地球環境問題の〈悪〉として捉えられているプラスチック。本当にプラスチックは悪なのか?そもそもサスティナブルという概念自体、信じて良い概念なのか?
By Yuichi Abiko As Told To Tadahisa Iwata
〈サスティナブル〉。日本では〈持続可能な〉と訳されるこの言葉。ここ数年で出現した言葉だけに、その真意は掴みづらく、本当の意味で理解しようとしても、なかなか腑に落ちない人もいるだろう。数十年前に、脚光を浴び定着した〈アイデンティティ〉も、当時は掴みづらい言葉であったと記憶している。どちらも既存の社会がいき詰まり、そのなかで生まれてきた新しい概念としての言葉であることは間違いない。
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〈サスティナブル〉という言葉が本格的に脚光を浴び始めたのは1990年代に入って以降。日本では第二次世界大戦敗戦後、深刻な食糧難に陥ったこともあり、〈ものを大切にする〉ことが尊重されてきたように感じる。学校給食は何があっても完食しなければならなかったように、特に食糧を無駄にすることは許されない社会であった。同時に豊かな生活=物質主義といった価値観が蔓延していたことも事実だろう。それが、90年代を経過して以降、徐々に変容してきている。今や学校給食は無理して完食せずともよくなったように、ようやく飢餓への恐怖から解放されたのかもしれない。逆に言えば、物質的には豊かな社会になった、といえるのだろう。
また、ある意味、アメリカを中心とした大量生産大量消費社会、つまり、これまでの資本主義に変わる新たな構造が求められる時代、物質主義こそが豊かさと捉えていた価値観も崩壊し、それに変わる何かが求められているが、その答えはいまだに見出せてはいない。
そんななか、生まれてきた価値観が〈サスティナブル〉。大量生産大量消費社会が進んだことによって、物質的には豊かになったが、その代償として地球全体で新たな歪みが生まれてきてしまった。そこで〈持続可能な〉という〈サスティナブル〉という価値観が脚光を浴びることとなる。
しかし、うがった見方をすれば、実にこれまた非常に人間都合な価値観のようにも思える。物質的な豊かさをそこそこキープしながら今後もそれを維持し続けるために少し控えましょう、的な価値観とも捉えられてしまう。また、おそらく30代後半以降の世代は、散々物質主義の恩恵を教授してきた人がほとんどであろうから、ナチュラルにこの価値観を体現できるとも思えない。物質主義から様変わりをしサスティナブルを声高に叫ぶものがいたとしたら、それはそれで軽薄すぎて信じられない。おそらく、数年後には違うことを声高に叫んでいるだろう。そこで10代、20代の世代、ものが溢れかえっている環境で育ち、物質主義に対する疑問を持ち続けてきた世代から、新たな価値観が生まれるのではないか。いよいよ新しい社会に向けて新しい世代の価値観こそが重要になるのだろう。
そんな戯言はさておき、1992年に開催された地球サミットでは〈サスティナブル・ディベロップメント(持続可能な開発)〉を実現するという目標が提示され、そして2015年には、より具体的に〈SDGs(持続可能な開発目標)〉が掲げられ、2030年までに以下のゴールが提示された。簡略化して記すと、貧困&飢餓をなくす、人々に保険と福祉を、質の高い教育、ジェンダーの平等、安全な水とトイレ、エネルギーを安全に誰にでも享受できる社会、人間らしい雇用の促進、産業と技術革新の基盤作り、人や国の不平等改善など、17の目標が設定された。
ここでは、このSDGsのなかの〈気候変動に対する具体的な策〉〈海と陸の豊さを守る〉に該当するだろうプラスチックの問題について取り上げる。そもそもプラスチックは、現在の我々の社会において、物質的豊かさを実現させた最大の功労者のひとつである。コロナ禍において欠かせないマスク、日々の生活になくてはならない携帯電話、あるいは洋服や洗濯機、車、飛行機などありとあらゆるものにプラスチックは使用されている。軽くて丈夫、安価で大量に生産できるという特性から、1960年代に起きた〈石油革命〉以降、現代文明を司る重要な物質として、なくてはならないものになっている。
そんなプラスチックではあるが、今や地球環境を汚染する最大の悪として槍玉にもあげられている。そもそもプラスチックとは何なのか、プラスチックとこれまでの社会、今後の社会について、バイオマスで、なおかつ生分解もするプラスチックの研究をされている東京大学の岩田教授にお話を伺ってきた。
まずプラスチックが生まれた経緯を教えてください。
最初に開発されたプラスチックは、ビリヤードの玉でした。それまでビリヤードの玉は、象を殺し手に入れていた象牙から作られていたためです。動物愛護という観点から、象牙に変わる素材としてプラスチックが開発され使用されたのが契機であります。
現代社会では、悪ともされるプラスチックは、本来は動物愛護の観点に基づいて開発されたものだったのですね。そんななか岩田教授がプラスチックの研究をするようになった経緯を教えてください。
僕の親父は、化学会社で働いており、プラスチックの研究をしていました。しかし、親父とは同じことはやりたくない、と思い農学部に進学しました。私が進学した京都大学の農学部の林産工学科では木材の成分のセルロースという紙の原料となるものを研究していました。ただ、僕の先生が工学部出身の方で、セルロースを化学的に変換する研究をしていて、それがフィルムや繊維になることからプラスチックの研究をすることになったんです。その後、理化学研究所に就職して、本格的にプラスチックの研究をすることになります。
なるべくしてプラスチックの研究者になった、ということですね(笑)。岩田教授がプラスチックの研究をはじめた頃は、社会がプラスチックをどのように捉えていた時代なのでしょうか?
