはばたく蝶」展を開催。
2021年 展覧会「ファッション イン ジャパン 1945-2020 流行と社会」に出品。
2022年 8月11日、老衰のため死去。享年96。
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