ファッションデザイナーの中には、アーティストとコラボレーションしたいと考えている方も多いのではないでしょうか。
国内外から高い評価を得ているブランド「ALMOSTBLACK」は、数々の名だたるアーティストとのコラボレーションを実現。コレクションはいずれも大きな話題を呼んでいます。
ユニークなコラボレーションはなぜ可能となったのか?
その背景には、デザイナーと弁護士の強力な連携と、並々ならぬ熱意があったようです。
「ALMOSTBLACK」デザイナーの中嶋峻太氏と弊所の小松隼也弁護士に、コラボレーションを実現する秘訣を詳しく語っていただきました。
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――まず、お二人が出会ったきっかけを教えてください。
小松隼也弁護士(以下「小松」):
僕も中嶋さんも、2019年にファッション専門誌「WWD」の「ネクストリーダー」に選ばれたことが一番大きなきっかけです。ちょうどその頃、お世話になっているギャラリストの方のホームパーティーで「中嶋さんをご紹介したい」という話しをお聞きして、「同じ号に載っていたので私も気になっていました」ということで。
中嶋峻太氏(以下「中嶋」):
で、表参道のスパイラルカフェでお茶しました。
僕も小松さんのことはWWDの紙面で知って、「こんな人がいるんだ! ぜひお願いしたい」と考えていました。
ブランドが大きくなってきて海外展開なども決まり、紹介者の方から「法律面のサポートは絶対必要だよ。いい人がいるから契約したほうがいい」と言われて小松さんを紹介してもらったんですよ。
だから、小松さん側は「紹介」というご認識だったと思うんですが、僕たちはもう「契約する!」という前のめりのテンションでした(笑)。
小松:
ちょうどALMOSTBLACKがアーティストの白髪一雄さん、白髪富士子さんとのコラボレーションによるコレクションを行おうとしていたタイミングでしたよね?(※1)
中嶋:
そうです。本当によいタイミングでした。
――ALMOSTBLACKはこれまでも多くのアーティストとコラボレーションしてきたと思うのですが、小松弁護士と連携する前はどのように進めてきたのでしょうか?
中嶋:
これまでのコラボレーションは、契約も含めて自分一人で進めていました。いつも「どこから進めればいいんだろう?」と手探りの状態でしたね。
そういったことをお願いできる専門家の必要性をものすごく感じていたものの、そもそも弁護士はファッションやコラボレーションのことをわからないだろうと思っていましたし、費用もよくわからなかった。誰に相談すればいいかわからないから、ノリと気合で自分一人で進めるしかありませんでした。
コラボレーションしたいアーティストについて、自分で調べて、直接電話して、話をして。
たとえば過去には、日本の窓口と思しきところに電話をしたもののすぐに断られ、でもあきらめずに海外の窓口に問い合わせをしたところ無事OKをもらえたというケースもありました。
小松:
あきらめないことが大事ですよね。コラボレーションについていろいろなデザイナーの方と話していて感じるのは、オフィシャルのコラボレーションはきっと難しいだろうと最初からあきらめてしまっている例や、これとは逆に、この程度なら問題ないだろうと思って無断で借用してトラブルになってしまう例が多く、正面からコラボレーションを試みるという考えが以外に少ないという印象です。
中嶋:
自分が世界に出ていきたいと思ったり、世の中に作品を発表したいと考えたときに、そこをうやむやにするのではなく、きちんとアーティストの承諾を得てやらないと意味がないじゃないですか。だからアーティストに承諾を得るプロセスはとても大事だと思います。
――小松弁護士と提携することで、コラボレーションの進め方はどう変わったのでしょうか?