僕が京都大学に入学したのは1985年で、プラスチックのゴミの投棄による環境破壊の問題がクローズアップされ始めた時期です。また、90年代に入ると、石油資源の枯渇問題に加え、プラスチックの焼却による二酸化炭素の増大が原因とされる地球温暖化問題について議論が活発になっていった時代でした。
〈豊かな暮らし〉になくてはならないプラスチックですが、一方で、その扱いが当時から問題になっていたのですね。では、そんな時代背景のなか、岩田教授はどのようなプラスチックを研究していくことになるのですか?
まずひとつが、農学部で学んでいた頃の教訓が生きているのですが、農学とは、自然にあるものを、まずゆっくりみるわけです。要するに、豚や魚を殺すのではなくて、ちょっと遺伝子や品種を変えるなど、ドラスティックに変えるのではなく、ゆっくりと変えていこうというのが農学という学問なんです。そのときに学んだことが、現在、植物油や糖など、自然にあるものを用いて、少し化学的に変換することで、自然の構造を残しながら作るバイオマス・プラスチックの研究につながっています。一般的に流通しているプラスチックは、石油からとれる成分を使って、自然界にはない全く新しい構造を作り出したものを使用していました。そのため、ゴミとなって地球上に溢れると、自然が処理できず、環境に害を加えてしまいます。一方で、バイオマス・プラスチックは、もともと自然界にあった成分からプラスチックを作るため、燃やしたときに発生する二酸化炭素は、植物体のバイオマスにもう一度吸収されるため、地球温暖化の原因にはならないプラスチックであります。
岩田教授の出自が、今の研究につながっているのですね。
また、もうひとつ、生分解性プラスチックの研究もしています。これは、海に流れ着いたプラスチックを、微生物によって、何年後かに分解してしまうというプラスチックになります。この研究は、僕が理化学研究所に採用してくださった土肥義治(どい よしはる)先生が生分解性プラスチックの専門家であったことが大きく影響しています。生分解性であれば、別に石油から作られていても良いのですが、プラスチックはひと目でバイオマスからつくられたものなのか、石油から合成されたものなのか、生分解するものなのか、しないものなのか、判断できないこともあり、ゴミとして収集されたとき、どう処理していいかわからないことが最大の問題でもあります。それならば、燃やしたとしても、さらに言えば、例え人間がポイ捨てし海に流れついたとしても対応できる生分解性バイオマスプラスチックが良いのではないかと研究を進めています。
バイオマスであり、さらには生分解もするプラスチックの研究をされているのですね。ただ、バイオマスの方は理解できるのですが、生分解性プラスチックの方はイマイチ、ピンときません。軽くて丈夫であることがプラスチックの利点でもあり、分解してしまっては、その役割を果たさないのではないかと思います。
プラスチックとひとことでいっても、とても多くの種類のものがあります。例えば、洋服に使われているプラスチックは、アイロンをかけるので180度から200度の熱を加えても耐えられるものでなくてはなりません。一方レジ袋は、それほど熱に強くある必要はありませんが、やぶれないことが重要です。使っているときは、しっかり使えて、環境中に流出したら微生物の力によって分解されることがポイントになります。
そのバランスが難しそうですね。
確かに、先ほど述べたように80年代に起きたプラスチックのゴミ問題のときに生分解プラスチックが脚光を浴びているんです。すぐにボロボロになってしまうということで、製品化に繋がりませんでしたが、現在は、当時と比べると社会が成熟していることもあり、数年後かに分解しても、地球環境に優しいものを選択するという価値観も生まれてきているため、再び注目されているのです。
社会の変化によって、価値が変わるのですね。
もっと言えば、僕自身は何も変わってないんですがね(笑)。世の中によって、生分解性プラスチックに対する評価が勝手に上がったり、下がったりしているだけなんです。当時は、石油化学工業全盛期だったから、安く良いものを作って、大量生産大量消費の価値観が豊かさになっていた時代ですからね。自分たちが良い生活をしたい、つまり、大量生産大量消費のなかで見出した価値観では、壊れるプラスチックなんか目にも止められなかったんです。そもそも、サスティナブルなんて言葉もない時代でしたから。
