ラニフィーチョ・フラテッリ・チェルッティのFacebookページより
イタリア・ビエラ創業の老舗生地ブランド「ラニフィーチョ・フラテッリ・チェルッティ(Lanificio Fratelli Cerruti)」を率いたニノ・チェルッティ(Nino Cerruti)が、現地時間1月15日に死去した。91歳だった。複数の海外メディアの報道によると、イタリア・ピエモンテの北西部にある病院で亡くなったという。
ニノ氏は1930年9月に生まれ、父の死を機に20歳で会社を継承した。当初はウールと綿の服地生産のみ行っていたが、1957年に同社初のアパレルライン「ヒットマン」を発表。紡績から製造、製品の販売までを一貫して行う手法は当時としては珍しく、革命的な取り組みとして注目を集めた。その後ヒットマンから「チェルッティ」に改名し、1967年に最初のブティックをパリのマドレーヌ広場にオープン。メンズウェアに加えてウィメンズウェアやシューズ、バッグ、フレグランスなど商品ラインナップを拡充していった。バイヤー出身だったジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)や、「エルメス(HERMÈS)」アーティスティック・ディレクターのヴェロニク・ニシャニアン(Véronique Nichanian)が新人時代を過ごしたブランドとしても知られている。チェルッティ社は生地部門に注力するため、2001年に既製服部門を売却。ニノ氏は2018年に経営トップの座から退いた。
ADVERTISING
同氏の訃報に際し、ラニフィーチョ・フラテッリ・チェルッティは「私たちは、才能ある人物、並外れたデザイナー、時代の先端を行く人物、そして多くの人々が恩義を受けた素晴らしい指導者を失いました。彼の仕事に対する献身と取り組みを通して、彼はスタイルと調和を常に求めて生きた人生の永遠の模範となることでしょう」とFacebookなどのSNSアカウントでコメントした。
アルマーニ氏もブランドの公式インスタグラムアカウントで「ニノ氏の死去を知り、大変残念に思います。長い間、私たちは連絡を取り合っていませんでしたが、彼が私の人生に実質的かつポジティブな影響を与えた人物の一人であると常に考えています。彼は、私のソフトテーラリングの好みを作り上げた人であり、デザイナーとして、また企業家として、総合的なヴィジョンの重要性を教えてくれた人でもあります」とたたえた。
ADVERTISING
RELATED ARTICLE
関連記事
READ ALSO
あわせて読みたい
RANKING TOP 10
アクセスランキング
銀行やメディアとのもたれ合いが元凶? 鹿児島「山形屋」再生計画が苦境