中嶋:
全く変わりましたね。たとえれば前は裸で進めていたのが、今はスーツを着ている感じ(笑)。
小松:
弁護士が関与することのメリットは、契約書などを作成できるという点ももちろんあるんですが、どのような条件でどこにコンタクトするのがベストかという点から一緒に話ができること。どういう方針で、アーティスト側にどう提案するのか。条件面も含めて事前に摺り合わせをしてから話を進められるのはとても意味があると思っています。
一般的な弁護士の立ち位置は、依頼者から「こういう条件でこういうことをやりたいから契約書を作ってほしい」と依頼を受けて、契約書を作成し、提案してみて異なる点を修正して……という受け身の姿勢であることが多い。
中嶋さんとは、最初から落としどころを見据えた上で何度も話し合い、アーティストに失礼のない提案、アーティスト側からしても面白いしリスクがないと思ってもらえるような提案を常に考えるようにしています。ぱっと見何が書いているあるか分からない雛形どおりの契約書ではなく、シンプルで分かりやすい契約書と説明など、アーティストとコラボレーションする際には、こうしたプロセスがとても大事だと考えています。
中嶋:
コラボレーションしたいと考えたら、まずは小松さんに相談するようにしています。「これってずれてませんかね?」「失礼はないですか?」「ここはまずいですかね?」といったことを聞きながら進めていくので、アーティスト側にもスムーズに受け入れてもらえるのかなと思います。
小松:
自分が中嶋さんと一緒にやっていて面白いなと感じるのは、中嶋さんとディスカッションを重ねて、「こうもっていけばアーティスト側も合意してくれるのではないか」を探りながら進められることですね。
中嶋:
たとえば最新のコラボレーションをさせてもらっている細江英公さんの作品「おとこと女」と「抱擁」にしても、ピックアップする作品や順番、構成などについて小松さんと細かく打ち合わせをしました。作品の時系列的には「おとこと女」の後に「抱擁」が発表されましたが、もともと僕自身は逆の順番で発表したいと考えていたんですよ。結果的に、コレクションも時系列に沿って、「おとこと女」から「抱擁」という順番になったわけですが、この点は小松さんとじっくり話し合いました。
小松:
現場にも一緒に行っているのですが、コラボレーション契約に関して弁護士が現場まで足を運ぶことはほぼないので、この点も仕事の仕方として珍しいと思います。
中嶋:
ほかにも、たとえば僕がブランディングを担当している仕事では、コンセプトから小松さんにご相談しています。
こうした背景には、小松さんが興味をもって楽しんでやってくれている点もとても大きいなと。素晴らしいチームワークにはお互いの信頼関係がとても重要だと思います。
だから、小松さんには、自分自身が本当に信頼したブランドや企業をご紹介するし、逆に小松さんもそうだと思う。
そうした中で、小松さんを含め、信頼できるメンバーでうまくチームアップしていろいろできたら面白いことになりそうだなと感じています。
小松:
最初からチームとして連携することのメリットは、たとえば「ブランド名はこれこれなんですが、どこまで保護できますか?」というブランド名ありきの進め方ではなく、逆転の発想で、「マーケットとして狙っている国でしっかりと保護できるブランド名をつける」という視点をもって進めることもできます。ブランディングと商標、意匠などをからめて戦略的に進められる、いわゆる「知財戦略」を実現できることがとても面白いと感じています。また、戦略的に進められることでコストを抑えられるのも大きなメリットだと思っていて、実際にも中嶋さんとのコラボレーションでは、しっかり守りと攻めのバランスが取れている商標をミニマムのコストで出願することができています。
※1 ALMOSTBLACKは、2021年AWと2022年SSの2シーズン、アーティストの白髪一雄、白髪富士子夫妻とのコラボレーションを行った。
さらなる深いお話へ! Vol.2に続きます。
中嶋峻太
「ALMOSTBLCK」デザイナー
エスモード・パリを卒業後、2005年から2007年の2年間、デザイナー、ラフ・シモンズのアトリエでデザインアシスタントを務めた。国内外のデザイナーズブランドでキャリアを積んだ後、川瀬正輝氏とともにメンズファッションブランド「ALMOSTBLACK」をスタート。「ポストジャポニズム」をコンセプトとし、アーティストとのコラボレーションにも積極的に取り組んでいる。また近年は、e-sportsのブランディングやデザイン、生地のディレクションなど幅広い分野に活躍の場を広げている。小松弁護士とチームを組んでブランドを立ち上げるプロジェクトも計画中。
サッカー経験者であり、サッカー選手へのリスペクトとサッカー業界に恩返ししたいという気持ちから、Jリーグのデザインに関与するのが目下の目標。
また、将来的にはハイブランドのデザインを手がけたいとの夢も持っている。
小松隼也
弁護士
三村小松山縣法律事務所、代表弁護士。2009年に弁護士登録後、11年に東京写真学園プロカメラマンコース卒業。15年にニューヨークのフォーダム大学ロースクールでファッションローやアートローを専攻し卒業。帰国後は、ブランドの立ち上げや知財戦略、海外との契約交渉などを専門とする。ファッションに関する法律研究機関Fashion Law Institute所属、ファッション関係者の法律相談窓口「fashionlaw.tokyo」共宰。また、現代美術商協会の法律顧問やアートウイーク東京の理事など現代美術に関する業務も専門的に取り扱う。
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