TOGA 2022年秋冬コレクション
Image by: FASHIONSNAP(Ippei Saito)
本日は「トーガ」の話。偶さかに此度の短期連載は、「アンダーカバー」に始まり「トーガ」で終わろうとしている。斯様な巡り合わせは偶然とは思えない。何処か因縁染みた感じがある。断りを入れておくが、この二つのブランドがなにかの因縁で結びついているのではない。それぞれが、私個人の境涯に於いて貴重な取材対象なのである。デビュー当時より取材を続けて得た経験が、結果、私の血肉となって現在もこうしてファッションの売文稼業を続けることが出来ている。彼等に共通項があるとすれば、ともに滾る若さを収めきれずにいた器は、いま、成熟を迎えんとする現在、往時の初期衝動を湛えるだけの容量を充分に持ち得た、と云うことである。
この稿の標題「モードノオト」には二重の意がある。「帳面」の「ノート」に「何々の音」を重ねている。と云ったとて、「音」に纏わる話をした験しは殆どない。だから、妙な巡り合わせを物怪の幸いに、禿筆を咎められるのを承知で小感を述べてみたい。此度の「アンダーカバー」のショーで使われたモダンジャズの楽曲が気になった。初手より私は、フランシー・ボラーン(1950年代より60年代のパリで活躍したベルギー生まれのピアニスト)の演奏だと思った。後で判明したのだが、「怒れるベーシスト」の異名を持つチャールズ・ミンガス(本業はベーシストであり作曲者)の、殊更珍しいピアノソロアルバムより抜粋した『Myself When I am Real』と云う曲だった。敢え無くも私はブラインドテストに失格した。鍵盤を叩く音圧の凄さ、弾力のあるピアノの音が、まるで岩石を叩き割るような印象を与えるナンバーは、一方では、叙情性と堅牢な建造物のような構造で構成された、作曲者としての面目躍如たるピアノ曲である。ミンガスのピアノソロは、同時代のセロニアス・モンクに通ずる、強い意志の張り詰めた、演奏者自身の独白のようなもので、そこには口当たりの良さとか甘さとは一線を画した荒々しさが渦巻いている。見方によっては、ショーの裏に隠されていた高橋 盾の気骨と繊細さと、ミンガスの弾き出す旋律と和音の研ぎ澄まされた感性との対話がスリリングな見物であった。
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他方、昨夜の「トーガ」のショー(楽天が続ける「by R」プロジェクトで実現した)で聴いたインストルメンタルもまた、私に云わせれば、決してリラックス出来る代物ではない危険物だった。私は締まりなく崩れた。完璧なまでに1970年代的ブラックロックの陶酔境にオチてしまった。此度のショーのために録音したオリジナルだと聞いたから、もしかすると曲想は違うのかも知れない。だが私は勝手に、初期のファンカデリック(とりわけ1971年にウエストバウンドよりリリースした三枚目のアルバム『マゴット ブレイン』に収録されている標題作は、盤が擦り切れるほど聴いた)を支えていたエディ・ヘイゼル(ジミ・ヘンドリックス直系のギタリスト)の、極め付きな高揚感を引き延ばせるだけ引き延ばした演奏をそこに重ねていた。楽曲は、たぶん古田泰子の意向によるものなのだろう。但し、此処でも断りを入れる必要がある。「散々ぱら宇宙に巣くう蛆虫を喰らってきた俺だが...」的な闇のナレーションが演奏の前に挿入された『マゴット ブレイン』のどろどろした世界観と、いまとなってはプレタポルテの比類なき風格(完璧に東京の他のショーが霞んでしまった)を誇示する「トーガ」のイメージとはなんら関係はない。だが、一つだけ云えるのは、イカモノ好きな彼女の感受性は昔から変わっていない、と云うこと。妙に彼女とウマが合うのはそのためなのだ。
古田泰子と初めて会ったのは二十年以上前、東京にてショーをする前のことだった。初々しい笑顔で深々とお辞儀をされた。話をするうちに、本来の彼女のさくい感じが滲み出て、たいそう開けっ広げな性格が感じとれた。それは非常に印象的な初対面だった。独特なロマンチシズムと冷たい現実的感触との、創作と批評の一致と云うべきものが、彼女の服の動機になっている。眼力が備わっていなかった当時の私が、彼女の本質的な創作哲学に到達していたかどうか、その自信はない。
この仕事を続けていて私なりに気が付くことがある。デザイナーにとっての毎度毎度のコレクションは、場合によっては、一人の作家による連載小説のようなものなのかも知れない。或いは、毎回の作品群を、作家本人の想像上の画面に一つ一つ貼り付けていく壮大なコラージュ作品とも云えるのではないか。その伝で云えば、二十年以上の膨大な時間を費やして制作している未完のコラージュは、彼女の創作哲学と、その時々の創作動機をまさに体現している。それは即ち,,,薫り高き頽廃、潔癖な一種の禁欲主義、あられなもない官能、純血さ、人工甘味料の如きエグミ、磁石の両極、透き通った快楽主義、スキャンダラスな偶像崇拝、贅肉を削ぎ落としたロックンロール、宝石のような冷たい結晶、ギラギラと脂ぎった欲望、歪んだ平衡感覚、批評精神と叛骨精神、金属の腐食感...これだけでは到底物足りないのだが、筆の勢いが過ぎて独断に嵌まるので手控えておく。
此度の東京のショーは、ロンドンのファッションウイークにて動画配信したコレクションをベースに、そこに新たなピースを補完し、スタイリングを変えている。「分量の違うものに、繋ぎにボーンを入れ、素材が好き勝手なところに向かう形になる。洋服と身体にゆとりが生まれ、ボトムは自由となり、身体のまわりを揺れて弾むような足取りで歩く。揺れて楽しい気持ちになってきた」。敢えて此度のコレクションノートを引用してみた。会場にいた誰にも、テレパシーのように諒解されてしまったと思う。「楽しい気持ちになってきた」のくだりがいい。彼女の潜在意識の奥底より飛び出してきてカタチを現した言葉だと思った。テーラードに捧げる頌歌と伝統的な技法からの逸脱も、男と女の性の中間の葛藤を探求するロマンも、建築的で解剖学的な構造も、一着の服が持つ経験のようなものも、彼女はしっかりと手に入れている。是非にも機会を得て彼女と旧交を温めたいと私は切に思っている。(文責/麥田俊一)
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