ホウガ 2022年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP
真っ白だと称する壁の上に点々と残る汚いシミを見るよりも、打ち捨てられた襤褸の切れに美しい縫取りの残りを発見して喜ぶ私は、少しくひねこびた質に出来ている。最近とみに観念への強い執着がやまず、益々服の見方が屈折しているように思え、それでも夢中になって書くには書いてみるが、読み返すといつも全身が砥石に掛けられたように堪らぬ冷や汗に擦り減ってしまうこと頻々。そんな折り「ホウガ」のショーを見た。2019年春夏シーズンより開始したブランドで、東京のファッションウイークにてショーを発表するのは今回が初めてだと云う。昨年だったか、デザイナーの石田萌はデザインコンペ(第11回YKKファスニングアワード優秀賞受賞)の受賞作品をショー形式で発表しており、縁あって私はそのショーを見ているが、服の印象は残念ながら記憶に残っていない。
今回、石田萌がものする散文には、軽やかさ、優雅さ、伸びやかさ、それに多少の卑俗さが感ぜられた。卑俗さと云うと大いに誤解を招くが、豊穣のときを過ぎた田園風景を偲ばせる田舎びた素朴さを卑俗と云う言葉に置き換えてみた。また、有機的なモチーフを服の裁断、形、細部に大胆に落とし込んだ様子は、たとえば往時の「コム デ ギャルソン」とか「アレキサンダー マックイーン」の目眩くドレス類に些か重なって見えてしまったため、この既視感を敢えて卑俗と云う、普通ならばネガティブな言葉に置き換えてみた。だが、だからと云って、私は今回の「ホウガ」を、そんな理由で否定するつもりは更々ない。寧ろその逆なのだ。過剰な装飾故に現実味を欠いている風を思わせるが、彼女の見せるドレス表現は、激しく吹き寄せて私の脳裏に様々なイメージとビジョンを呼び起こした。未だ硬い花の芽の、段々とその螺旋状の蕾を膨らませ花を結ぶ瞬間の、何者にも束縛されない生命の神秘的な力とその滾りを、彼女は創作の源に据えているように思う(「ホウガ」=「萌芽」の意のブランド名にもその意図が伺える)。
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小さな花弁を幾重にも配したようなフリルの波、花壇に咲き乱れる花々を連想させる小さな起伏に富んだプリーツ生地、植物柄の鉤針編みの付け襟などは牧歌的に映るが、限りなく凝縮されたモチーフの数々が放つ強かさとエグミを引き出している。素朴に見えて、その実、少しく手強い。また、19世紀や20世紀初頭の服飾史を紐解きドレス表現に重厚な味を加えているあたりも面白い。どうやら彼女の服には、生きた現実生活よりも、もっと生々しい現実があり、人間の感情や心理の捉え難き明暗表現が浮き彫りになり、絶望や不可能を前にして、希望や可能を見出す芽が宿っているようだ。
「大人らしく」「女らしく」「男らしく」「母親らしく」と云う言葉が今回のコレクションノートに記してある(因みに、彼女はブランドを立ち上げる前に前職の「フラボア」の企画職を出産を機に退職している)。彼女は数々の言葉を甦らせ、生き生きと躍動させ、舞い踊らせている。この作品群に描かれているファンタジーは、フェミニンな服を目指すと云ったありきたりの情熱とか、伝統的でステロタイプ化した性差の区分とは異なる、誤解を承知で云えば、戦闘的な意志に根差したファンタジーである。即ち、「○○らしさ」からの解放を謳うドレスなのだ。この特異なファンタジーは、作り手の内面で絶え間なく変化し、変化することで自らを創造し、自らを創造することによって生き続けていく筈である。この作品群に於いては、草木がひねこびることなくスクスクと繁茂し、神秘の星々がチカチカと煌めきながら巡り、血液がドクドクと体内を駆け巡るようにごく自然に日常的なものと非日常的なものが一つに結び付いている。(文責/麥田俊一)
【麥田俊一のモードノオト】
・モードノオト 2021.08.31
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