オリンピックは、デザインとクリエイティブの祭典でもある。
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1964年東京、1968年メキシコシティ、1972年ミュンヘン、1994年リレハンメル、2004年アテネの5大会に焦点を絞り、ポスターやエンブレム、ピクトグラムや聖火トーチ、メダルなどのビジュアル・アイデンティティを紹介する展覧会が行われている。あらゆるクリエイティブジャンルで若い才能が爆発した’60-’70sの3大会からは今の我々の生活デザインの基礎を生み出したビッグバンのような力強さを感じる。
オリンピック・ランゲージ:デザインでみるオリンピック
Olympic Language: Exploring the Look of the Games
2021年7月20日(火)-2021年8年28日(土)
@ ギンザ・グラフィック・ギャラリー Ginza Graphic Gallery
Ginza Graphic Gallery is exhibiting posters, emblems, pictograms, torches and medals from five Olympic Games: Tokyo (1964), Mexico City (1968), Munich (1972), Lillehammer (1994) and Athen (2004). The exhibition remind us that the Olympics is a festival not only of sports but also of creativity. It also shows energetic creative scenes back in the 1960s; the graphic design for Tokyo, Mexico, and Munich stand out from rest of the games. On the ground level, where they show posters associated with the Tokyo 1964 game, you’ll find there were so many simultaneous art and culture event to promote Japanese culture just as it is so in Tokyo (but without much effort to be noticed because of the pandemic).
オリンピックにまつわる最初の記憶は、母が一時凝っていた切手コレクションにあったミュンヘン大会の記念切手だ。ミュンヘンの街の美しい地図や、さまざまな競技をデフォルメしたイラストの美しさに心を躍らせた。オリンピックが何だか知らない歳だったが、今、計算をすると大会開催中の私は独デュッセルドルフに住んでいたようだ。もしかしたら大会で熱狂するドイツ人を子供ながらに見ていたかも知れない。
その影響だろうか、スポーツにはそれほど興味がないが、オリンピックのグラフィックには興味があった。
オリンピックといえば1984年のロサンゼルス大会が一気に商業化を押し進めた大きな節目。ロケットマンが飛んだエンターテインメント性の高い派手な演出の開会式はテレビで見た。ハリウッド映画のノリだと楽しみはしたが、少しずつオリンピック熱が冷め始めた大会でもあった。
そんな私が再びオリンピックに興味が湧いたのは米国の大学に通っていた時。深夜、テレビで古い日本の田園風景が映っていた。しばらくすると聖火ランナー。市川崑監督による映画「東京オリンピック」だった。
勝ち負けやメダルの色、ルールなど一切関係なく、ただひたすら競技に励む選手たちの姿や息づかいを美しい映像美で淡々と描いた本作は衝撃的だった。またそこに登場するグラフィックのシンプルで洗練された美しさにも驚かされた。自分が生まれる前の東京で、こんな凄いイベントがあったとは。日本のクリエイティビティが爆発した東洋初のオリンピックに感心せずにはいられなかった。
本展は、その1964年の大会を地上階で大きく取り上げている。亀倉雄策らのグラフィックデザイン、勝見勝らのピクトグラム、柳宗理のトーチ、どれも洗練された力強い美しさが漂う。
同じく驚かされたのが、ポスターの展示だ。1つの壁に明らかにオリンピック用ではないポスターが3枚貼られていたが、よく見ると、オリンピックと同時開催された美術展や写真展のポスターだった。実は今現在もコロナ禍で派手に宣伝はしていないものの、東京ではオリンピックに合わせて企画された展覧会が多数同時開催している。57年前にも既に同様の試みがあったのだ。
さて、オリンピックのグラフィックデザインと言うと、もう1つ好きなのがPedro Ramirez VázquezやBeatricce Truebloodによるメキシコ大会のグラフィック。メキシコらしさは1mmも感じないが、サイケデリックな60s感を遠慮なく爆発させており、シンプルでミニマルな東京大会の対極にありながら、勝るとも劣らない存在感だ。詳しい人に聞くと、今ではロゴなどの規定が厳しくなり、こうしたデザインはできないそうだ。
TOKYO 2020大会も、本来はクリエイティブの祭典になりえたはずだ。しかし、権威と金と「大人の事情」ばかりが目立ち、それを叩くネットやテレビのエンタメニュース番組との醜い泥沼が続き、わずかな例外を除いてほとんどその役割を果たせないまま閉会式を迎えた。
このダメージばかり大きな大会から、何か1つでもプラスを生み出せるとしたら、それは何が問題だったかを整理して、2022年後以後の社会で繰り返さないこと。クリエイティブな活動をもう少し戦略的に活かせる日本に成長することではないかと思う。
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