現在、生分解性プラスチックについて、世の中が求めている時代ということでもあるのですね。
だからこそ、今しっかりと結果を出さなきゃいけないとも思っています。例えば、現在はバイオマスで、生分解もするプラスチックで、釣り糸や手術用の縫合糸の製品化に向けて、企業と研究をしています。釣り糸は、海で何年後かに分解するもの、手術に使う縫合糸は、術後、糸が体内で自然に分解されなくなるものの製品化を目指しています。
もちろん、生分解性プラスチックについて、海に流れ着いたときに、すぐに分解しないため、マイクロプラスチック問題の解決にはならないという人もいますが、僕は、プラスチックに関してゼロイチの議論をしたらダメだと思っています。例えば、我々の生活において、プラスチックの使用を完全になくすなどの議論をしたらダメなんです。今のプラスチックはこのままだったら100年後も海の底にゴミとして存在してしまうわけだから、少しでも減らせた方がいいに決まっています。だからこそ、今、生分解性プラスチックの研究を進める必要があるんだと思います。それこそが、プラスチック問題についての、サスティナブルという考え方に即していると思います。
また、現在はプラスチック自体が悪の根源のように扱われていますよね。
プラスチック自体が悪いわけじゃないのです。プラスチックを悪者みたいにいう人がいますけど、携帯電話や冷蔵庫、マスクにおむつなど、あらゆるものにプラスチックは使われています。だからこそ、全部やめて、江戸時代に戻るわけにはいかないと僕は思っています。プラスチックと人間は、共存しなきゃいけないし、賢く使わなきゃいけない。そのときにどうするか考えなきゃいけない。
もっと言えば、僕は可能な限り全部集めてリサイクルするのがベストだと思っています。ただ、コストの面や手間などを考えると現実的ではありません。したがって、リサイクルできないものに生分解性プラスチックを使用する必要があるとも考えます。洗濯機や冷蔵庫のように回収が可能なものには使う必要がなくて、使う用途と使う場所によって、バイオマスプラスチック、生分解性プラスチック、石油合成プラスチック、どれが向いてるのか、よく考えないといけない。リサイクルができるのであれば、私は石油合成プラスチックでも良いと思っています。
面白いですね。ただ、生分解性プラスチックが必要となるのは、人間のモラルの問題とも大きく関わってくるということですよね。ポイ捨てしたりする人がいなくなれば、そこまで必要でないとも言えます。同時に岩田教授は、そういった人間の問題についても、諦めというか、人間はそんなにモラル的な生き物ではない、という風に達観しているからこそ、生分解性プラスチックの研究を進められるのかなとも思いました(笑)。
まあ、そういうところもあるかもしれませんね(笑)。ただ、全てのプラスチックごみが回収されて、リサイクルされるとは限りません。例えば衣服だって、洗濯すると繊維クズがいっぱい出ますよね。日本の洗濯機は、ちゃんとクズを捕まえるようなネットがありますが、まだまだ、川で洗濯をしている国もたくさんあります。すると、ポリエチレンテレフタレートというポリエステル繊維が大量に海に流れていることになります。繊維のため、目には見えない細さなので、ペットボトルのように目立ちはしないのですが、こちらも大きな問題となっています。しかし、川で洗濯するな、とは言えないですよね?だからこそ、生分解性プラスチックが必要とされています。
なるほど。ここまで、岩田教授のお話を聞いていると、社会がプラスチックを悪として捉えている一方、教授からは、プラスチックに対する〈愛〉みたいなものも感じます(笑)。
学生の頃は、そうは思わなかったのですが、親父がプラスチックの研究者だったのもあるのでしょうし、プラスチックという素材は20世紀最大の発見とも呼べるほど、素晴らしい素材なので、昔から好きであったことは確かです。また、セルロースもそうなんですが、自然界にあるものから、少し化学的に変化させることで、全く異なる物質ができるということにも興味があるのだと思います。
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