Image by: beautiful people
自粛生活が云われるようになる以前より、私は半ば自粛生活然とした佗しい暮らしを続けてきた。だから私には、何を今更、と云った具合なのだ。こうなった理由をここで詳らかにすることは流石に慎むけれど、要は、能う限り他人との交際を断った、拗けた暮らを続けてきたと云うことである。こうまでして持ち崩してしまった現在の身体では(精神衛生上にも悪い)、唯でさえ根気の続かなかった勤勉な生活には到底帰られるものではあるまい。それ相応に立身出世の野心を、唯謹直と云う名のもとに押し隠して、凡そ人間の多く集まるところには免れ難い反目やら競争やら阿諛やら讒訴やら、それら一切の不快な、陰険な感情を、またもや交際と云う仮面のもとに、何事もないように包み隠していたことも、あるにはあった。そんな昔日を思い出すと、ここにこうして、独り焼酎のコップを前に、この稿のネタ繰りをしている現在の方が、どれほど幸福だか比較にはなるまい。
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昨日は「アンリアレイジ」の話を書いた。そして今回は「ビューティフルピープル」を俎上に乗せてみた。偶さかパリコレクションで新作を発表するブランドの話題、それもショーの代替として動画を配信したブランドを取り上げるが、時節柄、これらの提言は外せないと思ったからである。こう云うと如何にも予定調和を尊ぶようで自分でも照れ臭いが、それを押して話を進めてみたい。
【コレクションレポート】ソファーと一体する服、ビューティフルピープルがビーズで表現した「無限の再構成」
繰り返すが、動画の内容を詳細に記すことは避ける。興味のある方は是非とも実際に見て頂きたい。その方が作者の意図が伝わり易いと思うし、各人各様のイメージが膨らんで面白い筈である。それに出過ぎたことを云うけれど、私は映像を評論する立場にはいない。だけれども「ビューティフル ピープル」のショートムービーには心が動かされた。本来であれば、映像に於ける演出とか、モデルの演技とか、凡ての完成度とかを論じるのが筋であろうが、乱暴に云うと、私にとってはそのあたりは飽く迄も枝葉でしかない。重要なのは唯一点のみ。この服にはどう云う意味があるのか、と云う一点。熊切秀典が服に託した意図が過不足なく映像に置き換えられていたから私の心は動いたのである。本音を云えば、この仕掛けであれば、実際のショーで見せた方がスペクタクル的な効果が一層期待出来たと思う。パンデミックがあればこそ生まれたアイデアだから、それを云っても仕方がない。リハーサルで巧くいっても本番で事故が起きた例をこれまで幾つか見てきたから、往々にして大仕掛けの演出はショーでは鬼門だが、今回のアイデアならば実際のショーで見たかった。
愚か者だと云われても構わない。確かに私は虚妄と現実の間にいた、と云ってもいい。その何方にいるともつかず、はたから見れば、両者の境界線をあわやの際に失いかねまじき千鳥足でよろめいているように見えたかも知れない。歩行速度が速くては見えない何かが見えた気がする。直線距離を嫌って彷徨い歩く夢中歩行者のように...酒呑みの幻覚だと云われても仕方がない...但し、ファッションを書くことの上では、服の作り手の域とまでは云わぬが、イメージの風景の中を逍遥する自由精神は必要なことで、如何に息苦しいとも、現実を、反射神経的な提言で誤魔化すべきではないし、我々は内なるイメージの世界を萎縮させるべきではない筈だ...予期していなかったけれど、動画は私にカタルシスを与えてくれたのであった。
【全ルック】beautiful people 2021年春夏コレクション
当今、誰もがモヤモヤしているところに、熊切は、このモヤモヤを解消してくれる悪戯をして見せた。今回の服は、それを身に纏う身体の動き(屈んだり、寝転がったり、寛ぐ時の人間の所作)と服の形の相関関係に着想している。服に内蔵した袋状のポケットに大量の極小ビーズを注入することで、身体の動きに連動して服が新たな形に変容する設計。ビーズが極小だから、従来の毛芯や肩パッド、コルセットなどとは違って、身体の動きに応じて流動的な形を服にもたらす仕掛けである。彼がまだ東京でショーをしているときに、マルタン・マルジェラが手掛けた「エルメス」の初期のエレガンスに密かにオマージュしたコレクションを見せたことがあったが、今回は堂々とムッシュ ディオールのニュールックに寄り添った服を見せている。本来は仕立ての妙技より生まれる曲線を、3Dモールディングとも違った、枕の中に詰まっている極小ビーズの威力を借りて描出しようとする、所謂、異端のエレガンスである。ビーズを凡て抜き取ってしまえば、抜け殻のようなドレスになる(勿論、着用可能なパターンメーキングで按配されている)。如何にも熊切らしい発想ではないか。伏線と、その回収は見事と云うしかない。
beautiful people 2021年春夏コレクション
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この極小ビーズ(ポリスチレンで出来ていて、動画では、一着に80リットルから200リットルを使用したと云う)の存在が、主役の服を喰うほどの名演技を見せている。不謹慎だけれど、実は動画を見ていて私がイメージしたのは、飛沫感染とか、猛威を振るうウイルスの活発な動きだった。熊切のことだから、それもありだろうなと思っていたら、案の定、「服の中のビーズはウイルスか、或いは(開発が待たれる)ワクチンか」と云う回答が返ってきた。莞爾とする彼の顔が眼に浮かぶようである。
今回の服が誕生した経緯についてメールで回答を得たのでそれを引いておく。「まさに行動規制やステイホームの期間中に作られたコレクションなので、家の中からインスピレーションを探すことが今のリアリティーだと云う熊切ディレクションと、ソファーと一体化してしまうかも知れないと云う冗談混じりではあるが、リアルに感じた複雑な感情が動機になっている。ビーズクッションの「(快適過ぎて)人をダメにするクッション」と云うキャッチコピーにも惹かれた。ビーズに包まれることで動けなくなり、ビーズが抜けた後に軽やかに自由になるドレスを提案している」。
当今の、仕掛けが施されていると称される服のデザインを見ては、この程度の趣向を仕掛けと呼ぶのかと、なんとも呆気ない思いにさせられることがある。一々例を挙げるのははしたないから黙っているけれど、仕掛けと称されるものには遊びの要素が必要不可欠であり、その「遊び」にキレがないと面白みが薄れてしまうものである。仕掛けと呼ぶほどのものではないこともあったけれど、多聞に漏れず熊切も仕掛け好きな一人である。パリでショーをし始めて更に磨きが掛かっている。番度、アイロニーやパロディーを効かせた仕掛けを用意しているが、熊切にとっての仕掛けは、飽く迄も綺麗な服を見せるための道具立ての一つに過ぎず、実は、仕掛けそのものがメーンではないのである。そこを見間違えると只のトリッキーな服で終わってしまう。本当に綺麗な服があるとして、そこに仕掛けがあるとしたら、それは作り手以前の何者かが服を魅力的なものにするために仕掛けたのだと、私などはつい信じてしまうのである。(文責/麥田俊一)
【ファッションジャーナリスト麥田俊一のモードノオト】
・モードノオト2020.10.12
・モードノオト2020.10.13
・モードノオト2020.10.15
・モードノオト2020.10.16
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