眼を眇めて余計なものを極力見ないようにしたい、などとホキ出すと、なんだ偉そうにと、頭を小突かれるのが関の山だし、細々とだが、ファッションを書く売文稼業を続けるためには、或る程度は世間の動向に着いて行かねば仕事にならぬことは重々承知している。抉るたび背中で踠(もが)く芥川、などと酔狂な戯れ歌(この情景が眼に浮かぶ御仁は相当なエロ事師だろう)に現を抜かし、ひねもす黴臭い春本の頁をハグっていたのではロクな死に方はしない。今以て思慮分別の浅さだけは誰にも負けぬが、あぁ、青春の客気が懐かしいと嘆くロートルにも、ハルは巡るし、人並みにハレの気分にも浸ることは許される。柄にもなく夜桜に誘われたことは昨日の話。今宵は、眩いばかりにカッと咲く花のような服について書いてみたい。痛々しい程剥き出しの雄蕊が微風に震え動く様子は、人間の耳には聞こえない妙なる調べを聴いているとしか思えない、などと、実際に初めて彼女の服を眼の当たりにして、当時の私はセンチになっていたのだった。
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私が小池優子を知ったのは、彼女が2015年4月に「koike.」にてデビューして間もない頃だった(同年5月に取材したのだと思う)。当時の私はと云えば、ドブ川に落ち込んだ自転車みたいに、只管に川底を目指して浮かび上がることもなく、汚泥から湧き出るガスの気泡がぶくぶくと水面に顔を出すのみ、と云った為体で、救いようのない袋小路に嵌っていた。ルックブックを見ても、正直、ピンと来なかったと記憶しているが、此方よりアポを申し込んだのだから、未だ見ぬ服に「何か」を感じたのかも知れない。私の直感は屡々当てにならぬことがあるのだけれど、その時は、ドン底に居たお陰で勘だけは冴えていたのだと思う。2014年より海外のデザインコンペにて受賞歴を数多数えるブランドにしてはあまりにも地味なデビューだった。私は、彼女の自室兼帯のアトリエを訪問した。
数型で構成されたデビューコレクション(2015-16年秋冬)は、方々のデザインコンペに出展したこともあって少しく草臥れて見えた。だが、毛皮、ニットともに、色柄の強い個性が描く陰翳と、流れるようなエキゾチックなモチーフが私の眼を射った。脳味噌に鳥肌が立った、と云うと、大袈裟に聞こえるが、それ程に彼女の服は私を虜にした。服は稚拙さの痕を大いに残していたが、そんな瑕(きず)などもろともしないロマンチシズムと云う強さが漲っていた。後述するが、「焔(ほむら)」をイメージした最新作然り、服は真っ直ぐで力強いのだ。どのように見られたいかと云う誇示やジェスチャーなどではなく、彼女の服作りは、自分が何者であるかを自身に示して見せると云う根本的な欲求としてのロマンチシズムに裏打ちされている。
最近の小池の服は春夏と秋冬の区別を持たない。最新作も2021年コレクションと名付けている。既存のメカニズムに囚われず、過剰なパフォーマンスより離れ、本来の創作を損なうリスクのある時間的制約から自らを解放することの必要性を肌で感じているからだろう(勿論、ブランドの体力にも拠るのだろうが)。「私は、手仕事とパターンメーキングの面白さ、職人の高度な縫製、加工技術の凡てを掛け合わせたモノ作りを目指しています。この中でいちばん時間を要するのが手仕事です。手編みのニットやレースのデザインに加えて、編み図作成、モチーフの試作の繰り返しの過程より私の服はカタチを得ます。製図は勿論、一つ一つのビーズやスパングルに糸を通し、編み上げていきます。手仕事のニットが編み上がってから、時には同時進行で縫製へと入ります。刺繍やプリント図案もゼロから手掛けるオリジナルです。だから今の私には、半年の周期では短いのです。理想とする服作りを日々見付けながら少しずつ前進しています」と彼女は云う。
「灼熱の夏の一日」と題された最新作についての小池の言葉を引いておく。「夏の陽射しは熱を帯びて、鮮やかな色を放出します。ギラギラと攻撃的な陽射しが、眼前を熱く照らし、思わず手で太陽を遮ってしまいたくなるような、眼も開けていられない程の強烈な光線の記憶を辿りました。灼熱の光線は鏡をも砕く程の強さで、この熱が膨張して破裂していく様をイメージしています。熱気は長く、大きく、燃え立っています。燃え上がる炎の歩みは誰にも止めることの出来ない強さを帯びています」。
服は勿論、絵でも小説でも音楽でも、流行りと云うものがあって、その時の群集心理で流行りに合ったものはよく見える。新しいものが出来ると云う点では認めるにしても、そのものの価値とは違う。やっぱり自分を出すより手はないのだ。何故なら、自分は生まれ変われない限り自分の中に居るのだから。流行り廃りに異を唱える小池のモノ作りは「和」の伝統や工藝に影響を受けている。デビューコレクションは、京都の老舗、龍村(たつむら)美術織物の創業者、初代龍村平蔵の作品集に鼓舞されたものだった。「和」を紐解いているからとて、安直なジャポニスムを声高に謳歌するブランドではない。モチーフや技法を洋服に翻案する試行錯誤の過程(職人たちとの対話)こそ彼女の創作の内燃機関である。今回は、日本の第一礼装である「振袖」の文化に強く惹かれたと云う。「振袖の柄の中には幾多の色彩が混じり合い独特の調和があります。そこに帯の輝きが加わることで一層華やかさが増します。今回は色彩と輝きを大切にしたいと考えました」と小池は云う。帯の造形にも影響を受けたようで、「帯のような襞飾りやカット、結びを私流にデザインしています。帯枕の代用品を作り、帯に立体感を出し、ファッションとして取り入れるようにしています。肩から少し帯風の布が見えるルックは、日本の伝統文化に根差しています」と云う。刺繍には飛翔する鶴を題材にした。
こうした小池の独特な美意識は、固定概念よりも合理性や真正性で、そしてそれらよりも何より自身の感覚を頼りとして培われてきたものだ。最新作で云えば、ビーズ使いにその特質が窺える。ニットの編み地組織とビーズ刺繍を融合させ、輝く装飾と艶めく色柄を提案している。「今回はドレスにニットを取り入れる手法に挑戦しました。ニットの裏に当て布をし、ニットが伸びないように工夫しています。当て布に輝きのある生地を使用することで、ニットの透かし模様の隙間から太陽光のようなキラキラとした輝きが覗くようにしています」。
最後に手仕事についての彼女の考え方を紹介しておきたい。「改めて手仕事を突き詰めていく先に、今はとても可能性を感じています。私が考える可能性は、ファッションを拡張する方法です。先人が生み出してきた幾多の技術に甘んじることなく、苦悩して頭を悩まし、考え続けています。数ある技術をリバイバルして、そのまま使用することは、ファッションの発展とは思えなかったからです。いつの時代にも、消えてなくならなかった手仕事には意味があり、それを継承、発展させていく必要があります。その可能性の向こうを、試す必要があると思っています。たとえ、それが失敗でも、成功でも、実験を繰り返すことが、必要だと信じています。そして、それは最後には実を結ぶものであって欲しいとも。私はまだ未熟で、それが十数年後かも知れませんが、私は継承と発展を突き詰め続けなければならないと思っています」。(文責/麥田俊一)
【麥田俊一のモードノオト】
・モードノオト 2021.03.14
・モードノオト 2021.03.15
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